白麗綾の空は広いと秋晴は思う。  
 建物一つ一つが離れているから、都会のように建物が空を見上げた時に妨げにならないからだと気付いて、改めて敷地の広さを思い知らされる。  
 そして今日は雲一つない晴天。広い空の真ん中に存在を主張する太陽は夏の盛りも過ぎ、日差しもきつすぎず心地良く大地を照らしている。  
 別段詩人でもないので、それを見たところで、あ〜良い天気だな〜。くらいしか思い付かないけどそれでも良いと思えてくる。  
 今だけはこの心地よさに身を任せて何もかも忘れられそうで――。  
 
 いや、忘れちゃだめだ。  
 だって、今ある心地よさは天気のおかげだけじゃないし、上を見ているのも下を見たくないからという理由だ。  
 いい加減この現実逃避をする癖をなんとかしなくちゃなとは思いつつも、逃げたいものは逃げたいのだから仕方ない。  
 そもそも自分はなんで白麗綾に入ったんだ?  
 そう思わざるを得ない。少なくともこんな目に会うためじゃない。  
 ――いい加減現実逃避を止めよう。  
 決意してそっと、ぎこちなく視線を下に降ろしていって確かめる。  
 改めて見たら間違いでしたという期待をちょっとだけしながら見て――。  
 
 やっぱり朋美に抱きつかれている事実にまた空を仰いでしまうのだった。  
 
『RIOT GIRL』  
 
 週末をセルニアと過ごし、日曜の昼を食べた所で別れて部屋に帰ると、先にルームメイトの大地が戻っていた。  
 そこで、なんだかしょんぼりしたような、困ったような表情をされたのでどうしたのかと聞くと、放っておいてくれと言われた。  
 何か気を損ねるような事をしたかと尋ねれば、  
「誰も悪くない。誰も悪くないからこそ辛いことがある」  
 と何だか難しい返しをされた。  
 それでも放っては置けないと食い下がると、時間が経てばなんとかなると言われそれ以上の干渉を拒絶された。  
 それからなんとなく気まずいままに午後を過ごし、夜を迎えた頃、メールが来た。  
 文面は「明日、話したい事がある」ということ。  
 差出人は彩京朋美、その人だった――。  
 
 † † †  
 
 という所が昨日までの話。  
 正直面食らったと言うのが素直な所だった。こういう場合こそ朋美は慎重になるのではないかと思っていたのにこの速さ。  
 策なのか、無策なのか。  
 朋美を相手取るならば普通は策と思うべきだろう。だが、今回は普通ではない。  
 平常を欠いた朋美なのだ。  
 
 繕いもせず、無様を晒してまでの事を彼女は既にしている。故に分からない。  
 そもそもに置いて、自分は本当に朋美に好かれているのかという事自体が疑問だ。  
 いつもの嫌がらせではないのか?  
 いつもの嫌がらせで出来る事か?  
 ――分からない。  
 元来が頭の回る方ではない。だから秋晴は愚直に確かめるしかない。  
 そうして秋晴は朋美を訪ねた。  
 最初は部屋の中に促されたが、それは秋晴が断った。密室に二人きりは流石に不味いだろうという判断だ。  
 それなら、ということで白麗綾の敷地を歩く事になった。  
 しばらくは無言で歩いていた。  
 朋美は先導する形で歩き、前を見たまま話掛けようとはしてこない。  
 秋晴はその後ろを歩き、どう話掛ければいいか分からずやはり無言。  
 それが十分以上も続いたところで朋美が動いた。  
 くるりと振り返った朋美の表情は深刻で秋晴を戸惑わせた。その隙をつくような形で朋美は秋晴の胸へと飛び込み――  
 
 ――今に至る。  
 硬直してしまった秋晴だったが、朋美の不意の言葉に驚いた。  
 ただ一言、  
「よかった……」  
 と呟いただけだった。  
 しかしそれは何より秋晴の心に衝撃を与えた。  
 よかったなどと、か弱い声で、肩を震わせて言うのだ。あまつさえ声音には涙混じりの響きがあった。  
「朋美……」  
「不安だったの。来てくれるか、話を聞いてくれるかって」  
 胸に縋り付く朋美は、伝えるその温もりすら頼りなく、儚げな印象を漂わせている。  
「聞いて欲しいのはね? 好きだって言ったのは本当だってこと。セルニアさんに負けたくないって言うのも本当だけど、一番譲れないのはやっぱり秋晴が好きだって事」  
 顔を胸に埋めた朋美の表情を伺い知ることは出来ない。しかしそれでも、秋晴はそこに偽りがないと直感した。  
 真摯な言葉だった。だからこそ、自らも真摯な言葉で返さねばならない。  
「……悪い」  
 言って、朋美の肩を掴んで引き剥がす。  
「俺はセルニアが好きで、だから付き合ってる。お前の事が嫌いなんじゃない。  
 むしろ、なんだかんだなんの繕いもしないで話したり出来る相手はお前だけで、その存在に救われもした」  
 そこで秋晴は苦笑いを浮かべた。  
「まあ確かに本気でムカついたりもしたけど、それで嫌いになったりはしない。  
 でも――やっぱ、ゴメン」  
「…………」  
 俯いた朋美の顔は前髪が隠して表情は伺えない。ただ、きつく噛んだ唇が想像させるだけだ。  
 
 泣きそうに、なってるんじゃないだろうか?  
 だとしたら、心を痛めずにはいられない。知らなかったで済ますつもりはない。己の鈍さを棚に上げて逃げる程に自分は愚昧なつもりもない。  
「……ごめんな」  
 謝罪の言葉に朋美が顔を上げる。それを見て驚く。  
 ――笑ってる?  
 辛そうなのに、今にも泣きそうなのにあくまでその表情は笑顔。  
「まだまだなんだから」  
 そう言って、朋美は一歩を詰める。  
「たかだか一回目の決着がついただけ。今セルニアさんと付き合ってても、これからどうなるかなんて分からない。だからね? 秋晴」  
 佇まいを直して、朋美は強く言った。  
「改めて言うわね? 私、秋晴が好き。セルニアさんに負けないくらい。ううん。好きって事で、負けたくない」  
 真摯な顔をふっと崩して朋美が笑う。  
「――揺らいだ?」  
「……少し」  
「そっか。じゃあ今日はこれくらいで勘弁してあげる」  
 してやったりと笑顔を浮かべながら朋美は秋晴から離れていく。  
「セルニアさんに伝えておいて。負けないからって」  
「……おう」  
「うん。……それじゃ」  
 去っていく朋美を見送りながら、秋晴はさっきまでとは違う思いで空を見上げる。  
 まだしばらく受難は続きそうで、頭が痛くなりそうだ。  
 ――でも。  
 楽しくもあるんだろう。  
 辛かったり、バカバカしかったり、悩んだりする、この白麗綾での毎日が。  
 
 多分そうして日々を楽しむ事が、白麗綾に来た意味だと思えるから――。  
 
了  
 

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