秋晴とセルニアの二人が付き合いだしてから、二人は実に多くの努力をした。  
 身分違いの恋――という以上にセルニアが恥ずかしがった為に、二人が付き合っている事は公言しなかったし、人目のある場ではいつも通りを装った。  
 だから逢瀬はもっぱら、セルニアの部屋に秋晴が訪れるという夜這いじみたものになった。  
 それが余計二人の睦事を加熱させたのは置いておくとして、兎に角二人の最大限の努力の甲斐あって、二人の関係に気付いた者はほとんどいなかった。  
 ――そう、ほとんど。  
 どれだけ隠そうとも隠せないものがある。そしてそれを嗅ぎ付ける人間もまた必ず居るのだ。  
 そしてこの場合それは。  
 ――彩京朋美だった。  
 
 † † †  
 
 彩京朋美は不機嫌だった。  
 常ならば類い希なる精神力をもって仮面の下に押し込められている感情を、その貌に浮かばせる程に。  
 怒りにも似た不愉快さに細められた瞳は、秋晴とセルニアを捉えている。  
 周りから見れば、それはいつもの言い争いに見えるだろう。  
 しかし朋美にとっては違う。  
 そこにある、互いを理解しているからこそ安心して言い争いが出来るというような雰囲気を鋭敏に感じ取っている。  
 つまり、以前のような険悪さは無い。  
 そこにるのは他愛のない、悪友に向けるような気軽さて、共犯者同士のような一体感だった。  
(仲良く、なってるじゃない)  
 本来ならば、もっとぎくしゃくして気まずそうな二人を見るはずだったのにこれでは正反対だ。  
(上手く、行き過ぎた?)  
 秋晴に授けた言葉が、予想以上にセルニアの心を動かしたとしたら?  
 秋晴の心が、予想よりセルニアに惹かれていたとしたら?  
 それは、とても不快な想像だった。  
(確かめなくちゃ)  
 この不快さを晴らすのだ。本当の事を確かめて安心する為に。  
(まずはルームメイトの彼女からかな)  
 気付かぬのか、気付かぬフリをしているのか。  
 朋美は考えない。  
 確かめるという、その意味を。自分が一体何に安心したいのか――確かめて、最悪の答えが出たとき、自分はどうすべきなのか。  
 
 † † †  
 
 ――夜。  
 部屋に備えつけられたシャワーを浴びながら、秋晴は考えていた。  
(今日は一人、か)  
 用事があるとかで外泊するらしい大地は既に部屋には居らず、部屋には秋晴一人が残されている。  
 明日、明後日と土日なので夜更かしは自由だ。そうなると思考に浮かぶのはセルニアの事だった。  
 
 たまにはこっちの部屋に呼ぶのも良いかもしれない。セルニアは狭い部屋を嫌がるかも知れなが、たまには場所や趣を変えるっていうのは男として、その……アレだ。  
 よし。こんな機会も滅多にないし、試しに呼んでみよう。  
 そう決めてシャワーを切り上げるとバスタオルで体を拭きながら脱衣場に置いていた携帯を操作してメールを送る。  
 打ち込んだ文章がちゃんと送信されたのを確認し、部屋の整理でもしておくかとシャワールームの扉を開け。  
 ――秋晴は愕然とした。  
 誰もいない筈の部屋、自分のベッドの上に――彩京朋美が笑みを浮かべて座っていた。  
 
 † † †  
 
 セルニアの携帯電話が光の明滅と共に、彼女のお気に入りの曲を奏でる。  
 秋晴専用の着信音(この曲はメール用だった)に反応し、セルニアは慌て気味に携帯のフリップを開いた。  
 メールを開くと、今日は部屋に一人だから来ないかという内容が、未だにメールというものに慣れない部分を思わせる文面で書かれていた。  
 その拙さと普段の態度のギャップを思い浮かべ、それが可笑しくて、つい微笑んでしまう。  
 セルニアは流石に慣れた手つきでメールを送り返すと、秋晴の部屋に向かう支度を始めた。  
 
 † † †  
 
「朋美!?」  
 思いもかけない幼馴染みの登場に、すっかり狼狽えて秋晴は叫んだ。  
「な、なんでお前がここに居やがる!」  
「カギ開いてたから勝手に入っちゃった」  
「そうじゃなくて何で……!」  
 問いに、朋美は一瞬躊躇うよにしてから答えた。  
「この間のテスト、来なかったでしょ?」  
「え……?」  
「知ってるんだから。テスト受ける事すら出来なかったって」  
「それは……セルニアに断られたからで」  
「本当に?」  
 容赦のない切り返しに、秋晴は言葉を呑んだ。  
「――本当に?」  
 朋美の再びの問いに、咄嗟に答える事が出来ず、秋晴は黙り込む。  
 感情の読めない表情。いつもは二人きりの時にこそ外している仮面を、朋美は被っていた。  
 答えるべきなのか。セルニアと付き合うようになったきっかけは間違いなく朋美だった。  
 ならば、本当の事を言うのが誠意なのではないか。  
 しかし、セルニアとの約束もある。  
 今、取るべきはどちらなのか。  
 そう考える秋晴に畳み掛けるように、朋美は更に言葉を重ねた。  
「ねえ秋晴。ここであった事は誰にも言わない。秋晴に対する脅しにも使わない。約束する。だから、教えて」  
 
 そんな風に言われたら、口を閉ざしてはいられなかった。  
「――あの日から、セルニアと付き合ってる。テストに出られなかったのは、その……」  
「あ〜……、大体分かるから言わなくて良い」  
 言葉を遮られて、秋晴は口をつぐんだ。それから一度溜め息を吐いて、「スマン」とだけ言った。  
「そっか……分かった。ところで秋晴?」  
 ようやくいつもの調子に戻った朋美の声を聞き、それでもまだ何かあるのかと、俯いていた顔を上げる。  
「服着なくて良いの?」  
 言われて初めて気付いた。秋晴は風呂上がりの常の癖としてパンツ一枚に首にタオルをかけただけという姿だった。  
「うぉあっ!」  
 間抜けな声を上げ、慌てて服を探すが最悪な事に寝巻きのジャージもTシャツも、今朋美が腰掛けているベッドの上に投げ出されている状態だった。  
「えと……そこの服、投げて寄越してくれるか?」  
 恥を忍んで頼むと、朋美は言われた通りにジャージとTシャツを秋晴の方に放った。  
「わ、悪いな」  
 朋美の方を見ながら服を着るのが照れ臭くて背を向ける。  
 とりあえずジャージを履こうとして手に取った瞬間、背中に軽い衝撃が伝わった。  
 何だ? そう思うよりも早く、背に伝わる温かさで、それが朋美だと気付いた。  
「お前なにしやがる!?」  
「……悔しいじゃない」  
「は……?」  
「セルニアさんは私に無いものを持ってて、いつも敵わないなって思ってて、その上で気になる男の子まで持っていかれるなんて……悔しいじゃない」  
 言いながら胴に朋美の細い腕が回される。  
 きゅっ、と微かな力が込められて、それは大した力じゃないはずなのに、いやにはっきりと朋美の体温と柔らかさを――。  
 具体的に言うなら、温かくてぷにぷにした二つの柔らかい塊を背中に感じた。  
「な……ちょ、朋美!?」  
「……だからね?」  
 朋美の指先が秋晴の素肌を滑り、胸板を撫でる。  
 
「――私が秋晴を、奪ってあげる」  
 
 熱を帯びた吐息が秋晴の首筋を撫でる。  
 甘く響く声に動けないまま、秋晴はただ、自分の唾が喉を鳴らすのを感じていた。  
 ――秋晴の携帯が、床で虚しく震えている事に、二人は気付かない。  
 
 ――熱が、滑る指先の残滓に灯る。  
 胴に回される腕のきつさと柔らかさが何よりも固く秋晴を呪縛する。  
 縋りつくように秋晴の背に体を密着させ、朋美は熱っぽい溜め息を吐いた。  
「抵抗しないでね?」  
「ふざけ……」  
「例えば私が悲鳴を上げながら部屋から出たらどうなると思う?」  
「……っ!?」  
「そんな風にさせないでね? それに、秋晴に拒絶されるのは辛いから……」  
 小さく「嫌われたくないの」と呟いて、額を背中に押し付ける。  
 言葉は十重二十重と絡めとる蜘蛛の糸のように秋晴を縛り付ける。  
 脅しと甘えに、理性と本能が朋美を受け入れろと言い出す。今だけ好きにさせれば良い。そういう考えが浮かんでくる。  
 魔性の声が思考を停止を引き起こし、秋晴から抵抗の意志を奪い去ろうとする。  
 それでも尚、本能でも理性でもなく、感情を動員して秋晴は抗った。  
「止めろ……」  
 辛うじて押し出した言葉はそれだけで、それだけの言葉で朋美は止まった。  
 びくりと体を振るわせて、回していた腕から力が抜ける。  
「頼む……止めてくれ」  
「私の事……嫌い?」  
「好きとか嫌いとか、そういう事じゃないだろ」  
「そういう事よ」  
 再び朋美の腕に力が戻る。むしろ先より強く抱き締められ、まるで呪いのような束縛が更に絡みつく。  
「止めてなんか……やらない」  
「……っ」  
 するすると指先が降りてきて、下着の上から秋晴の股間を弄る。自分の手とは明らかに違う感覚に否が応でもそこに血が集まるのが分かった。  
「おっきくなってきた」  
 耳朶を吐息で撫でるように囁かれ、背筋を刷毛で擽ったような寒気が走った。  
 尚も下着越しにこね回され、その指先の動きが形作ったかのように、輪郭がはっきりとしてくる。  
 それに伴って、鋭敏になった感覚がたどたどしい愛撫への悦びを伝え始める。  
「く……っ」  
「今、ぴくってした……」  
 鼓膜に直接響くような囁きに指摘されて、羞恥心を煽られる。俄かに体温が上昇したように感じる。  
 快感からか、或いは羞恥心からか、その両方か。ごちゃ混ぜになった雑多な感情は熱に溶かされていく。  
 すっかり立ち上がり下着を突き上げている秋晴を、朋美の細い指が形をなぞるように這い回る。  
「うわ、カチカチ……気持ち良いんだ?」  
「……知るかっ…………!」  
 素直に認める訳にも行かず、歯を食いしばって言葉を返す。朋美は意地悪げな笑みだけ返して、先端を指先で突くように触れた。  
 
「ここをくにくにすると……ぁはっ、濡れてきた」  
 先端を割り開かれ、否応なしに先走りが溢れ始め、下着に染みを作る。  
 朋美は微かに布地から染み出す粘っぽい感触を楽しむように、先端と指先に糸を引いて遊んだ。触れては離し、何度も橋を繋ぐ。  
「スゴいネバネバ……精液ってもっとスゴいんだよね?」  
 背に触れる朋美の胸が、鼓動と熱を伝え興奮の度合いを知らせる。  
 囁く声が甘く響く。普段、そうした対象として見ていなかっただけに、それを嫌に生々しく思ってしまう。  
「熱い……」  
 指先がするりと下着の中へと這入ってきて、幹に触れる。  
 振り払う事も、制止する事も出来ず、ただなすがままに流されてしまう。  
 ――俺は何をしてるんだ?  
 そんな思考が浮かんで、不意に情けなさが溢れてくる。それすらもどうしようもない欲求に負けて、秋晴は自ら思考を止めていった。  
 そっと先端を撫でるように朋美の指の腹が触れる。それに堪らず反応した下半身にわだかまる熱を持て余して、秋晴は呻きを漏らした。  
 また先走りが、とろりと溢れ出る。それを朋美は引き伸ばし、馴染ませるように擦り付ける。  
 亀頭をぞわぞわとした感覚が包んで、それにまた幹がびくびくと跳ねる。  
 その様子を、秋晴からは見えない背後で艶然とした笑顔を浮かべながら朋美は見ていた。  
 一つ一つ、秋晴の感じる部位を探り当てては凄まじいまでの学習、応用能力で秋晴を追い詰めていく。  
 いっそ暴力的とも言えるような快感に腰が抜けそうになりながら歯を食いしばって耐える。  
「ん……」  
 なにを思ったか。朋美が幹に軽く爪を立てた。  
「ぁがっ!」  
 痛みと、それを数倍上回る快感に、堪らず腰を落としてしまう。感じた快感は、幹が跳ねる事で朋美に伝わっていた。  
「痛くされて感じるなんて……秋晴ってばやっぱりMの人?」  
「ふざけ――」  
 反論しようとして、しかしそれは朋美が握り締めた掌に力を込めた事で遮られる。  
「ほら、やっぱり……」  
 ぎりぎりと、音がしそうな程強く握られ、また幾ばくかの痛みとそれ以上の快感が秋晴を襲う。  
 意識に関係なく下半身が脈動してだらしなく先走りを垂らす。  
 気を抜けば達してしまいそうな程に感じている己を自覚して否定の言葉を喉の奥に飲み込まざるを得なかった。  
「痛い? それとも気持ち良い?」  
 問い掛ける言葉とは裏腹な、朋美の確信を得た表情に、秋晴は背筋に被虐的な倒錯を確かに感じた。  
 
 指先が再び秋晴を優しく労るような動きに変わる。秋晴の感じる部分を的確に、最適な強さで這い回り、確実に射精へと促す。  
 絶頂へと追いやられる屈辱ですら今は倒錯を加速させる一因にしかならない。  
 早く達してしまいたいという願望と、達してはならないという自制心とがせめぎ合う。  
「我慢しなくていいんだよ?」  
 甘い囁きが耳元で響く。それを悪魔の甘言だと思いながら抗い難い魅惑にのまれそうになり、秋晴は歯を食いしばって耐えた。  
 だが、抵抗をしないことは、それを選んだ時点で既に屈していたという事に他ならない。  
 先走りのぬめりに助けられ幹を滑る朋美の掌は、秋晴の意識など介さず、強制的に絶頂に追い立てる。  
 強弱緩急自在な動きからもたらされる快感に、秋晴の意識が白痴に染まる。  
「あ……っ、くぁっ」  
 気が付けば自然と体が跳ねていた。浮いた腰から痺れのような快楽の波が全身に波及して秋晴を追い詰める。  
「うぁっ!」  
 それが最も大きな波になった瞬間、秋晴は無様に精を迸らせていた。  
 大きく体が跳ね、その度に吐き出された精液が朋美の掌を汚す。  
「やだ……スゴい出てる。手のひらベタベタになっちゃってる……」  
 呟きながらも朋美は手を動かし続け、一滴も残さず搾り取ろうとするかのように扱き立てる。  
 無慈悲とすら言えるその仕草に、絶頂にある快感が終わる事なく続く。最早拷問のような手淫に、秋晴は身を悶えさせる事しか出来なかった。  
「ぅあっ、あぁ……っ」  
 やがて吐き出すものがなくなり、ようやく朋美は手を止めた。  
 自らの掌にべったりと張りついた精液をまじまじと見つめ、あまつさえ匂いを確かめたりしている。  
「沢山出た……のかな?」  
 そんな事を聞いてきて、秋晴は返答に困る。  
 確かにこんなに出したのはセルニアと初めてした時以来だが、まさかそんな事を言える筈もない。  
 黙り込む秋晴を見ながら、朋美は小悪魔のような微笑を浮かべる。  
「満足は出来た?」  
 その問いが、自分の顔を見ながらではないことを訝しんで、秋晴は朋美の視線を追った。  
「……あっ」  
 零した声は、自分の情けなさへの嘆息だった。  
 
 あれだけ派手に欲情をまき散らしておきながら、未だにいきり立つ己がそこにあって、自己嫌悪を浮かばせる。  
「ねえ、秋晴」  
 朋美が身を擦り寄せて、誘う。  
「しよっか?」  
 返す言葉はなく、ただ、麻痺した思考にセルニアの顔が浮かんだ。  
 答えない秋晴に、それ以上は何も言わず朋美が更に身を寄せて――。  
 
 チャイムの音がそれを止めた。  
 
 そして、ドアの向こうから響く声。  
 今は、秋晴の絶望にも似た失意を呼び覚ます、凛として美しい声音。  
「――秋晴」  
 セルニア・伊織・フレイムハートが、ドア越しに呼び掛けていた。  
 
続く  
 

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