例えばの話。  
 そう、これは例えばの話だ。  
 目の前に美少女が居て、それを自分がベッドに押し倒している。  
 その押し倒した少女が潤んだ瞳で自分を見つめていて。襟元を小さく震えた指先で掴んでいるとして。  
 これで“何か”を期待しない男が果たして居るだろうか。いや、居ない。  
 むしろ居て欲しくない。居たら俺の正常性が疑われる。  
 ――いや、分かっちゃいるんだ。例え話だと言った所で、この状態が現実である事に変わりはない。  
 下らない現実逃避にしか過ぎないって事は、嫌でも理解せざるを得ない。  
 つうか。  
 本当、なんでこんな事になったんだろうな――。  
 
『Here's to You』  
 
 私立白麗陵学園。東京郊外に位置する名門私立の学園。  
 いわゆるお嬢様学校であり、事実生徒の大半は純粋培養のお嬢様である。  
 しかし、大半と言うからには勿論、お嬢様ではない生徒もいる。  
 今年度より開かれた従者育成科、略して従育科に所属する生徒がそれである。  
 彼らは日夜、有能な執事やメイドになるべく研鑽を積んでいる。  
 日野秋晴も、そういった従育科の生徒の一人であった。  
 ただしこの少年。一目でそうであるとは判断出来ない。  
 何せ、人相が悪い。それはもう致命的に。  
 秋晴は転校生なのだが、転校初日には不審者と間違われ、かくも凄絶な逃亡劇を演じる程だ。  
 そんな秋晴の人相。一言で現すなら『チンピラ』である。  
 脱色した髪は逆立ち、左眉には傷跡。その下にある目は凶悪に輝いており、更に耳にはパンクロッカー張りの安全ピンの三連ピアスである。  
 その様なルックスで、モーニングコートや燕尾服と言った如何にも執事然とした格好をしているのは最早、滑稽と言うより他無かった。  
 いや、ある少女に言わせればその格好は割と似合っているらしい。もっとも、それはマフィアの下っ端みたいとかなんとか。そういう意味であったが。  
 しかしこの少年。見た目だけでもアンバランスであるのに、更に予想に反する事に、執事業務をそつなくこなしてしまうのだ。  
 如何にも軽薄そうな見た目とは裏腹に、案外勤勉。家事も同年代の男性と比べれば優秀過ぎる程に優秀。  
 従育科にあって、彼は決して落ちこぼれではなかった。  
 ただ、それを決して認めたがらない人間も居るわけで――。  
「そこの庶民! 何なんですの!?」  
 
 昼休みの食堂――どこの一流レストランかというそこで、少女の声が響き渡った。  
 その声のする方に、ウェイターである秋晴は、やれやれと言った風情で振り向いた。  
「何か不手際でも?」  
 振り向いた先には、ついさっき席に案内したばかりの金色二連ドリル――もとい、セルニア=伊織=フレイムハートの姿があった。  
 彼女は従育科の生徒ではない。つまり、この学校本来の目的。即ち、どこに出しても恥ずかしくないお嬢様を育てる。という目的の為にある上育科に所属する生徒である。  
 週番制のウェイター業務の際、秋晴の担当する席に毎日のように来ては、やたらと難癖をつけてくるセルニアに、  
「じゃあ他の席に行けよ」  
 と思いつつもこうして毎度絡まれるのにも慣れてきている。  
 だから今日も一体どんな苦情が飛んでくるかと秋晴が構えて居ると、セルニアは真っ赤な顔でこう言った。  
「なんで! 何事も無く淡々と仕事をこなしてますのよ!」  
 ――またか。  
 全くキレ所が読めないこのお嬢様の怒りの中でも、特に理解し難い怒り。  
 ウェイター業務初日の時も同じ理由で文句を言われたが、本当になんなんだ、その激怒の理由は。  
「あのな、お前が俺に何を期待してるかは知らないし、知るつもりもない。  
 だがな、少なくとも俺は間違い無く仕事をこなしてる。その事にいちゃもん付けられる謂れは全く無えよ」  
 至極正論。しかし、正論を吐くだけで目の前の掘削機が黙るなら苦労は全くしないわけで――。  
「敬意が足りないのです、敬意が!」  
 いい加減うんざりなので秋晴は早くこいつ帰らねえかな。と思いつつ切り返した。  
「だから前も言っただろ。それなら俺に、敬意を払うだけあると思わせろって」  
 それは、秋晴とセルニアが出会ったばかりの頃の話。  
『従わせたいなら認めさせてみろっての』  
 そう言って秋晴は、セルニアに服従する事を拒否した。  
 だが、セルニアは未だにその事に納得していない。  
「い、言わせておけば、このボンクラ庶民〜っ!」  
 ヒステリックに怒りの火の粉を撒き散らすセルニアを見ながら、秋晴は溜め息を吐き、思った。  
 ――良いから早く飯食って帰ってくれ、と。  
 
 ***  
 
 とある早朝。  
 「日野、今回の試験のパートナーは決まったのか?」  
 そう言ったのは秋晴のルームメイトである従育科の生徒。大地薫だった。  
 
 ルームメイトとして同居を始めて以来、それこそ初日から比べれば、ようやくまともに会話をしてくれるようになったと言える。  
 その大地がいっそ可憐、と形容した方が良い程に整った顔立ちを秋晴に向け、尋ねてくる。  
 秋晴は最初何の事かと思考を巡らし――直ぐに思い至った。  
「な……っ! し、試験まで後何日だ!?」  
「試験は明日だ」  
 知らなかったのか。と呟きながら大地が嘆息するも、秋晴はそこまで聞いていなかった。  
 迂闊。すっかり試験の日程を忘れていた。  
 従育科には少々変わった試験がある。それは上育科の生徒をパートナーに、出された課題をクリアすると言うものだ。  
 この試験はパートナーがいなくては受ける事もままならず、つまりはパートナー探しから試験は始まっていると言って過言ではない。  
 試験の事を全く忘れ去っていた秋晴がパートナーを探しているわけもなく。このままでは試験を受けられない。  
 スタートダッシュにすっかり乗り遅れた形である。  
「ま……マズい」  
 咄嗟にパートナーになってくれそうな相手を思索する。しかし、秋晴にとってそんな相手は考えるまでもなく一人しか居なかった。  
「あいつに頼るのか……」  
 ある少女の姿を思い出す。秋晴の心の中で、その少女は美貌を黒い笑顔に歪ませた。  
 正直、気が進まない。むしろ可能な限り回避したい。  
 頼ったが最後、一体どんな事をふっかけられる事やら。第一、確実にパートナーになってもらえるとも言い切れない。  
 だが、頼る相手を一人しか知らないのもまた事実。  
 必ず毎回受けなくてはならない試験ではないとは言え、自主的に諦められる程余裕がある訳でもない。  
 毎回パートナーを見つけられるとは限らず、それ故に毎回パートナー探しには全力を尽くさなくてはならない。  
 だからこそ、今回の試験も何の足掻きもせずに諦められる事は出来なかった。  
 仕方なく秋晴は覚悟を決める。背に腹は代えられない、というやつだ。  
「……ちょっと行ってくる」  
「そうか、まあ頑張れ」  
 重い足取りを引きずりながら、部屋から出ていく秋晴を見詰める大地は、頼りない亭主を送り出す妻のようで、しかし本人も秋晴も、その事実には気付いていなかった。  
 
 ***  
 
「却下」  
 事情を話した秋晴に掛けられた言葉は取り付く島もないものだった。  
「そこを何とか……っ」  
 
 それでも秋晴は諦めずに頼み込む。そんな秋晴を見て、秋晴が思い浮かべた黒い笑顔の少女――彩京朋美は至って真面目な口調で答えた。  
「あのね、いきなり来られたって私にも予定というものがあるの。私としても手を貸したいのは山々だけど……今回ばっかりは流石にね……」  
 全くの正論。確かに、いきなり明日の試験のパートナーになってくれ、と頼んだ所で、予定があったりしても仕方の無い話である。  
 流石に正論を吐かれて、それに自分勝手に反論するほど、秋晴は横暴ではない。  
 あの金色ドリルじゃあるまいし。  
 しかし、これは困りものである。このままでは本当に試験を受けられない。  
 朋美に断られた時点で、秋晴にとっては八方塞がりであった。  
 秋晴がしゃがみ込み、本気で頭を抱えて唸って居ると、朋美が口を開いた。  
「――まあ、あんたのパートナーになってくれそうな人なら知ってるんだけど」  
 その言葉に、秋晴はがばっ、と体を起こす。  
「ほ、本当か!?」  
 渡りに船と言うか、溺れる者は藁をも掴むと言うか。兎に角、それが最後の砦と言わんばかりに朋美に詰め寄る。  
「だ、誰だ? この際誰でも良い。知らない奴だって構わない!」  
「ちょ、落ち着いて……、落ち着きなさい!」  
 朋美の強い語気に、慌てて秋晴は肩を掴んでいた手を放す。  
「わ、悪い。冷静さを欠いちまったな……。それで、一体誰なんだ?」  
「あんたも知ってる人よ?」  
「知ってる……人?」  
「セルニアさん」  
「んなっ!?」  
 確かに知っている奴だ。秋晴の数少ない上育科の知り合いの一人ではある。  
 だが、彼女は自分に一種の敵意を向けている。だから思い出してもパートナーの候補とはならなかったのだ。  
 それを思い、秋晴は自らの正直な意見を言う。  
「セルニアは無理じゃないか?」  
「まあ、普通ならね」  
 秋晴の反駁に、朋美は“普通なら”にアクセントを置いて答える。  
「なら――」  
「だから、“普通なら”って言ったでしょ? 手がないわけじゃないわ」  
 そう言って、朋美は秋晴以外には見せない、腹黒い笑みを浮かべる。  
「普通でダメなら、普通でない方法でアプローチを掛ければ良いのよ」  
「は?」  
 ――いや、確かにそうなんだろうが。あのセルニアを説得するに足る方法など本当にあるのだろうか。  
「あんたに知恵を授けるわ。その上で成功するかはあんた次第。どう、やる?」  
 
 やるか、と聞かれても、他に道が無い限り、それを行うしか術は残されていない。  
 問われるまでも無く、その知恵を授けて貰うしか、秋晴に選択肢は用意されていないのだった。  
 
 ***  
 
 秋晴は寮に来ていた。  
 と言っても、学校自体がそうであるように、この寮も普通ではない。  
 三つ並んだ寮はその一つ一つが屋敷、古城、宮殿というデザインである。  
 その中の一つ。古めかしい西洋風の城にある一室の前に秋晴は居る。  
 朋美に案内された、セルニアの部屋の前であった。  
 秋晴は深呼吸一つ。朋美のアドバイスを今一度思い出す。  
 ――やるしかない。  
 秋晴は覚悟を決めて、目の前の扉をノックする。このノックも、少々勝手が違う。  
 立派な木製の扉には金属製の輪状になった取っ手が付いている。この扉のノックはこの輪、ノッカーを掴み行うのだ。  
 コンコン、と小気味良い音が響く。しばらくすると中で動く気配があった。  
「ただ今、出ますわ」  
 重厚な、本当に声が向こうまで届くのか不安になる扉の向こうからセルニアの声が聴こえる。どうやら秋晴の心配は杞憂に終わったらしい。  
 扉を挟んだ反対側に居るセルニアの声は、秋晴には滅多に向けられない落ち着いた声音だった。  
「はい、どちらさ――」  
 扉が開き、セルニアの薄い色の瞳が秋晴を捉えた瞬間、彼女は言葉を、いや呼吸すらも止めた。  
「……よう」  
 バタン。  
 扉が閉められる。  
「――ってちょっと待て! 閉めんな! 話を聞け!」  
 ガチャリ。  
 再び、僅かにだが扉が開いた。扉の隙間からセルニアが訝しげに覗き込む。  
「な、何の用ですの貴方!?」  
 すっかり予想外の来客に狼狽えた様子で声を上げる。  
「い、いや驚かすつもりはなかったんだ。すまん」  
 実際は別段、悪くはないものの素直に謝る秋晴を、ジト目でセルニアが見詰める。  
「その……話を聞いてくれると助かる」  
「…………解りましたわ」  
 言って、セルニアは扉の隙間を開く。中に入れ、ということらしい。  
「お邪魔します……」  
 いきなり驚かれ、自身もすっかり恐縮してしまった秋晴が、室内へと入る。  
 入った瞬間、そこに広がる光景に秋晴は思わず息を呑んだ。  
 ある意味では、それは予想通りだった。  
 如何にも高級そうな調度品の数々。  
 天蓋付きベッドがあり、シャンデリアが吊られ、年季が入っていながらも磨きあげられ光沢を放つ家具。  
 
 きっと目に付く全てが高そうなんだろうとは思っていた。そして実際その通りではあった。  
 しかし、意外だったのはそんな部屋にも関わらず、嫌味な感じが全くしなかった事だ。  
 何というか、高級品を兎に角並べてみました、という雰囲気ではない。部屋にあるもの一つ一つが統一感を持ち、部屋全体に調和をもたらしている。  
「すげぇな……」  
 感嘆の呟きを漏らす。自分の寮の部屋も割と立派だが、この部屋は既に埒外だった。  
「大した事ありませんわ。まあ、庶民には十分凄いのかもしれませんが」  
 大した事ないと言った割には得意気なセルニアだが、秋晴はそれにつっこむ事も忘れて部屋を見渡す。  
 寮の一室とは思えないくらい広いし、流石は白麗陵学園と言ったところか。  
 そんなことを考え、思わず溜め息を漏らした秋晴に、セルニアの声が掛けられた。  
「……いつまでレディの部屋をジロジロ眺めてますの?」  
 いい加減見られる事に羞恥を覚えたらしいセルニアの声に、秋晴は正気を取り戻した。  
「あ……悪い。流石に不躾だったな」  
 反省。あまりの凄さにここが女の子の部屋であるという事実を忘れていた。  
「まったく……。それで、用件はなんですの? 伺いますわよ」  
 天蓋付きベッドの、シルクのシーツの上に腰掛けながらセルニアが言う。秋晴は一瞬、優美なその仕草に見蕩れる。  
 それにしてもセルニアの着ている服は部屋着なんだろうか。やけに高級そうな――事実高級であろうワンピースタイプのドレスだが、こいつの事だ。やっぱり部屋着だったりするんだろう。  
 疑問を自己解決して思考から追いやる。今大切なのはそういう事じゃないだろう。  
 気を取り直して秋晴は端的な言葉で要件を告げた。  
「明日の試験の、パートナーになって欲しいんだ」  
「えっ……」  
 意外であると言うように感嘆を零すセルニアに、まあ予想通りだと思いながら秋晴は言葉を続ける。  
「いきなりで済まないとは思ってる。だけどもうお前しかいないんだ。いや、お前じゃなきゃ駄目なんだ――。だから、俺のパートナーになってくれないか?」  
 ――言えた。  
 実は、このセリフこそが朋美が秋晴に授けた知恵であった。  
 
 朋美曰わく、これをセルニアの瞳を真っ直ぐ見つめながら言えば絶対に断らないらしい。  
 だから言われた通り、真っ直ぐセルニアを見つめ、秋晴は言葉を口にした。自分の言葉の意味を深く考えないままに。  
 そして、秋晴は焦った余り気付いていなかった。  
 切羽詰まった自分の瞳が如何に真剣な光を帯び、声が真摯な響きを持つのかを。  
 そして、語った言葉。  
 捉えようによっては――実に好意的な解釈をするならば、“お前じゃなきゃ駄目なんだ”という部分。それは愛の告白のようでもあり。  
 偽りのない真面目な様子とのコンビネーションは絶大で――。  
「私……と?」  
「ああ」  
「私が、良いんですの?」  
「そうだ」  
「本当に――?」  
「当たり前だ」  
 この瞬間。秋晴は無自覚ながらも、セルニア=伊織=フレイムハートを、籠絡した。  
 セルニアは常のような、怒りによる赤さではなく、恥ずかしさと嬉しさで顔を真っ赤にしながら、小さく、  
「…………解りましたわ」  
 と呟いた。  
 ――元々、セルニアは秋晴を憎からずは思っていたのだ。  
 自分でさえも気付かぬまま、自分に従わない少年への興味は、微かな好意に変わっていて、それはセルニアの胸の中で育っていた。  
 そして、それが恋であると、否、好意を持っていると自覚するより先に、秋晴の言葉によって気付かされてしまった。  
 ――もっとも、やはり秋晴に自覚はないわけだが。  
「本当か!?」  
 ただ、試験を受けられる喜びに、秋晴はたまらずセルニアの手を取り飛び上がってしまう。  
 だが、その行動は予想外の――ある意味で予想通りの結果をもたらした。  
 飛び上がった秋晴は、柔らかい絨毯に着地する。しかし、踝まで沈もうかと言うほど柔らかい毛並みのそれに、秋晴が慣れているわけもなく。  
 秋晴はいとも容易くバランスを崩した。  
「うぉっ!?」  
「えっ!?」  
 衝撃。次いで柔らかい感触。秋晴の脳裏を掛けるのは、デシャヴ。  
「う……」  
 何とか起き上がろうと腕に力を込める。ふかふかのベッドに手首を埋めながら、咄嗟に閉じていた瞼を開く。  
 そこに天使が居たと言ったら、それは大袈裟だろうか。  
「……っ」  
 ごくりと、喉が鳴った。  
 何でだ。目の前に居るのはセルニアで、美少女とは言え見慣れた顔で。こんなシチュエーションだって一度、体験しているのに。  
 ――畜生、なんでこんなに可愛いんだよ。  
 いつの間にか襟元を掴まれ、きゅっ、と握られている。  
 
 桜色に息づく唇や、うっすら上気した頬が綺麗だった。  
 いつもなら掘削マシーンと揶揄する金色の髪は、その形状からは予想できない柔らかさで、白いシーツに広がっている。  
 何より、切なげに何かを訴えかけるような。蒼い、潤んだ瞳。  
 そのまま、力の限り抱きすくめたくなる衝動に駆られる。  
 そうして、秋晴は思う。  
 
 ――例えばの話。  
 そう、これは例えばの話だ。  
 目の前に美少女が居て、それを自分がベッドに押し倒している。  
 その押し倒した少女が潤んだ瞳で自分を見つめていて。襟元を小さく震えた指先で掴んでいるとして。  
 これで“何か”を期待しない男が果たして居るだろうか。いや、居ない。  
 むしろ居て欲しくない。居たら俺の正常性が疑われる。  
 ――いや、分かっちゃいるんだ。例え話だと言った所で、この状態が現実である事に変わりはない。  
 下らない現実逃避にしか過ぎないって事は、嫌でも理解せざるを得ない。  
 つうか。  
 本当、なんでこんな事になったんだろうな――。  
 
 考えて、思い返す。  
 結局は偶然の積み重ね。そこに意図なんかありはしない。ならば、意味もなくセルニアを抱いても、それは仕方ない事なのではないか。  
 ――ダメだ。働け、理性。  
 ここでセルニアを抱くのは容易い。しかし、それでパートナーの話を、いや、セルニアとの関係性を失いたくなかった。  
 いくら憎まれ口を叩いても、セルニアは秋晴にとって大切な友人であり、好ましい異性の一人であった。  
 セルニアに、嫌われたくない。  
「わ、悪い」  
 ようやく動員に成功した理性で、秋晴はそう言い、身体を起こそうとして、しかしそれは叶わなかった。  
 襟元を掴んだ指が秋晴を放さなかった。そればかりか、縋るように秋晴を引き寄せた。  
 大した力ではない。ほんの少し力を込めるだけで離れる程度の力なのに。たったそれだけで、秋晴は縫い止められたように動けなくなっていた。  
「セル……ニア?」  
「あ……貴方がっ」  
 互いに吐息が掛かりそうな距離。真っ赤な顔の目尻にうっすらと涙を浮かべ、少女は真っ直ぐ秋晴を見つめながら、小さく言葉を発した。  
「貴方が望むなら……私、は……」  
 限界だと、秋晴は思った。  
 そんな顔をされて、そんな事を言われて。  
 皆まで言わなくとも意味は伝わった。だからこそ、秋晴は止まれなかった。  
「セルニア……っ」  
「ん……」  
 唇が重なる。小さなセルニアの口に秋晴は自らを触れさせた。  
 
 ――最初に思ったのは、“柔らかい”でも、“気持ち良い”でもなく“凄いな”ということだった。  
 キス一つで、自分の心がこうも揺れ動くなんて思いもしなかった。目の前の少女が愛しいと、そう思わせられる。  
 それから、ようやく唇の感触が現実味を帯びて伝わってくる。  
 暖かくて、柔らかくて、いつまでもこうしていたい。そんな思いに囚われる。  
 心地良い一体感。繋がっているという安心感。  
 だけど、唇は離れる。  
「――ふはっ!」  
 セルニアが真っ赤な顔で酸素を取り込む。  
「お前、息止めてたのか?」  
「なっ!? あ……あぅ」  
 返事は無い。しかし、それこそが肯定。自分でもそれが分かっているのだろう。セルニアは恥ずかしげに顔を伏せた。  
 キス一つとっても初々しく、慣れていないセルニアが、やはり愛しい。  
 気が付けば、秋晴はセルニアを抱き寄せていた。  
「お前、可愛いな――」  
 耳元で、優しく囁く。  
 その言葉に、これ以上無いほどに上気しきっていると思っていたセルニアの顔が更に、首まで赤くなる。  
 それがまた可愛くて、秋晴は再びキスをした。  
 唇を擦り合わせ、互いに融け合うような甘美な刺激に酔う。  
 セルニアはさっき指摘したからか、むしろ意地であるかのように息を継いでいる。  
 鼻先を掠めるその呼吸すら、脳髄を痺れさせる甘い香りを感じさせ、秋晴は際限なく昂っていく。  
 ちょっとした悪戯心もあり、舌先でセルニアの唇をなぞってみる。  
「ふっ……ん」  
 突然の感触に驚いたのか、セルニアはぴくりと身体を震わせた。  
 しかし、嫌がる素振りはない。  
 それに安心した秋晴は更に繋がりを深くするため、舌をセルニアの口内に押し込む。  
 僅かな逡巡があったが、やがてためらいがちにセルニアの唇が割開かれる。秋晴は僅かに開いたその隙間に自らの舌を滑り込ませる。  
「ふむ…………んん……」  
 小さな声が漏らし、セルニアが秋晴を受け入れる。  
 かち。  
 歯がぶつかる。初めての行為に勝手が分からず、衝突したのだ。頭の内側でその音は存外大きく響いた。  
 しかし、秋晴は止まらない。舌を深く差し込み、セルニアの内側を蹂躙する。  
 激しく、優しく。  
 頬の裏を撫で、歯先に舌を滑らせる。セルニアの舌に自らの舌を絡め、互いの唾液をかき混ぜる。  
 その一挙一動に、セルニアは身を震わせ、微かに声を漏らし反応する。  
 
 一方的なキスを、それでも嬉しそうに享受し、時には自らも舌を動かし交歓に耽る。  
 どれくらいそうしていただろうか。どちらからともなく唇を離した。  
 二人の混合液に、それぞれの唇は濡れ、銀色の糸が引かれ、そしてぷつりと途切れた。  
「……っふは」  
 蒼い瞳をとろんと蕩けさせ、セルニアが荒い息を吐く。  
 それを見て、秋晴は思った。  
 ――なんていうか……限界だ。  
 最早、内から湧き上がる衝動を止めるものはない。秋晴はただ欲求のままにセルニアを抱きすくめた。  
 セルニアの可憐な唇から、切ない吐息が漏れる。それにまた、理性が削り取られる。  
 躊躇はしなかった。  
 秋晴は、セルニアの豊かな膨らみにそっと、指を沈み込ませた。  
 習慣から、下着を着けていないセルニアの胸は柔らかく、秋晴の指の動きに合わせぐにぐにと形を変える。  
 更に、指の力を弛めれば張りのある弾力で押し返し、元の形に戻る。  
 セルニアの体温と相俟って、それは至上の感触となり秋晴を蕩けさせる。  
 柔やわと揉みしだく度、セルニアが甘い声を上げ悶える。官能的な仕草は秋晴の獣欲を誘い、頭の芯を痺れさせる。  
 耐え難い誘惑に駆られ、秋晴は自らの唇を、セルニアの胸の頂に触れさせた。そのまま舌を差し出し、固くなった突起を撫でる。  
「ふぁっ!」  
 ぴくん、とセルニアが身体を跳ねさせる。それまでと違う刺激に戸惑っているようだった。  
 秋晴は唇で乳頭を挟み、口の中で舌を使い転がす。そうするとまた、セルニアは小さな嬌声をきつく閉じた唇の向こうで響かせた。  
「んっ……んぅ」  
 乳首に吸い付き、更に刺激を重ねる。ちゅうちゅうと音を立てる秋晴に、セルニアは、  
「まるで、赤ん坊ですわね」  
 と言った。それはいつもの強気な口調で紡がれる皮肉とは違い。余裕や、高慢な雰囲気は含まれていなかった。  
「赤ん坊はこんな事するか?」  
 精一杯なセルニアに、更に意地悪をしたいという嗜虐心のままに、秋晴は空いていた手を、スカートに潜り込ませた。  
 スカートの下で見えない下半身を、太股をなぞるように上へと滑らせ、やがてやたらと手触りの良い下着に辿り着いた。  
 その、恐らくはシルク製のショーツの太股の間に指先を忍ばせる。軽く縦に撫でると、セルニアがまた身体を震わせた。  
「くぅ……あっ」  
 また少しトーンの上がったセルニアの声が耳朶を打つ。  
 ゆっくりと上下に擦ると、間を置かずしてショーツが湿り気を帯び始めた。  
 
 愛撫に感じてくれている。その事実が嬉しくて、もっとセルニアに感じて欲しくて。  
 秋晴はショーツを横にずらすと、セルニアの秘壷に直接触れた。  
 まずぬめりを感じた。次に熱が指先を通じて伝わってくる。  
 浅く入り口に中指を沈めると、セルニアの膣内が呼応するように収縮した。微妙に締め付けられた指を小さく曲げて動かす。  
「んやぁっ……あぁん」  
 打てば響く鐘のように、セルニアが顕著な反応を見せる。美しく透き通るセルニアの声が奏でる淫靡な旋律に、秋晴は背筋を走る寒気にも似た快感を覚えた。  
 もっと、もっと――。  
 目の前の少女から更に声を引き出したくて、秋晴はゆっくりと指を沈ませていく。  
 セルニアの膣口は狭く、未だ堅い。慎重になりながら指先を進めていく。  
「っくぅ……」  
 苦鳴がセルニアの喉を震わせ口元から溢れる。秋晴はそれを聞き、慌てて指を入り口まで戻した。  
「悪い……痛かったか?」  
 心配そうにセルニアを見詰めながら秋晴が声を掛ける。  
「少し、だけ……でも大丈夫……ですわ」  
 健気にも秋晴を案じさせないようにするセルニアに、せめてそれで苦悶が薄れれば良いと、優しく口付ける。  
「ん……んぅ…んぅ…」  
 痛みを与えないよう指先は浅い部分を撫でる。口中では互いの舌を絡め合い、身を溶かしそうな快感の渦に酔う。  
 稚拙な愛撫ではあったが、確実に潤いは増し、セルニアのそこは男を受け入れる準備を整えつつあった。  
「ちゅ……ぱ」  
 不意に秋晴が唇を離す。名残惜しそうなセルニアの蒼い瞳を、真っ直ぐに捉えた。  
「……もう、良いか?」  
 欲望は既に止まることを知らず、セルニアの全てを欲していた。秋晴はその想いを偽り無く告げる。  
 それにセルニアは無言の首肯をして応えた。  
 
 セルニアの下着を脱がし、性器を晒す。秋晴はそこに自らの性器を導いた。  
「あ……っ」  
 互いの性器が触れる。セルニアの入り口にあてがわれた秋晴の先端は、ゆっくりと沈み始めた。  
「く……っ」  
 小さな悲鳴。初めて男を受け入れる痛みに、セルニアの美貌が歪む。  
 しかし、ここで留まる余裕など、秋晴には残されていなかった。  
 苦痛を与えるならいっそ、一瞬であった方が良い。秋晴はセルニアの耳朶に息が掛かりそうな距離で囁いた。  
「一息に行くぞ」  
 それは問いではなく宣言。小さく頷くセルニアを見ると、秋晴は力を込めた。  
「あ――ぐぅっ!」  
 
 くぐもったセルニアの悲鳴が響いた。最奥までを一気に貫かれ、その痛みに身を強張らせる。  
 赤い、破瓜の証が一滴。二人の結合部から零れシーツを汚した。  
「ごめん、セルニア。止まれそうにない」  
 言って、秋晴は腰を動かす。落ち着く前だったセルニアは突然の痛みに身を捩らせた。  
「かはっ――ひっ」  
 心が痛む。しかし身体は止まらない。だからせめて、と秋晴はセルニアにキスをし、抽挿に合わせ上下に揺れる双乳に手を伸ばし愛撫する。  
「んふっ……あむ、んちゅ……ふむぅ、っん」  
 重なる唇の間隙から声が漏れる。その間にも秋晴は前後する腰を緩めることはなかった。  
 切なく締め上げる膣壁が。  
 掌に伝わる、柔らかさが。  
 肌を通じて感じる体温が。  
 匂い立つ様な牝の薫りが。  
 潤んで揺れる綺麗な瞳が。  
 甘いとすら感じる舌先が。  
 耳朶をくすぐる呼吸音が。  
 その全てが五感を刺激し、どうしようもなく秋晴を高みに追いやる。  
「ふはっ……ひゃぁっ、んはぁう!」  
 振り解かれたセルニアの口端からは、いつの間にか甘い喘ぎ声が零れていた。  
 秋晴の首にセルニアの腕が回され、縋り付くように抱き締められる。  
 ――もう、限界だ。  
 高まる射精感に、秋晴は挿入のピッチを上げる。  
「セルニアっ、俺……もうっ!」  
「ひぁっ! 私……も。来て、来てえっ!」  
 腰に、セルニアはその長い脚を絡め、逃さんとする。  
 退くこともままならず、秋晴は遂に絶頂を迎え、セルニアの膣中に己が精をぶちまける。  
「んはぁっ! 出てぇ、出てるぅ!」  
 胎内に注がれる感覚に、セルニアも背を仰け反らせ頂点に達する。  
 秋晴が自分でも驚く程の大量の精液を、全て子宮に受け止め、セルニアは初めての絶頂の快楽に溺れる。  
 やがて秋晴の射精が止むまで、セルニアのオーガズムは続いた。  
「……っはぁ」  
 弛緩したセルニアの脚から解放され、秋晴は自らを引き抜いた。同時、逆流した赤混じりの精液が溢れ出す。  
 心地良い疲労感から、セルニアの隣に身を投げ出す。  
 広いベッドは柔らかく、ぼふっと音を立てるだけで軋みもなく秋晴をシーツの上に受け入れた。  
 事後の倦怠感に捕らわれつつ、セルニアに腕を伸ばし、抱き締める。  
 胸の中にセルニアが収まり、その感覚が不思議な安心感をもたらした。  
「秋晴……」  
「……あ」  
 セルニアの呟きに、秋晴は小さな驚きの声を上げた。  
「どうしましたの?」  
 
「いや……初めてまともに名前呼ばれた気がしてな」  
 言われてセルニアも気付いたらしく、秋晴同様、  
「……あ」  
 と声を漏らした。  
「……はは」  
「……ふふ」  
 なんだかその事が可笑しくて、くすぐったい感慨に思わず笑ってしまう。  
「……なぁ、セルニア」  
「何ですの?」  
「明日は……いや、これからよろしくな」  
「……ええ」  
 そこまで言葉を交わして、二人は唐突な眠気に襲われた。  
 それがお互いに分かって、それが嬉しかった。  
 そして、どちらからともなく言葉を口にした。  
 
「――おやすみ」  
 
 
 ***  
 
 やたら暖かくて柔らかい、幸せな感触を感じながら秋晴は目を覚ました。ぼやけた瞳がピントを合わせ、目の前の光景を映し出す。  
 ――ああ、そうか。  
 幸せそうな寝息を立てるセルニアを見て、全てを思い出す。  
 ――付き合うん……だよな。  
 今更になって、それが途方も無いことだと気付く。  
 使い古された言葉を使うなら、“住む世界が違う”。身分違いの恋だ。  
 セルニアの家が、自分を認めるだろうか。  
 それでも、秋晴に恐れは無かった。認められないなら、無理やり認めさせれば良い。  
 それがどんなに難しい事でも、秋晴には出来る気がした。  
 何故なら、傍らには女神がいる。  
 女神が――セルニアがいれば全部大丈夫な気がしたのだ。  
「セルニア……」  
 優しく揺り起こす。セルニアは一度小さくむずがると、ゆっくりと瞼を開いた。  
「あ――」  
 秋晴をその視界に収めた瞬間。セルニアの顔が真っ赤に染まった。  
「おはよう」  
「お、おはよう……ですわ」  
 シーツを手繰り寄せ、身を隠すセルニアに苦笑する。  
「ほら、着替えろよ。朝飯食いに行こうぜ」  
 そう促して、秋晴は時計を見た。  
 今は朝の十一時。  
 ――十一時?  
「のぁあっ!」  
「きゃっ! な、なんですの?」  
「試験……」  
 思い出す。何故セルニアとこうなったのか。遡れば試験のパートナーになってもらうためだった。  
「ね、寝過ごした……」  
 
 試験結果:日野秋晴・欠席  
 
「もう……」  
 落胆に沈む秋晴に、セルニアの声がかけられた。  
「これからはパートナー探しをしなくては良いんですから。今回くらいは構わないのではなくて?」  
 セルニアの言葉に、秋晴は嬉しさを感じる。  
「あぁ……そうだな」  
 確かにそれはその通り。心配事が一つ減ったのだ。  
 ならば、今はこの幸せをゆっくりと噛み締める事にしよう。  
 
 そう思い、秋晴はその顔に、柔らかい微笑を浮かべた。  
 
 ***  
 
「来ない……」  
 試験会場。一人呟くのは彩京朋美であった。  
 昨日、秋晴が指示通り動いていれば今日は面白いもの――秋晴を意識しすぎてギクシャクするセルニアと、それが何故か分からなくて右往左往する秋晴を見られると思ったのだ。  
「失敗したのかしら?」  
 そう思う。しかし、朋美の胸の内はわだかまりが出来ていた。  
 何か、予想外の事が起きている気がする。そして、その予感がなにより不愉快であった。  
 ――朋美は知る由もない。  
 秋晴とセルニアが、予想よりも接近していた事に。  
 そしてこの後、仲良く付き合う二人を見て、自分が限り無く不愉快な思いをする事に。  
 ――朋美は知る由もない。  
 自らの想いと、それを裏切ったのが自分である事に。  
 ――朋美は知る由もない。  
 それらの事実を、今はまだ――。  
 
 了  
 

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