第一研より帰還して、一週間程経ったある日の朝のこと。  
 
「・・・で、ですね、社長に教えて頂いた肉じゃがを作ったんですけど、父も喜んでくれて、  
 “以前より格段に料理が上手くなったな”って誉めてもらえたんです。  
 これも社長のお陰です!」  
「そうか、よかったなー! おっちゃんもさぞかし喜んでたろ?」  
「はい!」  
 
父親が戻って以来、陽菜の話題には父親のことが多くなり、  
この朝も、通学中の二人の会話はそのことに終止していた。  
些細なことでも本当に嬉しそうに話す陽菜に、我聞も笑顔で応える。  
特に今日の陽菜のはしゃぎ様は、我聞も驚くくらいで、  
料理を誉められたのがそんなに嬉しかったのかな―――などと思いながら、  
隣を歩く彼女を微笑ましく見るのだった。  
 
我聞にしても父が生きて戻ったのは嬉しかったし、  
父を連れて第一研から帰還したときの果歩達の喜びようを見た時は、目頭が熱くなったほどだ。  
だから、家族同様の陽菜が5年ぶりに自分の元に帰ってきてくれた父との生活を満ち足りた表情で語るのも、  
聞いているだけで自分まで幸せな気分になるようだった。  
 
「お、るなっち! くぐっち! おっはよー!」  
「こっくしょうさっはーん! おはようございまっす!」  
「あ! 皆さん、おはようございます!」  
「おーっす!」  
 
途上で卓球部の面々と合流すると、我聞は男子同士、陽菜は女子同士で、  
それぞれ取り留めの無い会話をしながら学校を目指す。  
 
「なぁ我聞、この前の出張からこっち、國生の雰囲気が変わったな」  
「國生さん、明るくなったよな・・・我聞! 休んでる間に何があった!」  
「あれ、言わなかったっけ? 國生さん、親父さんが久しぶりに帰ってきたんだ」  
「それは聞いたんだが、それにしてもあそこまで喜ぶとは・・・随分長いこと離れていたんだな」  
「あ―――そうだな、何せ長期の出張だったからな・・・」  
 
陽菜の家族のことについては、天野や住が話題を振ったことはあるのだが、  
本人があまり語りたがらないのを見て誰もそれ以上追及しなかった。  
その為、“父が長期出張から戻った”と言えば誰もがそう思ったし、  
流石に“父は飛行機事故で死亡したと思ったら実は生きていて、その上記憶まで奪われて連絡も取れなかった”、  
等と言った所で誰も信じないどころか正気を疑われかねない。  
それに、一応は隠密である本業に触れる部分でもあるので、  
陽菜と我聞で“そういうことにしよう”と示し合わせた訳である。  
 
「それにしても、お前のところだって親父さん、帰ってきたんだろ?」  
「ん、ああ、全く心配かけやがってな〜!」  
 
こちらの方は我聞が社長を継ぐ経緯を皆に説明したときに、  
父親が行方不明になったと言ってしまったので(当時の陽菜の表現を借りるなら“口を滑らせた”訳だが)、  
そのまま答えるしか無い訳だが、我聞のことを良く知る者としては、  
“この息子にしてそんな親もアリか”という感じでそういう突飛な状況を飲み込んでくれたらしい。  
 
「・・・それで、それがどうかしたのか?」  
「いや、お前はあまり変わらんな、と思ってな」  
「そうか? まあ、どうせすぐ帰ってくると思ってたからな」  
「そういうもんか・・・まあいいが」  
 
実際、しばらく以前から生きていることは分かっていたし、  
第一研ではある意味憧れてもいた父と肩を並べて仕事をすることも出来た。  
それに、父の帰還を喜ぶ妹や弟を見ているとそれだけで嬉しくて、気持ちが満たされるのだった。  
 
その後は、本当に取り留めの無い話題に戻り、  
予鈴を聞いて少し急ぎ足になって玄関に向かう。  
生徒たちでごった返す階段を上り、2年5組の教室の前で  
 
「では社長、また昼休みにスケジュールの確認にお伺いしますね!」  
「ああ、宜しく頼むよ! じゃあまた後で!」  
 
ひとりクラスの違う陽菜とここで別れて、我聞達は教室へと入る。  
慌しくクラスメイト達と挨拶を交わしながら自分の席について、周囲を見回していると、  
思わず小さなため息が漏れてしまう。  
 
「平和、だな・・・」  
「ん、我聞、何か言ったか?」  
「え? あ、いや、何でもないぞ!?」  
 
普段どおりの笑顔で応えて、普段どおりにホームルームを待つ。  
待ちながら、しみじみと思う―――帰って来たんだな、と。  
あの、文字通り命がけの戦いが現実にあったものとは思えない程の、平和な日々。  
父親と、陽菜の父と、そして辻原が生きて帰って来た。  
真芝は会長が逮捕され、事実上壊滅と言って良い。  
今回の仕事は依頼を受注したものではなかったが、それでも大変な成果をあげたということで、  
内調から破格の報酬が出て、トラックの修理代まで含めてもなんとか黒字になるそうだ。  
とにかく、そんな訳で文句無しに全てが上手くまとまってしまった感じだった。  
 
(これで、國生さんとの時間が取れれば、本当に言うことないんだけど、な・・・)  
 
ついつい本音が浮かんでしまい、苦笑が漏れる。  
これまでは陽菜が家に来たり、自分から陽菜の部屋へ行ったりと、周囲の気遣い(というより企み)もあり、  
二人の時間はいくらでも作ることができた。  
だが、流石に互いの父親が帰ってきてしまうと、そうも行かない訳で・・・  
 
(ま、おっちゃんが帰って来てから國生さんは本当に嬉しそうだし、しばらくはこのままでもいいか・・・)  
 
自分とのことで時間を割かせるよりも、  
今は5年もの間、失われてしまっていた父娘の時間を過ごす方が陽菜としても幸せかもしれないしな、  
と自分に言い聞かせるのだった。  
 
そして、時間は進んで昼休み。  
2年5組の面々が弁当を食べたり雑談に興じているところに、  
 
「失礼します、2年6組、國生です。 工具楽はいますか?」  
 
と、いつものように陽菜が入ってくる。  
流石に毎日のように続いていることなので、クラスの女子が  
 
『そんなに堅苦しい挨拶なんかしないでもいいのにー』  
 
なんて声をかけてくれたりもしたのだが、最初の頃は  
 
『いえ、これも礼儀ですから』  
 
と愛想の欠片もなく返すものだから、彼女のことをあまり良く思わない者も居たようだった。  
だが、二学期になってみると陽菜は格段に愛想が良くなっていて、  
卓球部の連中と楽しそうに挨拶、談笑までするようになっていた。  
それはちょっとした驚きだったが、親しみやすくなった彼女をクラスとしても受け入れる雰囲気になり、  
今ではすっかり昼休みの恒例行事といった感じだ。  
ちなみに、そのあまりの変わりように“あの國生に夏休み中、何があったのか”について、  
しばらくの間、2年5組で密かに話題になったものであった。  
それはともかく・・・  
 
「こっくしょうさっはーん! ようこそいらっしゃいました!」  
「よう」  
「失礼します、ところで社長は・・・?」  
「ああ、体育かなんかの委員ってことで呼び出されてたぞ?」  
「委員、ですか・・・」  
 
そういえばそんな仕事も引き受けられていましたっけ、と少し呆れたような苦笑を浮かべていると―――  
 
「ただいまー、っておお、國生さん! 悪い、待たせちゃったかな?」  
「あ、社長、丁度今来たところすが・・・また委員のお仕事ですか?」  
「ああ、先週の出張中に体育倉庫の備品チェックをする当番が当たってたらしくてな、  
 急いでやってくれって・・・とりあえず今日も仕事は入ってないだろうし、放課後にでもやってくるよ」  
「あ、はい、そうですね・・・恐らく今週中は仕事は入らないと思いますから・・・」  
 
なにせ第一研に行くに当たり、どれだけの期間を要するかは全くの未知数であった為、  
予定が組めないということでしばらくの間、解体の仕事は全く入れておらず、  
本業の方もトラックが修理中のせいで引き受けられる依頼はかなり限られてしまう。  
従って現在の工具楽屋は開店休業状態、週が明ければ解体業は再開だが、  
今週中は第一研関連の残務処理がそこそこに残っている程度だった。  
 
「そんな訳で、俺は今日は部活休むからさ、部長に宜しく伝えといてくれないか?」  
「あ、はい・・・あの、よかったら私も手伝いましょうか?」  
「なにぃ! 國生さんが手伝うなら俺だって!」  
「あ、あの、佐々木さんは・・・」  
「ああ、いや、いいよ、俺ひとりで十分な仕事だからな」  
「そうですか・・・では、また放課後に社の方と連絡を取って、事務処理の方に問題がないようでしたら、  
 私は部活の方に参加させて頂きますが・・・  
 社長、手間がかかるようでしたら、遠慮なさらずに仰ってくださいね?」  
「ああ、その時はそうさせて貰うよ、サンキュ!」  
 
そう言って残り僅かとなった昼休みでなんとか腹を満たすべく弁当をがっつき始める我聞に対し、  
陽菜は微笑を浮かべながら、失礼します、とぺこりと頭を下げて退室して行った。  
 
 
気だるい午後の授業を午睡に費やして、6限目の終了を告げるチャイムを目覚まし代わりに席を立つと、  
我聞は部活に向かうクラスメイト達と途中で別れ、職員室で鍵を借りて体育倉庫へと向かう。  
本来なら気兼ねなく部活に参加できる時間をこのような雑務で消費されることは残念でならないが、  
 
「まあ、引き受けてしまったことだ、仕方あるまい・・・!」  
 
相変わらず、頼られた以上は絶対に投げ出さない男である。  
そんな訳でチェックリストを片手に片っ端から数を数えて行く訳だが・・・  
とりあえず一時間程経過したのだが、数えても数えても全然進んだ気がしない。  
 
「・・・そーいや、前の時は佐々木と部長と三人でやったんだっけ、コレ」  
 
そして結局は國生さんが気を利かせて既に終わらせてくれていたんだっけ、  
と、思い出して苦笑する。  
あの頃の國生さんは今以上にキツかったよなぁ、とかついつい思い出しているうちに、  
我聞の背後から、がらららら・・・、と扉の開く音がする。  
 
「あー悪い、今、備品のチェック中だから貸し出しできな・・・って、國生さん!?」  
「お疲れ様です社長、一息入れませんか?」  
 
やってきたのは、二本の缶コーヒーを手にした陽菜だった。  
そんな陽菜を、思わずまじまじと見つめてしまう我聞に、  
 
「社長、どうされました? 私の顔に何か・・・?」  
「あーいや、丁度さ、國生さんのこと考えてたときに現れたものだから」  
 
「・・・え」  
 
途端、陽菜の顔が赤く染まる。  
それから一呼吸遅れて我聞も自分の発言について理解が追いついて、陽菜同様に赤くなってしまうが・・・  
 
「あ、いや別に! そ、そういう訳じゃ・・・と、とにかく、折角来てくれたんだし、その辺に座ろうか!」  
 
我聞があたふたしながら丸められたマットに腰を降ろすと、  
陽菜もそれにならって隣に腰掛けて、  
 
「・・・どうぞ」  
「ああ、ありがと・・・」  
 
しばらく互いに沈黙したまま・・・かきょっ、と少し間の抜けた音だけが狭い室内に二度、響く。  
 
「・・・あの、社長」  
「ん、なんだ國生さん?」  
 
まだうっすら頬の赤い陽菜に顔を向けられて、  
我聞は動揺を隠しています、と言わんばかりの表情で応じる。  
 
「さっき、私のことを考えていたって、  
 一体どんなことを考えていらしたんですか?」  
「あ、いやその、別に・・・前にこの仕事した時は、  
 國生さんが片付けてくれちゃってたんだよなぁ、って・・・それだけなんだけどね」  
 
それを聞いて陽菜は、なぁんだ、といった風に笑う。  
 
「よく考えると、そんな慌てるようなことじゃないんだよなぁ」  
 
あはは、と我聞もつられて笑い、陽菜のくれたコーヒーを口にする。  
冷えきった倉庫での作業だったので、温もりの有難さに思わずため息がこぼれる。  
 
「ふうっ・・・ いや、助かったよ。  
 仕事は進まないわ、寒いわで、ちょっと参ってたところなんだ」  
 
陽菜は微笑んで自らもコーヒーをすすり、同じようにため息を吐いてから、  
 
「そんなことだろうと思って、覗きに来た次第ですよ」  
 
言って、くすっと笑う。  
 
「第一研の疲れだって完全には癒えて無いでしょうし、社長に風邪などひかれては困りますからね」  
「なるほど、さすが國生さん、秘書業務にぬかりなし、かな」  
 
あはは、と笑う我聞に陽菜も調子を揃えるようにくすくすと笑うが、少し間を置いて、  
 
「・・・まあ、それはここへ来た理由の半分だけ、なんですけどね」  
「ふむ・・・? じゃあ、残り半分は一体・・・」  
 
本当に分からない、といった表情を向けてくる我聞に、ちょっとだけ呆れたように頬を膨らませてから、  
気を取り直したように苦笑して、  
 
「こうしたかったから、ではいけませんか?」  
 
と、我聞にぴたっと寄り添って、身体を預けるようにもたれかかる。  
我聞は一瞬だけ驚いたように身体を硬直させるが、すぐに力を抜くとそのまま無言で陽菜の行為を受け入れた。  
思えば、こうして二人きりの時間を過ごすのは第一研前夜以来のことで、  
半身に感じる互いの体温がたまらなく温かい。  
 
「なんだか・・・こうして二人になるの、久々だな・・・」  
「はい・・・」  
 
そしてまた、しばし沈黙―――言葉のいらない、親密な空気。  
すっ・・・と、陽菜の手が我聞の身体に触れる。  
右肩より少し下の、そこは・・・  
 
「・・・國生さん?」  
「傷は、もう平気ですか?」  
「ん? ああ、撃たれたところか、それなら最後の暴走の時にほとんど治っちゃったみたいでね、  
 傷跡はまだ残ってるけど痛みはないし、もう開いたりもしないんじゃないかな」  
「そうですか・・・」  
 
本当に何でも無さそうに笑って答える我聞だが、  
 
「・・・どうした國生さん、本当に心配いらないぞ?」  
「社長がこの傷を負われたとき・・・血が流れて止まらないのを見たとき・・・怖かったです」  
「國生・・・さん?」  
「お父さんを助けてくれたあと、倒れられて・・・いくら呼びかけても、答えてくれなくて・・・  
 震えが、止まらなかった・・・」  
「・・・・・・」  
「もう、二度と目覚めてくれなかったら・・・動いてくれなかったら・・・  
 話し掛けてくれなかったら・・・笑いかけてくれなかったら・・・どうしようって・・・!」  
 
陽菜の声は、震えていた。  
傷の位置に手を置いたまま頭を我聞の胸に押し当てて、  
縋りつくようにしているその身体もまた、小さく震えていた。  
二人になれなくて言いたくても言えなかった事が、今になって当時の感情と共に溢れ出したのか、  
それとも何か理由があるのか・・・  
陽菜のあまりに突然の変わり様に、我聞はしばしの間、言葉も無かったが、  
気を取り直すと  
 
「すまなかったな、國生さん・・・だけどほら!  
 心配かけたのは本当に悪かったと思うけど、こうして無事に帰って来れて、今はぴんぴんしてる訳だしさ!  
 親父だっておっちゃんだって無事に帰ってこれたんだ!  
 だから結果オーライってことで、國生さんも元気だしてよ、その方がおっちゃんだって喜ぶって!」  
 
陽菜を元気付けようと、明るい話題に摩り替えようと声をかける。  
それに応じたかのように、我聞の胸に埋めていた顔をゆっくりと上げる―――  
が、その表情は・・・不安に、満ちていた。  
 
「國生さん・・・一体、本当にどうしたんだ・・・?」  
 
流石に、我聞も本格的に気にかかってくる。  
 
「社長は・・・」  
 
かすかに震える声で・・・不安を宿した瞳で・・・陽菜は、語りかけてくる。  
 
「社長は・・・何処にも、行かないで・・・いてくれますよね・・・?」  
「・・・え・・・?」  
 
唐突な問いかけに、言葉が続かない。  
しばらく困惑した後に、せめて真意を聞こうと―――  
 
「國生さん・・・?」  
 
何を―――と、言いかけたところで、ふぃと身体に感じていた温かみが消える。  
陽菜は音も無く我聞から離れ、立ち上がっていた。  
 
「・・・すみません、社長、その・・・社長とこうして落ち着いてお話するのが久しぶりでしたもので・・・  
 少々取り乱してしまいました・・・今のことは、お気になさらないで下さい。  
 では、少し仕事を残していますので、先に社の方に向かいます。  
 社長も定時までにはいらして下さいね、会社でお待ちしています、失礼しました!」  
 
一転して笑顔を見せると、我聞が何も答えないうちに一礼して、サッと体育倉庫から出て行ってしまった。  
残された我聞には、何がなんだかわからないままであったが、ただ・・・  
陽菜の不安に満ちた瞳と、帰り際に見せた作り物の笑顔だけは、しばらく忘れられそうにない。  
何か不安があることは、どうやら間違い無いようだが、その理由となると全く見当がつかない。  
 
「何だろう・・・俺には、力になれないこと、なのかな・・・」  
 
打ち明けてくれなかったことが、少し悔しかった。  
 
陽菜が去った以上、ただ呆けている訳にも行かず、  
気を取り直して・・・と言うより気分を切り替えるように、作業に戻る。  
だが、どうにも先程の陽菜のことが気になって全く手に付かず・・・  
 
「仕方ないな、続きは明日だ」  
 
外に出て時間を確認すると出社にはまだ少し早かったが、はかどらない作業に戻る気にもなれず、  
そのまま会社に向かうことにした。  
 
 
事務所の階段を上がり、扉を開くと・・・ちょっといつもと風景が違っている。  
 
「お疲れさまです! ってあれ、親父におっちゃんも・・・今日は早かったんだな」  
「おう我聞、お前もこっちに来い、話がある」  
 
我也と武文が接客用のソファーに座り、  
陽菜・優・仲之井の三人が二人と向き合って立っている。  
我也も武文も真芝の件で連日の内調通いが続いており、  
戻るのは工具楽屋が仕事を終える頃だったので、いつもと事務所の面子が違っているというのもあるが、  
それ以上になんとなく―――場が、緊迫しているように感じる。  
 
「なんだ、話って?」  
 
我聞としては陽菜のことも気になるのだが、俯いていて表情が分からない。  
かといって我也を無視して話し掛けられる雰囲気でも無く、  
一体どんな話になるのか見当もつかないままに、父に促されて対面に腰掛ける。  
 
「まぁ今、皆にはさわりだけ話したところではあるんだが、もう一度始めから説明するか。  
 陽菜、お前にも関わることだからな、座ってよく聞いておけ」  
「・・・はい」  
 
その返事を聞いて、我聞は思わず陽菜の方を振り返る。  
またしても、彼女の声は震えていた。  
そして、その表情は・・・仕事時の彼女らしい冷静な顔つき、というより、表情が・・・無かった。  
 
「さて、では始めようか。 まずはこの一週間ほどの内調でのことから報告しておこう。 タケ、頼む」  
「わかった。 皆も想像はついていると思うが、我也と私が内調に通い詰めだったのは、  
 真芝に関する情報提供のためだ」  
 
それは我聞にも想像がついていた、というより、夕飯時など妹達から理由を聞かれた我也が自ら語っていた。  
もっとも、詳しい説明は当然ながら何もなかったが。  
 
「第一研での戦闘で、会長および主だった研究所長が逮捕拘束されたことで真芝の頭は潰したと言っていい。  
 彼らの自供や私の証言で、他の研究所や関連機関についても次々と捜査の手が入りつつある。  
 意識を支配されていた頃の記憶も鮮明に残っているのでね、  
 会長秘書という立場故に真芝のほぼ全てを理解していたと言っても過言ではないからな」  
 
少し、辛そうだ―――そんな気配が伝わってくる。  
武文からも、隣の陽菜からも。  
 
「だが、何せ枝葉の多い企業なのでな、末端まで手が回るには時間がかかり、  
 その分だけ奴らに時間を与えることになってしまった」  
「じゃあ、そいつらは・・・」  
「うむ、少なからぬ者が兵器や情報を抱えたまま網を掻い潜り、行方をくらましている」  
「じゃあまだ、真芝関連の仕事は続くってことか・・・!」  
 
自然と、我聞の拳に力が籠もる。  
たが・・・  
 
「いや、頭を潰した現在、末端にはバックアップが存在しない。  
 新たな基盤を作る、もしくはバックを探し当てるまでは、  
 可能な限り息を潜めていると見て間違いは無いだろう。  
 それに、真芝の秘密主義が幸いしたと言うべきかな、  
 所長連中でも解明が困難であった新理論を現時点で理解できる者はほぼ皆無と断言できるし、  
 必須となる仙核作成の秘密を知るものは第一研所属のごく一部で、  
 その者達は先日すべて身柄を拘束されている」  
 
それに、私がいなくてはこれ以上新たな仙核を作ることも出来ないしな・・・  
と言って、武文は顔を歪めるように笑う。  
 
(なんて、笑顔・・・)  
 
それは、我聞にすらわかるほどの、自虐と自嘲、そして罪悪感に満ちた、凄惨な笑いだった。  
 
「おい、タケ・・・」  
「ああ、済まない。 話を続けよう」  
 
我也に促されて、武文はすぐに表情を戻す。  
だが、陽菜はうつむいてそれっきり、顔を上げようとしなかった。  
一瞬、そんな娘を気遣うように視線を向けて、そしてすぐ正面に向き直ると話を再開する。  
 
「そんな訳で、奴ら残党に新兵器を開発したり表立って行動を起こす意図は、当面は無いだろう」  
「それなら、俺たちに出来ることは何も・・・」  
「うむ。 こわしやとして対応に追われることはほぼあるまい・・・あったとしても稀なケースだろう。  
 だが、奴らが持ち去ったものの中には新理論を用いた兵器や、  
 それらに関する情報が含まれている。  
 それが裏の世界に出回れば、いつ誰が新理論の解析を再開してもおかしくはないのだ。  
 理論が失われていても、現物があればそこから解析を行える者がいないとは限らんからな」  
 
武文の言葉には口を挟むことをを許さない凄味があった。  
まるで、真芝に対する彼の思い・・・怒りが、滲みだしているかのように。  
 
「・・・だが、真芝という巨大な幹を排除した今なら、  
 例え地下深くに潜った根といえど、各個掘り起こして潰すことが出来る。  
 そしてその役目は、真芝の会長秘書として片棒を担いできた私が適任であり・・・私の義務だ」  
 
誰も、何も言わなかった。  
顔を伏せたままの陽菜は・・・震えていた。  
 
「内調との打ち合わせも済んだ。 あとは情報が揃い次第―――おそらく一週間程かかると思うが、  
 その時点で当面の目的地を決定して、旅立つことになるだろう」  
「旅・・・立つ? おっちゃん、いったいどれくらい時間がかかるんだ・・・」  
「そうだな、一度動き始めたら敵に察知される前に全て片をつけたいところだが・・・  
 恐らく、2〜3年、といったところだろうな」  
「な・・・! ちょ、ちょっと待ってくれよ! それじゃあ國生さんは・・・!」  
 
一瞬―――真芝に対する静かな怒りに満ちていた武文の表情に、辛そうな陰が射す。  
だが、それはすぐに無表情という表情によって上塗りされて隠される。  
 
「我聞、言いたいことは分かる、そう思っているのはお前だけじゃないだろう。  
 だが、タケが陽菜のことを考えないワケがないだろーが。  
 その上で自ら決めた事なんだ、今更お前が口出しすべきことじゃねぇ」  
「だが・・・!」  
 
さっき学校ですがり付いてきた陽菜のことを思い出す。  
あの時から、何か予感があったのかもしれない―――  
そして今、話を聞いて彼女は隣でうつむいたまま震えている。  
確かに、真芝の件は何よりも優先すべきだとは分かっている。  
武文の説明から、我聞にも早いほど良いということは理解できた。  
だが、陽菜を・・・折角、生きて再会できた娘を再び置き去りにしてまで・・・  
 
「・・・じゃが武文君、一人では危険ではないのか?」  
「ああ、その点は安心してくれ、俺が一緒に行ってやるから、まず問題ねーよ」  
「な!? お、親父まで!?」  
「・・・頼んではいないがな」  
「ま、新理論の解析が一気に進んじまったのは俺が上辺だけとはいえ協力したせいもあるからな。  
 それに・・・こいつに義務があるのなら、こいつの親友たる俺には手伝う権利がある・・・だろ?」  
「うーん・・・確かに、我也さんが手伝うなら、安心は安心かもだけど・・・」  
 
今度は、優と仲之井が我聞を見る。  
我聞は目を伏せたりはしなかった・・・が、平静、という訳にもいかない。  
父親の理由はわかるし、状況として武文に同行した方が結果として良い方向へ進むだろうことも分かる。  
だが・・・  
 
「親父はいいのかよ・・・いや、おっちゃんだってそうだ! 折角帰って来たんだぞ!?   
 理屈はわかるけど・・・國生さんや果歩達のことだってもうちょっとは考えてやったって・・・!」  
「理屈がわかるなら納得しろ。  
 それに、もしお前が同じ立場ならどうするか、考えてみろ」  
「んな・・・」  
 
真芝のことが急を要するのはわかる、あの兵器を再び世に広めるようなことがあっては絶対にならない。  
だが、それでも・・・折角、再会できたばかりの家族から離れてまで・・・  
そんなこと、決断出来るわけ・・・  
 
「お前も同じ事をするさ・・・手前で播いた種は手前で刈り取らなきゃならんからな」  
「だ、だけど・・・」  
 
認められない、認めたくない・・・  
あからさまに苦悩の表情を浮かべる我聞に微かに苦笑すると、  
 
「果歩達には俺がちゃんと話すから、お前は心配しなくていい。  
 それより俺達が帰るまでの間、家族と工具楽屋を頼むぞ」  
   
それだけ言うと、話はこれで終わりとばかりに立ち上がる。  
 
「では、邪魔したな、皆は仕事に戻ってくれ。 俺は家に戻るが、タケ、お前はどうする」  
「我々が居ては仕事もしにくいだろう。 私も先に戻るとするよ」  
「そうか、まあそーいうわけで、また明日な」  
 
事務所を出て行く二人に優と仲之井が挨拶を送るが、我聞にはそんな余裕は無かった。  
この一週間、父親との生活をあんなに楽しそうに語っていた陽菜に、突然、別離の予告が押し付けられたのだ。  
そして今、それを聞いた彼女はうつむいたまま小さく身体を震わせている。  
 
「・・・國生さん」  
 
なんとか、少しでも彼女の力になってやりたい、励ましてやりたい。  
そんな思いに突き動かされるように名前を呼んではみるが・・・それ以上の言葉が続かない。  
何と声をかけてやればよいか・・・我聞だけでなく、優も、仲之井も・・・  
口にすべき言葉を見つけることは出来なかった。  
 
そして、しばし流れた沈黙を破ったのは―――他でもない、陽菜だった。  
 
「・・・さあ! いつまでもこうしていても仕方ありません! 仕事しましょう!」  
「こ、國生さん!?」「陽菜ちゃん・・・?」「陽菜くん・・・平気なのか?」  
 
意外なほどに張りのある声に、彼女を囲む三人が三人とも驚きの声を上げる。  
そんな周囲の反応を気にかけていないかのようにすくっと立ち上がった陽菜は、笑顔だった。  
誰もがすぐに見抜けてしまう、無理やり貼り付けたような、辛い笑顔。  
だが、一番辛いはずの陽菜がそうまでして平静を装うのなら、周りからはもう何も言えない。  
陽菜がそれ以上何も言わず、席に戻って仕事に取りかかるのを見て、  
仲之井も優もそれぞれ自分の席に戻る。  
我聞はというと、席に戻ったところで仕事もない。  
それでも社長席に座っていることも “仕事のうち”とは、陽菜や仲之井の言葉ではあったが・・・  
 
「じゃあ、俺は外で溝でも攫ってくるよ」  
 
そう言って事務所からいそいそと出てしまった。  
本当は、陽菜の傍に居てあげたかった。  
だが、傍に居ても何も言ってあげられないということが、嫌という程に分かっていて・・・  
だから、逃げるように事務所から離れた。  
無力感に苛まれながら、階段を少し降りたところで、立ち止まる。  
 
―――第一研に行く前に國生さんと話したの、この辺だったな。  
あの時は俺が無理して明るく振舞おうとしたのを、國生さん、涙ながらに責めてくれたっけ・・・  
泣き言を言っていいって、弱さを見せていいって・・・言ってくれた。  
あの時、俺はどれだけ救われたか・・・  
だが、今はどうだ・・・國生さんがあんなに辛そうに笑っているのに・・・俺は・・・  
 
ただ拳を握ることしか出来ず、他にどうしようもなく、再び階段を降りる。  
気を散らすためにも身体を動かしたくて、倉庫へ道具を取りに行こうとする我聞の背中に―――  
 
「我聞君」  
「・・・おっちゃん?」  
 
声をかけたのは、階段の陰に控えていた武文だった。  
 
「ふふ、寒いのに外作業とは大変だな」  
「おっちゃんこそこんな寒いところで・・・國生さんを待つのなら、事務所の中に居ればよかったのに」  
「いや、人待ちなのは事実だが、相手は陽菜ではないのでね」  
「へ?」  
「我也も仕事が無いときは外で作業が多かったからな、君もきっとすぐに出てくるだろうと踏んで待っていた。  
 我聞君、少し話がしたいのだが、いいだろうか?」  
「俺?」  
 
意外な言葉に多少、戸惑いはあるものの―――  
 
「いいですよ、俺からも話したいことがありましたから・・・」  
 
「そうか、では先に我聞君から話してくれ、恐らくその方がスムーズだ」  
「そうですか、じゃあ・・・さっきおっちゃんが言ってた真芝の残党潰しの旅だけど・・・  
 あれ、せめて1ヶ月、いや、半月でも出発を延ばせませんか!?」  
 
解決にはならなくても、例え僅かでも、父親と一緒にいられる時間を延ばしてやりたい・・・  
慰めの言葉一つかけられない自分にできることと言えば、これくらいしか思い浮かばなかった。  
 
「・・・それは、陽菜の為、かね?」  
「! ・・・はい」  
 
別に隠すつもりもなかったのだが、何せ相手は陽菜の・・・想いの人の父親な訳で、  
言い当てられてしまうと、妙に緊張を感じてしまう。  
だが、今はそんなことを気にしている時ではない。  
 
「第一研から戻って、おっちゃんが帰ってから・・・國生さん、いつもおっちゃんのことばかり話してるんだ。  
 それも、すごく楽しそうに・・・  
 おっちゃんが生きていてくれて、当たり前だけど、本当に嬉しそうなんだ」  
 
―――見当違いと分かっていても、思わず軽く嫉妬してしまうくらいに。  
 
「真芝のことがどれだけ大事かは分かってるつもりだ!  
 けど、家族だって! 娘だって・・・國生さんだっておっちゃんにとっては大切だろう!?  
 折角・・・5年ぶりに生きて再会できたばかりなのに!」  
 
自分でも説得力に欠けることは十分過ぎるくらいに分かっている。  
先程、目の前の相手が詳しい理由と共に述べた旅立ちの理由とは、比べるべくもない。  
直情的に、我聞の心情を吐露しただけだ。  
だが、その相手・・・武文が我聞に向ける視線には、心なしか温かいものが含まれていた。  
 
「そうか・・・私の話ばかり、か・・・ふふ・・・」  
「おっちゃん・・・?」  
 
今の武文の顔には、先のような怒りでもなく、無表情でもなく―――  
きっと、部屋で陽菜に向けているに違いない、父としての温かな情が滲み出ていた。  
 
「だが我聞君、陽菜は部屋にいるときは、君のことばかり話しているぞ? それも楽しそうに、な」  
「・・・へ?」  
「学校のこと、部活や友人のこと、仕事のこと・・・話題は様々なハズなのだが、  
 どうも最終的には君の話になってしまうらしい」  
「んな・・・!?」  
 
流石に今度は動揺を隠せない。  
まさかこんな場面でそんな・・・よりにもよって意中の人の父親から、  
こんな発言が飛び出すとはさすがに夢にも思っていなかったものだから、  
先の苦悩も勢いも完全に削がれて、あたふたとするばかりであった。  
武文は武文で、すっかり顔を赤くした娘の話題の主の様子をうっすらと笑みを浮かべて眺めている。  
 
「・・・君のことを本当に信頼している様だ。 いや、もしかすると・・・」  
 
そこで言葉を切り、一つ息を吐くと表情を厳しくして、未だ絶句中の我聞を見る。  
我聞は一瞬、武文が娘のことで自分を怒り出すんじゃないかと思わず身を固める、が・・・  
 
「まあ、今はまだいい・・・だが、そんな君だからこそ、聞いて欲しい」  
 
怒っている訳ではない、ただ、真剣なだけ。  
そんな雰囲気を感じ取り、我聞は動転していた心を慌てて静める。  
動揺がすっかり顔に出てしまっていた我聞が平静を取り戻すまで武文は黙して待ち、  
そして、再び語り出す。  
 
「娘を・・・また一人、残すことになる。  
 我也を連れ出し、ただでさえ君には負担をかけていて、こんなことを頼める義理ではないと分かっているが、  
 それでもどうか・・・私が戻るまでの間・・・陽菜のことを、頼みたい」  
「お、おっちゃん!?」  
 
はるかに年下の自分に向かって深く頭を下げられて、思わず声をあげる。  
 
「ちょ、ちょっとおっちゃん、そんな、顔をあげてよ!」  
 
武文は同じ体勢を保ったまま、微動だにしない。  
その意図は我聞にもよく分かる。  
陽菜のことで頼られるのは全く苦にならないし、  
いつかは、自分から武文に言わねばならない、くらいのことまで考えたこともある。  
だが、ここで武文の頼みに応じてしまったら、一週間後、彼が父と共に旅立ってしまうことは間違いない。  
 
「俺は・・・社長としてなら、いくらでも頼ってくれて構わないけど・・・でも!  
 俺じゃおっちゃんの代わりにはなれない! 今、國生さんが求めてるのは、父親としてのおっちゃんなんだ!」  
「父親か・・・」  
 
そう、呟いて顔を上げると、静かに答えた。  
 
「ならば、やはり今の私には、陽菜の傍にいる資格はない」  
「・・・え」  
 
この人は何を言っている? ・・・資格?  
 
「お、おっちゃん・・・? 何、言ってるんだ? 意味が、わからない・・・資格? なんだそれ・・・」  
 
意味がわからない、けど、少なくとも彼には重大な意味があることだけは、伝わる。  
武文の真剣な、鋭い目つきから・・・先ほど事務所で見せた、真芝への怒りとはまた違う・・・  
何か凄絶な色を帯びた、正視するのが辛い目だった。  
 
「私の手は、父として娘に触れるには・・・あまりに血で汚れすぎているのだよ」  
「血・・・」  
 
血に汚れた手・・・字面以上の、凄惨な意味。  
 
「我聞君は、仙核がどのように作られていたか、聞いているかね?」  
「いや・・・」  
「そうか、我也は何も言わないか・・・まあいい。  
 仙核は、新理論による兵器を稼動させるエネルギーの供給コアだということはわかるかね?」  
「ああ、それは・・・」  
 
十曲のスーツや桃子の携帯、それにグラサンが片目に仕込んでいた、あれ・・・  
それが輝くと兵器は強力な機能を発動させ、  
装着者は普通の人間でありながら仙術使い並みの身体能力を発揮させていたのを、何度も見ている。  
 
「新理論は仙術の力を制御して兵器に超常の力を与えるためのものだ。  
 そして仙術の力を用いる以上、そのエネルギー源は人の“氣”でなくてはならない。  
 つまり仙核とは、人体から抽出した“氣”を込めた動力源なのだ」  
「人から・・・抽出・・・」  
 
先日、目の前の相手の能力を模した、という攻撃を受けたのはまだ記憶に新しい。  
身体から氣を、生命力を抜き取られる感覚・・・  
先の武文の言葉と、気を抽出するという行為が、頭の中で嫌な絡み方をする。  
できれば、否定したい連想。  
 
「マガツを完成させるにあたり、我也から50人分の氣を吸い取ったことは、対面したときに語ったな。  
 それが何を目的にしていたか・・・今までの話から、我聞君にも想像はつくだろう」  
「親父から・・・親父の氣で、仙核を・・・」  
「我也の氣から、50の仙核を作り出した・・・だが、それは一部に過ぎん。  
 マガツだけで数百、他の兵器に使用した物も含めれば、千を下らぬ仙核を作り出したのは、全て私だ。  
 そして、我也のような例外中の例外でもない限り、  
 仙核を作り出す為には健常な人間一人が持つ氣の全量を要する」  
 
つまり・・・それだけの数の仙核を作り出すために・・・  
この人は感情を封じられて、その手で、その能力で・・・  
 
「私は、この手で・・・仙核の数だけ・・・人の命を奪ってきたのだ」  
 
あくまで淡々と、武文は語った。  
あらゆる感情を殺さなくては語れないから、全ての感情に自ら封をして、  
結果的に淡々とした語りになった。  
・・・我聞には、武文が血を吐くように語っているように見えた。  
 
「だ・・・だけど・・・おっちゃんは、感情を、封じられて・・・意識だって、操られて・・・」  
 
今の武文を見て、その言葉が欠片ほどにも彼を救いはしないと分かっていて、  
それでも声をかけずにいられない。  
 
「それでもここへ戻ってきた時は、解放と再会の喜びが大きくてね、安らぎを感じることが出来たのだ。  
 だが、2、3日も経つと・・・夢に出てくるのだよ・・・  
 人の命を奪ってしまった、この手の感触が・・・その相手の顔が・・・  
 そして、その手を親友や、その息子である君や・・・娘に、陽菜にまで向けていたことが・・・!」  
 
何も、言えない。  
 
「・・・改めて認めざるを得なかったのだ。  
 今の私に人として・・・父として、安穏と過ごす資格はない、と・・・」  
 
言える訳が、ない。  
 
「仙核作成に関する事実を伝えても、内調は私の罪を問いはしなかった。  
 だが、私の罪の意識は・・・いくら時が流れても、消えはしないだろう。  
 私が人の命を代償に作り上げた仙核の数々・・・これを全て破壊しても、  
 その意識が消えてくれるかは分からない。  
 だが、それだけが今の私にできる・・・唯一の贖罪なのだ・・・」  
 
そして我聞に顔を向けると、少し“しまった”というような顔をしてから、  
僅かに笑みを浮かべた・・・浮かべようとしていた。  
それほどに、我聞は顔を歪めていた。  
・・・目の前にある深い苦しみに、悲しみに、何の手も差し伸べることのできない、自分の無力さに。  
 
「すまんな・・・君にこの気持ちを背負ってもらおうという意図は無かったのだ、許してくれ」  
 
だが、その言葉が我聞の表情を少しも和らげることはなく、それを見て取ると、  
 
「・・・いや、それは嘘だな。  
 このことを聞いたら、きっと君は私の頼みを断らない、そんな打算があったことは否定しない。  
 そして、君は娘の・・・陽菜の、一番の理解者だ。 だから・・・改めて頼みたい」  
 
再び、武文は我聞に向けて頭を下げる。  
 
「陽菜のことを、頼む・・・  
 私の罪に、人を殺めた父の存在に、陽菜は苛まれるかもしれない。  
 私が陽菜の元を去ったことに対して、自らを責めるかもしれない。  
 そのとき、どうか・・・その重荷を、陽菜と分かち合ってくれないだろうか・・・  
 陽菜を、支えてやってはくれないだろうか・・・  
 身勝手な頼みだとは重々承知している、だが・・・我聞くん、どうか、頼む・・・!」  
 
5年。  
死んだものと思われて、しかし彼は、生きて娘の前に帰ることが出来た。  
その空白を経ても尚、彼は娘を愛していた。  
だが、彼はその娘を置いて、旅に出ようとしている。  
それは己の為の贖罪であり、そして・・・父として在る為の―――娘の為の、贖罪。  
 
「・・・わかりました」  
 
断れる訳が無かった。  
武文と陽菜が、共に心から父娘として穏やかに暮らせる為には、避けては通れないことだと、  
理解してしまったから。  
 
「約束します・・・國生さんは、俺が支えます。  
 社長として、男として・・・おっちゃんが帰ってくるまで、絶対に辛い思いはさせない・・・  
 おっちゃんが帰って来たときに、かならず笑顔で迎えさせて見せます・・・」  
 
それは、特別なことではない。  
常日頃から思っていたこと。  
自分にとって一番大切な人に対する、当然の想い。  
 
「・・・そうか・・・ありがとう・・・」  
 
顔を上げて、そう答えた武文の声にも顔にも、やっと少しだけ、温かみが戻ったようだった。  
 
「だから、約束してください」  
「・・・なんだね?」  
「必ず・・・全ての片をつけて、戻ってきてください。  
 おっちゃんは悪くないんだ・・・操られていただけなんだ!  
 だから・・・片をつけて、ちゃんと・・・國生さんの父親として、帰って来てください。  
 國生さんは、父親を・・・おっちゃんを、愛してますから!  
 折角、戻ってきたんだ、また会えたんだ!  
 ずっと、きっと、父と娘として、一緒に暮らせるのを待ってますから・・・  
 だから、必ず! 國生さんの父親として、ここへ帰って来てください!」  
 
それは残酷な願いかもしれない。  
贖罪の旅の果てに、武文が救いを見出せるのか、それは本人にも分からないのだから。  
 
武文は思う。  
“父親として”帰って来いと言う、それは彼が陽菜を想うが故の言葉だろう。  
彼は娘のことを支えると言い切り、そう言葉にした以上、必ず娘を支え続けてくれるだろう。  
娘を預けるに足る人物を見出した時点で、父としての務めは終えたような気もする。  
だが同時に、父として思う・・・娘が彼と共に歩む姿を、見てみたいと。  
 
その思いは、贖罪の果てにまだ迷いを抱えていたとしても、  
自分をきっと良い方向へ導いてくれるだろう、と。  
 
だから武文は、やっと表情を柔らかく崩し、一言、はっきりと言った。  
 
「約束しよう」  
 
 

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