「お腹すいた〜」
「えぇい、あとちょっとで出来るから静かにしてなさい!」
夕食直前が工具楽果歩のもっとも忙しい時間帯だ。
食べ盛りの弟妹にせっつかれながら、支度をしているとき果歩は自分が主婦として鍛え上げられていくのを実感している。
今日の献立は給料日という事もあり、ちょっとだけ豪華だ。
いつも汗水たらして働いてる家長への感謝の気持ちの表れとして、『給料日の食卓は奮発する』という慣わしは社長が我也だった頃から続いている。
まぁ、我聞が二代目を受け継いでからは赤字が増え、ちょっとばかり家計を圧迫する慣習になってないでもないが・・・。
(トゥルルルル・・・トゥルルルル・・・・)
「ちょっと珠か斗馬ー。電話に出てー。」
不意に電話の音が鳴り響いた。
手が離せない果歩が手の空いてそうな弟妹に頼むと、「はーい」と元気のいい返事とともに珠が電話の方へ向かった。
(ジュー・・・ジュー・・・)
「・・・よし、とりあえずこんなもんかな。」
熱く焼けたハンバーグを皿の上に落とし、果歩は自慢の料理の出来栄えに満足そうに頷いた。
さてテーブルに並べようか、と果歩が思ったときに珠が戻ってきた。
「誰だったの?」
「お兄ちゃん。今日は仕事で遅くなるから先に食べてて、だってさ。」
せっかく気合を入れた日なのに、肝心の家長が不在というのは何とも締まらないが仕事では仕方が無い。
果歩は「そうなの」と言うと、再び配膳作業に取り掛かろうとした。
「それとねー。番司が風邪ひいたから様子を見に行ってやってくれ、だってさ。」
「番司・・・・?」
果歩は皿を両手に持ったまま固まった。
その様子を横から見ていた斗馬が、「もしや」と思いながら助け舟を出してみる。
「大姉上、パンツです。パンツマン。」
「あぁ!パンツマン!そういえばそんな名前だったわね。」
「やっぱり忘れていたのですか・・・。」
確かに最近名前で呼んでる光景を見たことが無いが、それでも普通は忘れない。
GHKの活動の邪魔になるものは人として認識されないらしい。
斗馬は自分の姉の恐ろしさに改めて戦慄した。
「で、パンツマンの家に見舞いに行くの?別にいいけどさ、住所とか知らないよ?」
「えーと、お兄ちゃんが教えてくれた。この紙に書いたよ。」
珠がメモ用紙を差し出す。そこには番司の住所らしきものが書いてある。
果歩はそれを受け取ると「夕食が済んだら何か差し入れてやるか」などと考えた。
静馬番司は床に伏せっていた。
工具楽屋の近所で『こわしや』を営んでいる彼は、アパートに一人暮らしだ。
当然看病してくれるような人も居ないので、延々一人で薬と濡れタオルをお供に病気と闘うしかなかった。
仙術使いは肉体のコントロールに秀でているので、普通は風邪を引かない。ただし例外はある。
それは元々体が弱っている状態のときだ。そーゆー時はウィルスに抵抗しきれずにやられてしまう場合がある。
第1研との戦いで傷を負った番司はちょっとばかり抵抗力が落ちていた。
「くそっ・・・俺とした事が・・。陽菜さんとかお見舞いに来てくれないかな・・・」
風邪で休んでいる事は、まぁ同じ学校だしもしかしたら分かるかも知れない。
しかし、だからと言って陽菜が見舞いに来てくれるかどうかは厳しいところだ。
向こうも仕事があるし、共同での仕事があるとき以外は商売敵と思われている。果たして優しくしてもらえるものだろうか。
それでも弱っている彼は、優しい妄想に浸っていたかった。
『はい、番司さん。口を開けてください。』
『あーん』
熱で高揚している顔色に薄ら笑いが浮かぶ。そんな時、玄関の呼び鈴が鳴った。
「も、もしや陽菜さん?」
番司は僅かな期待をかけながら布団から跳ね起き、いそいそと扉を開けた。
しかし、そこに立っていたのは果歩だった。
「なんだ・・・陽菜さんじゃなくてお前かよ・・・」
「はぁ?わざわざ忙しい中お見舞いに来てやったって言うのに・・・っていうかさ、むしろアタシが陽菜さんじゃなくて助かったんじゃないの?」
番司は果歩の言わんとしている事が分からなかったが、果歩が番司の下半身を指差すと全てを理解した。
パジャマを着ていると熱くて仕方ないので、彼はパンツ一丁で寝ていたのだ。そしてその格好のまま出て来てしまった。
「だーっ!!ちょ、ちょっと待ってろ!すぐに服着るから!」
「あっははっは、パンツマーン。」
慌てて扉を閉め部屋の中に戻っていく番司の狼狽ぶりが可笑しくて、果歩は笑った。
「うわっ・・・散らかってるわね。」
パジャマを着た番司に招き入れられた果歩の第一声はこれだった。
番司の日常は、ほとんど仕事と学校と修行で部屋には寝に帰るだけ。
必然的に整理整頓とは縁遠い陣容になっていた。
「こんな不衛生な部屋だから風邪ひいたんじゃないの?」
「うぐ・・・・」
果歩のもっともな指摘に、番司が声を詰まらせる。
果歩は溜め息をつきながら台所に視線を向けた。
「夕飯の残り物持って来てあげたから、ちょっと台所貸して。その様子じゃロクなもの食べて無いんでしょ?」
指摘の通り、本日の番司は冷蔵庫の中に入っていた生ハムとヨーグルトを食べただけだった。
自炊する気力はもちろん無かったので、果歩の申し出は非常にありがたかった。
「・・・・悪ぃな。」
「別に。お兄ちゃんに頼まれたし。」
そう言うと、果歩は手に提げた袋からタッパーに詰めた野菜炒めや豆腐などを取り出し始めた。
病人には食べやすいセレクトだと言えよう。
「お前ん家、今日は質素な食事だったんだな。」
「余計なお世話。」
さすがに豪華料理は胃にもたれるだろうと思い、果歩は冷蔵庫の余り物を使って喉に通りやすそうな食事を持って来ていた。
そんな気遣いは番司には知る由も無い。
(あぁ・・・そういえば昔もこんな事あったっけか・・・)
番司は、台所に立つ果歩の背中を見ながら、昔を思い出した。
まだ仙術の修行を始めたばっかりで、力が足りなかった頃。実践修行の名目で姉にバンバン水をぶっ掛けられて、風邪をひいた事があった。
あの時の姉は、グチグチと文句を垂れながら自分の為におかゆを作ってくれたりした。
「はい、こんくらいの量なら食べられる?」
果歩の声が、昔を懐かしんでいた番司を現在に引き戻した。
目の前には暖められた料理が小皿に盛り付けられ、畳の上に何品か並んでいる。
空腹の極みだった番司は、それを見ただけで腹が鳴ってしまった。
「ぷっ、うちのお兄ちゃんみたい!」
「お前の兄貴ほど食い意地は張ってねぇ!」
「わかったわかった。さ、冷めないうちに食べちゃってよ。」
「お、おう。いただきます。」
何となく主導権を取られている気がする。
とはいえ、腹が減っているのは事実だったので、気にせずにまず野菜炒めに箸をつける。
「・・・・うまいな。塩味がちょうどいいわ。」
番司はポツリと感想を漏らした。
さすがは両親不在の家で食卓を切り盛りしているだけの事はある。と、そう考えた時にふと思い出した。
「そういえば・・・親父さん、生きてて良かったな。」
「え?うん。」
そう、工具楽我也は二ヶ月前に帰ってきた。
もっとも僅かな時間を共にしただけで、國生パパと旅に出てしまったわけだが、ともかく生きていた。
両親を真芝のせいで失った番司には、工具楽家と國生家の父親がちゃんと帰ってきた事が、我が事のように嬉しかった。
もっとも、果歩は番司の事情を知らないので、そんな思いに気付くはずもなかったが。
「そういえば・・・あの時はあんたも手伝ってくれたんだっけ。ありがと。」
「あぁ・・・いや、工具楽の奴に借りもあったしな。それに・・・・」
「それに?」
「いや・・・・何でもない。」
「何よ、最後まで言いなさいよ。気持ち悪いわねー。」
ジト目で睨む果歩を気にせず、番司は食事を続けた。
意外と食欲旺盛な様子を見て、果歩は「まだ食べれるならこーゆーのもあるわよ」と、台所からおかゆを持ってきた。
「おう、悪いな。頼む。」
「はいはい。じゃあ、これ。熱いから気を付け─────あ。」
旨そうに湯気を立てているおかゆが、果歩の手から滑り落ちた。
中を舞うおかゆは、あぐらをかいて座っていた番司のパンツの上に、ドッサリ零れ落ちた。
「ぎゃああああ!熱ちぃぃぃぃいいいい!」
「うわ!ごめん!」
のた打ち回る番司を見て慌てた果歩は、すぐさま番司のパンツをずり下ろそうとした。
「おいおいおい!何する気だよ!」
「早く脱いで冷やさないと火傷になっちゃうでしょ!?」
「いや、待てって!」
「えぇい!恥ずかしがってる場合か!お兄ちゃんや冬馬ので見慣れてるっつーの!」
そっちが見慣れてても、こっちが見られ慣れていない。
陽菜をめぐる仇敵とはいえ、女子中学生の前で股間を晒す度胸は、番司には無かった。
しかし果歩は、そんな番司にはお構い無しに、トランクスを一気に脱がせた。
そして─────悲鳴を上げた。
「きゃあああああ!何これえええ!!」
絶叫しながら後ずさる果歩。
あからさまに不気味がられて、さすがの番司もショックを受ける。
「見慣れてんじゃねぇのかよ!」
「7年前にお兄ちゃんとお風呂に入ったときは、こんな感じじゃなかったわよ!」
番司は呆れた。
7年前では我聞は毛も生えていなかっただろう。
全然参考資料になって無い。
「仙術使いが風邪を引くなんて、聞いたこと無いですけどねぇ。」
「や・・・まぁ、たまにはあるんじゃないかな?」
陽菜のドライな発言に我聞も苦笑するしかなかった。
2人は仕事場での格好のまま、番司のアパートに向かっていた。
果歩に見舞いを任せたものの、さすがに任せっきりというのも気が引けて、仕事を終えてから自分たちも向かう事にしたのだ。
何だかんだで番司には真芝突入時に同行してくれた借りもあるし、放っておくわけにはいかない。
「お、ここだな。」
我聞は学校の先生から教えてもらった住所どおりの場所に、一見のボロアパートを見つけた。
ここに番司の部屋があるはずだ。
あとは表札を見て確かめれば─────
「きゃあああああ!何これえええ!!」
アパートの一室から女性の悲鳴が聞こえた。
2人の顔に緊張の色が走る。
「社長!今の声は・・・!」
「果歩だ!!」
言うが早いか我聞は全速力で駆け出した。
そして、声が聞こえてきたと思われる部屋の扉を躊躇無くブチ破った。
「果歩!どうした、何の悲鳴だ!?」
「げ!工具楽!!」
「お兄ちゃん!!」
我聞の目の前に広がっていた光景は、下半身が裸の番司とそれに怯えている果歩という図だった。
これには、さすがの朴念仁の我聞も、そして遅れてやって来た陽菜も悪い想像に囚われるしかない。
我聞の怒りの方向が響き渡る。
「番司ぃいいぃいぃいい!!」
「ちょっ・・・話を聞け、工具楽・・・・ぐあああ!!」
「果歩さん!可哀想に・・・もう大丈夫ですよ!!悪漢は社長が退治してくれます!」
「いや・・・!陽菜さん、誤解です!お兄ちゃんもやめてってば!」
「突貫!!貫・螺旋撃!!撃・爆砕!!突貫!!」
「だからやめろっつってんでしょ!!なに必殺技連発してんのよ!!」
果歩の懸命の説得により誤解が解けた頃には、番司は病人ではなく怪我人に変貌していた後だった。