その日は朝からの雨模様で、午後になってもその雨脚が衰える気配はなかった。
普段なら休み時間ともなればまっすぐに校庭へ飛び出していく5の2の男子たちも、
さすがにこの天気ではそういうわけにもいかない。
仕方なく体育館でバスケットボールでもという流れになったのだが、そのメンツにナ
ツミが入っていたのが事の発端だった。
男子を圧倒する運動能力を誇るナツミであるが、普段は当然女子と遊ぶことの方
が多い。バスケットボールに限らず、サッカー、ドッジボール、ありとあらゆる勝負で
負けっぱなしの男子としては、この機会にせひとも借りを返しておきたいところである。
……のだが。
「佐藤、すまないがリベンジを頼む……」
夜更かしで休み時間中爆睡していたリョータのもとに、半泣きの表情で男子たちが
やってきたのは午後の授業が始まる直前のことだった。
カコーンという小気味良い音と共に、小さな白球がリョータの脇を通り過ぎていく。
「……え?」
リョータは呆然とした顔で、ゆっくりと首を後ろに回した。さっきまで必死になって
目で追いかけていたはずのボールが、床の上をコロコロと転がっている。
「あっはっはー」
「11対4、勝者平川ー」
そんなリョータにあっけらかんとしたナツミの笑い声と、それとは対照的などこか
うんざりしたコウジの声が飛んでくる。リョータが視線を向ければ、そこには実際に
あっけらかんとした笑顔を浮かべるナツミと、うんざりした顔のコウジが立っていた。
「これでボクの4連勝だね、佐藤くん」
ラケットを団扇代わりにしながら、ナツミが悪びれた様子もなく言う。
「ぐっ……も、もう一回だー!」
リョータは気合を入れるためか腕まくりをすると、雨に備えて持ってきていたタオ
ルをハチマキよろしく頭に巻いた。
「ダサッ!?」
「うるさいっ!」
率直な意見を述べたコウジに蹴りを入れ、リョータはラケットをかまえる。
卓球。
放課後、ナツミと勝負するにあたってリョータが選んだスポーツがそれだった。男
子一同に担ぎ出されるまでもなく、以前のサッカー勝負以来リョータ自身ナツミとの
再戦を希望していたわけだが、悲しいかなリョータは本能で相手との基本性能差を
見抜いていた。
そういうこともあり。
恐らく普通に勝負しても、勝ち目は薄いだろう。いやいや、勝てないわけじゃない。
決して勝てないわけじゃないぞ。ただ男子一同の目があるのだ、ここは一つ慎重に
だな……おお、そうだ! それなら平川があまりやったことがないようなスポーツだっ
たらどうか?
とまあ、大体このような考えの上で卓球が選択されたわけである。
実際、それはあながち的外れな選択というわけでもなかった。ナツミは卓球のルー
ル自体、よく知らなかったのだから。
ただ一つ問題があったとするならば……。
スコーン。
「ぬわっ!」
ココーン。
「うおっ!?」
カコーン。
「なぁっ……!」
リョータ自身が、ナツミ以上に卓球の経験がなかったことであろうか。
「11対3、勝者平川……」
「あっはっはっ、5連勝ー」
がっくりと膝をついたリョータに、二つの声が降り注ぐ。
試合開始当初は大勢いた5の2男子のギャラリーたちも、ほとんどがその一方的な展
開に諦めて帰ってしまっている。今では残っているのは審判役のコウジと、付き合いの
良いツバサだけになっていた。
「リョータ……お前はよくやった。だから、もうあきらめろ」
リョータの肩を叩きながら、コウジがささやく。しかし、その声に含まれた憐れみが逆に
リョータの心を焚きつけた。
「ここでやめられるかー! もう一回だ、もう一回!」
がばっと立ち上がり、ラケットをナツミに突きつける。
「えー、オレもう帰りたいんだけど……」
コウジの本音を無視して、リョータは白球を握り締めた。
「……も、もう一回ぃ……!」
リョータ、11連敗目。もはや意地だけでラケットを握っているようなもので、すで
に身体の方はナツミのボールに全くついていけていない。
一方ナツミはわずかに汗をかいている程度で、少なくても表面上はほとんど疲
れていないように見える。
「えー……」
しかし、ナツミは時計を見上げると眉を寄せた。
「な、なんだよ、勝ち逃げか?」
「そうじゃなくて……もう時間が遅いでしょ?」
「時間?」
その言葉に、リョータも壁についた時計を見上げる。もうすぐ4時になるところだ。
確かにもうそろそろ切り上げないと、下校時間になってしまう。
「また明日勝負してあげるから、今日はもう終わりにしようよ」
「ぬう……仕方ない。その約束忘れるなよ」
リョータはそう言うと、不承不承卓球台を片付け始めた。
コウジとツバサでさえもとっくに帰ってしまったため、体育館には二人の姿しか
ない。ネットを外し、二つ折りにした卓球台を用具室まで二人で押していく。
「で、明日は何で勝負する?」
「何でもいーよ。何だって佐藤に負けるはずないしねー」
「ぐっ……!」
笑顔のままさらりと言ってのけるナツミに腹の底から怒りが湧きあがってきたもの
の、ここまでコテンパンにされていてはさすがにリョータも言い返すことはできない。
仕方なく唇を尖らせながら、用具室の扉を開ける。
「えーと、どこに置いておけばいいのかな?」
「そっちの奥に置いてけばいいだろ」
リョータはふて腐れた顔のまま、ゆっくりと用具室を見渡した。跳び箱やマット、
ボール籠などが所狭しと詰め込まれていて、窓から差し込む弱い光がそれらを
奇妙なオブジェのように照らしている。おまけに外の雨音がなんとも言えない陰
鬱な雰囲気を付け加えていて、不気味なことこの上ない。
「うー……」
ナツミも心なしかどこか不安そうな表情を浮かべている。
そういえばこいつ、暗いところが苦手なんだっけ……。
リョータは良いことを思いついたとばかりにニヤリと笑った。そっとナツミの横を
離れ、静かに入り口まで後退る。
「あれ、佐藤くん……?」
そしてナツミがそれに気がつき、振り返った瞬間を狙って勢い良く扉を閉めた。
「えっ!? ちょ、佐藤くん!」
中から驚いたような声と、ドンドンと扉を強く叩く音が聞こえてくるが、リョータは
それを当然のように無視してしっかりと扉を押さえる。
「じょ、冗談だよね……? 開けてよ佐藤くん! 佐藤くんっ!」
鍵がないので手で押さえるしかないのだが、いくらナツミ相手とはいえリョータ
も男である。さすがに純粋な力勝負でなら負けようはずもない。
「やだやだ、怖いっ! 開けてっ! 開けてよぉ!」
切羽詰った調子のその声に、リョータは満足そうにほくそえんだ。この前の倉庫
と違ってこっちには窓もあるし、完全に真っ暗というわけでもない。まあ、このまま
少し怖い思いでもしてもらおう。
リョータとしてはそのくらいの軽い考えであり、「暗いところへ閉じ込めてやった」
という認識しかなかった。実際は「暗いところへ一人で閉じ込められる」であったわ
けだが。
そしてリョータが思っていたよりもずっと早く、ナツミの声と扉を叩く音は聞こえなく
なった。
なんだ、結構すぐに落ち着いちゃったのか?
そんなことを思いつつ、少し拍子抜けしたリョータがドアを開けると。
「え?」
そこには床に座り込んで身体を震わせ、ボロボロと大粒の涙を流してしゃくりあげ
ているナツミの姿があった。
しかも良く見れば、ズボンの股間のあたりが濡れていて、床には小さな水溜りが
できている。
「うぇっ……うっ……うう……ひっく……」
「お、おい平川!」
驚いたリョータが肩に手をかけて話し掛けると、ナツミは涙をこぼしながら怯えたよ
うな表情でリョータを見上げ、震える手でそのシャツをぎゅっと握り締めた。
「わ、わ悪い! まさかそんな怖がるなんて……」
リョータはあたふたと焦りながらもどうにかナツミを泣き止ませようとしてみたが、そ
もそもなにをどうしたらいいのかわからない。何を話し掛けてもナツミは小さく首を振
るばかりで、その口からは嗚咽が漏れるばかりだ。
「あー……えーと、その……」
結局リョータはどうすることもできないで、ただ泣いているナツミの側に立ち尽くすし
かなかった。
「……ひっ……ひっく……うぅ……」
が、しばらくすると小さくしゃくりあげながらもナツミがふらふらと立ち上がる。
「だ、大丈夫か平か……わー!?」
それを見てほっとしたリョータが声を掛けようとした途端、ナツミは片手でいきなり自
分のジーンズを下ろし始めた。
「な、なななな何してんだ平川っ!?」
リョータはとっさに身を退くが、ナツミの片手はしっかりとシャツをつかんだままだっ
たため、バランスを崩して座り込んでしまう。
「……うう……だって……ひっ……気持ち悪いのぉ……」
慌てふためくリョータを尻目に、ナツミは緩慢な動作でジーンズを脱ぎ捨てた。どう
やら濡れているジーンズが気持ち悪いらしい。いや、それはわかる。わかるが、だか
らといって今ここで脱いでしまうのいかがなものか。そう思いつつも、リョータは両目
を押さえた手の隙間からチラチラとナツミの方を見てしまうのを止めることができなか
った。
しなやかな足の付け根の、真っ白なパンツ。いけないとはわかっていながら、つい
ついそこへ目が吸い寄せられてしまう。
「……佐藤くん」
「うわあああ!? ご、ごめん! 見てない見てない見てない!」
唐突に声を掛けられ、思わず謝るリョータ。しかしナツミはそんなリョータの頭に巻
かれたタオルを外すと、呟くような小さな声で言った。
「……ひっく……ふ、拭いて……」
「………………え?」
「ん……」
リョータがタオルで足に触れると、ナツミの口から小さな声が漏れる。
正直言ってリョータとしてはこんな恥ずかしいことはごめんだったが、原因が自分に
ある以上仕方がない。それにナツミの様子もおかしいし、このまま放って置くわけにも
いかなかった。
ナツミは跪くように腰を落としたリョータの肩に体重を預け、静かに瞳を閉じて立って
いる。とはいえ肩に置かれた手はシャツを握り締めたままで、あまりにも力を要れて引
っ張られたせいかその部分は伸びてきてしまっているようだ。
リョータは太ももの雫を丁寧に拭き取ると、しばらく迷ってからナツミの顔を見上げた。
「あー……その、ここも……か?」
おずおずと尋ねるリョータに、わずかに首を動かしてナツミが応える。リョータは小さく
喉を鳴らすと、ぐしょぐしょに濡れているパンツにタオルを当てた。
「あ……っ」
ビクンとナツミが身体を震わせる。リョータは驚いてすぐにその手を止めたものの、
やがて再びゆっくりとタオルを動かし始めた。タオルを通してナツミ自身の温もりと、
染み出してくる湿り気を感じる。リョータはできるだけ優しく拭いているつもりだったが、
しばらくするとむせ返るようなアンモニア臭にだんだんと頭がクラクラしてくる。心臓
が爆発しそうになくらいに、強く大きく脈を打っているのが自分でもわかった。
「ん……ふぅ……んんん……」
リョータがタオルを動かす度に、何かを堪えるようにナツミが小さく左右に頭を振る。
リョータは少し強くタオルを押し付けてみた。
「んんっ」
じゅわりとパンツから、まだ暖かい液体が染み出てくる。濡れたパンツの上から拭
いているのだから、それを全部拭き取るのは無理というものだ。
「あのさ、平川。あ、あとは自分で……」
「……ひっく……まだ……気持ち悪いよぉ……」
リョータの言葉を遮るように、ナツミが呟いた。
「いや、でもこれ以上は……」
するとナツミは片手をリョータの肩から離すと、おもむろにパンツへ手を掛け、それ
をゆっくりと下ろしていく。
「なっ……!?」
固まるリョータの横に、ぺしゃりという音とともにパンツが落ちた。目の前には、つる
りとした膨らみに通る一本すじ。しばらくリョータは呆然とした表情でそれを眺めてい
たが、ふと我に返ると尻餅を付き、しっかりとつかんでいたナツミの手を強引に振り
切ってそのまま物凄い勢いで壁際まで後退った。
「ちょ、ちょちょちょっと待て平川っ! さすがにそそそそそれはまず…・・!」
「や、やだっ! 逃げないで!」
突き出した両手と頭を左右に激しく振りながらリョータが上ずった声でそこまで言っ
たところで、ナツミがこれ以上ないくらいに怯えた表情でリョータに飛び込んできた。
「おわっ!?」
リョータに覆い被さるような形で抱きついたまま、ナツミがボロボロと涙をこぼす。
「……やだ……やだよぉ……うぅ……ひっ……もう、ひと、ひとりにしないでぇ……」
「平川……」
ナツミの身体から臭う汗とアンモニアの香りと、全身に押し付けられる柔らかな肉感
に、リョータの心臓が再び早鐘のように高鳴っていく。その時リョータはナツミの身体
が凍えたように震えていることに気付いた。それが恐怖によるものなのか、それとも実
際に身体を冷やしてしまったせいなのかはわからないが、いずれにせよ濡れたまま放
って置くのが身体に良かろうはずもない。
リョータはそう自分に言い聞かせるとナツミの身体の下へ腕を通し、そっとその股間
にタオルを当てた。
「んんっ……!?」
ナツミの身体が小さく跳ね、腰が浮き上がる。
「う、動くなよ」
言いながら、ゆっくりと腕を動かす。
「ふぅん……ん……んん……」
その部分はリョータが思っていたよりもずっと熱かった。その周囲を丁寧に拭いてい
るうちに、タオル越しに伝わってくるその熱が移ったかのようにリョータの身体も熱く昂
ぶっていく。
「ん……ふぅ……ふぅん……ん……ぁうっ」
ナツミはリョータにまたがり、上半身にのしかかるような形になっているので、二人の
顔はぶつかりそうなくらい近くにある。すぐ横から聞こえる、普段とはまったく違うナツミ
のその声と、なにかを堪えるような表情に思わずリョータの腕に力がこもる。
「あっ……痛……ぅ……」
「わ、悪い! 痛かったか?」
慌ててリョータが腕を引いた。しかしナツミは小さく首を振り、リョータのシャツを
握りなおしただけだった。それでもリョータは今まで握るように持っていたタオルを、
手のひらに載せるような持ち方に変えてみる。
「ん……っ」
「うわ……」
まるでその部分を手のひらで覆うような形になり、 割れ目とや小さな突起など
がよりはっきり形として伝わってくる。タオル越しにリョータの指が突起にぶつかる
度、ナツミの身体は電気が走ったように跳ね上がった。
「ふぅ、う……ふぅん……ふぁ、あ、ああっ……んんんっ」
「はぁ……はぁ……」
お互いの荒く熱い吐息が交差する。すでにタオルはそれまでとは違った、もっと粘
り気のある液体で濡れ始めていたが、リョータはその違いにも気づかずに手を動か
し続けていた。
「ひぅっ、んんんっ、ああっ……いや……んっ、ふぅんっ……」
やがて小さい、しかし次第に大きくなっていく水音が用具室に響き始める。
ナツミは上半身を支えられなくなったのか、顔をリョータの胸に押し付け、しがみつ
くような体勢になっていた。口の端からは一筋よだれが垂れ、リョータのシャツに染
みを作っている。
「あぁぁっ、んぅっ……はぁ、はぁんっ……さ、佐藤くんっ……ボ、ボク……ひぁあっ!」
「ひ、平川……っ」
リョータの手が秘裂をなぞり、突起を撫で上げていくと、ナツミの腰だけがいやらし
く動く。
「あっ! んっ、んんっ……な、なんか、へ、変だよぉ……ふわあっ、こ、こんなっ……」
もはやぐしょぐしょに濡れたタオル越しでは、直接リョータの手が触っているのと同じ
ようなものだった。リョータは自分でもわからないまま、その割れ目を何度も何度もな
ぞり上げていく。
「あああっ! や、だめっ! ん、ん、んんん! ボ、ボクっ……ボク……もうっ!」
かろうじて腰を支えていたナツミの膝がガクガクと震える。
「あぁっ! ふぁっ! んあっ! やっ、んんんんんんんっ! んんっ! んっ! んっ!
んくぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅんんっ!」
そしてリョータの爪がタオル越しに突起を引っ掛けたと同時に、ナツミは両手を突っ
張り、リョータの上で大きく仰け反った。
「はぁ……」
リョータは用具室の中、しばらく呆然と天井を見上げていた。一方のナツミは気を失
ってしまったのか、リョータの横で穏やかな寝息をたてているものの目を覚ましそうな
気配は全くない。
なんでこんなことになってしまったのだろう、などとリョータが一人漠然とした後悔の
念に苛まれていると、ふと雨音を遮って聞こえてくるやけに物悲しい音楽に気が付いた。
「ん? これって確か……」
いまだにぼんやりとした頭で記憶を探る。すぐにわかった。
下校放送だ。
途端に、もやが吹っ飛んだ。
「や、やばいっ! おい、平川! 平川っ!」
横で寝ているナツミを揺さぶり、声を掛ける。このままでは見回りの先生がきてしまう。
それはまずい。非常にまずい。
「平川! 頼む、起きてくれ平川っ!」
「ん〜……」
が、ナツミは揺さぶるリョウタの腕を払いのけ、寝返りをうっただけだった。
「どうすりゃいいんだ……」
絶望感が足元からじわじわとリョータを覆っていく。
「と、とりあえずこいつをどうにかしないと……」
リョータは現状を打破するべく必死で考えを巡らせつつも、いまだに下半身素っ裸な
ままのナツミに四苦八苦しながらパンツとジーパンをはかせる。途中濡れているのを
嫌がるように抵抗らしきものを見せたが、この状況下では我慢してもらうしかない。
もっともここから先が問題だった。いくらなんでもナツミを背負って家まで送っていく
ような体力はリョータにはないし、そもそもナツミの家族になんて説明すればいいとい
うのか。第一遠目でならともかく、近くで見たならナツミのジーパンが濡れているのは
一目瞭然だ。
そうこうしているうちにも時間はどんどん過ぎていく。
しかし。
「いや、待てよ……?」
「ふぅ……うん、まあ外傷もないし大丈夫でしょ」
ベッドに寝かせられたナツミの様子を見ていた保健医は、小さく息を吐くと傍らの椅
子に座っていたリョータにそう言った。
「よかった……」
その言葉に、リョータもほっとしたような笑顔で応える。
見回りの教師がくる前にナツミを背負って飛び出したリョータが駆け込んだ先は保健室
だった。保健医はまさに帰る直前だったが、それでも鍵を閉めている最中に突如飛び込
んだ急患に慌てることなくきっちりと対応してくれた。
「それじゃ平川さんの両親には連絡しておくから、佐藤くんはもう帰っていいわよ。なんか
あったら連絡するから」
「あ、うん……」
実際、リョータがいたところでどうにかなるわけではないだろう。ナツミが目を覚ましたな
らあれこれ口止めしておきたいこともあったが、考えてみればナツミにだってわざわざ声
を出して言いふらしたいことでは決してあるまい。
そう考えたリョータはランドセルを持って立ち上がる。
そんなリョータに、保健医はにやにやした笑顔を向けて言った。
「しかし、あの平川さんが水溜りで転ぶなんてねえ」
「な、なんですか?」
ぎくり。
リョータの足が、ぴたりと止まった。
「うんにゃ、別になんでもないわよ。さー、もう遅いんだから帰った帰ったー」
「……」
半ば押し出されるように、保健室を追い出される。リョータはしばらく扉の前で思いを巡
らせていたが、やがて大きなため息をついて昇降口へと足を向けた。
翌日。
昨日とはうってかわって、カラリと晴れわたった空が広がっている。
リョータは内心ビクビクしながら登校したのだが、教室で見たナツミはいつもと変わ
らない様子だった。
「あ、佐藤くんおはよーっ」
そしてリョータを見つけると、あっけらかんとした笑顔で駆け寄ってくる。
「あ、ああ……おはよう」
「昨日のことだけど、どうするの?」
「……え?」
思わず声が裏返った。
「き、きききき昨日?」
まさかいきなりその話題を、こんな場所で!?
思わずリョータの全身から汗が吹き出る。
が。
「ほら、もう一回勝負するって約束したでしょ?」
「へ?」
「サッカーとかにしておく? ボクはなんでもいーけど」
「あー……あーあーあー! うん、そうだな。それでいいぞ」
「OK〜。お手柔らかに頼むね、佐藤くん」
ナツミは悪意の欠片もないような笑顔で言った。
で、昼休み。
ズバンッ!!!
「げふっ!?」
「リョ、リョータ!」
「大丈夫か、おい!」
「おーい、誰か保健室ー」
顔面にボール直撃で保健室直行なリョータ。