その手につられて自分も佐々木を見る。
そのとき、瞬間的に湯気の幕が目の前にかかる。そして、
「うわっ!!」
佐々木が、手を滑らせて木から落ちるのが見えた。
「佐々木っ!」
同じ光景を見ていたらしい我聞が声を張り上げる。
バッシャーン!
盛大な音を立てて佐々木はすぐ下の浴槽にダイブする。
「なっ!」
あれでは浅い浴槽の底面に頭部を強打、下手をすれば死にかねない。
あわてる中村、我聞。
そんな二人に西音寺はのんきな口調で言う。
「大丈夫。最近あーいうお客さんが多くてね〜、あそこの浴槽だけ少し深くて、床もゴム素材になってんだよ」
「・・・ぷはっ、畜生、後少しだったのに・・・ん、皆、何話してんだ〜?」
まるでタイミングを計ったかのごとく、説明の終わりと共に浮き上がってきてこちらに向かってくる佐々木を見て皆安堵する。
しかし、中村には一抹の疑問が残る。
(さっき・・・あの人が手を伸ばしたとき・・・佐々木の掴んでいた枝・・・僅かに動かなかったか?
しかし、湯気でよく見えなかった・・・見間違いだったのか・・・?)
「どうした中村?難しい顔して」
「・・・いや、何でもない。それより佐々木、犯罪も大概にしとけよ」
「なっ、犯罪だとぅ!?
そんなものではないっ!!
國生さんの神々しい肢体が、不埒な輩に狙われぬように影からそっと見守る正義の行為だっ!!」
「要は覗きだろ・・・」
などと騒いでいるうちに、中村の疑問は流れてしまったが・・・
数分後
また佐々木の姿が見えなくなり、案の定また木に登っていた。
すると、西音寺が再び右手を水平に持ち上げる。
中村の他、そのことを気にかけている者はいないようだ。
中村は何気なく西音寺と佐々木、両方が確認できるところに移動する。
そして、西音寺の指が僅かに、普通なら見逃してしまいそうなほど僅かに動いたのを見た。
その瞬間
「またかよっ!?」
「佐々木っ!?」
佐々木が再び落ち、その際に出した叫び声に反応して我聞が振り向く。
中村は、さっきのリプレイを見ているような感覚になった。
だが、その先はさっきと違った。
パーンッ!!
水面に何かを叩きつけるような音が浴室いっぱいに景気よく響きわたる。
佐々木が体を水面に叩きつけてしまったのである。
「大丈夫か!?」
我聞を筆頭に皆が駆けよる。
「こりゃ、完全に気絶してるぞ・・・」
佐々木を引き上げた番司が言う。
「じゃあ、ここにこのままだと風邪ひくだろうし、ワシが脱衣所まで運ぼう。我聞、手伝ってくれ」
「あ、はい」
「俺も行くか・・・静馬、お前は?」
「俺は・・・西遠寺さんに少し話しがあるんで、こっちで待ってます」
「そうか」
そう言って皇、我聞に続く中村の頭の中にはさっき確かに見た、ある映像が繰り返されていた。
・・・西遠寺の指が動くのにあわせて動く、木の枝が・・・
脱衣所には、何故か誰も居なかった。
不思議に思った中村が見回すと、ふと時計が目に付いた。
「7時5分か。夕飯も近いしこのままあがらないか?」
中村がそう提案すると、二人も賛成。
二人は佐々木を部屋まで運ぶので、中村は番司を呼びに行くことになった。
中村が再び浴室へ行くと、二人の姿がない。どうやらまだ露天風呂のようだ。
中村は露天風呂に続く引き戸の前に来た。
するとなにやら話し声が聞こえる。
中村はそっと聞き耳を立てる。
『・・・つ、使いましたよね、さっき』
『あ、やっぱばれたか?』
『当然ですよ。俺も同じ力持ってるんだから・・・工具楽だって気付いてると思いますよ』
工具楽-----我聞の名前が出たことに中村は、眉をひそめる。
『だろうねぇ』
『・・・俺らだってしっかり気を付けてるのに、あんなとこで使って誰かにバレてたらどうなってたことか!?』
『んー?だって仕方ないだろう?覗き黙認は出来ないし、かといってあそこででかい声出すのも性に合わないし』
自分の見た光景が正しかったことに、この言葉で確信を持った。
『だからって・・・』
『まあ今更狼狽えたって仕方ないだろ。
このままじゃのぼせるし、俺は上がってるから』
『・・・』
このままでは盗み聞きがバレてしまうかもしれない。そう思って焦った中村は、
カラカラカラカラ・・・
目の前の戸を開けて、
「お、いたいた。
おい静馬、飯近いから上がるぞ」
精一杯とぼけた。
「え、あ解りましたっ!」
「・・・ねぇ君、」
西遠寺に話しかけられ、内心ビクリとする。
「さっきの話、聞いてた?」
「?。何のことですか?」
「・・・なら、別にいいんだけどね」
ほっとしたのも束の間、脱衣所に行くと時計は7時20分を指している。
夕食は7時30分から。
つまり後10分もない。
「まずい。静馬、急ぐぞ!」
「はいっ!」
何とか夕飯に間に合った二人は、ほかのメンバーと一緒に郷土料理を食べることが出来た。佐々木は気絶から睡眠に入ってしまい、ずっと寝ていたのだが・・・
>>>その夜・佐々木亮吾と天野恵<<<
「う、う〜ん」
佐々木亮吾は暗闇の中目を覚ます。
「?」
何故自分がこんな暗闇の中にいるのだろう?
佐々木はそんな疑問を抱いたが、記憶がはっきりしてくると答えも自ずと出てきた。
そう、確か自分は覗きをしようとして、それで手を滑らせ浴槽に落ち、気絶したのだ。
視界もはっきりして来、ここが男子の部屋の布団の上だと解った。
自分の荷物から携帯を取り出し、時刻を確認すると草木も眠る丑三つ時、午前二時だった。
どうりで皆、眠っているはずである。
と、佐々木は自分の他に二つの布団が空になっているのに気付く。
我聞と中村がいない。
この不自然な事実に佐々木の脳は、間違った方向に回転する。
(中村と我聞がいない、つまり二人でどこかへ。詰まるところ、こんな時間に行くところは・・・ハッ)
佐々木の思考は、『二人は、國生さんの寝姿を写真に収めに行った』と言うことにまとまった。
「くそう、あの二人で抜け駆けして國生さんの美しい寝姿、安らかな寝顔を・・・っ俺も行ってやる!!」
いてもたってもいられなくなった佐々木は、部屋をサッと飛び出して隣の部屋に忍び込もうと・・・して部屋の前に誰かがいたので、すぐそばの鉢植えの陰に身を隠した。
「ふぁ〜ぁ。しっかし、ささやんホントにくんのかなぁ・・・」
天野恵は、一人部屋の前の壁により掛かっていた。
何故そんな事をしているかというと、佐々木が眠っている陽菜に誘われて、部屋に忍び込んでこないように。
用は見張りである。
そして実は部屋の中に陽菜はいない。ついさっき、喉が渇いてしまったから、とジュースを買いに行ったのである。
それでも天野は、佐々木が来てがっかりして帰らせるよりは、自分がしっかりおっぱらってやった方が、佐々木の気も楽だろうと思い、立っている。
そんなとき、天野はふと、浴室での皆との会話を思い出していた。そして、
『・・・天野さん、卑怯です・・・』
そこまで来て、その言葉にエコーがかかり、何度も何度も繰り返される。
「・・・本当に、その通りなんだよね・・・」
ポツリと、天野は言う。
「るなっちには言わせといて自分は言わないで・・・」
本当は、自分の気持ちを自分が一番わかってるのに。
それでも、恥ずかしいから、それだけ、たったそれだけで人前で認めることが出来ない。人には無理矢理させたのに、自分はどうしても出来ない。
天野は、無理矢理言わせた形だが、自分に素直になれた陽菜が凄く羨ましかった。
「・・・はぁ。何でささやんなんか好きになっちゃったんだろ・・・
あんな、バカで、浮き沈みが激しくて、るなっちしか見えてないような奴・・・」
でも、嘘はつかない誠実さと、驚くほどの行動力はある。
そんな、良いところも見えていながら、いや、見えているからこそ天野は辛かった。
報われない恋とわかっているから。
今こうして思っていることも、破れたときにすっきり忘れられないと思うから。
「はぁ〜ぁ」
再び天野が溜息をついたとき、
がさっ
「誰っ!?」
そばにあった鉢植えが揺れ、音を立てる。
そして、そこから自分の思い人である一人の少年が、なんとも形容しがたい表情をして現れた。
佐々木は今、天野の言葉にひどく驚いていた。
天野恵は佐々木亮吾、つまり隠れて話を聞いている自分のことが、好きだと言っているのだった。
佐々木はどうすべきか、ここから姿を現すか、それとも黙ってすべて忘れて立ち去るか、迷っていた。
男としては聞いてしまった以上、出ていってはっきり答えるべきなのかも知れない。
しかし、そうすれば、確実に部内の何かが壊れて、今の楽しい雰囲気が変わってしまう・・・かも知れない。
佐々木はそれが嫌だった。
今の、自分が國生さんを追っかけたり、それを天野に突っ込まれたり、たまに我聞と本気で卓球をやったり・・・そんな普通なことが、とても居心地よく好きだったのだ。
そしてそれを作っている歯車を壊すような事は、したくなかった。
佐々木は、立ち去るべく一歩を踏み出したその時、
がさっ
「誰っ!?」
後ろの鉢植えが動いて、天野に見つかってしまった。
こうなった以上、逃げることに意味はないだろう。佐々木は観念して一人、自覚のない告白をしてしまった少女の前に、姿を現した。
そして、そんな二人の様子を遠くから一人眺めている青年がいた。
「ふふふ、青春だねぇ・・・けど、逃げるのは良くない。
男ならしっかり立ち向かわなきゃ・・・
結果、どうなろうともね・・・」
青年は誰にともなくそう言うと、ふらりとどこかへ立ち去った。
「ささ、やん・・・?」
「よ、よう」
天野恵の目の前に立った少年は、気まずそうにそう言った。
「き、奇遇だな、なんて・・・」
「・・・どこから、聞いてたの?」
場を、取り繕おうとする少年にポツリと訊ねる。
「い、いやその・・・」
「答えて!!」
口ごもる様子に語調が荒くなってしまう。
「・・・・・・『ホントにくんのかなー』ってとこから・・・」
少年は、言いづらそうに、本当に言いづらそうに答えた。
「全部・・・きいてたんだ・・・」
「いや、聞く気は全くなかったんだが、その・・・」
天野は目の前が真っ暗になった。
それは目を瞑ったからだと数秒経ってから気付いた。
心が、重い。
佐々木の言い訳を聞いている余裕もない。
「そうだよ。アタシはあんたのことが好きだったの。
あんたが、るなっち・・・國生ちゃんを好きなのは誰の目にも明らかだったのに、ね」
佐々木は、聞いてしまった事への言い訳を止め、目の前の少女の話に耳を傾ける。
「ゴメン、迷惑だったよね、あんたあんなにるなっち好きなのに、こんな話聞かせちゃって」
そう言って佐々木の方を向いた少女の顔は、いつものような、明るい、強気な笑みではなく、この上ないほどに歪んでいたそれがあった。
佐々木にはその顔が、悲哀から泣いているのか、自虐から笑っているのか解らなかった。
ただただ自分が、無自覚だからといって許されない程酷いことをしてしまったのだと思った。
「うん、今の話忘れちゃっていいから。
あーぁ。こんなに話したらなんだか疲れちゃった。あたしもっかいお風呂入ってこよーっと。
ささやんもそろそろ寝たら?じゃーね」
そう言うと天野はパタパタと走り去っていった。
そして、自分がどうすればいいのか解らなかった佐々木は、ただ固まっていて、動くことさえ出来なかった。
或いは、見たことのなかった天野のか弱い表情に、見とれていたためかも知れなかった。
佐々木が動いたのは、走り去った天野を追いかけたのは、少し経ってからだった。
しかし、その間に天野を見失ってしまい、探し回って走っていると、陽菜に出会った。
「あっ國生さーんっあぁお美しいですってこんな事してる場合じゃないか。
すいません、天野見ませんでした?」
「え?天野さんでしたら、さっき浴室のほうに走って行かれましたよ。
俯いてて表情が解らなかったのですが、何かあったのですか?」
「いえ、何でもありません。教えてくれて有り難う御座いましたっ!」
心配そうな天野に別れを告げ、佐々木は浴室へと向かう。
天野は湯船につかりながら、先刻のことを考えていた。
(何やってんだろ、あたし・・・)
聞かれたことに焦って、しっかりと言いたいことが言えなかった。
(せめて、自分の意思で伝えたかったな・・・)
「よし」
もう一度、今度は自分の意思でしっかり伝えよう。
そしてしっかり振られてこよう。
天野がそう決めて、実行に移そうと立ち上がったその時、
からからから
戸が開いて浴衣姿の人物が入ってくる。
(誰だろ、他のお客さんかな・・・)
そう思ってその顔を見て、
「えっ!?な、なんで!?」
驚愕する。
天野を追いかけ走ってきた佐々木は、目の前に広がる光景に、硬直してしまう。
それは、一糸纏わぬ姿で立ちつくしている天野がいるからである。
そして、佐々木は自分が女子の浴室に入ったのだと、一瞬遅れて気付いた。
じゃぶんっ。
天野は自分の体を湯船に沈め、顔だけが出るようにする。
「な、何しに来たのよ」
精一杯の強い語調で言う天野。
しかし、佐々木はいつものように気圧されない。
何故なら、それがもう、強がりとしか見えなかったから。
哀しかった。
今まで、強かった、強く周りに見せていた少女が。
それを信じ込んでいた、そしてそんな彼女を傷つけた、自分が許せなかった。
佐々木は膝を着き、手を地面に押しつけ、頭を表情が見えなくなるほど垂れる。
それはいわゆる、
「・・・なんで、土下座なんかしてんの・・・?」
佐々木のとった行動に、天野の方が気圧される。
「・・・済まなかった・・・」
佐々木が、浴室に入って初めて発した言葉だった。
「な、に?・・・何謝ってんのささやんてば、ガラじゃないよ?
あ、やっぱりさっきの気にしてた?だから忘れてっていったじゃん」
天野は自分で言いながら悲しくなってきた。
さっきもう一回言って振られようと思ったのに、これではそんな事できないではないか。
そして・・・
「あたしはもう気にしてないし、」
嘘ばかりだ。
「こんな早く諦めつくなんて自分でも思わなかったなー」
これも、
「きっと本気じゃなかったんだよ」
これも、これも、
「たぶんさぁ、るなっち一本だったささやん、からかいたかっただけだったんだなーって自分でも思うし」
嘘。
「あーあ、新しい恋探さなきゃねー」
何が、何が悲しくて自分はこんな嘘ばかりついているのだろう。
「ささやんもガンバりなよー?ま、あたしはるなっちとくぐっちを・・・」
「やめろよ・・・」
「え?」
「もう、強がんのやめろよ・・・
頼むから・・・
・・・俺でさえわかる強がりなんて、意味、ねえよ・・・」
いつの間にか、頭を上げていた佐々木の顔は、辛そうで、悲しげで、それでも何故か微笑んでいた。
「な、何言ってんの?
あたしは強がってなんかんぷっ!?」
「・・・ん、・・・俺に、俺にできることなら何でもするから、頼むから、そんな強がりやめろよ、やめてくれよ・・・
そんなお前を、見たくないんだよ・・・」
天野は、自分に口付けした少年が、自分を追いかけてきた少年が、泣いているのを見た。
「・・・あんたは、るなっち好きなんでしょ?」
佐々木は答えない。「るなっちは、くぐっちのコト好きだとしても」
佐々木はまた答えない。
「・・・じゃあさ、なんで、キスなんかするの?
同情とか、お情けとかだったならさ、むしろ迷惑」
「っ・・わるかっ」
「ま、いいや。終わったことだし」
佐々木の言葉を遮って続ける。
「さっきあんた、できることなら何でもするって言ったよね」
「・・・ああ」
「で、お願いがあるんだけど、あたしのこと・・・」
佐々木は次の言葉を待つ。
しかし、次に天野の口からでた『お願い』は、佐々木の予想と少し、と言うより遙かにずれていた。
少し笑みを浮かべながら、少女は少年に言う。
「あたしのコト、抱いてくんない?」