2月14日。早朝。
「ふははははははーっ」
無人の教室内で意味もなく笑い、無駄にテンションの高い男が1人いた
そして、男が笑い出した瞬間にその教室の扉が開いた
「……なんだ、いきなりテンションが高いな」
「おう、中村か。今日は何の日か知っているか!?」
テンションMAXでそう言うのは佐々木、慣れている中村でも少しひいてしまうぐらいの勢いがあった
「何の日……バレンタインのことか?」
「そう! バレンタインだ!」
成る程、それでこれ程テンションが上がっているのか
いや、わかってはいたのだが、ここまで上がるには何かあるに違いない
「……もう貰える予定でもあるのか」
それしかあるまい……ふぅとため息を吐きながら、中村は佐々木に訊いた
それ以外、佐々木のテンションが上がる理由はない
「いや、まだ無い」
中村が次の言葉を発するのを遮り、佐々木は続けて宣言した
「今年こそっ、國生さんからチョコを貰うのだっ!」
佐々木の背後からゴウッと炎が燃え上がった、中村は既に呆れてものも言えない状態だ
「……去年も似たようなことを言ってなかったか?」
「去年は去年。今年は今年っ!」
ずびしっと佐々木が中村を指差しそう言うが、中村はもう話を聞いていない
ただ一言「まぁ頑張れ」と言うと、佐々木は「おう」と返し、更にテンションを上げていく
望みは無いに等しいというのに、ここまで確信的に燃え上がる佐々木に漢を見た
それから次々にクラスメイトが、天野や住が登校してきて、中村と同じ様に佐々木のテンションの高さにひいた
「なに? 何なの、あいつ」
「國生さんから今年こそチョコを貰うんだと」
「へー、まだ諦めてなかったんだ」
住がポンッと天野の肩を叩き、「頑張りなよ」と言った
「なっ、あたしは別にあいつにチョコなんて……!」
「はいはい。あ、中村くん、これ」
住が鞄から小さな箱を取り出し、中村に手渡した
「お、サンキュな」
「えへへへ、今更かもしれないけど」
住と中村の仲は既に校内でも公認であり、その為、今年は義理チョコを持ってきていないそうだ
去年はちゃっかりと貰っていた佐々木だが、2人が公認の仲になった時点で今年は既に諦めている
「そういや、我聞くん達遅いねー」
佐々木と時計を見ながら、住がそう言った
もうすぐ始業のチャイムが鳴るが、我聞と陽菜はまだ登校してきていないようだ
「また急ぎの仕事でも入ったんだろ」
「なにぃ!?」
佐々木ががたんばたんと椅子や机を押し退け、中村を問いつめるが、あくまで想像のことだ
しかし、2人が揃って遅れるとなれば、それぐらいしか考えられない
「ぬぬ〜」
「残念だったわね」
天野はどこか嬉しそうに佐々木に声をかけるが、彼のテンションはまだ下がってはいなかった
「いやっ、まだ昼休みが! 放課後がある! 下駄箱だって確認してない!」
「おいおい……」
もはや佐々木には誰の声も届かないであろう
3人は諦めて、始業のチャイムと同時に先生に叱られる前に席に着いたのだった
・・・・・・
我聞と陽菜の2人はやはりその日の授業には出てこなかった
いや、正確に言えば6時間目が始まる頃に我聞はようやく自教室に顔を出した
とりあえず出席日数の為というより、部活動の為に登校してきたとしか思えない
我聞の姿を確認し、佐々木のテンションは更に上がった
もう授業が始まるというのに、佐々木は席を立って我聞を問いつめた
「おいっ、仕事は!? 國生さんは!?」
「え、あ……今日の分は終わったから、多分、部活には来ると思うけど」
「多分!? 多分じゃ駄目なんだ!」
いつもより凄みを増した佐々木の剣幕に押され、我聞は困惑している
中村達は遠巻きに、巻き添えを食っている我聞に同情した
そして迎えた放課後
佐々木は光速を越え、卓球部室へと向かった
終業と共に飛び込んだのだから、まだ誰もいない
そわそわと落ち着かず、熊のように部室内をうろうろと歩き回っている
やがて中村達が顔を出し、その後に我聞と陽菜が現れた
「こっくしょうさぁ〜〜〜んっ!!」
早速行動に出た佐々木が、陽菜の前に立ち、手を差しだした
「……あの、何か?」
「今日が何の日か知っていますよね?」
あくまで紳士を装い、佐々木はそう訊ねた
陽菜はいつもと変わらぬ表情のまま、戸惑いすら見せなかった
「おい、佐々木……」
中村がいい加減にその目に余る行為を止めようとした時だった
「ああ。良かったら、これ……」
そう言って、陽菜ががさごそと鞄の中を探っている
佐々木も、止めようとした中村も、部室内にいる皆の動きが止まった
その行動に、いやに胸の鼓動が……佐々木のテンションとボルテージが底無しに上がってしまう
「どうぞ」
陽菜がスッと佐々木の眼前にそれを差しだした
佐々木の視界が涙で曇る、とうとう……ついに……ようやく……
ごしごしと感涙を袖で拭い、陽菜からそれを受け取ろうとつかみかかった
そして、佐々木の動きが止まった
感涙を拭った目で見えたそれは確かにチョコだった
しかし、大箱入りの粒チョコ。
更にその上には熨斗紙が、達筆な筆文字で『卓球部の皆様へ』と書かれていた
佐々木は崩れ落ちた
「お、國生さんそれは?」
我聞の言葉に、崩れ落ちた佐々木を見ながら陽菜が言った
「いえ、折角ですので、皆さんでと思ったのですが……」
「るなっち、あたし達も貰って良い?」
天野の言葉に陽菜がどうぞと言い、わいわいと皆が端からチョコをつまんでいく
佐々木は未だにショックから立ち直れないようで、燃え尽きたそれは灰へと変化しつつあった
「(違う、違うんだ……)」
確かに國生さんからのチョコレートには変わりはない、貰えなかった去年とは大違いだ
しかし、そんなお歳暮みたいなひとくくりのチョコじゃなくて……チロルでもいいから個別に……
「(……終わった)」
佐々木次郎17歳、去年に続き今年もあえなく撃沈
・・・・・・
ようやく佐々木が灰から人へ戻った頃には、陽菜からのチョコは全て皆の胃の中に消えていた
二重にショックだった、その事実を知った瞬間の彼は廃人に等しかった
「……ああ、俺は明日から何を希望に生きていけば……」
とぼとぼと下駄箱へ向かう、もう夕闇が辺りを包んでいる
チョコを1つも残してはくれなかった薄情な皆は、佐々木を置いてとっくに帰宅したようだ
1人ぼっちの校内、佐々木は自嘲気味に笑った
かたんと下駄箱の扉を開け、靴を取り出そうとした時だった
何か靴以外の、変な感触があった
もしやと思い、暗い下駄箱の中を覗いて見た
「…………」
もう一度手を入れ、それを取り出した
雑なラッピングをされた、小さな箱が1つだけ入っていた
佐々木は堪らず中を開けてみると、紛れもない手作りチョコが入っていた
何故すぐに手作りとわかったのかといえば、あまりにも形状が崩れていたからだ
こんな状態の商品はまず売っていない、『手作り風チョコ』としては売れそうではあるが
「だ、誰だ……?」
辺りを思わず見渡してみるが、周りには誰もいる気配がない
箱にもラッピングにもチョコにも、どこにもメッセージも名前も残されていない
「……なんかやばそーだな」
もしかしたら毒入りかもしれない、一瞬食べるのをやめようかと佐々木は迷った
しかし、これを食べずに漢を語れようか
否。
詳細不明のチョコを、佐々木は勇気を持ってそれをひとつ口に入れた
もぐもぐごっくんと飲み込んでみたが、なんてことはなかった
ただのチョコレートだ、しかもなかなかいけるではないか
もうひとつ口に入れてみた、1粒食べるごとに身体中に元気が満ちてくるようだ
佐々木はがつがつとそれを食べ、あっという間に空になった箱をもう一度見つめた
「…………」
結局、誰からの贈り物だったのだろう
佐々木は首を傾げた、心当たりのある人物がいないのだ
本当なら國生さんからのものだと思いたいのだが、彼女はこんなに不器用ではないと勝手に決め込んでいる
「……。まぁいいか」
名前もメッセージも残していないのだ、きっと何か事情があるに違いない
それにもしかしたら、ホワイトデーまでに名乗り出てくれるかもしれないではないか
佐々木は上機嫌で玄関を、校内を出た
「ありがとな」
空になった箱を夜空にかざし見て、佐々木はそう呟いた
きっと相手に届くに違いない、そう思いながら