―――もう真夜中だというのに。
ハディム家が所有する南の孤島に立つログハウス。通された客間のベッドの中で、私は眠れなくなっていた。
ベッドに入ってから何度目になるかわからない寝返りをうち、枕もとに置いておいた自分の腕時計で確認する。
横になってからもう感覚的には夜が明けているんじゃないかと思うくらいだが、それでも時計はまだ夜明けまで数時間あると告げている。それでも、いつもならとっくに深い眠りについているはずの時刻である。
腕時計を元の所に置いて改めて仰向けになり頭を枕に落ち着けると、深呼吸のような深いため息をついた。
ベッドや寝具は文句のつけどころのないものであるし、そもそも枕が変わって眠れなくなるようなことはないので、この不眠の原因は別の所にある。
客間に入る直前に彼女が見せた、秋晴への丁寧なお辞儀。
あれを見た瞬間、「どうぞよろしくお願いします」という言葉が聞こえてきそうだった。
その言葉が意味するところは、ある程度想像できる。
時間を共に過ごすため?
安眠を守ってもらうため?
………一番高い可能性については、できるだけ考えない。分かっていても、分かっていないふりをする。
それでも、決して無視し続けることができない。
それは、自分が危惧しているから。
それが、あってほしくないと願っているから。
あの……日野秋晴がアイシェさんと身を重ねることを。
秋晴を特別な存在として感じるようになったのがいつだったのかは、よく分からない。それでも、その感覚の存在を認められるようになるまでには時間がかかったと思う。その時は、まだ理解はできなかったけれど。
でも、今は少しだけなら分かる気がする。
――私は、彼、日野秋晴を独占したいのだ。
それは多分、子供がお気に入りの玩具や本をもつのと同じなのだろう、と思う。自分では無くしてしまったと思っていた子供心がどこかに隠れていて、それがこんな形で現れたのだと、大人になってしまった部分が思って……
…………はたして、そうなのだろうか?
自分にそのような形の子供心が残っているのか、はっきりいって疑わしい。その存在が、何か、理由付けのために現れたような感覚がかすかにあるように、不自然なものに感じる。
もしも、その独占欲が子供心からではなく大人の心から生まれたものなら、あるいはその感情は、
――恋愛感情、というものなのではないだろうか?
………はっきりいって、よく分からない。
恋愛をした経験はない。社交界やパーティでアプローチを受けることはよくあるが、それらの裏には何か黒い思惑がありそうで、あまりいい感情を持てなかったからだ。
また、男性の友人はいるが、そこまで仲がいいわけでもないし、そういった人たちに対しても恋愛感情を意識したことはなかった。
それに、恋愛感情であると安易に結論付けることはしたくなかった。何とも言えない恐怖感のようなものがある気がして、結論を出すことを躊躇ってしまう。もしかしたら、私を躊躇させているものこそ、私に残された子供心なのかもしれない。
……いや、子供心というより、「女の子」の心かもしれない。
『我が心は処女に似たり』
以前読んだ日本の文学小説に出てきた一文が不意に思い出された。あの読みにくい文章ではよく分からなかったが、今の自分を表しているような気がする。
「…我が、心は……処女…に、似たり………」
意味を確かめるように、ゆっくりと口に出してみると、言葉が自分に染み込んでいくような気がした。その言葉のなかで「処女」という単語が気にかかった。
(処女……バージン、ですわね)
普段なら恥ずかしくなるような意味であるのに、その文章のなかではいやらしさといった不快感を感じさせない、何か神聖さのようなものを伴っているように思える。なんというか、一種の聖域であるような………
自分の下腹部に右手を当てる。生まれてから今まで、守り通してきた純潔が、そこにある。
これを自分もいつか失うのだろう。伴侶として添い遂げたいと思う人に捧げることができるだろうか。それとも――
―――ふと、熱海で秋晴に押し倒されたことが思い出された。
あの時感じた焦りは純潔を奪われることへの危機感だったのだろうか、と疑問に思うことがあった。秋晴が眠ってしまったときに拍子抜けしてしまったのは、迫ってくる秋晴に抵抗しなかったのは、どこか期待している自分があったからではないだろうか。
そしてその期待は、どこから来たものなのか。
その結論を出すことに、淡い畏怖のようなものを感じていた。
しかし、もしもあのまま一夜の過ちを犯していたら、どうなっていただろう?
秋晴の顔が迫ってきた瞬間を思い出す。あのまま唇を奪われ、そして……
手持ち無沙汰であった左手が、自然と自分の右の胸に触れられた。
「ン………んっ、……んんぅ………」
揉む、というよりは軽く触る程度に指を乳房に這わらせる。自分の心の緊張をゆっくりほぐしていくように、ゆっくりと指を動かす。
(そういえば……秋晴は私の胸を気にしてましたわね………)
自慢、というわけではないが、自分の胸にはある程度の自信がある。彼が言うように、サイズに関して言えば、学園内では四季鏡姉妹の次くらいの大きさだと思う。それをとくに自慢の種にしないのは、それが自分の努力によって得たものでないからだ。
(それでも褒められるのは、悪くないですわね)
そう思えるのは、秋晴だからだろうか。
「ふンッ、……ふぅ……んふぅ…」
指の動きがゆっくりとだが次第にはやくなってきている。自発的に、というよりは勝手にはやくなっているような、操られているような感覚で、鼻にかかった艶のある声が断続的に漏れ出てきてしまう。
借り物の服の上から触れているため、指を動かすたびに布が敏感になりつつある胸の頂と擦れてしまい、そこからも淡い痺れのような刺激をあたえられる。それが、指の速度に合わせて徐々に強いものになっていく。
(あの時……押し倒された時に、あのままだったら……秋晴も胸を………)
私を押し倒した状態で私の胸に触れる彼の姿を想像した瞬間、
「ッ!? やっ、ああっ、ひゃあぁァン!!」
これまで以上の刺激に、思わず声が出てしまった。
否、刺激が単純に強くなったというわけではないような感じがする。なんというか、胸に響くような衝撃を感じた気がする。
(なんですの今のは……こんな、こんなに…………感じてしまうなんて)
先ほどの強い刺激を確かめるように、声を抑えようとしたためにいつの間にか止まっていた左手を、またゆっくりと動かし始めた。
無自覚に、秋晴が自分の胸を愛撫しているという妄想が頭の中、意識の中を支配していく。目を瞑ると、彼が私を押し倒して胸を優しく揉んでいる姿が浮かんできてしまう。
その想像上の秋晴を見てはいけないという理性のようなものと、妄想に身を任せてこの刺激に溺れてしまいたいという情欲のようなもの、その二つの攻防によって、意識が客間の室内と秋晴の姿の間で右往左往している。
「あふっ…んふっ、んん、ふうぅン」
それまで下腹部に当てていた右手が、さらなる刺激を求めるうように、ゆっくりと秘部の方へと向かっていく。服を少しだけ下し、下着の上から触れようとする。
(ああっ、そんな、ダメですわ、そんなところを触れられたら……ッ!)
妄想の中の秋晴が、空いている方の手をゆっくりと服を脱がせ、脚の間から手を恥丘へと進めていく。
あの時同様、抵抗はできなかった。
「んひぃいン! ああぁっ、はンッ、はあぁぁあ!」
自分の手と妄想の秋晴の手が同時に秘部に到達した。ある程度予想はしていたが、それ以上に激しく濡れてしまっていた。ショーツはぐっしょりとその秘裂からあふれた密を吸い込み、その上から触っても湿った音が聞こえてきそうだ。
『……もうこんなに濡れてるぞ、セルニア』
「……ッ!? や、そんな…ああっ、イヤぁッ、ヒィッ、ひィいぃぅぅうン!」
妄想の秋晴が耳元でささやいた気がした。声が聴こえたというより、声の気配を感じたようだった。自分の痴態を指摘されるという恥ずかしさを感じると同時に、自分の、秋晴の秘部への愛撫が強くなる。
いつの間にかショーツを横にずらし、秘裂へ直接触れていた。指を入れることに恐怖感があるためか、そこまではしなかった。
しかし、そのかわり、
(そこは、クリトリスはダメですわ、そこをそんなに弄ったらイって…イかされてしまう……!!)
指先で軽く撫でるように、秘裂の上にある突起を刺激される。
一人で慰めるときには、指を秘穴に入れてしまうことに恐怖感から、いつもその陰核を刺激していた。そのため、陰唇よりもかなり敏感になっている。
胸と股間を弄る両手の動きが徐々に激しくなり、それに合わせて漏れ出る声の大きさも抑えが利かなくなっていく。快感に誘われるままに、明らかに、その猥らに慰める行為に没頭していく。
「あ、はあぁっ、秋晴っ、もう、私ぃ、イクぅ、イッてしまいまひゅぅう! 」
もう現実も妄想も区別がつかなかった。口から出る言葉は何を言っているかすら定かではない。虚像の彼に言っているのか、自分自身に対して言っているのか、そんなことも情欲に流されてしまった今では関係なく、ただ貪欲に、ただ一匹の牝になって、この性の快感に浸る。
ただ、最後の瞬間を求めて。
「もうっ、ダメ、らめぇぇえっ! 秋晴ッ、わた、私ィッ! イク、イクッ、イきゅうぅぅぅうウ!!」
絶頂の瞬間、腰が跳ね上がる。それは体全体に伝わり、体のいたるところが痙攣している。自分の体、そして思考までもが性の快楽に飲み込まれていくのが分かる。
「ハッ、はあっ、はぁ、はふぅ、はひゅぅううぅぅ……」
乱されていた呼吸が整うにつれて、痙攣していた全身が弛緩してゆく。未だ残る快感の余韻と心地よい疲労感が、意識を情欲から眠りへとその主導権を移していく。
眠気で混濁し急速に失われていく思考の中で、彼のことが一瞬泡沫のように浮かび、それが消えるとともに私は意識を手放した。
アイシェお嬢様の寝室の前で待機中の私は、その向かいの客間が静かになったことを感じ、安心感のようなものから大きく息を吐いた。
あのど変た……旦那様である日野秋晴という男にどんな魅力があるのか、私は大いに疑問がある。お嬢様が彼に求めているのは、与えられるだけの、ある意味での不自由のなかで許された最大限の自由を得ることだろう。
それはあの事故を自分自身にもたらされた運命であると信じているということで、決してあの男に惹かれているというわけではない、と思いたい。
でも、あの以前の事故の際に四阿で二人きりになった時。あの時の筆談に、あの男を称賛する言葉があった。あれは、確実に目的を果たすためだったろうか。それとも、本当にあの人柄に魅力を感じているということなのだろうか。
それに、あのフレイムハート様までが心を寄せている……これは間違いないだろう。先ほどまでの切ない声を聞いてしまえば、疑う余地はない。彼女に自覚があるかどうかは分からないが。
他にも彩京様、桜沢様、それにあの同室の従育科生徒など、多くの方々があの人に引き付けられている。
これまでお嬢様に日野秋晴の行動を調査報告をしてきたからこそ、そのことが分かる。見た目で嫌悪感を与えているのも事実だが、関わりを持つものは皆、好意的であることも事実のようだ。
また一つ、大きく息を吐き出した。この疑問を吹き飛ばそうとするように。
お嬢様の部屋から、物音が聞えた。おそらくはあの屑野ろ……旦那様だろう。
お嬢様との契りを促すために防音室であると虚偽を伝えた。何かあった時に助けを呼んだり、物音で侵入を感じ取ったりするため、つまり防犯のために、防音加工は何一つされていない。
その情報を伝えたにもかかわらず何もしなかったことは、個人的には嬉しいことだ。
そんな彼をいつよもり多少緩く、少しだけ優しめに迎えるため、私は軽く姿勢を整えた。