工具楽我聞は、混乱していた。
今日は7月7日・金曜日、そして時刻は午後6時半を少し過ぎたあたり。
本日は七夕にして同時に彼の誕生日でもあり、
家では家族や同僚が彼の為にささやかなパーティーを開いてくれるとのことは事前に聞かされていた。
だから、現場が長引いて帰社の遅くなった彼を待たず、
パーティーの準備の為に先に戻った彼女が家の玄関で彼を迎えてくれること自体は、何の不思議も無い。
だが・・・
「お、おかえりなさいませ社ちょ・・・ご、御主人様!」
「・・・え、ええと・・・國生、さん?」
「は、はい、その・・・お、おた、お誕生日、おめでとうございますっ!」
「あ、ああ・・・ありがと・・・」
そこに居るのは間違いなく工具楽屋の社長秘書であり経理部長であり、
同じ高校の同級生で部活仲間でもある彼女―――國生陽菜に間違いは無い。
間違いは無いのだが・・・
「それよりも國生さん、その格好は、一体」
「え、ええと・・・その、果歩さんと、優さんが・・・この格好だと社長が喜ばれるから、と・・・」
「喜ぶ、って・・・果歩と優さんが・・・な、何考えてんだあの二人は・・・」
「あの・・・お気に召しませんか?」
「い、いや!? う、うん、に、似合ってる! 似合ってるよ、すごく!」
だが、似合っていようがいまいが・・・
「あ、ありがとうございます・・・」
「・・・でも、何でその格好なんだ? ええと、それってあれだよな、去年の学園祭のときの、ええと」
「はい、あの時の、メイド喫茶のときに作った衣装を頂いていまして、それを・・・」
まさか彼女がエプロンドレス着用で出迎えてくれるだろうなど、誰が想像できようかというものだ。
和風の家にメイドが似合わないとか、そういう細かいことを気にする我聞ではないが、
そもそもそれ以前の問題である。
「今日は社長の誕生日で、今夜はそれを祝う会ですから、
秘書としてはいつもお世話になっている感謝の意を込めて、ということで、その、あと、ええと・・・
しっかりと、その・・・ご、ご・・・ご奉仕、させて頂こうと・・・格好から、入ってみたらどうか、って、
優さん達が言われまして・・・その方が、社長もお喜びになる、と・・・」
「ご奉仕・・・って・・・」
妹と同僚の意味不明すぎるアイデアと、
それに素直に従ってしまう秘書の意図がどうにもわからない我聞であったが、とりあえず・・・
「それはともかく國生さん、その・・・御主人様、ってのは勘弁してくれ・・・」
「お気に・・・召しませんか?」
「んー、なんつーか・・・國生さんに呼ばれてる気がしなくてな・・・いつも通りでいいよ、そこは・・・」
「は、はい、では、社長、と・・・」
「ん、そうだな、その方がしっくりくるよ、ははは・・・」
どうしても気になったところだけ直してもらって、あとはもう成り行きに任せることにする。
考えたところで、果歩や優の考えていることがわかるとも思えないし、
ここは当人達に直接聞くほうがよっぽど早いだろう。
「では社長、皆様お待ちかねです、そろそろ中へ・・・」
「ああ、そうだな・・・じゃあ、行くとしようか!」
実際に我聞がいくら頭を捻ったところでこの状況の裏に仕組まれた企みに気付けるハズもなく、
故にこの時点で、我聞が既に陽菜もろともGHKの魔の手にかかりつつあることなど、
想像できるハズも無かった。
「ただいま! すまんみんな、待たせたな」
「兄ちゃんおかえりー!」
「ウム、お勤めご苦労!」
「お帰りなさいお兄ちゃん、遅かったじゃない!」
「あ、ああスマン、現場が長引いてだな・・・って、それより」
工具楽家の居間は普段に比べれば遥かに豪華に飾り付けられ、
果歩が腕を振るったのであろう沢山のご馳走がお膳の上にところ狭しと並んでいる。
普段とは様相を異にする景色ではあるが、それはまだ我聞の想像の範囲内のことである。
それよりも、やはり我聞にとって気になって仕方がないのは―――
「工具楽ぁあ! テメェ唯でさえ普段から秘書だ何だって陽菜さんをはべらせておいて、
その上で誕生日にかこつけてそんな、は、は、恥ずかしい服まで着せるなんざ・・・
今日という今日は許さんぞ―――!」
「ちょ! 待て番司! 別に侍らせてなんか・・・」
「番司さん」
場の雰囲気など完全無視、例によって直情で我聞に掴みかからんばかりの剣幕の番司だが、
二人の間に陽菜がするり、と割り込んで、
「は、陽菜さん!?」
「この服装は社長のご意思とは全く無関係に、私の意思で着用しています。
それに、会の主賓をもてなすという意味では全くの場違いとも言えないと思いますが
それを恥ずかしいとおっしゃるのでしたら、その理由を是非ともお聞かせ願いたいのですが」
ヒュゥゥゥウ―――と、冷房程度では済まされない寒風が吹き付ける。
主に番司の胸の奥に。
「い、いや、そ、それは・・・」
「気に入らないなら帰れば〜?」
凍りついたように固まった番司に、
彼曰く"恥ずかしい格好"を陽菜に勧めた張本人の一人がすかさず追い撃ちをかける。
ちなみに先程の陽菜の台詞の後半は果歩の受け売りだったりもする。
「い、いや! は、陽菜さん・・・よ、よくお似合い・・・デス・・・」
凍結一歩手前の声でなんとかそれだけ言うと、すごすごと引き下がるしかない番司であった。
「ん〜、以前はこれで泣いて逃げ帰ってたのに、
番司くん、はるるんの極寒視線にも随分耐性が付いてきたねぇ」
「・・・チッ、邪魔者の排除が出来たと思ったのに・・・」
黒幕二人の好き勝手な台詞に殺意に近い感情を抱くものの、
「まあまあ番司、オレは全然気にしてないから」
「お前なんかどうでもいいんだ―――!」
結局は我聞に八つ当たりするしかない哀れな番司なのであった。
「さあさあ、そんなのどうでもいいからそろそろはじめましょ! みんなお腹空いてるでしょう?」
「「空いてる〜!」」
そして完全にスルーされる番司の叫び。
「っく、あんのガキャあ・・・」
番司と果歩、この二人が惹かれあうようになるのは、まだまだ遠い先の話らしい・・・
ともかくそんな感じで始まった我聞の誕生祝いは、
皆でハッピーバースディを歌ったり、我聞がケーキの上の18本のろうそくを吹き消したりと、
基本的なところを押さえつつ、無難な感じで進んでゆく。
ありきたりといえばその通りだが、
主役の我聞としては家族や友人、同僚にこうして祝って貰えるだけで十分に嬉しかったし、
彼の嬉しそうな姿は場に居合わせた皆を、それぞれの思惑を超えて楽しい気分にさせてくれた。
我聞の素朴な人柄故の人徳、なのだろう。
だが・・・例えどんなに和やかな雰囲気であろうとも、
既に始まっている計画・・・現在進行形の企みが止まることはないのだ。
「社長、どうぞ」
「あぁ、サンキュ」
番司とのごたごたで果歩や優に話を聞くタイミングこそ逃してしまったが、
理由はどうあれその衣装に恥じぬ献身っぷりで我聞の為に働く陽菜の姿は、
生真面目な彼女らしいと言えば彼女らしかった。
何より今の我聞は態度にこそ滅多に出しはしないが、陽菜のことを憎からず思っているのだ。
そんな彼女に寄り添われて甲斐甲斐しく尽くされては悪い気がするハズも無く、
やや恥ずかしそうで、それでも健気な陽菜と、やはり恥ずかしそうで、だが満更でもなさそうな我聞は、
端から見れば初々しく微笑ましい、お似合いのカップルといった様相 であった。
だが・・・
「むぅぅ・・・やられたわ・・・まさかハルナがメイドのコスプレで勝負をかけてくるなんて・・・!
カホ! ユウ! これもあんたたちの差し金なの!?」
「さ〜あ、なんのことかしら〜?
さっきも陽菜さんが自分で言ってたじゃない、"私の意思で着ている"って〜♪」
「くっ、怪しいもんだわ・・・こ、こうなったら今度は私だってメイドさんになってやるんだから!
ふふふ、メイドの本場、欧州の血の流れる私のメイド姿、ひと目見て惚れ直しても知らないからねっ!」
「まぁ、既に二番煎じだがな・・・それに、桃子はどう考えても奉仕って性格じゃねーだろ・・・」
「う、うるさいキノピー! そこで私の愛溢れる奉仕の姿を見てなさい!
さ、ガモーン、私も取って、いや、食べさせてあげる〜♪」
桃子が鳥の唐揚げを箸で摘むと、それを直に我聞に向けて差し出そうとした―――その瞬間。
「ダメです」
ぴしっ、と。
陽菜が抑揚の無い、ある意味冷たい、とすら思える声で即座に言い放ち、
桃子の差し出した箸に向けて"それ以上近づけるな"と言わんばかりに掌を突きつける。
「ハ、ハルナ・・・?」
あまりに唐突で一方的な拒絶の態度に、桃子は怒るよりも唖然としてしまい、
二の句を継ぐことすら出来ずにいる。
「社長のお世話をするのは本日は私の役目です。
桃子さんは気にせず、皆さんとご談笑なさっていてください」
「あ、う・・・うん・・・」
後に続く陽菜の言葉には、普段どおりの丁寧で落ち着いた響きしかなかったが、
直前に見せた彼女の過敏な反応にただならぬものを感じたのは桃子だけでは無かった。
・・・もっとも、それを"計画通り"とほくそ笑む者も約2名程居た訳だが。
「ええと、國生さん・・・こうしてくれるのは凄くありがたいんだが、
俺にばっか構ってないで、もっと食べたり皆と話したりしたら?
國生さんには俺の方もいつも世話になってるんだ、なんかこう気を使われてばかりだと、申し訳ないし・・・」
他人の感情の機微に激しく鈍感な我聞ですら違和感を抱く程に、
今の陽菜の反応にはただならぬ雰囲気があった。
・・・とはいえ、そこは朴念仁を地で行く男である。
陽菜の様子を"不機嫌"の故と認識し、
それは即ち自分の世話にかかりきりで今日の会を楽しめていないからではないか、と早合点したのである。
だが、彼の予想は当然ながら的外れも甚だしく、これを聞いた陽菜は途端に表情を曇らせて―――
「そうですか・・・すみません、却ってお邪魔だったでしょうか・・・」
「え!? いやいやいや! 別にそんなことは全く! むしろ結構うれし・・・
い、いや、その、と、とにかく、全然邪魔とかじゃないから!」
「本当ですか!?」
またしても一転、今度は表情をぱあっと明るくさせて、
「よかった・・・ではご主人様・・・はい、どうぞ♪」
「え・・・こ、國、生・・・さん・・・?」
ついさっき桃子がやろうとしたこと―――食べ物を取り皿に取ってあげるのではなく、
お箸で直接食べさせようとする―――をしようとしているのだ。
「あ―――! ハルナずるい―――っ! それ私が先にやろうとしたのにぃ!」
「済みません桃子さん、でも折角ですから、私が代わりにということで・・・さ、社長?」
いくら鈍い我聞とて、これがどれだけ恥ずかしい行為なのかは充分にわかっている。
だが、一方の陽菜は顔を赤らめながらもその表情は真剣そのもので、
威圧感すら感じさせる上目遣いに・・・拒否することなど、出来なかった。
「じゃ、じゃあ・・・」
「はい・・・」
ぱくっ、と。
情けないくらいに顔を真っ赤にして、
やや大きめに口を開いて陽菜から差し出された唐揚げを一口で口に収める。
「きゃ〜! お兄ちゃんったら陽菜さんに食べさせてもらっちゃった!
ね! 見ました優さん!? きゃーきゃー!」
「ふはは! 見たなんてモンじゃないわよ〜?
ちゃーんと携帯で証拠画像までバッチリ収めておるわ! ほらほら!」
等とすっかり興奮して盛り上がり最高潮な二人もいれば、
「ぬぉおおおおおお! 工具楽ぁ・・・許さん、絶対に許さんぞぉおおお!」
拳を握り締めながらも陽菜がつきっきりではそれを振り上げることも出来ず、
血涙を流し男泣きする学ランがいたり、
「く・・・ふ、不覚! だが、だがまだまだよ! 今度は私が、く、口移しでガモンに・・・」
心底悔しそうにしながらも、新たなアイデアまで使われてはなるまいとあくまで小声で呟く少女がいたり、
"きっとそれも実現することないんだろうな"と悟ったような目で少女を眺めるキノコがいたりと、
もはやその場は完全なカオスと化していた。
「しゃ、社長・・・おいしかった、ですか・・・?」
「あ、ああ、うん・・・サンキュ」
「では、もうひとつ・・・」
「え!?」
既に気分的には致命傷に近いダメージを負っている我聞に、更なる追撃が襲い掛かる。
本来なら、恥ずかしくとも決して嫌なことではない筈の彼女の"奉仕"も、
このような場においては、初心な我聞にはもはや公開処刑に近いキツさしか感じられない。
だがそれでも・・・やはり恥ずかしそうにしながらも頑張っている陽菜の心を無下にすることなど出来ず、
我聞は仙術使いならではの精神力を総動員して笑顔を作り、
差し出された卵焼きをぱくり、と、さも美味しそうに口にするのであった・・・
「あ、お兄ちゃん、それ陽菜さんが作ってくれたんだよ? どう、美味しいでしょ〜!」
「あ・・・? あ、ああ、す、凄く美味いよ!」
「本当ですか!? よかった・・・では、もう一つ」
心底嬉しそうに笑顔を浮かべながら、再度卵焼きを差し出してくる陽菜。
対して我聞はやはり笑顔で応じながらも微妙に目が泳いでいたりするのだが・・・
何気なく並んでいた卵焼きの出自を知った男がせめてもの腹いせに―――
とばかりに残った卵焼きを一気にかっ込んでいたり、
触発された子供二人が彼と争うように卵焼きを奪い合っていたり、
そんな彼らに声援やら野次やらをかけている黒幕がいたり、
騒がしい周囲など完全眼中外で陽菜の手元と我聞の口元しか見ていないハーフの少女がいたりするばかりで、
誰も我聞の挙動不審な素振になど気付きはしないのだった。
「社長のお口に合うか、ちょっと心配だったのですが・・・喜んで頂けて本当によかったです!」
「はは、は・・・國生さんにここまでして貰えて、俺も嬉しいよ、はは・・・」
―――でも、ごめん國生さん・・・本当は味なんてわからないんだ・・・
極度の羞恥と緊張でもはや味覚がまともに働いてくれず、
陽菜の手料理へのせめてもの礼儀とばかりに、念入りに念入りに咀嚼する我聞であった。
そんな感じで表向きは主役優遇かつ大注目、
だが実のところ完全に置いてけぼりな混沌とした展開のまま、
大量の料理もケーキもキレイに片付いて、皆からのプレゼントも我聞へと手渡され、
簡単なゲームなどに興じ(やはりそれぞれの思惑が交錯しすぎて酷く混沌とした展開になったのだが)、
誕生祝いの会として、やるべきことはあらかた終えたところで―――
「じゃあ、時間も時間だしそろそろお開きってことにしよっか、
珠、斗馬、お皿運ぶの手伝って」
「「りょうか〜い!」」
「あ、果歩さん、私も・・・」
それまでずっと我聞につきっきりだった陽菜が、果歩に習って席を立とうとするが、
「ううん、陽菜さんには準備の方で手伝ってもらっちゃったし、いいですよ〜。
それに・・・」
当り障りの無い遠慮の言葉の後になにやら酷く思わせぶりな台詞を言いかけて、
言葉を続ける代わりに陽菜へと目配せしてから、果歩は台所へと消えてゆく。
そんな彼女を酷く真剣に見送る陽菜の様子は、一部の参加者には気になって仕方の無いものであったが・・・
「そうね〜、はるるんも我聞くんにつきっきりで、疲れちゃったでしょー?
今日も遅いし、部屋に帰ってゆっくり休んだら〜?」
「は、はい、そ・・・そうですね、では・・・」
内容的にはごく自然なやりとりのハズなのに、何故か陽菜の反応が酷くぎこちない。
ゆっくりと席を立ち、そしていかにも何か言いたそうに、座っている我聞の方にちら、ちら、と視線を送っている。
だが、当の我聞は我聞で、ある意味幸せではあったが酷く心労のたたる誕生祝いが終わり、
陽菜の献身からも解放されてぼんやりとしていたせいか、
普段なら自ら率先して行う筈の行動に出ようとしない。
その様子をじれったげに見ていた優だが、仕方なく―――
「ほらほら我聞くん!」
「・・・はい?」
「はい? じゃなくて!
あーんなに陽菜ちゃんにお世話になっておいて、このまま一人で帰しちゃうつもり〜?」
「・・・あ! そ、そうか、すまん國生さん! 送っていくよ!」
「あ、い、いえ・・・その・・・」
「・・・却って迷惑、かな?」
「い、いえ! よ、よろこんで・・・」
「な、ならば俺も陽菜さんを送ります!」
「じゃあ私もガモンに送ってもらう〜!」
これまでの展開からして、これ以上我聞と陽菜を二人きりにしてはいけない―――
と、同じ危機感を抱いた二人がそれぞれの思惑を胸に立ち上がる。
番司はそのまま我聞の前に立ち塞がるように迫り、
「いいか工具楽! これ以上テメェの好きにはさせねぇからな!
夜道で暗がりにかこつけて陽菜さんに指一本でも触れてみろ!
そんときゃ俺の超大水弾がテメェの顔面を・・・」
「「空―――愛―――」」
「なんだウルセェな! 文句あっ・・・」
いきりたつ番司が振り返ったその先には―――
「「―――台風っ!」」
珠の両足をカタパルトに、斗馬の全身をロケットに見立て、
姉弟の足腰のバネを推進力として放たれたカミカゼ的破壊兵器が既に目前に迫っており・・・
「おごぉぉぉぉおっ!?」
回避どころかガードする余裕も与えず、哀れな番司の顔面を粉砕していた。
「な・・・ちょっ・・・! お、おまえら!?」
「ば・・・っ、バンジ―――!?」
「は・・・るな、さ・・・ん・・・すみ、ま・・・せ・・・ん」
ガク、と。
場の雰囲気的に間違いなく当人には届いていないであろう台詞を残し、
静馬番司―――暁に散る。
仙術使いすら一撃で粉砕する姉弟奥義の超弩級の威力と、
哀れな犠牲者を生み出した目の前の惨劇に我聞と桃子は度肝をぬかれ、言葉が続かない。
だが、その隙に素早く行動に移った影が一つ。
「さ! 社長、今のうちです!」
「あ、ああ・・・って、えぇえ!?」
一体何が今のうちで、これから何がどうなるのか・・・
何一つ状況が掴めないまま唖然としている我聞の腕を取ると、
陽菜はおよそ彼女らしからぬ強引さで居間から駆け出そうとしている。
同じく唖然としていた桃子だが、事ここに至って正気に返り、
「ま、待ちなさいハルナっ! これ以上の抜け駆けは―――」
と、二人を追って駆け出そうとして、
ふっ、と背後から漂う殺気に思わず振り返ると、そこには・・・
早くも発射態勢に入り、次弾をぶっぱなしたくて仕方ないっぽいオーラ出しまくりな珠と、
同じく発射態勢に入りつつも既に頭に一つコブをこさえていて、
出来れば発射されたくなさそうな感じが表情からありありと覗える斗馬が控えているのだった。
「うく・・・っ!」
先程の威力、惨劇を目の当たりにしたばかりの桃子にとって、
これほどのプレッシャーは無い。
だが、そこは桃子、即座に頭を巡らせて―――
「き、キノピー! プリズムシェル展開よ!」
収束爆砕すら完全に跳ね返す桃子自慢の無敵の盾で、状況を五分に戻そうとするが・・・
「・・・キノピー!? 何やってるのよ・・・って、えぇえええ!?」
「スマン桃子・・・」
切り札であり、頼みの綱でもあった彼女お手製の友人は、
「あ、ごめ〜ん桃子ちゃん、ちょーっとメンテ始めちゃって〜、あはは〜♪」
「勝手にキノピーをバラしてるんじゃないわよっ!」
いつから始めていたのか、優によって胴体部を開けられて、なにやら色々弄られつつあるのだった。
「てーかキノピー! あんたもなに呆気なくバラされてんのよ!」
「いや、このヒトが俺の出力を3倍にしてくれるって言うもんだから、つい・・・」
「ふっふっふ、なんなら5倍でもいいわよ〜?」
「いや―――! ユウがやると小型核融合炉とか積んでついでに火器とか付けそうだからやめて―――!」
「・・・・・・ちッ」
結局、こうして桃子も二人を追うことはままならず、
その間にも陽菜と我聞は早足で玄関へと移動している。
「果歩さん、お世話になりました!」
「ちょ、ちょっと國生さんを送ってくる!」
二人が台所の前を通ったところで果歩に声をかけると、
既に食器と格闘を始めていた果歩はその声にひょい、と振り返り、
「陽菜さん、しっかり!」
泡にまみれた右手を突き出してびしっと親指を突き立てる。
陽菜もそれに応えて無言ではあるが、こくん、と力強く頷く。
「ええと・・・何?」
そして一人、完全に蚊帳の外の我聞も事ここに至り、
流石にこの二人・・・いや、恐らく優も含めた三人の間に、
何らかの企てがあるのだろうとは理解していた。
だが、その中身となると全くもって見当がつかない。
ただ・・・ "國生さんが果歩と優さんに騙されている"ということだけは、
なんとなくわかっていた。
「では社長! 行きましょう!」
「ちょ、ちょっと、こ、國生さん!?」
だが、我聞が制止する余裕も与えず、勢いを得た陽菜は彼を引きずるようにして玄関を出て行くのであった。
ここで時間を戻して、話は前日―――7月6日の午後に遡る。
授業が終ると、陽菜は最近では珍しく仕事を理由に部活を休み、事務所に顔を出していた。
確かにこの時期は四半期の締めも近づいていて、その気になれば仕事はいくらでもあるのだが・・・
この日の陽菜はなんとなくソワソワと落ち着かない様子で、あまり仕事も手についていない様子だった。
やがて・・・
「では、そろそろ会合に行ってくるわい」
「はい、暑いですから、お気を付けて」
「はっは! まだまだ暑さなんぞには負けんわ―――!」
「行ってらっしゃ〜い!」
事前に知らされていたスケジュール通りに、中之井が所用で出掛けてから間もなく・・・
「あの、優さん、ちょっとよろしいでしょうか・・・」
「んぁ・・・む? あ、な、なんだね陽菜ちゃん!?」
お目付け役の中之井がいなくなって早くも午睡モードだった優に、
二人分のコーヒーを手にした陽菜が声をかける。
「実は、優さんに相談がありまして・・・」
「相談? ふっふっふ、まかせにゃさ〜い! 優さんにかかればどんな悩みも一撃必殺!
さ〜あ、泥舟に乗ったつもりで悩みごとカモ〜ン!」
乗り気なのか寝ているのかかなり怪しげな発言に今更ながらに気後れしかけるが、
ここで"やっぱりいいです"とも言い出せず、陽菜はそのまま相談を持ち掛けることにする。
―――そこで踏み止まってさえいれば、運命は変わっていたであろうに・・・
「実は、明日の社長の誕生日のことなのですが・・・」
ギラリ、と優の眼鏡が妖しく輝く。
「ほうほう! 我聞くんがどうしたって!?」
急にいきいきとしてきた優にちょっとだけ違和感と、それ以上の期待感を得て、陽菜は先を続ける。
「はい、折角ですから何かプレゼントを用意しようかと思うのですが、
優さんは社長が欲しがっている物とか、ご存知ないかな、と思いまして・・・」
「成程・・・誕生日にプレゼント・・・これはいけるかも!」
「は、はあ・・・いける、ですか・・・?」
「あ、あははは〜! こっちの話、こっちの話!」
改めて"相談を持ち掛ける相手を間違えただろうか・・・"的な不安な表情を浮かべる陽菜だったが、
今更逃してくれる優ではない。
「そうだ! こういうことならもっと便りになるアドバイザーがいたわね〜!
今から呼ぶから、ちょいと待っててね〜♪」
「え、あの、優さん?」
当然のように依頼人無視で受話器に手を伸ばし、ぴっ、と短縮ボタンを一押し。
呼び出し音が2回と半分ほど鳴ったところで・・・
『はい、工具楽ですが』
受話器から漏れ聞こえる声は、果歩のものであった。
「もしもし、果歩ちゃん? わたし〜、優ねえさんだよ〜」
『あれ優さん、どうしたんですか?』
「実はね〜」
確かに我聞のことについて聞くなら、同じ家に住んでいる果歩はうってつけの相手と言える。
"それを即座に思い付いて、電話までかけて下さるなんて・・・"と、
優に向けて心の中で感謝と、ちょっと怪しんだ事を謝罪していた陽菜には、
微妙に顔を背けている優が言うまでもなく満面の"悪そうな笑み"を浮かべている事など、知る由も無かった。
「・・・うん、うん、じゃあよろしくっ!
このチャンスに一気に本丸を攻略よ―――!」
相変わらず陽菜には意味不明な単語の多い会話ではあったが、
ある意味それもいつも通りのことなので今更突っ込もうともしない。
ともかく優は受話器を置くと、
「というわけで果歩ちゃんも来てくれるって〜」
「はい! わざわざありがとうございます! では今のうちにお茶の用意を―――」
ガンガンガンガンガンガンガンガンガラララ―――っ!
「お、お待たせしましたあっ!」
「あ、い、いらっしゃい・・・お早いお着きで・・・」
今さっき優が受話器を置いてから、果たして何秒経過したろうか・・・
と陽菜が本気で考えてしまう程の速さでスチールの階段を踏み鳴らし、果歩が事務所に駆け込んでくる。
当然ながら汗だくでぜいぜい息を切らしている彼女の為に、
陽菜は用意しかけていたティーカップを片付けるとグラスに冷えた麦茶を注ぐのであった。
その後、とりあえず果歩が落ち着くまではそれぞれにのんびりとお茶を飲み、適当な雑談に興じていたが―――
「・・・して陽菜さん」
「は、はい」
やはりこの機会を絶対に逃すまいと全力疾走してきた果歩である。
呼吸が整って頭がクリアになったところで、早速本題を切り出す。
「お兄ちゃんに誕生日のプレゼントを贈って頂ける、とのことですが」
「あ、でも、そんな高価なものとかはムリですし、何か社長のお役に立つ物があれば、と思いまして・・・」
ふむふむ、と頷く果歩の表情は真剣そのもので、陽菜は向かい合っているだけで威圧感すら感じてしまう。
「ちなみに・・・陽菜さんは何か、こんなものがいいかな、とか考えていたものはありますか?」
「ええ、そうですね・・・とりあえず、新しい作業着とか・・・」
「・・・甘い」
遠慮がちに自分の考えを口にした陽菜に対して、果歩の辛辣な一言が降りかかる。
「あ、甘い、ですか・・・」
「確かに、作業着はお兄ちゃんが日常的に使うモノですし、今使ってるものもちょっと綻んできています。
その点を見抜いているあたり・・・流石は陽菜さんだと思います!」
「あ、ありがとうございます・・・」
「だがしかしっ!」
果歩のいやに真剣な表情と気迫に、陽菜は既に圧倒されている。
「ですがプレゼントに真心を込めるなら、
やはり・・・相手の一番欲しがっているものを選ぶのが王道!
"とりあえず"とかで妥協したプレゼントなど喜ばれはしないのですっ!」
「な・・・そ、そうなんですか・・・」
がーん、と音が聞こえそうなほどに衝撃を受ける陽菜。
はっきり言って極論もいいところだが、すっかり果歩に気圧されてそこを突っ込むだけの余裕は無い。
「ですが果歩さん、一番欲しがっているもの、といわれましても・・・予算もありますし・・・」
「まぁそうですね〜、では陽菜さん」
「は、はい?」
「もしも・・・予算的に全く問題が無くて、
陽菜さんさえその気になれば簡単に贈れる物をお兄ちゃんが欲しがっている、としたらどうします?」
「そんなものがあるのですか!? もしあるのでしたら、それを是非!」
思わず身体を乗り出すようにして答える陽菜に、
果歩と優は互いに目配せしてニヤリと笑みを浮かべる。
「・・・あの、何か・・・」
「いや〜? ただ陽菜ちゃん、我聞くんのこと本当に想っているんだなぁって、ね〜♪」
「ですよね〜! お兄ちゃんったら、幸せ者なんだから〜!」
「え、あ、あの、いえ、そんな! わ、私はあくまで秘書として・・・日頃お世話になってますから・・・」
もし、本当に"それだけ"なら、プレゼントの内容をわざわざ他人に相談したりする陽菜ではないことは、
果歩にも優にも(多大な先入観があるにせよ)よく分かっている。
だが、彼女にせよ我聞にせよ、互いに頑なにそれを表に出そうとしないのが、
GHKとしてはじれったい限りなのだ。
故に、降って湧いたこのチャンスを最大限に利用して、一気にケリをつけてしまおう、という魂胆なのである。
そして、その為の策は・・・
「うーん、それだと少し厳しいかな〜」
「え、厳しい・・・ですか」
「はい、お兄ちゃん、実は凄く欲しがっているものがあるんですが、
それをお兄ちゃんに上げられるかどうかは、陽菜さん次第なんです」
「私、次第・・・ですか、あの、一体何を・・・」
「それはですね・・・」
じいっ・・・と見つめられて、陽菜はややたじろぎつつもしっかりと果歩の目を見つめ返す。
その視線に果歩は改めて手応えを感じ、
最後に改めてちらりと優に視線を送り彼女の表情を確かめると、
身体をずい、と乗り出して、じっと陽菜を見つめて・・・
「それはずばり・・・陽菜さん、あなた自身です」
「・・・・・・・・・・・・・・・は?」
言いたいことはこれで全て、と言わんばかりにずずっと麦茶をすする果歩と、
完全に様子見モードの優。
そしてまずは呆然として、それから徐々に顔が赤らんでくる陽菜。
しばらくは誰も何も言わず、いやに緊張を孕んだ静寂が漂っていた、が・・・
「か、かかか果歩さんっ!」
その沈黙に耐えきれず、陽菜が大声を上げる。
「なんですか?」
「な、なんですかじゃありませんっ! プレゼントがわ、わたっ、私自身・・・って!
い、一体どういう意味なんですかっ!」
怒っているのと恥ずかしいのとで真っ赤になった陽菜の叫ぶような声を、
果歩はあくまでクールにやり過ごす。
「どうも何も、文字通りそのまんまですよ?」
「で、ですからそれは、具体的に・・・」
「身も心も我聞くんに捧げるってことじゃないかにゃ〜?」
「そんな・・・・・・な、何を言ってるんですかっ!
もう・・・そういう冗談はやめてください!」
武文が去り際に残していった爆弾発言以来、折を見ては"我聞×陽菜ネタ"で二人をチクチクとからかって、
その度に陽菜や我聞を赤面させてきた二人であったが、それにしても今回の陽菜の照れ具合はただ事ではなく、
"どういう意味か"等と聞きつつも、陽菜がしっかりと想像できてしまっているのはもはや疑う余地も無い。
そこを突いて、更に彼女を悶えさせるのも楽しそうだ、と優は思うのだが、
残念ながらGHKの目的はそこには無い。
「陽菜さん、一つ・・・聞いていいですか?」
「え、ええと・・・なんでしょう?」
妙に冷静な調子で年下の果歩に話し掛けられると、陽菜は一人取り乱している自分が別の意味で恥ずかしくなって、
せめて表面上だけでも落ち着いた振りをしてコーヒーなど啜ってみるが・・・
「陽菜さんは、お兄ちゃんのこと好きですか?」
「・・・げほごほごほっ!?」
あんまりなくらいに直球の問いかけに、コーヒーは意図に反して気管へと導かれ、
陽菜らしからぬ無様さで咳き込んでしまう。
「・・・はぁ、はぁ・・・な、何をいきなりおっしゃるんですかっ!」
いろんな意味で照れ隠しに思わず大声を出してしまうが、
対して果歩の表情は真剣そのもの。
実は笑いを堪えてプルプル震えているが、完全に動揺しきっている陽菜がそんなことに気付けるハズも無く、
落ち着いている(ように見える)果歩の様子に気圧されてしまい、健気にも真面目な返答をひねり出し・・・
「そ、その・・・き、嫌いではありませんが・・・でも、好きって言いましても、
人物として、であって、その、ええと・・・恋愛とか、そういう意味では、まだ、べ、別に・・・」
しどろもどろになりながら、なんとか返答する。
その予想通りの答えに、果歩は内心でシナリオ通りの展開にニヤリとしながらも、
あくまで表情は真剣さを保ったまま・・・この策の核心へと陽菜を引きずり込むための、
切り札となる台詞を口にする。
「お兄ちゃんは、陽菜さんのこと・・・好きですよ?」
「・・・・・・・・・え・・・」
ごにょごにょと返答を続けていた陽菜は、その果歩の一言で再び絶句する。
「もちろん、秘書としてとか、友人として、というのもありますが・・・
間違いなく、お兄ちゃんは陽菜さんのことを異性として、女性として好きになっています」
「・・・・・・・・・」
陽菜は唖然としたまま、何も言えずただただ果歩の言葉を聞くのみ。
それも、端から見たら人の声が耳に入っているかすら怪しいくらいに、真っ赤になって、硬直しながら。
「私、聞いちゃったんです・・・お兄ちゃんの寝言」
「ね・・・ねご・・・と?」
「はい・・・"國生さん、國生さん"って、何度も繰り返してるんです、ここ最近、いつも・・・」
「う・・・ぁ・・・ぅ・・・」
それはつまり、夢に見るほどに、我聞が自分のことを想っている、ということで・・・
そう思うと、ただでさえ真っ赤な陽菜の頬が、更に赤く染まってゆく。
・・・ちなみに、この話自体がそもそも、というか当然というか―――完全に果歩の捏造なのだが、
陽菜は既にそんなことを見抜けるような精神状態ではない。
「でも、お兄ちゃんはあの性格ですから・・・
お兄ちゃんが社長で陽菜さんが秘書である限り、
そのことを陽菜さんには伝えようとしないと思うんです」
陽菜の茹った頭でも、それはなんとなく想像できる。
確かに"俺は社長だから""社長が社員に手を出すなんて"等と、いかにも我聞が言いそうな台詞である。
「そんな訳で陽菜さん! ここはひとつ、陽菜さんからお兄ちゃんに一発、びしっと!」
「え、ええと・・・それは、つまり・・・」
「サクっとコクっちゃってくださいっ!」
「おことわりしますっ!」
ここぞとばかりに身を乗り出してきた果歩に対し、
ここは流石に陽菜もカウンター気味に身を乗り出して即答する。
「・・・陽菜さん、お兄ちゃんのこと・・・嫌いなんですか?」
「そ、そういう訳じゃありません!
た、ただ、その、す、好きとか、嫌いとか、そういう以前に、その・・・そういうことは、やっぱり・・・
ひ、人に言われたからするものじゃ、ないですし・・・
ちゃんと、もっと時間をかけて、自分で考えてから・・・」
真っ赤な顔でごにょごにょと、本来の彼女らしからぬ歯切れの悪さで言い逃れするように理由を述べる陽菜だが、
GHKの二悪人がここまで感情を露わにした陽菜をみすみす逃す訳が無い。
「時間・・・ねぇ・・・陽菜ちゃん、そんな時間があると、思ってるの?」
「ど・・・どういう、ことですか?」
「確かに時間をかけても、陽菜ちゃんは心変わりしないかもしれないけど、
我聞くんは・・・果たしてどうかにゃ〜?」
「え・・・・・・」
「我聞くんのことを意識している女の子は、はるるんだけじゃない、ってことさ〜♪」
さも楽しそうに話す優とは逆に、陽菜の真っ赤な顔はひくっと引き攣り少しだけ色を失う。
「あ・・・い、いえ、べ、べつに! 私は、そんな社長のことを、意識なんて・・・」
「あ、そうだったっけ、あはは〜♪
まぁでも一応最後まで言っておくと、何せ我聞くんは意中のはるるんに告白できなくて悶々としてるからね〜、
そんな状態が長く続いて、そのときに別の女の子から執拗にアタックされちゃったら、
どう転ぶかわからないにゃ〜♪ っと、そういうコ・ト!」
「そ、それは・・・で・・・ですが、それは・・・あ、あくまで・・・社長の意思の問題ですから・・・」
真っ赤だった顔色はすっかり醒めて、ぼそぼそと喋る口調は羞恥からではなく、
明らかに不安に苛まれている陽菜の内面を浮き彫りにしている。
「ん〜、そうだね〜、あくまで我聞くんと、それと陽菜ちゃんの意思の問題だからね、
まぁあとは陽菜ちゃんの気持ち次第だけど、もし―――」
と、その時。
がらららっ。
「お疲れ様でーす! お、果歩も来てるのか」
「おじゃましまーすっ! あ、ほんとだ、こんなとこで何してんのよ、カホ」
「む! あんたこそなんでお兄ちゃんと一緒なのよ!」
いつの間にか時刻は午後5時に迫っていて、部活を切り上げた我聞が出社してきたのだが、
何故か桃子も一緒にやってきたのだ。
・・・GHKとしては、嬉しい誤算と言える訳だが。
「べつに〜? たまたまそこで一緒になっただけよ、ね、ガモン?」
「ああ、丁度そこで会ってな。
國生さん、部活休まなきゃならないくらい仕事あったみたいだし、
何か桃子に手伝ってもらえることがあればと思ったんだが、どうだろう?」
「お〜! 流石お兄ちゃん、陽菜さんのことにはよく気が回るわね〜♪」
「な、べ、別に俺は社長として國生さんの仕事が大変だなと思ってだな! ・・・って、國生さん?」
自分を名指しされているにも関わらず、陽菜の反応が無い。
―――何せ、自分のことを夜な夜な夢に見ている(と吹き込まれただけなのだが)我聞が現れ、
そして・・・
"我聞くんのことを意識している女の子は、はるるんだけじゃない"
という言葉と、今、彼の横にいる整った顔立ちの、酷く彼に懐いた少女。
そういう状況が一度に押し寄せて、陽菜は完全に混乱してほとんどフリーズ状態だったのだ。
だが、そんな事情など知る由もなく、空気を読むことが致命的に苦手な朴念仁は当然ながら・・・
「なぁ國生さん、大丈夫か?」
「へ・・・あ、ひゃ!? しゃ、社長!?」
「うぉ!?」
声をかけられたな、と気付いたときには顔を覗き込まれていて、
陽菜は思わず奇声を上げて椅子を倒しながら後ずさってしまう。
「だ、大丈夫か國生さん・・・体調とか、悪いんなら休んだ方が・・・」
「い、いいいいいえ! だいじょうぶです! へいきですっ!
あ、と、桃子さんのお仕事ですね、はい、大丈夫です、探しますから!」
「あ、ああ・・・」
あまりにあからさまに様子がおかしいのだが、
ここまででは無いにせよ最近は時々こういうことがあり、
こういう時にあまり突っ込むとひっくり返されてしまうことは経験則として我聞も身をもって知っているので、
これ以上の口出しはしないのであった。
「で、では・・・」
倒してしまった椅子を直し、お茶をしていたテーブルから自分のデスクへ戻ろうとした陽菜に向けて、
「あくまで陽菜ちゃんの気持ち次第だけど・・・」
先程の続きなのか、優が陽菜にだけ聞こえるような小声で呟く。
「もし、我聞くんを他の子に取られたくない、すぐにでも自分のモノにしたいって思うなら、
今夜私の部屋に来るといいよ〜? お姉さんが我聞くんを虜にする方法、教えてあ・げ・る♪」
「・・・・・・」
やや俯き加減で何も言わずデスクに戻る陽菜を、優はニヤニヤと笑みを浮かべて見送るのだった。
「ガモーン!」
「おう、なんだ桃子・・・」
「ガモン、ちょっとこれねー」
「ん―――?」
桃子の高い、よく通る声が何度も我聞のことを呼ぶ。
それは彼女が工具楽屋に手伝いに、もしくは遊びに来ているときには別段珍しいことではない。
桃子はなんだかんだで果歩や他の我聞の弟妹達とも仲良くやっているし、
我聞としては新しい妹くらいの感じで接しているんだとばかり思っていたから、
陽菜もそんな気持ちで彼女と接していた。
「ガーモーンっ! これちょっと!」
「なんだ、おかしいか?」
だから、桃子も我聞のことをきっと兄のように慕っているのだろう、と思っていた。
いや、本当にそのとおりなのかもしれない。
優の言葉さえ真に受けなければ、あんな先入観さえ無ければ、そう見る方が普通だろう、と陽菜も思う。
なのに・・・
「ねぇガモン、ちょっとー」
「あー、今行く!」
「・・・もー、相変わらず桃子は口を開けば"ガモンガモン"なんだから・・・」
「まぁ、今に始まったことじゃないしね〜
・・・それよりも果歩ちゃん、気付いてるかね?」
そんな我聞と桃子とも、そして陽菜とも離れたところで、
GHKの二悪人は相変わらず頭を付き合わせたまま小声で会話を続けている。
状況が状況だけに陽菜からも仕事しろ、等と言われず、野放しの優はやりたい放題なのだ。
「うふふふふ・・・勿論ですよ優さん!
あの、いつもいつもいつも! ジェラシーのジェの字も感じさせなかったのほほーんな陽菜さんが!」
「うんうんうん! 纏ってるねぇ・・・ジェラシーオーラを纏いまくりだねぇ!」
と、その時。
がたんっ! っと。
唐突に・・・その場に居合わせた皆がびくっとするくらいに大きな音を立てて、陽菜が席を立つ。
「・・・ゆ、優さん・・・もしかして、今の聞こえちゃったでしょうか!?」
「い、いや、いくらはるるんでも、流石にこの小声でこの距離なら聞こえないと思うけど・・・!」
「で、でもこっち来てますよ! 負のオーラ纏ったままで!」
「い、いやとにかく、ここは知らない素振で!」
何を喋っているかは聞き取れなくとも、あからさまに怪しげな密談をしているのは丸わかりなのはともかくとして、
無害な雑談を装う二人に向かい、陽菜はつかつかと歩み寄り・・・
「・・・優さん」
「は、はい!? な、なにかにゃー!?」
「今夜・・・お部屋にお伺いさせて頂きますね」
それだけ、立ち止まることなくぼそりと小声で言うと、陽菜は二人の脇を抜けてそのまま洗面所へと入っていった。
「優さん・・・これは・・・!」
「ふ、ふふふふふ・・・陽菜ちゃん・・・目覚めた様ね・・・ならば!
この優姉さんの全力をもって! オトコをモノにするノウハウを叩き込んであげようじゃないか、ふははははっ!」
この瞬間、陽菜はGHKの網に完全に絡め取られたのであった。