「おーっす!」
「おう、我聞」
「くぐっち、メリークリスマス!」
今日は12月24日、クリスマスイブという奴だ。
有り難いことに今日は仕事が入ることもなく、
俺も國生さんも部のクリスマスパーティーに参加することが出来た。
とは言え、昨日の買い物が中断してしまったお陰で、ここに持ち込むプレゼントは結局有り合せのものに。
一応、午前中に買い物には行ったのだが、部に持ってくるプレゼントまでは手が回らなかったのだ。
だがまあ、これも俺の自信作だ、受け取った奴が不幸になることもあるまい。
と、そんなことを思いながら皆の顔を見回していると、準備に取り掛かっている國生さんと目が合う。
「お、國生さん!」
手を上げて呼びかけると、彼女は・・・
ぺこり、と軽く会釈して、すぐに作業に戻ってしまった。
ちょっと気にかかることもあるし、少し話さなきゃな・・・
「や、昨日は疲れてたみたいだけど、平気?」
「え・・・あ、はい、問題ありません・・・では、準備がありますので・・・」
「え、あ、ああ、じゃあ俺も手伝うよ!」
「いえ・・・これは私の仕事ですから」
「あ、そう・・・?」
む・・・なんだ、この感じは・・・ある意味懐かしいのだが、あまり嬉しくない・・・
そうだ、俺が社長になって間もない頃・・・あの頃の・・・
「こら我聞! お前また國生さんを困らせたんじゃないだろうな!?」
「い、いや佐々木、俺は別に―――」
なんだろう、昨日の午前中は、すごく打ち解けた感じだったのにな。
あのときの話は、やっぱりまずかったのだろうか・・・時期尚早? いや、そもそも脈すら・・・ってことか?
だが、決めた以上は男として突貫せねば・・・
「お前はただでさえ仕事の時も國生さんとご一緒できて羨ましいというのに!」
「だから―――、って部長、いや元部長、勉強とかいいんすか?」
「バカ者! 國生さんが来てくれるというのに来ないわけ・・・っていだだだだっ!」
そんな元部長の耳を後ろから捻り上げる・・・そんなキャラ、卓球部にいたっけか?
「馬鹿者は貴様だ! 一線を退いた身なら大人しくしておれ!」
「・・・ええと、何でまた会長まで・・・」
「べ、別に居て悪いか!? こいつが受験前だと言うのに―――じゃない!
お前たちが浮かれて羽目を外しすぎないよう、監視に来ているだけだ!」
なんか後ろの方で天野や住がにやにやしているが、何がなんだか・・・
「・・・しかし、会長ってのはそこまで働かなきゃならんとは・・・大変だな」
「我聞お前、本当に・・・気付いて・・・ないんだろうな、まあいい、お前はこっちを手伝ってくれ」
「む? お、おう! わかった、任せろ!」
・・・なんというか、この部室で國生さんと話をすること自体が、並大抵のことじゃなさそうだ。
まあ、とりあえず帰り道は一緒になるハズだし、時期を待つか・・・
準備と言っても文化祭の飾り付けと違って内輪のイベントだから、そんな大した手間は取らない。
女子達が思い思いに持ってきたクリスマスっぽい飾りを取り付けている間に、
俺たち男子は机や椅子をちょっと並び替えて、買ったり持ち寄ったりした料理やジュースなんかを並べていく。
雑談しながら働いているうちにやがて準備は整い―――
「よし、では準備も出来たことだし、みんな席に着け!
少し時期は早いが今年一年の締めくくりも兼ねての、卓球部、プラス会長による」
「いちいち言わんでいい!」
「と、とにかく、クリスマスパーティーを開催する!
ではみんな、メリー・クリスマス!」
「「「メリークリスマース!」」」
司会の佐々木の音頭に合わせて、乾杯と共に会が始まった。
もともとイベント好きの卓球部で、中でも一際のお祭好きが司会になって煽るものだから、
皆の盛り上がり様も相当なもの。
あのお堅い会長も、なんだかんだで楽しそうに・・・元部長を苛めている・・・
「佐々木はこういう役をやらせると本当に上手いな」
「ああ、あいつが部長をやってくれて俺たちとしても助かるよ」
「そうだな、俺は仕事で忙しいから無理として・・・
まあ中村がやった方が卓球部としては強くなりそうだけどな、ははは」
それは皆がわかっていることだが、それでも投票で佐々木が選ばれたのは、
部員たちもこういう和気藹々とした雰囲気が好きなのだろう。
俺だってそうだし、中村だってそうに違いない。
國生さんだって、以前はこういう雰囲気は如何にも苦手って感じだったけど、
最近は完全に馴染んで、すごく楽しそうだし・・・
そう思ってふと彼女をを見やると、
例によって佐々木と元部長の突撃を受けて、だが寸前でそれぞれ天野と会長によって阻止されていた。
それを見て國生さんは困ったような笑顔を浮かべている。
・・・よかった、ちゃんと笑ってる・・・
「・・・お前は止めに行かなくていいのか?」
「な、なんで俺が!? ま、まあ・・・ほら、天野と会長が余裕で蹴散らしてるから、任せておけばいいだろ」
「まあ、なぁ」
「それにしても・・・あいつら、仲いいよな、はは」
「あいつら?」
「ああ、佐々木と天野、それに元部長と会長さん」
「・・・へぇ、お前でもそういうところ、気付くんだな」
「は? 気付くも何も、見たまんまじゃないのか?」
「いや・・・俺が悪かった・・・そうだな、見たまんまだな・・・」
なんかため息を吐かれたが・・・果歩と桃子もあんな感じで仲がいいのだが、
中村に言ってもわからんか。
「げふぅ・・・さ、さて、それではお待ちかね! 全員注目!
いよいよ本日のメインイベント、プレゼント交換の時間だぜ!」
顔に青痣を作りながらも、司会業だけはソツなくこなす男、佐々木。
プレゼント交換とは言っても、各自の持ち寄ったプレゼントに番号を振って、
クジでその番号を引き当てた奴がそれを貰えるという、まあビンゴゲームのようなものだ。
「では、まずは部長であるこの俺から! 國生さんのよ当たれ國生さんのよ当たれ國生さんのよ・・・むん!
・・・6番! 誰のだ!?」
「あ、俺だ」
「貴様か我聞――――!!」
ううむ、佐々木には悪いが回りもどっと盛り上がってるし、いい感じだ。
「むぅ、残念だが俺も部長! 貴様のプレゼント、受け取ってやる―――ってなんだこりゃああああ!」
「何だとは何だ! この俺が丹精こめて作ったダイコンに文句あるか!?」
「プレゼント交換に野菜持ち込むアホがおるかああ!」
「ば、バカやめろ! ダイコンで殴るな!」
むぅ、人が折角家庭菜園で育て上げたダイコンをバカにするとは!
他の奴らも笑いまくって誰も止めに入ってくれない・・・せ、せめて國生さんくらい・・・
って、そっぽ向かれてる・・・
「と、とにかく落ち着いて佐々やん、気持ちはわかるが司会を続けるんだ!」
「く、くうう! 我聞め、覚えていやがれ!」
「お前こそ人の育てたダイコンを馬鹿にしやがって! 家で食べて悔い改めるがいい!」
「まあまあ落ち着け! じゃあ、次は副部長ってことで私が!・・・お、1番!」
「げっ・・・」
「・・・佐々やん? そのげっ、ってのは・・・・・・・・・さーさーやーん? これ・・・ナース服?」
「い、いや決してそれを國生さんに着て欲しかった訳でぶべっ!」
「・・・なぁ中村、ああいうのは喜ばれるのか?」
「・・・察しろ」
「いいじゃん、恵が國生さんの代わりに佐々木くんのために着てあげたら〜?」
「と、友子! あんた何を!」
と、まあそんな感じでいちいち笑いを振り撒きながら、プレゼント交換は進んでいく。
会長の引いたのが元部長が持ってきたらしいサンタっぽいミニスカートの服で、
それも佐々木と同様の思惑だったらしくて会長にどやされていたり(どこであんな服手に入れたんだか・・・)、
國生さんが天野が用意したらしいハリセンを手に入れていたり(使いこなせるのか?)・・・
ちなみに國生さんが持ってきたのはかわいい観葉植物の鉢植えで、これは住に渡っていた。
住ならちゃんと世話するだろうし、國生さんも安心というところだろう。
そんなことを思いながらそれとなく國生さんの方を見ていると、
國生さんの方でもちらりとこっちを覗って、一瞬、目が合った。
最近こういうことがあったときは、互いに顔を赤くして目を逸らす、という感じなのだが、
今日はただ・・・いや、むしろ避けるように、目を逸らされた。
気のせいでは、無い、よな・・・
「ほら我聞、なにボーっとしてる、お前の番だぞ?」
「え? お、おお、よっしゃ、いいの当ててやる!」
いかん、折角のパーティーで辛気臭い顔して場の雰囲気を壊すのはまずいな。
「む、5番だな、これか・・・うぉお! ラバーの新品じゃないか!」
「おお、お前に行ったか・・・丁度良かったな、使ってくれ」
「サンキュー中村、恩に着るぜ!」
「あらあら、これでくぐっちのドライブの威力が上がっちゃうねぇ、佐々やん、No.2の座もいよいよ危ういかな?」
「う、うるせー恵! あ、あれ、國生さんどちらへ?」
「すみません、ちょっと席を外します・・・」
そんな風に俺が盛り上がってる間に、國生さんは部屋を出て行ってしまう。
単なる偶然かもしれないが・・・いや、やはり・・・避けられているのか・・・
・・・昨日のあの会話までは問題無かったんだ、むしろ順調すぎるくらいだった。
あの会話にしたって結局、本題にすら入れずに中断されてそれっきりなのだから、
せめてもう一度、ちゃんと話したいと思うのだが・・・
全て話した結果がこれなら、受け入れるしかない・・・だが、このままでは俺だって・・・正直、辛い。
「・・・どうした、やっぱりお前ら、何かあったのか?」
「い、いや・・・ちょ、ちょっとトイレいってくる!」
だめだ、やはり直接本人に聞かなくては。
原因があの会話だったのは間違いないと思うのだが、まだ大事なことには何も触れていないはずだ、
それなのにこの態度はいくらなんでも変だ・・・。
誤解があるなら、解いておかねば、部の奴らにまで心配をかけてしまう・・・!
「國生さん!」
少し探すと、彼女はすこし離れたところで所在なげに立っていた。
俺が声をかけると、びくっとしたように振り向いて、少し後ずさったが・・・逃げはしなかった。
「國生さん・・・ちょっと、いいかな?」
「・・・はい、社長・・・なんでしょう?」
「國生さんさ、なんか、俺のこと、避けてない?」
「いえ、別に・・・以前からこんなだったと思いますが」
「いや、以前っていうか、昔・・・って程でもないけど、前はこんな風だったときもあったけどさ、
最近はもっと・・・打ち解けてたっていうか、なんていうか・・・昨日の午前中とか、さ」
ぴくっ、と國生さんの肩が震えたような、気がした。
そして気のせいでなく、俺を見る目が、一層厳しくなった。
「最近は・・・少し、浮かれていましたから・・・それが、昨日のあの言葉で、醒めただけです」
「昨日の言葉って・・・あれか、あれはまだ途中で・・・」
「社長、ラバー貰えてよかったですね、とても楽しそうでした」
「そ、それはまあ、実際嬉しくもあったけど、折角佐々木や天野が企画してくれた会なんだ、
個人的な悩みとかで盛り下げる訳には・・・」
「じゃあ、部のイベントのためなら私も個人的な悩みは忘れて笑えって言うんですか!?」
「ちょ、ちょっと待って國生さん! そこまで言ってない!」
「言ってますよ! 個人的な悩みって・・・! 私がどんなに、どんなにあの言葉で悩んだか!
人の気も知らないで!!」
だからその話の続きを――――
と、言い出す前に、國生さんは走り出していた。
俺もすぐに後を追う。
話の途中で逃げられたから、というのも勿論あるが・・・國生さんの目尻に、涙が、見えたから。
「待ってくれ、話を聞いて!」
足で國生さんが俺に勝てるはずも無く、すぐに追いつくと強引ではあるが腕を掴んで止まらせる。
互いに呼吸が落ち着くまで少しだけ待って、
「國生さん、なんか誤解があるみたいだけど、昨日の話はあれで終わりじゃ―――」
「社長、どこまでついてくるつもりですか?」
「・・・え?」
「ここ、女子トイレですが?」
「・・・え、うぉ、す、すまん!」
思わず手を離して飛び退ってしまう。
それから慌てて、逃げられないかと様子を覗うが・・・
「・・・すみません、社長・・・取り乱してしまいました・・・」
「い、いや、俺も怒鳴るみたいに喋っちゃって・・・いや、君の気も知らないで・・・すまない」
「よかったら、話はまた後にして頂けますか・・・?
あまり部を空けると皆さんも心配するでしょうし・・・」
「そうだな・・・お互い、落ち着いてからの方がいいか」
「はい・・・では、私はトイレに寄っていきますので・・・社長は先に戻られて下さい」
「ん、わかった・・・えと、本当にすまん・・・」
「いえ・・・」
・・・何たる、醜態。
感情的になりすぎた。
自分の器の小ささを國生さんに見せ付けてしまったようなものだ。
確かに、落ち着かないとな・・・
「おう我聞、戻ったか」
「ああ、すまん、ちと遅くなった」
「國生さんはどうしたあああ!?」
「あ、いやちょっと、もう少ししたら戻るからさ」
「工具楽くん・・・大丈夫?」
「あ、ああ、平気だ、心配ない!」
「國生さんも?」
「ああ、勿論!」
あまり、納得された顔ではないな・・・俺の不安が顔に出ているんだろう。
とにかく、今は気分を切り替えなきゃな・・・國生さんとは、戻ってからちゃんと話そう、改めて。
そして5分経って、
10分経って、
30分経っても、國生さんは戻らなかった。
「ちょっと、探してくる!」
「私もメール送ってみる・・・あ、まってくぐっち! メール来てる!」
「なんだって!?」
「ええと・・・
『急に仕事が入りました、申し訳ありませんが直接、社に向かいます。 挨拶も無しですみません。
事務の仕事ですので、社長にはお気になさらぬようにとお伝えください。 國生』・・・って・・・」
「・・・! いや、國生さん一人に仕事させる訳にも行かない、俺も戻るわ、悪いみんな!」
「あ、くぐっち、じゃあるなっちの荷物と上着も!」
「すまん天野、じゃあまた!」
嫌な予感に駆られて、俺は全力で事務所へと走った。
全速力で工具楽屋に到達して、階段を一気に駆け上って―――
「國生さんいますかっ!?」
我ながら唐突だとは思うが、ドアを開けると同時に大声で聞いてみる。
中にいるのはそれはもう驚いた顔の優さんに中之井さん、それにあまり動揺した感じではない・・・
「いえ、見てませんが?」
「そ、そうですか・・・す、すみません、急に・・・」
辻原さんが、本当に何事も無さそうに応えてくれた。
「あれ〜? 陽菜ちゃんは我聞くんと一緒に学校でクリスマスパーティーじゃなかったの?」
「いえ、それが途中で居なくなっちゃって・・・
部の奴にメールで仕事が入ったから戻る、って来てたものですから・・・」
確かにその通りなのだが、なんとなく予感はあった。
きっと、それは口実に過ぎなくて、俺がすぐに向かいそうなところに行くはずがない、って。
「ねぇ、それって・・・もしかして、陽菜ちゃんとなんかあった・・・?」
「いえ、別に・・・」
「だって昨日、仕事終わった後もなんだか雰囲気おかしかったよ? 昨日の午前中とか、本当に何もなかった?」
「ありませんよ・・・そんな、言うほどのことは・・・」
「ふむ。 言うほどではないことは、あったと」
「それは・・・でも、それは俺と國生さんの問題だから・・・」
「そうですか。 でしたら、こんなところでグズグズしていないで、すぐに探しに行くべきでは?」
「はい・・・でも、学校でそうしようとして・・・少し、口論っぽくなっちゃって・・・
例え今見つけられたとしても、同じ事になってしまうかもしれなくて・・・」
とにかく必死で走っては来たけど・・・
でも、もしここに國生さんがいたら、ちゃんと話はできたのだろうか?
こうしてすこし落ち着いてみると、正直、自信がなかった。
「ちょっと我聞くん!? なにぐじぐじしているのよ君らしくない!
陽菜ちゃんの気持ち、ちゃんと考えてあげてる!?」
「考えてますよ!」
びくっ、と優さんが驚いた顔を見せる。
いかん・・・まただ。
「・・・すみません優さん・・・でも・・・考えてわかるなら・・・こんなに悩んだりは・・・」
「考えてわからない・・・でしたら、ぶつかるしかないですねぇ。
仙術使いとしては良い考え方ではありませんが・・・ことは、仙術でも、社長業でもないですからね。
迷ったときは、己の信じるところに突貫する―――それが良くも悪くも君らしさであって、
君を知る人・・・慕う人は、そこに惹かれていると思うのですが・・・
柄にも無く、臆病風にでも吹かれましたかねぇ?」
臆病・・・嫌いな言葉だ・・・そうはなりたくない・・・そう思っていたのに・・・
でも、辻原さんの言う通りかもしれない・・・もしまた、國生さんに拒絶されたら、そう思うと・・・
だが・・・くそ・・・本当に、俺は・・・!
「我聞くん。 ここに飛び込んで来た時の勢いは相当じゃったな・・・
陽菜くんのこと、それだけ気になっているのじゃろう?」
「え・・・は、はい・・・」
「それが分かっているなら、なぜまだここにいるのじゃ」
「・・・え?」
「ここから先は君の心次第、気になっている理由次第じゃが・・・
もし陽菜くんが君にとって本当に大切だと思うなら・・・今すべきことは、なんじゃね?」
今すべきこと・・・出来ることは・・・一つしかないけど・・・
「今の君は普段からは考えられないくらい落胆したように見えるが・・・もし、じゃ。
我聞くんと陽菜くんの間に誤解があったとしたら・・・
陽菜くんは、今君が感じている悩みを・・・
いや、それ以上の苦しみを抱えているかもしれないとは、思わんかね?」
どきん、と一つ大きく鼓動が響き、さっきの場面が蘇る。
―――私がどんなに、どんなにあの言葉で悩んだか!
―――人の気も知らないで!!
國生さんを追うのに必死で、
自分が拒絶されたかもしれないことが苦しくて、
よく考えもしなかったのか・・・
俺は、知らぬ間に國生さんを傷つけていたんだ・・・
なら、まずは・・・俺のことはいい、まずは!
「謝らなきゃ・・・傷ついていた國生さんに、俺は俺の言いたいことだけを言おうとした・・・
ちゃんと・・・謝らなきゃ・・・」
「そんな顔をするのは、本当に手が届かなくなってしまったとき・・・二度と手が届かなくなってしまったとき、
それからでも遅くはないんじゃないかの。
もしかすると部屋に戻っているかもしれんが・・・そのコート無しで外にいたとしたら、
流石に寒かろう・・・さあ、あとは君の思うようにしなさい、我聞くん」
つくづく・・・俺は、みんなに支えられているな、と思った。
本当に、感謝してもし足りないくらい。
そういえば、いつかそれに気付かせてくれたのも、國生さんだったっけ・・・
もう、迷いはない。悩みも、消えた。
必ず、君を探し出す・・・!
「す、すみません! ちょっと出てきます! ・・・・・・ありがとうございましたっ!!」
既に陽も暮れかけた寒空の下、俺は彼女のコートを片手に駆け出していった。
当てというほどのものは、無い。
片っ端から、探し回るだけだ・・・それが、俺らしさのはず、國生さんに受け入れて欲しい、俺のはずだから。
「仲之井さん、お見事です」
「はー、私だったら怒鳴り散らして収拾つかなくなっちゃったかもだなー、さすが亀の甲より歳の功!」
「やれやれじゃわい・・・この歳になって人の色恋沙汰に口出しすることになるとはのう」
「仲之井さんにもいろいろありそうだね〜?」
「はっは、昔の話じゃよ、優君が生まれるより前の、な」
「さてさて、そんな訳で若者たちが人生を謳歌しているわけですが、
我々としては、せめてこんなものでも楽しみませんか?」
そう言って辻原が取り出したのは、一本の酒瓶と三つのグラス。
「お〜! 流石辻原くん、気が利いてるね! 丁度欲しかったところなのよ!」
「事務所で酒はどうかと思うが・・・ワシも丁度一杯やりたくなったところじゃわい、
折角じゃから馳走になるかの」
「お二人ともそれでこそです―――ま、そんな相手を探しに、わざわざ休日に事務所に来てた訳ですが」
「あはは、私も似たようなものだわ〜」
「お互いクリスマスだと言うのに何してるんでしょうねぇ、ははは―――では、これを」
グラスを渡すと、それぞれの持ったグラスに酒を注ぐ。
そして酒精を満たしたグラスを掲げ―――
「では・・・そうですね、我らが社長と、その愛しの秘書の将来に」
かちちっ、と乾いた音が、工具楽屋の事務所に響いた。
時刻は、午後8時になろうとしていました。
「・・・何してるんだろう・・・わたし・・・」
せっかく社長が話の続きを、と追いかけてくれたのに、私は、それを拒絶しました。
そして、逃げました・・・
昨日、話の続きが気になって、不安で不安で堪らなくて・・・辛い夜を過ごしました。
なのに今日、社長に会っても、今度は怖くて、話の続きが聞きたくなくて、社長を避けて、酷いことを言って・・・
今の私には・・・社長に合わせる顔がありません。
だから、社長が来そうなところ・・・会社にも、部屋にも戻れませんでした。
上着も荷物も持たないままで学校を抜け出してしまったので、寒さに震えながらたどり着いたのは・・・
あの駅前のツリーでした。
その頃、時刻は午後5時過ぎくらいだったでしょうか・・・
空はどんよりと曇り、空は暗く濁ったような灰色に染まり、
その下でツリーに飾り付けられたイルミネーションがチカチカと光っていました。
周りには、たくさんの人たちがいました。
仲良さそうに笑いあう人たち、携帯を弄りながら・・・恐らく待ち合わせの相手を待つ人たち・・・。
そんな、幸せそうな人たちの中で私だけがひとり、取り残されたようでした。
待つべき相手もなく心に後悔と寂寥を満たして見上げるツリーは、
酷く安っぽい、陳腐なものに見えました。
気が付いたらここへ来ていましたが、ここで思い出すのは社長とのあの会話・・・
―――あの時、仕事の電話がかかってこなかったら・・・
―――あの時、社長が強引に話を最後までしてくれたら・・・
自分が “その先”を勝手に想像して勝手に悩んでいるというのに、
その責任を転嫁するような嫌な考えばかり湧いてきます。
ここにいてはいけない・・・今の私がいるだけで、周りの幸せそうな人の邪魔になる・・・
寒さとそんな思いに押されるようにして、私は近くの屋内・・・デパートへと向かいました。
とりあえずツリーから離れたかったのと、暖を取りたかっただけなのですが、
足は自然と・・・昨日、社長と歩いた順路と追っていました。
それに気がついて思いを振り払うように別の道を辿って、空いたベンチを見つけてはしばらく座り込んで、
すぐに湧いてくる嫌な思いを振り払うように立ち上がると、更に別の方へ進んで・・・。
そんなことを散々に繰り返した挙句、今はあの花屋さんが見えるベンチに座っています。
ツリーのところへ行ってしまったのも、昨日と同じ順路を辿ってしまったのも、
理由はかんたんなこと・・・
・・・昨日の、楽しかった思い出に縋りたかったから。
受け入れたくない現実から逃げて、幸せだった昨日の夢みたいな時に浸りたかったから。
それは、もしかしたら、本当に手に入ったかもしれないものでした。
でも、今は・・・自分の手で、修復不可能なまでにこわしてしまったのかもしれないのです・・・
午後8時が迫り、デパートの閉店時間を告げる音楽が流れてくると、私も立ち上がってそこを出ました。
外には、ちらちらと白いものが舞っていました。
聖夜の雪―――ホワイト・クリスマス―――です。
でも今の私には、ただ寒いだけの夜。
まだ部屋に戻る気にはなれず、私は近くの喫茶店に入りました。
熱いコーヒーを注文して、会計を済まそうとポケットに手をやって、携帯の存在を思い出しました。
席について開いてみると、社や部の方からのメールが数通、届いていました。
『るなっちお仕事だって言うけど、なんか疲れてたみたいだし、無理しちゃだめだよ!
・・・くぐっちとなんか上手く行ってないようだったら、相談のるからね! いつでも電話かけてくるべし!』
『優姉さんだよ〜 はるるん大丈夫!? なんか我聞くんがまたおかしなこと言っちゃったみたいだけど、
気にしちゃダメだよ〜! 相談だったらお姉さんがいつでも乗るからね! 遠慮はいらんぞ〜!』
『昨日、工具楽くんとなにかあったの? 工具楽くんのことだから、先走って変なこと言ったりしたかもだけど、
彼は悪気とか絶対に無いと思うから・・・ちゃんと話し合ってみてごらんよ、応援してるから、がんばって!』
・・・違うんです・・・。
社長は悪くないんです・・・私が・・・わたしが・・・
謝らなきゃ。
部の皆さんに、それにきっと会社で聞いたのであろう、優さん達に。
そして誰よりも・・・社長に。
でも・・・勇気が・・・足りないです・・・今のこんな状態で、社長に会う勇気は・・・ないです。
勇気・・・その言葉から連想するのは・・・私に勇気を与えてくれるのは・・・
どんな危機にも、脅威にも逃げずに立ち向かった、やはり社長なのです。
でも、その社長に会う勇気が無い私は、どうすればいいんでしょうか?
会いたいです・・・会って、話がしたいです。
でも、会えないです・・・怖くて・・・拒絶されたらどうしようって・・・!
初めて、知りました・・・会いたいのに、近くにいるのに、会えないのがこんなに辛いなんて・・・
会いたいのに・・・こんなに、こんなに会いたいのに!
・・・今になって・・・今更ながら、確信しました。
私は、やっぱり・・・あなたのことを・・・
社長・・・私は・・・あなたのことが・・・
喫茶店で一人座って、ぼろぼろと涙を流す私は、周りからどんな目で見られたでしょうか・・・
クリスマスイヴに失恋した、哀れな女の子・・・といったところでしょうか。
なんだ、そのまんま・・・その通りじゃないですか・・・
11時になりました。
喫茶店も閉店となり、私は再び、寒空の下へ。
雪は勢いを増していて、駅前の風景を白く飾り立てていました。
でも、きっと普段より美しいはずのその風景も、今の私には何も与えてはくれません。
何も考えたくなくて、ただもう帰ろうと思って、それでも何故か・・・何かに引きずられるかのように、
私の足はまたしてもツリーへと向かっていました。
何故か・・・何か・・・本当はわかっています。
あんなに泣いたのに、あんなに自分で否定したのに・・・私は、期待しているんです・・・
そこに行ったら、あの楽しかった昨日の続きが、もしかすると待っているかもしれないって・・・。
そこにはいつもの明るくて温かい笑顔を浮かべた社長がいて、
「や、國生さん。 やっぱりここに来たね、待ってたよ」
って、いつも通りの声をかけてくれるかもしれないって・・・
―――だから最初、わかりませんでした。
目の前にいるその人は、私の空想だと思いました。
でも・・・空想でもいい・・・とにかく謝らなきゃって・・・気持ちを伝えなきゃって・・・!
いっぱい、いっぱい話したいことがあって、でも、何から話したらいいかわからなくて、
早くしないとこの幻は消えちゃうかもしれないって、気ばかり焦っていると・・・
「そんな格好で冷えちゃったろう、大丈夫? 風邪とか引いてない?」
その人の形をした幻は、私にコートを羽織らせてくれました。
それは本物みたいに温かくて・・・
「・・・私の・・・コート・・・?」
「ん、國生さん、上着も持たずに学校から出て行ったろ? 雪まで降ってきたし、寒いだろうと思って」
私は、その人に少しずつ、少しずつ近寄って、手を伸ばしました。
私の手は―――決してすり抜けることなく、確かな手応えを感じました。
服の上からでもわかる、見た目の割に引き締まった、修練の末に鍛え上げられた、頑強な肉体。
「・・・社長・・・」
社長は・・・そこにいました。
私の中で止まったままの、昨日の続きの、ツリーの下で。
涙が・・・さっき涸れたと思うくらいに泣いたのに・・・また、溢れそうでした。
今度は、このまま社長の胸に身体を預けて、大声で泣き出したいくらいでした。
でも・・・その前に、ちゃんと話さなきゃ・・・謝らなきゃ・・・
ちゃんと、思いを伝えなくちゃ・・・!
「國生さん・・・話して、いいかな?」
「・・・はい・・・」
混乱するばかりの私は、言葉をまとめることも出来ませんでした。
でも、そうです・・・言うだけじゃだめ・・・ちゃんと、聞かなきゃ。
「まずさ・・・ごめん・・・本当に、済まなかった・・・」
「社長? どうして・・・社長が謝ること・・・」
悪いのは、私です・・・全部私が・・・
「昼間、言われた通りだよ・・・俺は、君のことなんか全然考えていなかった。
いや、何て言うか・・・君のことを考えていたんだ・・・だけど、そう、ええと・・・
君のことを考えている俺のことしか考えてなかったというか・・・あああ、もう!」
・・・え、ええと・・・?
「・・・君に、言いたい事があったんだ・・・とても・・・本当にとても、大事なことを・・・
でも、そればっかり、言わなくちゃってことばっかり考えてて・・・
言いかけたときに仕事の電話が来て、中断しちゃったんだけどさ」
あのときの・・・
私が、悩んで、苦しんで・・・自棄になって・・・続きが気になって、でも聞きたくなかった、あの言葉・・・
「あの時、俺はただ、言いたい事が全部いえなかったとだけ・・・
また、今度改めて伝えよう、としか思わなかった・・・けど、今更ながらに考えたんだ。
あのときの俺の最後の方の言葉・・・おっちゃんのあの発言を、無かったことにしようって・・・
確か、そうだったよね?」
「はい・・・そうです・・・私たちの間で、無かったことにしないか、って・・・」
そうです、あの言葉・・・すごく恥ずかしかったけど、でも、嫌じゃなかった、あの言葉。
からかわれたけど、今ならわかる・・・二人で顔を赤らめたりしていたことが、どんなに嬉しかったか・・・。
そんな、私にとって幸せな気持ちをもたらしてくれた言葉を、否定する、一言。
「もしかすると、なんだが・・・それで、國生さんのこと・・・怒らせてしまったんじゃないかって、思ったんだ」
怒っては・・・いません・・・ただ・・・・・・悲しかったです・・・
「俺、本当に自分の気持ちを伝えようと精一杯で、それが君をどんな気分にさせるかなんて、
全然考えてなかったんだ・・・本当に・・・すまなかった・・・」
「・・・・・・いえ・・・だって・・・社長が本当に言いたかったことでしたら・・・
私の気持ちは・・・気にするべきじゃないはずです・・・だって・・・それが社長の気持ちなら・・・」
それが社長の言いたいことなのでしたら・・・受け入れます・・・
社長が本気なのは、口調で・・・態度でわかります・・・だから、私も・・・嫌だけど・・・辛いけど・・・
でも、ちゃんと、受け止め・・・
「違うんだ!」
どきん、と胸が鳴るくらいに、鋭く、強く、社長は言いました。
「確かに言いたいことを言おうとして言った言葉だけど、それはええと、何て言うか、前提なんだ!
本当に言いたいのは、その先なんだ・・・」
社長の顔が、とても辛そうでした。
言いたい事が言えない・・・もどかしさに悩んでいる・・・そんな感じでした。
なら、私が取るべき手段は・・・
「すみません、社長・・・私・・・最後まで・・・社長が全部、話してくれるまで・・・もう、何も言いません。
どんなに辛い話でも・・・受け入れたくなくても・・・ちゃんと、聞きます・・・
だから・・・どうぞ、お話しください」
「・・・ありがとう・・・出来れば、國生さんにとって辛くない話になると、いいんだけどね・・・」
覚悟を、決めました。
今・・・昨日の時点で、この木の下で止まったままの時計を、再び進める時です。
昨日、社長が言おうとしたことを・・・全部、最後まで聞きます。
それから・・・例えどんな話であったとしても・・・
私は、私の言いたいことを言わせて貰います。
それが・・・私の抱いた社長への想いの、けじめです。
「さっきの通り、俺は、あのおっちゃんの発言・・・無かったことにしたいって言った。
あのときから、俺も國生さんも、周りからからかわれたり、なんかお互い変に意識したりしててさ・・・
正直、楽しかった・・・けど、どうしても違和感があったんだ・・・。
柄にも無く考えてさ・・・どうしてかわかったよ」
不安で、心臓が痛いくらいに高鳴っています。
でも・・・逃げません。
逃げたら・・・もう、次はきっと、無いから。
「言葉がなかったんだ。
俺の言葉も、國生さんの言葉も・・・。
俺たち、お互いに雰囲気に酔ってるだけで・・・お互いの気持ち、一言も伝えてない」
・・・そんなこと・・・私・・・考えてなかった・・・
酔ってるだけで・・・気持ちよかった・・・言葉・・・欲しかったけど・・・自分からなんて・・・
「だから、俺はおっちゃんのあの言葉ではなく、俺の意思で、俺の言葉で、俺の想いを、伝えたかったんだ・・・
確かに、おっちゃんがあんなこと言うまで、意識してなかった・・・けど!
言われてから思い返して・・・もっと前から、確かに俺の中にあった気持ちなんだ・・・
辻原さんが第一研から電話をくれた日・・・俺が・・・君の前で、情けない姿を見せた、あの日・・・
あの時から・・・君が、俺の弱さを受け入れてくれた時から、俺の中に生まれた気持ち・・・」
社長は言葉を区切って、私を真剣な目で見つめました。
私も・・・真剣に、社長の目を見ました・・・
高鳴る胸を、抑えながら・・・
「俺・・・國生さんのこと・・・・・・好き、だよ」
私は・・・・・・胸の中で感情が、抑えてた気持ちが・・・一気に爆発したみたいに混乱して・・・
「・・・それだけ・・・それだけ最初から言ってくれればよかったのに・・・」
「すまん・・・どうしても、俺の言葉で・・・って、言いたくて・・・」
「そのせいで・・・私がどんなに悩んだか・・・苦しんだか・・・辛かったか!」
「・・・すまん・・・」
「それで・・・それで私、社長に・・・酷いこと、あんなに言って・・・」
自分でも何を言ってるのか、よくわかりませんでした・・・
衝動に任せて頭に浮かんだことをそのまま口にして、衝動に任せて社長に抱きついて、体を預けて・・・
「・・・ごめんなさい・・・ごめんなさい! 私、社長に酷いこと・・・
私の勝手な思い込みで、酷いこと言って・・・ごめんなさい・・・本当にごめんなさい・・・!」
泣きながら、何度も・・・同じ事を何度も何度も・・・繰り返しました。
「・・・社長だけじゃないです・・・わたし・・・部の人にも・・・社のみんなにも・・・心配ばかりかけて・・・」
もっと、もっと言いたい事が・・・社長に伝えたいことがあるのに・・・
「もういいよ、気にしないで、國生さん。 部の奴らや会社のみんなは、君が悪いなんて思ってないよ。
それに、実際、國生さんが言った通り・・・ちょっと回りくどかったのがいけなかったんだし、ね」
「でも・・・でも・・・」
そう言って顔を上げる私に、社長は微笑んで語りかけてくれます。
「部も会社も、今度顔を出すとき俺と國生さんが仲良くしていれば、それで安心してもらえるからさ・・・
大丈夫、気にしなくても平気だよ、それに俺も、君を責めたりなんかしないからさ、気にしないでいいよ。
だって・・・俺は・・・まあ、ほら・・・・・・君に、惚れてるわけだから、さ・・・」
もう一度告白してくれた社長の顔が、今度はとても照れくさそうでした。
でも・・・とても、優しい顔。
社長の体温と優しい表情、そして言葉は、私に元気と・・・勇気をくれます。
だから・・・私も応えようと思います・・・社長の伝えてくれた想いに、私の想いで。
「社長・・・どうして、こちらに・・・?」
「ん? ああ・・・昨日さ、國生さん言ってたでしょ、ライトアップされたツリーを見たい、って・・・」
「それで・・・ずっとここに・・・」
「まあ、ずっとったって、そんなずーっと居た訳じゃないからさ、あはは」
嘘。
肩と頭に白く積もった雪・・・きっと、何時間もずっと、ここにいたんだ・・・待っててくれた・・・
「私・・・確かに、夜のツリーを見たいって言いました・・・でも、ただ見たかった訳じゃないんです・・・」
社長は何も言いませんでした。
「一人で見たかった訳じゃない・・・かといって、部の皆さんとか、社の方々と、って訳でもなくて・・・」
ある方と・・・二人きりで、見たかったんです・・・」
社長の顔を、目を、見つめながら。
社長も、微笑を薄く残して・・・真剣な目で、私のことを見てくれています。
「あなたと・・・二人で、こうして・・・見たかったんです・・・」
あなたが勇気をくれるから・・・言葉を紡ぐことができます・・・
「あなたのことが・・・私も、あなたのことが・・・好きだから・・・」
・・・社長は何も言わずに・・・私の肩を、抱いて、軽く私を引き寄せて・・・
「君に会えて、よかった・・・」
「はい・・・」
それが今日のことなのか、最初の出会いのことなのか、わかりません。
でも・・・どちらでもいいです・・・どちらだったとしても・・・私も、同じ気持ちですから。
さっき一人で見上げたツリーは、陳腐な印象しかありませんでした。
でも今、社長の腕の中の私の目に映るそれは―――涙で滲むイルミネーションが白い雪に映えて・・・
「本当に・・・本当に、綺麗」
「・・・ああ・・・」
でも、あまり長くは見ていられませんでした。
涙が・・・今度は嬉し涙が止まらなくて・・・また、社長の胸に顔を埋めてしまったから。
「ずっとここに居ても冷えるな・・・そろそろ戻ろうか」
「はい・・・社長」
泣き止んでしばらく経ってから、社長に促されて私たちは駅前のクリスマスツリーを後にしました。
そんなに長くは見られなかったけど、でもきっと・・・生涯忘れない光景・・・
歩きながら、すっかり冷えてしまった手を少しでも温めようと息を吐きかけていると、
いきなり片手を社長に握られて・・・握ったまま、社長のコートのポケットに突っ込まれてしまいました。
少しだけ驚いて社長の顔を見ると・・・照れを隠すように、真っ直ぐ前ばっかり見ていました。
「くすっ」
「・・・ん?」
あくまで、当然のことだっていうフリを通すつもりのようです。
でも・・・握ってくれた社長の手がとても温かかったので・・・それに、嬉しかったので・・・
そのまま社長にぴったりと寄り添って、多分私も社長も赤い顔をしながら、帰途につきました。
帰り道、私たちは、あまり喋りませんでした。
たくさん悩んで、苦しんで、泣いて・・・でも、想いは同じだったってわかって・・・
そして、こうして手を繋いで、寄り添って、隣を歩いてくれている・・・
それだけで胸が一杯で、口を開いたら、幸せが溢れちゃいそうで・・・
時々、繋いだ手をぎゅっと握ってみると、ぎゅっと握り返してくれるような、
そんな子供じみた無言のやり取りが、ただただ、幸せでした。
週末でクリスマスの夜でもあり、駅からの道すがら、家々の窓はどこもまだ明るく、
門や生垣に飾られたイルミネーションが雪化粧に映えて楽しげな雰囲気を醸し出していましたが、
工具楽屋は駅から随分と離れた所ですので、景色は徐々に寂しげなものに変わってきます。
この辺りまで来ると車通りもほとんどなく、私たちの足音以外はほとんど何も聞こえません。
やがて、灯りは街灯だけになりましたが、その灯りを雪が照り返し―――
しん、と静まり返って、そしてほの明るい―――雪の晩特有の、幻想的な雰囲気を作り上げていました。
工具楽屋の前まで来ました。
隣は社長の家ですが、出来ればもう少し・・・一緒に居たいな、と思って彼の顔を見上げると・・・
「ね、國生さん・・・すこし、事務所にでも寄っていかない?」
「あ、はい!」
思いが通じたのか、社長もそう思ってくれていたのか・・・
手を繋いだまま、私たちは工具楽屋の階段を上り・・・ふと、私は足を止めます。
社長も一歩進んでから気付いて、
「どうしたの?」
「はい・・・その・・・丁度、この辺でしたよね・・・」
「え・・・・・・あ・・・! ・・・ああ、そうだったね・・・」
そこは、いつか社長と二人、並んで座ったところ。
社長が私に、弱さを晒してくれたところ。
社長とゆびきりしたところ。
そして・・・
「懐かしい、って言うにはまだ大した時間は経っていないハズなんだよな」
「そうですね・・・でも、短い間に随分いろんなことが、ありましたから・・・」
「ああ・・・第一研に突貫したあの日だけで、本当にいろいろあった・・・
あの日を境に、いろんなことが随分変わったしな」
「はい・・・それに、お父さんや先代のこともありましたし」
「あの発言も、その一つだよな、あはは・・・」
「ふふ・・・社長のせいで嫌な思い出になりかけちゃいましたけど、ね」
「むぅ、悪かったよ・・・でもまあ・・・今日また一つ、大きなことがあったしな・・・」
「はい・・・とても・・・嬉しいこと・・・」
そう言って、私たちはしばし、黙って顔を見つめ合っていました。
雪が舞う夜は相変わらず静寂に満ちていて、自分の鼓動の音が嫌に大きく聞こえます。
「ここで話したときに・・・あの時から、社長は・・・」
「ん・・・さっきも言った通りだよ。 俺はさ、いろんな人に支えられてやってこれてるって、
それは分かっていた・・・まあ、これも國生さんに気付かされたことだけどさ、はは・・・
それでも、いや、だからこそ、かな・・・社長として、せめて強気の姿勢だけは絶対に崩さないって、
決めてたんだ。 上に立つ者が弱気じゃ、格好がつかないからね」
はは、と少し照れたように社長は笑い、それからまた、私の目を優しく見つめて、語り出しました。
「でも、あのとき・・・君がああ言ってくれた時にさ・・・それが出来なかった。
こらえようとする間もなく涙が出ちゃって・・・泣きながら、情けないって思ったけど・・・
でも、そんな俺を赦してくれる・・・受け入れてくれる君・・・本当に・・・嬉しかった・・・」
・・・それは、あなたが私を受け入れてくれたから。
だから、私も、あなたを受け入れたかったから・・・
それだけじゃないけど・・・でも、その前に、少し意地悪な質問。
「じゃあ、もし私じゃない人が同じ事を言ったら・・・社長は、その人に惚れてたかもしれないんですか?」
「む・・・実はね、それは俺も考えたんだ。
・・・でも、あんな風に言ってくれるのは、君だけだと思った。
それに、君じゃない人が同じ事を言ってくれたとしても、多分・・・そこまで、心に響かなかったと思う。
仕事に部活に修行に・・・なんだかんだで、一緒にやってきて・・・なんだろう・・・絆、なのかな・・・
俺と國生さんとの間には・・・他の人との間には無い、特別なものが、あると思ったんだ」
「・・・すみません・・・失礼なことを聞きました・・・」
「いや、別にいいさ、気にしないよ」
「・・・私は、ずっと迷ってました」
「うん?」
「あの、お父さんの発言よりも前から、ちょっとした出来事がありまして・・・社長のこと、その・・・
異性として・・・気には、なっていたんです・・・」
桃子さんの、あの発言以来・・・です。
「それ以来、ずっと・・・今日まで、私の心・・・決められませんでしたけど、でも・・・
あの時・・・辛そうな社長を見て、無理に明るく振舞うあなたを見て、思わず感情的になっちゃったのは・・・
多分、その時すでに、あなたのこと・・・
・・・好き、だったのかな、って・・・今更だけど、思います・・・」
それだけ言って、私は口をつぐみました。
またしばらく、私たちは黙って、互いに見つめ合っていました。
雪はしんしんと降り続き、相変わらず、世界は静寂に満ちていました。
「静か・・・だね・・・」
「はい・・・世界に・・・私たち二人しか、いないみたい・・・」
私にはあなたしか・・・あなたには私しかいない・・・そんな世界。
二人が音を立てない限り、そこは永遠の静寂。
す・・・と、かすかに衣擦れの音がして、社長の手が、私の肩にかかりました。
ざ・・・と、すこしだけ足をずらす音をたてて、私は社長に身体を寄せました。
私たちは見詰め合ったまま、少しずつ距離を縮めて、
互いの吐く白い息が顔にかかるくらいまで近寄って、
その温かさを感じながらさらに距離を縮めて、
どちらとも無く目を閉じて・・・
私たちは雪に照らされたほの明るい静寂に包まれて、
互いの最愛の人と・・・唇を重ねました。