別に何がしたいというわけでもない。
今更初めてだというわけでもない。
ただ、自分はそうであるというだけだ。
相手はどうだか知らない。
ただ―――――見えてしまうだけだ。他意はない。
生まれてからこの日まで、ひとつのものに執着などしなかった。
色々な事に興味はもった。次々と興味をもったが、今までのものを捨てているわけでもなかった。
自分の内面には興味が無かった。
ただ、そこにあるだけの。
自分を見つめる瞳に気づいてはいた。
気づかないふりが、果たして相手にどれだけ伝わっているかは不明だった。
何せ、相手はあの中禅寺の妹だ。兄からみえるものの話を聞いているかもしれない。
そこまで来て、彼は考えることをやめた。
…回りくどいことは面倒で嫌いだった。
「敦っちゃん!」
バタン、と大きな音を立てて榎木津はドアを開けた。
ドアの向こうでは中禅寺敦子が、目を大きく見開いている。
彼女はいつものような活動的な格好ではなく、今は白いワンピースを着ていた。
「榎木津さん」
形の良い唇が、彼の名を紡ぐ。
「猿や四角男が言うと非常にむさく感じるが、敦っちゃんがそういうと気持ち悪くないから不思議だな」
関と木場のことらしい。
敦子は笑った。
「どうされたんですか、榎木津さん。今日はお一人ですか?」
「そうなんだ、敦っちゃんに会いに来た」
「あらやだ、相変わらずですね」
そういう敦子の、目が笑っていない。
榎木津は無償に腹が立って―――しかし、その瞬間に、見えてしまった。
これほど幻視を見たくないと思ったのは初めてだった。
なぜか泣きそうになった。
敦子が。
自分と他の男を重ねるな。
榎木津は無言で敦子の顔を直視する。
それはまるで自分のすべてを見透かされたように思うので、敦子はあまり好きではなかった。
特に、彼には。
自分には見えぬものが見えるという。それは兄から聞いている。
ただ、彼という人間を見知ってから未だその理解はできない。
しなくても良いのかもしれなかった。むしろしないほうが良いのかもしれない。
ただ―――苦手、なのだ。
尤も、彼に惹かれていることも要因なのかもしれなかったが。
とにかく、苦手だった。
「どう、されたんですか」
やっとのことでただ一言。搾り出すように。
喉は渇ききっていた。
榎木津は尚も黙ったままだった。
いい加減何かもう一言発しようと、敦子が口を開きかけ――――
それは突然にやってきた。
思えばいつも突然なのだ。それは。
「僕は僕だ。神だ。神は一人しかいない。」
そういって、彼は彼女を抱きしめた。
「か、神って、榎木津さん」
そんなこと――――
「敦っちゃん」
「はい」
自分の問への返事など全く無視した榎木津に、思わず返事をしてしまう。
「僕は人と重ねられるのは嫌いだ」
どきりとする。やっぱり、視られていた――――
返事はできない。
「僕は誰かの代わりじゃない」
そんなこと、わからない。
「関係ないんだ」
それは確かに、あなたには関係ない。
わたしの問題だもの。
「…敦っちゃん、僕を見てくれないか」
ああ、そうなんだ。
これなら、
「…はい」
返事はできる。
口付けは初めてではない。
その先も初めてではない。
ありのままの私とあなた。
「え、のきづさん」
「…あっちゃん」
これほど切羽詰った様子の彼は初めてだ。
いつもは余裕を見せ、不敵に笑い大胆に行動し、何も恐れない。
…今は、違う。
泣きこそしないものの、余裕は無い。
彼をここまで駆り立てるものはなんだろう?
独占欲?
わたしへの?
唇の生暖かい感触に、ああ、榎木津さんも男だったんだ、などと頭の片隅で他人事のようにそう思っていた。
やはりこういう事態には慣れているようで、榎木津は口づけが巧かった。
最初はゆっくりと、しかし焦らすように敦子の口内を侵食していく。
犯される、というよりは侵される感覚。
敦子とて初めてではないのだが、今までの経験には無い型のような気がしていた。
榎木津の舌が歯列をなぞる。
背中がぞくりとした。思わず肩をすくめる。
その様子に気づいたのか、榎木津は舌を絡めてくる。
お互いの唾液で、ぴちゃりと音がする。
熱くなっていくような感覚が襲う。
「ふ…ぅっ」
思わず声が漏れた。どちらかの声ともつかない音。
その後は夢中だった。
普段は理性的だと言われる敦子に、常に躁状態の榎木津。
だが今は二人ともが、気持ちの思うままに相手を求めていた。
服の上からでも、榎木津の思ったより大きな手の温度が分かる。
榎木津はあくまでゆっくりと敦子を抱きしめる。
その力が少しずつ大きくなるにつれて、敦子の体が奥から熱くなる気がする。
相変わらず口付けは続けたままで、器用に顔の角度を変える。
どちらのものともつかないため息が漏れた。
―――恐らくは、敦子の。
敦子とて、榎木津とこうなる事を望んでいなかったといえば嘘になるし、事実、敦子は榎木津に好意を
寄せていた。
ただ、ただ、
この人と私はオトコとオンナなのだ―――――
そう思うと、無性に悲しくなるのだ――――。
情事の際に、理性が勝つことなどありえない。
悲しく思ったのは一瞬で、あとはのめりこむだけだった。集中しようとさえ思わず没頭できる。
お互いの歯列をなぞり、下を絡ませあう。
卑猥な音が聞こえるが、それは情欲をいっそう掻き立てるためだけのものとなっている。
敦子のワンピースはすでにめくれ上がり、その線の美しい足をさらけ出している。
榎木津はジーンズをはいていたが、時折触れ合う感触で、すでに勃起していることは分かっていた。
榎木津の手が、下からそっと進入してくる。
手がひざをなぞり、太腿まで上がってきたとき、敦子はこれまでに無いほど興奮した。
自分から足を強く絡ませる。
「あっちゃ」
敦子は榎木津の口を無理矢理ふさいだ。
――――榎木津に初めて優越感を抱く。
榎木津は目を見開いていた。
ささやく。
「…榎木津さん、すきです。」
鳥肌が立った。
そこに触れると、一瞬、声が上がる。嗚咽のような、ため息ともつかない声。
何度も聞いた彼女の声とは違う。
榎木津は悟られないように―――息を一つついた。
敦子のそこはもうすでに溶けそうだった。
蜜があふれ、榎木津の手に絡んでくる。
「…ふ……んぁ…」
軽くなぞると、声が漏れた。
その声は完全に女の声だった。そこにきて彼は漸く、女学生の頃の彼女とは違うことを悟った。
――――変な感覚だった。
10年以上も前から彼女を知っているのに、好きだとか抱きたいとか、そういう感情を抱いたのはつい最近だ。
10年で、女は変わるものなのだ。
もっとも、自分も、変わっているかもしれないが。大差は無いかもしれない。
どうでもいい。
乳房も揉み、その頂点をゆっくりとなぞる。
軽く立ち上がっていたふくらみを口にする。
口に含み舌でなぞると、声が高くなった。