始まりが何時だったかなんて、もう覚えていない。
ただ、忘れていない一つの事は、秋晴との別れになったあの時のことだ。
母親が再婚し、庶民から令嬢になり、令嬢として恥ずかしくないよう自分を磨き、学び、周りの期待に答えようと頑張った日々のこと。
自分が結果を出す度に、母や父は喜んでくれた。
欲しいものはあまりなかったけれど、でも必要なものが出来たら、少し言えばすぐに買って貰えた。
不満だと言えば、間違いなく贅沢といわれる程に満たされている日々。
―――いや、満たされてなどいなかった。
好きだった少年と会えなくなり、その代わりに夢の中で少年とデートしたり遊んだりして、ただ少年の夢さえも見なくなって。
忘れた頃に、偶然、本当に偶然再会した少年は、自分が思いもしない程の苦境にありながらも、高潔なまでの夢を持っていた。
――ファーストキスのこと、覚えてる?
――へぇ、忘れたんだ?
――じゃあ、これが秋晴くんのファーストキスです。私のファーストキスでもあるんですけど。
幼い頃に一度しただけのキスの記憶が、忘れかけていた彼への想いを蘇らせる切っ掛けとなって。
――初めて、なんだから。
――優しくしてよ?ゆっくり、優しく。
――あ・・はぁっ・・これで、私は、秋晴くんのものになっちゃったんだ・・・♪
ロストヴァージンは、二人きりのデートの帰りに。
――え・・・?これって・・
――結婚してくれ・・・って・・
――嫌なわけ、ないわよ・・・バカ・・
渡された指輪は、かなりの安物だった―――それでも、朋美にはこの世の全てを足しても足りない宝物になった。
その宝物の指輪を左手の薬指にはめ、朋美は小さな涙の粒を溢す。
思えば色々あった――喧嘩も数え切れないぐらいしたし、一度だけだが喧嘩したときに遠くに旅に出たりもした。
それでも、自分は秋晴の元に戻った。
彼が謝ったとかじゃあない。
悪いのは、自分の嫉妬心だから。
――ごめんね、秋晴。私、嫉妬ばかりしてるよね?
答えはいつも優しいキスと、朝まで終わらぬ優しい性交。
こんもりと膨らんだ腹部には、彼との愛の結晶が二人も入っている。
「朋美、用意はいいか?」
ドアの隙間から、最愛の人の声が届く。
「ねぇ秋晴くん、少し来てください」
昔のように、彼を呼ぶ。
幾らか悩んだ後、秋晴はおずおずと部屋に入り、朋美のほうに歩いてきた。
「どうした?なんか問題があるか?」
「はい、大問題です」
「え?」
「秋晴くん、私にキスしてください」
朋美が甘えた声でねだると、秋晴は朋美の頬に手を当て、優しく口づけしてくれる。
唇が触れ合い、朋美が舌を使って秋晴の口内を犯すと、今度は秋晴が朋美の舌に自分の舌を絡めてくれる。
唾液と唾液が混じり、甘い甘いジュースになったものを、朋美は飲み下す。
「これで、頑張れる」
「・・あぁ、そうだな」
秋晴が、膨らんだ朋美の腹を優しく撫でると、朋美は嬉しそうに微笑む。
こんなボテ腹で結婚式をしようなんて、自分は気が狂ったのかと、最初はそう思ったけれど。
ボテ腹で結婚式だからこそ、意味があるのだ。
秋晴と自分が、もうこういう関係なのだとライバル達に知らしめる意味が。
「そろそろ始まるし、俺は行くぞ」
秋晴の言葉に首肯を返し、朋美は大きく微笑んだ。
間も無く始まる、自分と秋晴の結婚式。
そしてこれから始まる、秋晴との日々。
幸せな日々を送ることを朋美に予感させるそれは、紛れもなく直感。
ただ、この直感に間違いはないと、朋美の頭が告げている。
――幸せにしてくださいね、秋晴くん?
朋美の予感が実現するのかは、これからの二人次第だった。
が、その予感は、この世界の何より正しいのだと、朋美と秋晴はそう信じていた。