「いや―――お願い、やめて兄さん」
ひどく苦労して―――そう、やっとのことで、敦子は言った。
「兄妹で―――血の繋がった実の兄妹で、こんなこと―――こんな怖いこと―――」
荒い息の下、掠れ掠れに漏らした言葉で、本当に止まる等とは思っていなかったが―――予想に反して、
兄は妹を嬲る手を止めた。
妹は、振り返って兄の顔を見る。やっと正気に戻ってくれたか、と。何時も不機嫌そうで、言葉は刃物の
ようで、死神のような貌をして、けれど細君や友人や―――そして妹には、表にこそ出さないが、優しい兄に。
しかし、兄は―――
いつも不機嫌そうに本を読んでばかりいる、この古本屋の主は―――
笑って、いた。
「怖いことなどないさ」
死神の、いや、悪魔の貌をした男が。
「古来多くの国作り神話に於いて、最初に男女の交わりを行うのは」
これ以上なく上機嫌に。
「兄と妹だ」
兄のこんな顔は知らない。
「例えば琉球の伝承では、世界には初め、たった二人、一組のあにいもうとしか居なかった、と言う」
こんな風に嗤う、兄など知らない。
「二人は海中で海豚が交わるのを見て、初めて性行為というものを知り」
こんな、こんな、こんな。
「そこで二人は、海豚を真似て交わった。そうして生まれたのが、あらゆる人類の祖である、と。
近親姦は、本来は怖いことでも、忌むべきことでもなかった。いや、その逆、聖なる婚姻であったのだ」
怖い、怖い、怖い、怖い。
恐怖に竦んだ敦子の体の上を、再び兄の手が動き回る。
先程の、ほんの短い行為で見付けたのか、手は的確に、的確過ぎる程に、敦子が敏感に感じる部分をなぞ
り、擦り、摘み上げる。
敦子はひどく不安定だ。
兄の豹変。与えられ続ける快感。異常な状況。その中で何事も無いように語る、兄。
「敦子、お前は逃げなかった」
「―――え?」
その言葉は、少しばかり唐突だった気もする。
「先刻、僕が琉球の伝承を話した時だ。僕は何もしていなかった。ただ、お前を膝の上に乗せていただけだ。
なのに、お前は逃げなかった」
「それは、それは―――」
性的な経験が皆無に等しい敦子は、ひたすら呆然とし、竦んでいただけに過ぎない。その気に乗じて逃げようと考えるだけの、余裕さえなかっただけのことなのだ。
無論、それが解らぬ中禅寺ではない。しかし、中禅寺は敢えて、それを指摘した。
敦子は目まぐるしく考える。
私は快楽に溺れていたのか―――
更なる快楽を求めて逃げなかったのか―――
それとも―――
そうして、悪魔は敦子の目を見ながら、言った。
「お前は、僕と同じように、心の何処かでこうなることを望んでいたんだ、敦子。
近親姦を―――聖なる婚姻を」
それは違う、と気丈にも叫ぼうとしたその刹那、敦子は熱を持った痛みに貫かれ、声も無く仰け反った。
「ほら、だからこうやって、僕を受け入れることが出来る」
兄は妹の手を取って、そっと二人の結合部に触れさせる。敦子の可憐な花弁は無残にも引き裂かれて、その中心には、凶暴な熱を持った、兄の肉棒が半ばまで埋まっている。
「あ、あっ、いやっ、兄さ―――痛いっ、痛い―――」
「おや、初めてだったのか。それは可哀想な事をしたな。もう少し時間を掛けてやれば良かった」
そう言いながら、兄は妹の中に、己をずぶずぶと埋めていく。その手は、変わらず敦子の桃色の乳首や、花弁の中の控えめな真珠を、甘やかに嬲っている。
いやだいやだいやだいやだやだいやだ。
何でこんなことになってしまっているのだろう。ただ、いつもの様に兄貴の知恵を借りに、坂の上の古本屋を訪ねただけなのに。何が悪かったというのだろう。理不尽だ。まるで悪い夢のように理不尽だ。
でも、これは夢などではない。この痛みも、この堪えようがない快感も、確かに現実の感触だ。
自分の体が変わっていくのが解る。痛みが熱に、熱が快感に―――
女になる、という言葉がある。男を知り、処女を失うことを指す言葉だ。だとしたら、自分はまさに今、女になる所なのだ、と敦子は思った。望むと望まざるに関わらず、自分は兄によって、女になって行くのだと。
快感がうねりとなってやって来る。快感に―――呑まれる。
「敦子―――出すぞ」
その言葉が、再び敦子を正気に戻した。
「やだっ、やめて兄さん! それだけはやめて! もし、もし―――」
妊娠だけは避けたかった。実の兄妹の間に生まれた子。忌み子。
兄は先程、人の祖は近親姦の子だといった―――しかし、多くの神話において、その最初の子は畸形で、生まれてすぐに流された―――生まれるべきではなかった子、ヒルコではなかったか。
「良いんだ敦子」
ほんの少し、その声は上擦っていたように思える。
「僕は、お前との間の子が欲しいんだ。お前と僕との子なら、僕は僕の役目を預けることが出来る!
聖なる婚姻の子であれば、僕の次の陰陽師を任せられる!」
その言葉が終わると同時に、兄は妹の中に、熱い生命の迸りを注ぎ込んだ。
その熱も、やはり快感に変じて―――敦子は快感と絶望の狭間で、僅かばかり、気を失った。
自分の周りにわだかまった服の塊を、裸の胸に引き寄せる気力すらなく、敦子はぼんやりと、兄を見ていた。
兄は本を読んでいる。何時もの様に、世界の滅亡が決まったのかの如き、不機嫌な顔で。
兄は、次の陰陽師を任せられる子が欲しいのだ、と言った。そして、それは敦子との間にしか生まれないのだと。
何故、兄がそう思うのかは解らない。解らないが、これから何度でも、兄は自分を抱くだろう。敦子が孕むまで、子を産むまで、何度でも、何度でも。
兄はつかれたのだ、と敦子は思う。
陰陽師で、超越者である自分に疲れ―――
疲れた末に、悪いものに憑かれてしまった。
その結果が、この凶行なのだろう。
憑物の落としに憑いたものは、誰が落とせると言うのだろう。
そう思うと、敦子は何故だか酷く―――自分の身に起きたこと以上に、酷く悲しかった。
それはもしかしたら、先程の行為で芽生えたかも知れぬ生命にのみ―――次の憑物落としになら出来ることなのかも知れないが、敦子にはそれを思う気力もなかった。
ただ、当分の間、探偵には会いたくないな、と思っていた。
終