「・・・えっと、うん・・・こうかな國生さん?」
「あ、違います。そこをこう・・・そうです。そのまま・・・」
「ほんとだ。流石國生さん。えっと、じゃあ・・・このまま入れて良いんだね?」
「はい」
我聞と陽菜はいつになく真剣な表情で、そう受け答えした
「むぅ・・・・・・すごい、入れたらあっという間だ」
「社長の呑み込みも早くて助かります」
陽菜は「あとちょっとですね」と言うと、我聞は「ガンバリマス」と返した
「えぇと、ここで・・・引いて・・・」
我聞は戸惑いながらも、必死で手を動かしている
陽菜は黙って、それを見守っている
「あ、あれ? なんか合わない」
「・・・ですから、ここに先程求めた数字を入れるんです」
「おぉ~」
「公式にピッタリ当て嵌まるでしょう。やっぱりまだまだですね」
陽菜にそう言われ、我聞は恐縮し「面目ない」と言った
「精が出ますね~、差し入れでぇ~す」
果歩がお茶とお菓子を部屋に持ってくると、陽菜は「ちょっと休憩を入れましょうか、社長」と秘書直々のお許しが出た
我聞は電池切れだと言わんばかりに、机の上に突っ伏した
そう、陽菜は我聞の自宅で勉強を教えているのだ
ただでさえ、出席日数が危ういのに、成績もこの上なく低空飛行な我聞
このままでは単位が、進学が危ういと事情を知る我聞の担任から何故か相談を受けてしまった
それを聞いた陽菜はその先生に冬休み中、我聞の家庭教師役をすると言ったのだ
本来なら塾の冬期講習などに通わせた方がいいのだろうが、我聞は高校生であると同時に工具楽屋(株)の社長でもある
故に、冬期講習のある時は社長業を、仕事のある時は冬期講習を休まなくてはならなくなる
どちらも休んだら不都合が出るし、言っては悪い気もするが工具楽家の経済面としてもきつい
だから陽菜は、2人の仕事の合間の時間を有効に使うことの出来る立場の自分が代わりに我聞に勉強を教えれば良い、そう判断したわけだ
陽菜の提案に最初に乗ってくれたのは我聞ではなく、その家族の果歩の方だった
その次に賛同してくれたのは会社の同僚の優さんだった
この2人はGHKのメンバーであり、実は密かに裏で繋がってる
と同時に、我聞と陽菜が急接近するかもというまたとないチャンスを見逃すはずがない
ある意味、陽菜は自分から罠にはまっていたといえよう
だが、そのおかげで、陽菜は家族と会社の両者からそれぞれ味方を得て、こうして決行に踏み切ることが出来た
勿論、教え上手と名高い陽菜が冬休みの宿題や勉強を見てくれると言うのだから、我聞も断るはずがない
これが今の状況のおおまかな説明であり、卓球部などのクリスマス行事が終わってからというもの、ほぼ毎日陽菜は我聞の勉強を見てやっている
陽菜も我聞が問題を解いている間に自らの宿題や勉強をその3倍の速度でやるので、陽菜自身の勉強時間が減り、怠るということはなかった
むしろ、陽菜の終わった宿題が「答案」であり、わかりやすいノートは我聞の「教科書」ともなるのだった
我聞が今まで解いてきた問題集をぱらぱらとめくって、感嘆した
「しっかし、やっぱり國生さんは凄いよなぁ・・・。ほら、もうこんなところまで進んでる」
「お兄ちゃんがだらしないだけじゃないの、もう・・・」
「いえ、そんな・・・社長は本当によくやっています」
実際、呑み込みは早い方だった
それでも、ここまで成績が悪いのは・・・工具楽屋(株)の仕事や本業で勉強にあまり時間を割けないからだろう
それと、我聞が予習復習の要点をまとめるのが苦手な「勉強下手」だという点もある
つまり、勉強の要領が悪い・・・それに尽きると陽菜は思うのだ
陽菜とて、最初から頭が良いわけではない
仕事の合間に単語帳を持ち歩き、それを刻み込むようにして憶えたから、今の自分がある
だが、我聞はそこまでやっていない
決して怠けているわけではないのに、やれることに気づかないのだ
いつも別のことに気を取られてしまい、勉強の方は必然とおろそかになってしまう
これでは、いくら呑み込みが良くても、いい結果を成績に残すことには繋がらないだろう
「・・・こうなったら、徹底的に勉強の仕方を教えますので、覚悟してください」
「え、あ・・・はい」
我聞はむぅと困ったような顔をするが、陽菜は厳しい
約7分間の休憩後、すぐに先程の公式についてお勉強を再開した
果歩は「じゃ、頑張って下さい~」と言い残して、その部屋を後にした
・・・・・・
「・・・こちらデルタ2、デルタ1応答せよ」
「状況を報告せよ」
2人のいる部屋から出た後、果歩はさっと壁に寄りかかり、髪留め型トランシーバーで会話し始めた
勿論、この髪留め型のトランシーバーは優さんのお手製だ
陽菜や中之井が知れば、この情熱をもっと仕事に注いでほしいとため息を吐くことだろう・・・
「駄目です。あやつら、本当に『お勉強』してます」
『何ですと? 年頃の男女2人が狭い部屋、ふとももや足がもつれ合うコタツの中にいるのにですか!?』
「はい」
『とても信じられません。こう、お互いの横顔とか、勉強を教えてくれる唇とか指にむらむらっとくるものはないんでしょうか?』
「多分、私のような家族の目があるから・・・とも考えましたが、どうも違うようです。
陽菜さんは元々そういう下心はないし、お兄ちゃんは陽菜さんが折角勉強を教えてくれるというのだからと、それに応えようと必死になってます。
もう今の2人の間に、そういった邪なことが割り込む余地はないかと・・・」
『・・・デルタ2、諦めたらそこで終わりです』
「で、では、何か考えがあると?」
『勿論。今から、その作戦の概要を説明するのでよく聞くように』
「お願いします」
総てはGHKの悲願のため、2人の幸せのため・・・・・・・なのだろうか、本当に・・・
・・・・・・
「・・・えーと、ここが?」
「あっ、そうです。・・・はい、ええ、いい感じです」
「ほんと?」
「ええ。そこは重要な所なので、しっかり憶えて今後も活用して下さい」
2人は相変わらずお勉強に励んでいる様子、果歩はため息を吐いた
こういう会話だけ聞いていれば、ちょびっとエッチなのだが・・・実際はその要素はゼロだ
果歩の横には珠や斗馬がいて、何やらひそひそと囁き合っている
「・・・では、これより、『気づいたら・・・!?作戦』を開始する」
「「ラジャー」」
ビッと珠と斗馬が敬礼のポーズを取ると、果歩は肯きつつ再び2人のいる部屋に入っていった
「お勉強失礼しまーす」
「む、果歩、また何か持ってきてくれたのか?」
「違うわよ。・・・ね、國生さん、今日はウチで晩ご飯食べていきません?」
果歩の突然の提案に、陽菜はきょとんとした
「この後、本業なんかの仕事も入ってないって言うし。ウチ、今日はお鍋を予定してるんです。こういうのって大勢で食べた方が美味しいに決まってます」
「ええ!? で、でも・・・ご迷惑になるんじゃ・・・」
果歩は心の中でガッツポーズを取った、やはり優さんの読み通り、陽菜はこういうお誘いには弱い
それも親しい、家族同然に思われている工具楽家のお誘いなら尚更のこと
それを確認した果歩の合図で仕込みの珠や斗馬が部屋の中に入ってきて、わざとらしいぐらいに陽菜を夕食に誘う
案の定、陽菜の心は震度8以上に揺れ動いている
「ええと・・・」
陽菜はちらっと我聞の方を見ると、我聞は肯いた
「果歩もこう言ってることだしさ、いいんじゃないかな? 勉強見てくれてるお礼も兼ねて、俺からも是非」
「そーですよー。なんなら、ここに今携帯コンロ持って来ちゃいますし」
果歩の言葉に、我聞は「それはちょっと早すぎじゃないか?」と言った
「何言ってんのよ、お兄ちゃん。ちゃんと時計見てる?」
見れば確かに、もう夕食を食べても差し支えないだろう時刻にはなっていた
陽菜が時間を計ってやっていないわけがないから、今日の所はそろそろ切り上げようと考えていたに違いない
それは先程の『今後も~~~』の辺りのひきでもわかることだった
「・・・本当に宜しいんですか?」
我聞や果歩は満面の笑みを浮かべつつ、うんうんと肯いて見せた
陽菜は大分迷っていたようだが、結局、果歩や工具楽家からのお言葉に甘えるような形となった
「じゃ、早速準備しますね」
果歩は珠と斗馬を連れて、どたばたと台所へと向かった
陽菜は我聞に「すみません。でも、ありがとうございます」なんてお礼を言っている
「いや、ウチは全然構わないから。珠や斗馬も嬉しそうだし」と我聞も返す
そして、台所へ果歩は・・・何やら先程とはうってかわった邪な笑みを浮かべていた
「(先ずは第一段階成功ね・・・)」
思惑通りに事を進めようとする果歩や優さんの心の中の高笑いは、我聞と陽菜に聞こえるわけがなかった・・・
・・・・・・
果歩が卓上コンロを持ってくると、その後ろから出汁の入った鍋と具材ののったざるを珠と斗馬がそれぞれ頭の上に乗っけて持ってきた
我聞と陽菜も見てるだけではと手伝おうとしたが、「いいからいいから」とやっぱり止められた
正方形のコタツの真ん中にコンロ、席順は我聞の向かいが果歩で、我聞の左隣が陽菜、その向かいが珠と斗馬だ
先ずコンロに火を付け、鍋の出汁を再び温め直す
この時、予め下ゆでしておいた大根を沈めておくのを忘れない
その間に、既に炊けているご飯を炊飯器ごと持ってきた
「・・・よし、準備完了!」
「おぉ~」
我聞達の視線は鍋よりもざるにのった具材の方だった
いつもは白菜と豆腐がメインをはっているのに対し、今日は肉団子のようなものや海鮮物がざるの半分程ものっていた
「今日はやけに豪勢だな」
「ま、たまにはね~」
果歩はいかにもやりくりしたんですという顔だが、実はこの具材の代金の半分は優さんから出資してもらったもの
いつもの白菜や豆腐がメインでは折角のチャンスを、場の雰囲気が盛り上がらないとまずい
そういう理由で、渋がる優さんに適当に白菜と豆腐以外の豪華めな具をスーパーで買ってきてもらったのだ
・・・・・・勿論、果歩自身、GHK抜きでも食べたかったのは否めないのだが
「そろそろ・・・煮えてきたかな」
果歩が鍋の様子を見ながら、ぽつりとそう呟いた
その瞬間、珠と斗馬の目の色が変わった
2人はまだ幼いが、その身には仙術使いとしての溢れる才覚を持っている
それをフルに発揮し、高速を越えた箸捌きで次々に豪華めな具をかすめ取っていく
「あ、ちょっと!」
仙術使いの才覚ゼロの果歩は全く追いつけない、同じ理由で陽菜も箸を出せない
・・・とてもじゃないが、水入らずの団らんにはなりそうにない
迂闊だった、甘く見ていた・・・・・・いや、わかっていたはずなのに・・・
果歩はがくっと項垂れた時、すっと温かい椀が差し出された
「ほら」
椀を差し出したのは我聞で、同じ様に陽菜にも豪華と質素を均等に入れられた椀が置かれている
それと同時に、我聞は暴走状態の2人をたしなめた
「・・・お、お兄ちゃん・・・!」
果歩は我聞に対して、今までにない立派な『家長』としての威厳を感じられた
「あ、ありがとうございます」
「いや、こんな鍋久々だし、ちょっと殺気立っちゃっただけだから」
陽菜の言葉に我聞は大人の返答をする、果歩は益々感動した
そのやりとりの後、陽菜は我聞の手に持っているご飯茶碗の中身が空になっているのに気づいた
周りに気配りするだけでなく、しっかりと自分も食べていたらしい・・・口元にご飯粒が付いているのですぐわかった
「社長、おかわりします?」
「え、あ・・・うん、じゃあお願い」
我聞が陽菜にご飯茶碗を渡すと、陽菜は炊飯器からご飯をよそい、「はい、どうぞ」と手渡した
それから、我聞の口元にご飯粒が付いていると自身の唇で指し示してやり、我聞はそれをつまんだ
珠が我聞に負けじとご飯のおかわりを陽菜に頼むと、それを受け取り同じ様によそう
「(・・・ああ、なんて理想的な光景・・・!)」
2人はいつものごとく無意識なんだろうが、果歩の目に映る光景はまさに一家団らんといったもの
陽菜はしっかり女房役を務め、我聞は鍋奉行・・・もとい家長としての威厳を何となく漂わせている
「(・・・いい! これならいける!)」
果歩は食べるのを忘れ、妄想に浸るが、それでも悔しいことがあった
そう、何故、ここまで自然にいく2人が、なかなか進展しなかったのか
それが歯痒くて、果歩やGHKはいつもじたばたとしていたものだ
・・・実際のところ、詰めの甘い果歩とうっかりしすぎの優さんが組織の中核にいる時点で、常に作戦が空回りに終わることの方が多い
だが、それにいつまでも気づかないということこそが何よりの証明だろう
「(でも、今日の作戦で・・・それも終わるはず)」
この雰囲気を保ったまま、一気に畳みかける
明日の朝には、本当の夫婦が誕生しているはずだ
そう、優さんが立てたこの計画に狂いはない
果歩はご飯や椀の中身が冷めることも気にせず、1人妄想に浸り続けていた
・・・・・・
「ふー、食べた食べた」
「ごちそうさまでした」
鍋の中身が総て空になり、もう汁一滴すら残っていない
我に返った果歩が後片付けを始めると、陽菜はまたお手伝いに立とうとしたが、同じ様に止められる
「まぁまぁ、陽菜さんは今日はお客さんなんですから」
「ですが・・・」
「なんでしたら、またお兄ちゃんの勉強でも見ててあげてください。なんせ、成績低空飛行なヤツですから」
果歩はそう言うと、鍋の道具を全部持って行ってしまった
陽菜が手持ちぶさたになってしまうと、我聞が声をかけた
「・・・えっと、もし良かったら、さっきの続き・・・いい?」
「あ、はい。わかりました」
陽菜がまた元の位置に座り直すと、我聞も先程までやっていた問題集で詰まった所を示した
簡単に、そこの要点をまとめて伝えると、成果があったのか我聞はすぐに要領を呑み込んだ
「・・・ええと、でしたら、ここの練習問題を解いてみてください。今の公式が理解出来ていれば、難なく出来るはずですから」
「うん、わかった」
我聞が集中してそれをやり始めると、陽菜もその間において自身の勉強を進めることにした
「・・・で、ここをこうして・・・こうなる、と」
最後の答えを丁寧に、かりかりと書き込んだ
我聞が誇らしげに「出来た!」と叫んだ、昨日までわからなかった問題がここまで自信持って解けるようになるとは自分でも思ってもみなかった
「國生さん、採点お願いしたいんだけ・・・」
どと、途中で我聞の言葉が止まった
左隣の辺に座っていた彼女は、机に突っ伏した状態で眠っていたからだ
「・・・」
我聞は陽菜が実は相当疲れていたのではないかと思い至った
いや、確かにお腹が一杯になったから、眠くなってしまったということもあるだろう
だが、冬休みが終わってからというもの、陽菜はまともに休んでいなかったように思える
卓球部のクリスマスイベントの手伝いや、工具楽屋(株)の仕事納めなどに奔走したり残業したり、更に自分の休み時間を削ってまで我聞の勉強まで見てくれていた
これでは陽菜でなくともいつかは倒れてしまう
それに、普段から陽菜はさぼったり怠けることがない性格なので、どんどん疲れを溜め込んでこうして倒れるまで働こうとするのは周知だ
「・・・いつの間にか苦労させてたんだなぁ」
総ては自分が社長としてふがいないせいか、我聞は自責の念にかられた
それから傍に置いてあった上着を、我聞は立ち上がって陽菜の背中に掛けてあげた
「よし、じゃあオレはもう一踏ん張り」
と、問題集の先をやろうとしたのだが、ふっとその視線はどうしても別の方へ逸れてしまう
すやすやと無防備に眠る陽菜の顔に、どうしても・・・・・・
「(あ、あまり見ないからかな)」
そもそも異性の寝顔を見るなんて、兄妹である果歩や珠を除けばそう機会があるわけでもない
だから、余計に意識してしまうのだろう・・・そう我聞は思った
同時に、同級生の、しかも異性の寝顔を見るということに妙な背徳感や罪悪感が感じられた
触れてみたい、その黒髪に、その頬に・・・
「(い、いかん! オレはな、何を考えているんだ!?)」
これでは本当にセクハラ社長だ、ましてや相手は同僚であり同級生なのだ・・・シャレにならない
しかし、我聞の右手はそれに反して陽菜の方へ伸びてしまう
やけに我聞自身の心音が大きく聞こえ、それ以上に部屋の時計の音が気になってしょうがなかった
・・・我聞が陽菜の前髪に触れる寸前に、陽菜はぱちっと目が覚めた
ぴたっと2人の時が止まった
「・・・・・・」
「・・・・・・あの」
我聞はもう終わったと悟った、が・・・肝心の陽菜は全くそれに気づかない
「・・・もしかして、私、寝てました?」
「・・・・・・うん」
我聞は左手で自身の顔を隠し、思わず陽菜から目を逸らして言ってしまう
きょとんとしていた陽菜だが、急に我に返ったように言った
「あ、あ、すみません! つい寝てしまって・・・!」
「い、いや、いいから・・・つ、疲れてたんでしょ?」
なんとかそれだけ言うと、陽菜は我聞の目の前に開かれている問題集に気づいた
「あ、終わったんですね。すみません、見せてもらいますよ?」
「・・・わ、ちょっと待って!」
伸ばした陽菜の手を、我聞はしかっと手に取ってしまった
別に止める必要はなかったのだが、状況的に、反射的に止めてしまったことを後悔した 「あ、あの・・・何か?」
「や、別に・・・その・・・」
我聞がすっと陽菜の手を離し、問題集を渡した
陽菜はその行動に驚き、また意識してしまった
それを隠すかのように、一心不乱に我聞が解いた問題集の答え合わせに集中しようとする
「(・・・そうだ。別に、社長は私を起こそうとしただけのことで・・・)」
今、上着が掛かっていたのにも気づいたし、これは単に寒そうだったから掛けてくれたのだろう
そう、総ては善意の上での行為のはずなのに・・・・・・陽菜の動悸は収まらない
そこに、果歩が部屋に入ってきたのは救いだったのか不運だったのか・・・・・・
いや、それは陽菜にとってすれば、両方の意味合いを持っていた
「・・・もしかして、お邪魔でした?」
「い、いえ、何ですか?」
陽菜がさっと時刻を見れば、もう大分遅い
採点も終えたことだし、今日のところは・・・本当に、早々に退散した方が良さそうだ
果歩も帰りの時刻について言いに来たのだろうと、陽菜は思ったのだが・・・違った
「陽菜さん、今日、ウチのお風呂入っていきません?」
「・・・え?」
・・・・・・
果歩の突然の提案に、我聞も目をぱちくりとさせていた
「おい、何言って・・・」
「そうですよ。流石にそこまで・・・」
2人の言葉が重なるが、果歩は気にしなかった
「いや、だって、寮のお風呂、壊れちゃったって話なんですけど」
「!」
いったいどういうことだろうか、陽菜はそれを果歩に聞こうとした時、その横からひょいっと優さんが姿を見せた
「や、はるるん」
「優さん!?」
優さんの鼻の頭には何かべったりとした茶色の染みが出来ている
その汚れが機械油やさびによるものだと気づいたのは、優さんがことのあらましを説明した時だった
「や~、ほんと参っちゃったよ」
話によると、優さんが寮の部屋のお風呂に入っていた最中に、急にお湯が出なくなった
これは何かボイラーがいかれた所為だろうと思った優さんは、ばたばたと作業服に着替え、湯冷めしそうだったが早速点検しに行った
優さんの技術なら、この程度の修理は朝飯前なのだが・・・あいにく、壊れている箇所の部品の買い置きが無かったのだという
「・・・つーわけで、かほちんに頼んで、ここのお風呂をもらいにきたわけ。銭湯は遠いし」
「大変ですね」
我聞がそう言うと、優さんは「まぁ少しの辛抱よ。明日、部品の発注か買いに行くから」と言った
陽菜はとりあえず納得したが、このまま優さんのようにお風呂までもらうべきか悩んだ
「な~に遠慮してんの、はるるん。年頃の乙女がお風呂に入らないなんて、不衛生すぎますよ~?」
確かにそれはそうなのだが、陽菜はなかなか煮え切らない
それを見た優さんが「あ、そっか」と何か1人で納得した様子を見せた
「はるるん、着替えの心配してたんだ。ふふん、でも安心して、ほら」
ぴらっと優さんが可愛らしいパジャマと下着類を広げて、コタツの中にいる陽菜に見せた
最初は誰のものかわからなかったが、それもすぐに陽菜自身のものだとわかると、慌てて立ち上がり、優さんの手から奪い取り、自身の腕の中に隠した
「ななな、なんで優さんが持ってるんですか!」
「いや~、不法侵入は悪いと思ったんだけど、さ。はるるんがこっち来てんの思い出してね。必要になるだろうと」
「な、なら、せめて紙袋に入れるとかしてくださいっ!」
陽菜がちらっと我聞の方を見ると、案の定我聞は目を点にして固まっていた
優さんは悪びれもなく、「そっか。我聞くんもいたんだっけ」と笑って言った
うらみがましそうな目で陽菜は我聞のことを睨むが、それには全く意味がない
「・・・わ、わかりました。今日のところは・・・」
「さっすがはるるん、話がわかるぅ。さっ、一緒に入ろ♪」
「え、一緒なんですか?」
「バラバラに入ったらお湯がもったいないじゃん」
優さんにぐいぐいと背中を押され、陽菜はお風呂場の方へ押しやられていく
果歩はにこやか笑顔でそれを見送った
我聞だけが、見てしまったものの衝撃の為、未だ固まっていた・・・
勿論、このボイラーの故障は優さんの嘘だ
正確に言えば、今まで正常だったボイラーを優さんが手を加えて部品を壊したということ
優さんの顔の汚れはボイラーを直すためについたのではなく、ボイラーを壊した時についたものというわけだ
それを知っているのはGHKのメンバー、果歩だけだ
つまり、これが『気づいたら・・・!?作戦・第二段階』なのだった
ちなみにそんな事情を知らず、また社長の家のお風呂を借りるという大それたことが出来ない中之井は哀れ、遠くの銭湯に行くハメとなった
・・・・・・
「・・・あ~、もう、こーいう汚れは落ちにくくて仕方ないわぁ」
「そうなんですか」
優さんが機械油やさびの染みをごしごしを石鹸で洗い落とそうとしているのを、陽菜はなんとなくじっと見ていた
我聞の家のお風呂は確かに寮のものより大きく、2~3人は同時に入れそうだった
銭湯以外で足を伸ばせる風呂桶に、家長である我聞より先に入ったことに悪いとは思いながらも陽菜は満喫していた
陽菜の視線に気づいた優さんはいやんと笑って言った
「ナニ、はるるん、これ気になる?」
優さんが自身の豊かに膨らんだ胸を示して言うのに、陽菜は首を振った
「えぇい、隠すな隠すな。女の子同士とはいえ、そりゃ、やっぱ気になるものよ」
「いえ、別にそういうわけじゃ・・・」
陽菜の声が次第に小さくなっていく、完全に否定は出来ないからだ
他人と比べる気もないし劣等感があるわけではないが、これだけ差を示されるとやはり気にはなる
「別にねぇ、大きけりゃ良いってもんじゃないのよ。肩凝るし、動きにくい時もあるし。ま、お姉さんは人それぞれ、好きずきだと思うわ」
「はぁ・・・まぁ、そんなもんですよね」
優さんが上機嫌で陽菜と同じ風呂桶に足を突っ込みながら、「そうそう♪ 人は人」と言った
完全に肩までつかると、優さんのそれはぷかりと湯船に浮いた
「・・・あー、でも、我聞くんみたいな男の子はやっぱ大きい方が好きなのかも」
陽菜はぶっと湯船に思い切り顔を突っ込んでしまった
「な、そこで、なんでいきなり社長の名前が出るんですか!」
「え~? だって、はるるんにとっては一番身近な『男の子』でしょ?」
うっと陽菜が詰まった
「ちょっと気にならない?」
「・・・いえ、別に・・・」
2人入った所為で湯の量が増え、へりにかけておいたちゃぽんとタオルが湯船に浸ってしまう
優さんは「なーんだ、つまんないの」と冗談と本気半々で言うと、すぐにざばっと湯船からあがった
「あ、もう出るんですか?」
「んー、やり残した実験があるの。じゃ、お先に」
優さんがさばさばと風呂場から出ていくのを見届けると、陽菜は頭まで湯にどぷんと沈んだ
・・・・・・そうだ、社長も男の子なんだ
今更ながら、陽菜はそれに思い至った
確かに桃子や父・武文の言葉で以前、陽菜はそれを強烈に意識したことがある
それまで、ただの社長と秘書という関係だったのが、急に世界が変わってしまったかのような衝撃を憶えたものだ
だから、陽菜はそれから・・・なるべくそのことを意識しないように努めた
我聞と1対1になる家庭教師も、それにだけ関して言えば・・・実はかなり負担がかかった
その為、より一層に仕事や勉強に集中することで、そんなことが入り込む余地がないまでに自分を追いつめたのだ
逆に、先程はそれが裏目に出てしまったようだが・・・
「(・・・でも、いつまでもそれじゃ・・・駄目なんだろうな)」
こうして我聞を想うのは、もしかしたら俗に言う恋愛感情というものなのかもしれない
しかし、同時に我聞は陽菜のことを『家族』と言ってくれた人でもある
故に、これは親兄弟に感じるような親愛の情であり、恋愛感情とは全く違うものの可能性もある
どちらかはっきりと自覚出来ない以上、どちらにも傾けずにいるのだ
「(それに、社長が自分のことをどう思っているのかもわからないし・・・)」
はっきり言えば、これは卑怯な「逃げ」の口上だというのは自覚している
しかし、我聞は自分に対して、そうはっきり言ってくれたことは『家族』以外にはない
父・武文の言葉の時は何か反応があったように思えるが、それでも、それ以来・・・特に2人の間には何の進展もない
あくまで、我聞は以前と同じ様に、単なる社長と秘書の関係を護り抜いているようにも思える
これはどういうことなのか、今の関係が壊れたくないからそうしているのか・・・陽菜を異性とは全く感じていないからなのか
「(それでも、社長は社長である以前に・・・男の子なんだ)」
いつまでもこの関係を保っておけるとは思えないが、ありえない話でもない
現に恋人同士とかではない、単なる異性同士の社長と秘書という関係を保っている者は大勢いる
が、もしかしたら、どちらかが爆発してしまうかもしれない
互いの同意がない時の爆発は、それはいわずもがな・・・最悪な関係の崩壊だ
いつかはっきりさせなくてはいけないことなのに、つい先延ばしにしてしまう
それは当然のことのようで、実は向こうからそれを切りだしてくれるのを待っているからに過ぎない
相手の方から言いだしてくれれば、自分は傷つかないし恥をかかなくても済むかもしれないから・・・・・・
流石に息が苦しくなってきたのか、陽菜はばしゃんと湯船から顔を出した
それからすぅーっと大きく息を吸い込み、もう一度頭まで沈んだ
「(・・・)」
どうしようもなく、自分がいやになった
こんな自分なんかお湯の中に溶けて、消えて、無くなってしまったら良いのに
すっかりのぼせた陽菜が風呂から出たのは、それから20分も経った後のことだった
・・・・・・
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