「う……ん」
秋晴の意識が浮上する。
まだ頭の芯がぼうっとするような感覚を覚えながら、ゆっくりと体を起こす。
「……だる」
動きを妨げるようなだるさ。体に纏わりつく重さを感じ、秋晴は溜め息を吐いた。
それでも今朝ほど体調は悪くない。しっかりと体を休めた事が功を奏したらしい。
読書灯しか灯いていない室内を、半ば無意識で時計に視線を走らせる。示す時間は午後七時。一日中寝て過ごした事になる。
これだけ眠って体調が戻らなかったら流石に不味かったのかも知れない。
でもまあ実際は割と楽だし、これなら明日は出席できるなー、などと考えていると、不意に――。
「ん……ぅ」
すぐ傍から小さな声が聴こえた。
「え?」
一体なんだ?
疑問符を浮かべながら、声のした方を向く。即ち、ベッドの中。
果たしてそこにはルームメイトの寝姿が。
「……はい?」
うん、やはりまだ本調子じゃないらしい。なかなか思考が追い付かない。
――え〜とまず、なんで大地が俺のベッドで寝てるんだ?
そこに至る経緯が秋晴の記憶からは抜け落ちているため、目の前の光景は突拍子のない現実として秋晴を混乱させる。
一応現状把握に努める為に大地の姿をじっくりと観察するが、それが若干マズかった。
「な……っ!」
暗がりになれた目に、さっきより鮮明に大地の姿が飛び込んでくる。
第一の疑問。
なんでコイツは制服のままなんだ。
第二の疑問。
なんで微妙に肌蹴られてるんだ。
第三の疑問。
――なんで、やたらと色っぽいんだ。
薄暗闇に浮かぶ肢体。その所々に垣間見える肌の白さに、秋晴は無意識に唾液を燕下していた。。
ちなみに答えはそれぞれ
・制服のままの大地を秋晴がベッドに引き入れたから。
・眠った大地がそのままではやはり寝苦しかった為、無意識に制服を着崩したから。
・秋晴が本能的に大地から雌の匂いを嗅ぎ取ったから。
となるが、無論秋晴にそんな事は知る由もない。
「……っ」
喉が鳴る。
前々から女みたいな奴だとは思っていたが、今はそれを一層強く感じる。
首筋をしっとりと濡らす滲んだ汗。開かれたシャツの胸元から覗く鎖骨のライン。捲れた部分から微かに見える白い腹部。
所々から秋晴の視界に飛び込んでくる肌色に意識を奪われそうになる。
――って! 俺は何を興奮してるんだ!?
落ち着け。相手は男だ。ルームメイトでクラスメイト。白麗稜に転入してからずっと寝食を共にしてきた同性の存在だ。
それに対して何を欲情してやがるこの俺は!
居たたまれなくなり、顔面に掌を押し当てる。自己嫌悪に浸りながら、秋晴は盛大な溜め息を漏らすしかできなかった。
* * *
意識の覚醒と同時、大地薫は物足りなさと寂しさを同時に覚えた。
物足りなさの正体が完全に眠りに落ちるまで感じていた自身を包む暖かさ――日野秋晴の腕の温度だと気付き、半ば無意識にそれを探して視線をさまよわせた。
「ひ……の?」
見つけたのは背中。何故か落ち込んだ様子のそれに声を掛ける。
背中がびくりと震えたかと思うと、恐る恐ると言った風情で秋晴は振り向いた。
「よ、よぉ」
顔には怖れのような、申し訳なさのような微妙な表情が浮かんでいる。
それが何か分からず、薫は素直に尋ねる事にした。
「どうかしたの?」
「……え?」
疑問を疑問で返された。自分の質問が理解出来なかったのだろうか。
そんな風に考えていると、秋晴が口ごもりながら言った。
「お前……怒らないのか?」
「怒るって……何を?」
「いや、今の状況を」
言われて、薫は状況の確認をする。
ベッドの上。暗い室内。自らの乱れた着衣。覗く肌と、心無しかそれをチラチラと見ながら顔を赤らめる日野。
「……」
しばらく思考が停止して――。
「貴様、ボクになにをするつもりだっ!?」
「何もしねえよ!」
「じゃあなんでこんな……」
事になっているんだ。
そう聞こうとして、ようやく思考が正しく回りだした。
「……おい?」
急に黙り込んだ薫を怪訝な瞳で秋晴が覗き込む。
「……済まない」
「え〜と……なんで謝るんだ?」
「……良いから謝られておけ」
まさか秋晴を自慰の対象にした罪悪感からだとは言えず、薫ははぐらかす。
「そしてボクに謝れ。お前がボクをベッドに引き込んだからこうなったんだ」
「え? マジ?」
秋晴の反応に、半ば予想していたとはいえ呆れ顔をするしかなかった。
「やはり覚えていないか……」
とりあえず簡単に事の経緯を説明することにする。
自分が心配していたこと。それが理由で早退したこと。昼食を食べさせ、その後不注意から卵酒を飲ませてしまったこと。
そして、酔った秋晴が、無理矢理抱き枕にした事。
無論、自慰については触れずに事のあらましを話していった。
* * *
「そう……か。そんな事を……」
話を聞き終えて秋晴はそんな呟きを零した。
――何をやってるんだ俺は。
「ほんっと〜にスマン。この通りだ」
まさかそんな迷惑をかけていたとは露知らず。なんて恥晒しをしてるんだ。
なんかもう情けなさ過ぎていっそ殺して欲しい。
「まあ……別に怒ってる訳じゃない。今回の事は、その……不幸な事故だ」
大地にしては珍しい、歯切れの悪い秋晴を庇うような発言だったが、秋晴を苛む自責の念を和らげるには十分だった。
溜め息を大きく吐き出すと、秋晴は雰囲気を変えようと試みた。
「いや、しかし実際有り得ないよな? いくらなんでも男を抱き締めて眠っちまうとかさ。しかも大地を、だろ? 男じゃねえかどう見ても」
苦笑混じりに並べ立てた言葉だったが、それは秋晴の意図とは逆に作用した。
「…………」
――あれ? なんか怒ってる?
そう思った時には既に遅かった。
それまでどこかおどおどしていた雰囲気は一切消失し、いつもの冷徹で、人を拒む雰囲気を纏う大地に戻っていた――ように秋晴は感じた。
「そうか……僕はどう見ても男か。そうか……男…………か」
いつもの大地。そう感じた秋晴は間違えている。
いつもの大地薫――なんかでは決してなかった。
「――……を……せ」
「は?」
「日野。手を、出せ」
「あ? あぁ……」
命じられるままに右手を差し出す。
それが、大地の手に引かれた。
――それはまるで、秋晴が大地を抱き締めた時とは逆の姿だった。
* * *
ふざけるな。ふざけるな。ふざけるな!
僕が、男にしか見えないだって?
――巫戯けるなよ、日野秋晴っ!
その感情は怒りだ。その怒りは傷つけられた証だ。
知らしめねばならない。自分が、大地薫がこの上なく女性であるという事実を。
引き寄せた秋晴の腕をまっすぐ己が体、その正面に。触れる部位は胸元――執事服の下、白布の帯に包まれた膨らみだ。
「……っどうだ!」
これで分かった筈だ。如何に日野秋晴という人間の、大地薫に対する認識が間違っていたか。
「大地……」
「……これで僕が男かどうか……分かったか?」
「……ああ、お前は――」
薫の口元が綻ぶ。勝利を確信する。
「男だよ」
「……え?」
「こんな真っ平らな胸だ。女らしさの欠片もない。お前は間違いなく男だ。すまないな、酔っていたとは言え女みたいに扱って」
惨敗だった。
ただでさえ微かな膨らみはサラシで抑えつける事によって――ましてそれなりに生地の厚い執事服の上からだ――ちょっとやそっと触ったくらいでは柔らかい感触を伝える事が出来なかったらしい。
もうここまで来ると悔しいと言うより虚しかった。
あんまりすぎて膝と両手を着くしかなかった。
「え? なんだ、どうした大地!? なんかサヨナラホームラン打たれた甲子園球児みたいになってるぞ?」
――こんっのアホは!
遅ればせながら怒りがこみ上げて来た。
ああ、そうだよ。こいつはそういう奴だったよ!
人の裸を、湯煙の中とはいえ見ておいて気付かないような奴だったよ!
――だったら、徹底的に知らしめてやる。
“有る”事は証明出来ずとも、“無い”事は証明出来る。
バカ
「……おい、日野」
「人の名前に勝手にふりがなをふるんじゃねえ!」
「目を逸らすなよ」
「あ?」
ゆっくりと、立ち上がる。若干ふらつきながらも直立。両の手はベルトへ。
「おい」
カチャリと音を立てベルトが外れる。
「おいおい」
スラックスのホックが外され、ジッパーも下ろされる。
「おいおいおい!?」
スルリと、黒い布地が白い肌を滑り落ち、下着に包まれただけの大地の下肢が露わになる。
そうしてもう一度、大地は問う。
「これでも……僕は男か?」
続