――なんだ?
どうして大地はいきなりズボンを脱いでんだ。ていうか待て。
違和感というかなんというか。なんだこの間違い探しの答えを脳が理解を拒否してるような感覚。
オーケイ。冷静になれ。
一つ一つ確認していこう。上から順番だ。
まず顔。面白いくらい真っ赤だ。しかも七割くらいは怒りによる赤さだ。こんなレアな表情はめったに見れない。
しかしまあ大地も人間だこんな顔だってするだろう。つうわけで間違いの箇所としてはパス。
次に若干視点を下げる。胸元だ。何故か触らされたが、それは華奢な体躯を実感したくらいだった。
相変わらずシャツは開いていて男にしとくには勿体無い色香を放ってる。なんか変な気分になりそうだ。とは言え違和感と呼ぶには違う。ここもパス。
更に下。腹を見てみよう。
シャツの布地に包まれているとは言え、細く引き締まっていると想像するに難くない。やはり大きな問題はなし。よってパス。
そしてその下。腰だ。
露出した下着はトランクスではなくブリーフ。無地ではなく水色のストライプだ――って、はい! ダウトぉぉーーお!
水色ストライプのブリーフとか有り得ねえよ! 十七年間男をやって来て紳士下着売り場に水色ストライプのブリーフが並んでるのなんて見たことねえよ。
「…………」
――認めよう。
これは女性用の下着――若干下卑た言い方をするならば、しまぱんと呼ばれるものだ。
そして何よりの問題は、“本来なら有るはずの違和感が無い”という違和感だ。
…………。
ないよな?
これは十あるものが五しかないとかいうレベルじゃない。
ゼロ。皆無だ。
小さいんじゃなく、付いてない――んだよな?
「えーと、つまりなんだ? 男にあるはずの物がない。あるはずの物がないという事は男じゃない。男じゃないって事は……」
「――女?」
「何分も眺めてから気付くなっ! 遅い!」
大地がようやく答えに達した秋晴に怒鳴りつけながら、すとんと腰を落とす。
羞恥の限界だったらしく、強気な瞳は涙目になって潤んでいる。そんな仕草が可愛いらしくて――。
「ああ……言われてみると女ですね」
そう零していた。何故か敬語。相当混乱してる。
ていうかあれか? 大地が女って事はたまにドキリとしたりとかって正常だったのか?
待て、待て待て。むしろ、そんな事より、だ。
「なんで、男装?」
「……家庭の事情というやつだ」
苦虫を噛み潰したような渋い表情(顔の赤さは変わらないが)で、大地はそれ以上の詮索を拒んだ。
秋晴としてはしっかりと追及したい所ではあったが、それは抑えた。
――大地が震えていたから。
きっと怖いんだろう。なにか理由があるのは分かる。こうして自分に打ち明けたのだって大きな賭だったに違いない。
そして、そこにある理由以上に大地は自分を否定される事を恐れているんじゃないか?
そう思ったら余計な詮索なんて、出来なかった。
しかしまあ……。
このタイミングでのカミングアウトは些か不味い。
なんでって、色々な部分がちらちらしているのだ。
開いた襟元とか、しましまぱんつとか、白い太股とか、そんなのが。
しかも、それがカミングによって、さっきとは意味を変えている。
女みたいな――ではなく、れっきとした女。
暗い部屋の中、このシチュエーションはヤバい。
「あ〜……大地。取り敢えず服を着てくれ」
「あ……? あぅっ!?」
大地は自分の姿に気付き、体を庇うように腕で隠した。
勿論、下はぱんつ一枚なのでその行為は焼け石に水だ。精々が下着を更に隠す程度なので露出度に大差はない。
逆に、だ。
それまでは本人が余り気にしていなかったから良かったが、恥じらわれると途端に意識してしまう。
――異性を、感じてしまう。
「……っ良いから! 見ないから早く服着ろ!」
半ば以上逆ギレ気味に言って目を逸らす。
「……見たくないのか?」
「あぁっ!?」
「僕の体が見るに耐えないのか……」
「なんでそうなるんだよ! 逆だ逆! 男としてこれ以上は不味いんだよ色々と!」
秋晴、大地共に発熱で正気からはかけ離れている。
余裕とは程遠い心理状態は互いに本音を吐露させる。
「……だったら! ちゃんと女に見えるんなら、それなりの反応をしろ!」
「うるっせぇよ! もうしてるっつの!」
「「あ……」」
――まあ、そんな状態で会話していたら地雷を踏むのは当然なのだ。
間抜けな声を重ね、二人は自分の発言の迂闊さに気付く。だからと言って発言が取り消される訳ではない。
覆水盆に還らず。言ってしまった事実は消えないし、聞いてしまった事実もそのままだ。
気まずい雰囲気に、二人は沈黙する。
先に口を開いた方が負けだとでも言わんばかりにひたすら黙りこくる。その間、互いに目を合わせない為に視線を泳がせていたのだが――。
その結果、大地は“ソレ”に気付いてしまった。
「あ……」
大地が無意識の内に零した声に、秋晴が大地を見る。そうして、大地が一点を見詰めている事に気付き、視線を追い、それが意味する所を悟った。
「なに見てやがる!」
瞬間、途方も無い羞恥から顔を真っ赤にして“ソレ”を隠す。
ソレ――即ち、寝間着のジャージ。その下半身に張られたテントだ。
曲がりなりにも美少女の半裸姿を、薄暗闇の中で眺めていたのだ。極自然な反応であり、健全な証だ。
まあ、それが言い訳になるかと言えば、そうではないのだが。
「あ、いや、その……これはだな……」
どう言い訳したものやらと意味を成さない言葉を繋げてみるが、時間稼ぎが精一杯だった。
それもやがて限界が来て、再び沈黙が降りる。
――いっそ殺してくれ……。
今この時を逃れる事が出来るなら命だって惜しくない。
俯き視線を逸らした秋晴の耳に、ベッドの軋む音が聴こえる。それは這うようにベッドの上を移動する大地が立てた音だ。
目の前に大地の顔が現れる。少し眉根を寄せた表情はやはり赤い。それは秋晴も同じだ。
顔が赤いのは発熱のせいなのか、状況のせいなのかと現実逃避じみた事を考えようとして、しかしそれは大地の声に妨げられた。
「それ……苦しくないのか?」
問いの意味が飲み込めず、思わず瞼をぱちくりさせてしまう。
――あぁ、クソっ! 頭が回らねえ。
イマコイツハナンテイッタ?
「日野……?」
「……すまん。よく聞こえなかったらしい。もう一回言ってくれるか?」
「……それは苦しくないかと聞いたんだが?」
「え〜となんだ? 答えなきゃだめか、それは?」
「…………」
――質問したくせにこっちの話聞かないんだな。ていうかあんまジロジロ見んな。余計変な気分になってくる。
口に出しても無駄らしいので心中で呟いておく。
「ん〜……」
こらこら。何を恐る恐る手を伸ばしてやがる。
あ〜。つかヤバいな。なにがヤバいって男の本能として止めさせたくない辺りがヤバいな。
頭もまだボーっとしてるし。ていうかこれ夢なんじゃねえか?
訳わかんねーや。
「……っ!」
つらつらと考えている間に、大地の指先が触れる。堪らず反応して震えたそれに、大地は指先を引っ込めた。
秋晴は背筋を駆け抜ける甘い痺れを感じ、生々しい感覚にこれが夢ではない事を改めて確信をした。
一方大地は触れたものの予想外の挙動にすっかり狼狽えていた。
「うごっ動いたっ!?」
「あ〜、まぁこれはそういうもんだ」
状況を受け入れつつある秋晴は投げやりに答える。
「……そ、そうなのか……」
何度も頷きながら再び指を伸ばしてくる大地。
「待て待て待て」
流石に声に出して制する。
「お前、自分が何してるか分かってるか?」
「言っておくが恥ずかしくない訳じゃないからな」
でも、そう小さく呟いて大地は続けた。
「日野が、僕をちゃんと女として見てくれてると思ったら、なんか……はしゃいでしまって……」
――ああ、ヤバい。これはヤバいですね。
今のはもうトドメだろう。下半身のスイッチどころか心のスイッチまで入ってしまった。
無理だ。こんなの止められない。
「なあ大地。ひとつ良いか?」
「……なんだ?」
「あ〜……なんだ」
頭を掻きながら、秋晴は居心地悪そうにしていたが、やがて決意をしたように大地を真っ直ぐに見つめた。
「我慢できねえや」
秋晴が大地を抱き締めた。
今度は明確な、正常な意志の下で。
続く