「俺に見合い、ですか?」  
 「はい」  
 パシッパシンと小気味よい音が辺りに響く、そこには作業着姿の我聞とスーツ姿の辻原の姿があった  
 
 火曜日の夜、仕事から帰ってきた我聞に辻原が久し振りに組み手をしないかと誘ってきた  
 勿論、その誘いを断る理由もなく、いつも通り工具楽屋(株)の建物の陰の方へ行った  
 「お願いします」  
 「いつでもどうぞ」  
 互いが軽く構え、じゃりっと踏み込んだかと思うと、次の瞬間にはパァンと音を立てて両者の拳が交差していた  
 究極の肉体コントロールを心得た仙術使いである我聞に対し、辻原の武器は今まで培ってきた経験と体術のみだ   
 本来ならば仙術使いである我聞が圧倒的有利のハズだが、この一瞬の交差においては我聞の方が左肩に一発貰っていた  
 「どうしました?」  
 辻原は至って余裕の表情、くぐり抜けてきた死線とその場数の差だろう  
 だが、我聞の方も負けてはいられない  
 連続して鋭い突きを放つが、ことごとく辻原の掌に吸い込まれていく  
 「動きが単純です。すぐに読めます」  
 忠告ついでに我聞の腹に掌を押しつけ、無駄のない動きで突き放す  
 体勢が崩れたものの、我聞はすぐに立ち上がる  
   
 こんな調子で組み手をしている最中に、辻原はそう言ったのだった  
 「すみません、辻原さん。お断りしてください」  
 我聞は間をおかず、そう返した  
 「出来ることなら、もうとっくにしていますよ」  
 辻原がそう返すと、パシィンと音を立てた後に我聞の拳が止まった  
 「・・・え?」  
 「私の口で断れる話なら良いのですが、この話の大元はあのこわしや協会でしてね。  
 そして、似たような話が陽菜さんの方にもあがっています。此方は別口ですけど」  
 避けたはずの辻原の拳が我聞の顔をかすめた  
 「双方共に、この見合いは決して工具楽屋(株)の損にはならない、そう言ってきています。  
 そして、陽菜さんの方はこの話を受けたそうです」  
 「・・・!」  
 我聞ははっと我に返り、止まっていた拳を再び交え始めた  
 いつの間にか明かりの届かない一角に来ていたのか、辻原の表情が見えない  
 
 「・・・・・・」  
 「今の社長の考えを当ててみましょうか。『國生さんは何でそんな話を受けたのか』」  
 「!」  
 「もう1つ、『それがもし、國生さんの望むものでないならば、俺がこわしてやる』・・・でしょう?」   
 その言葉を肯定するかのように、我聞の拳の辺りが強くなった  
 「では、お訊きします。どうして、社長はそんなことをするのですか?」  
 「決まってる。國生さんは俺達、工具楽屋(株)にとってなくてはならない存在だし、何より『家族』同然に思っているから・・・!」  
 パァンと今日一番の拳と音が響き渡り、辻原の掌に当たった  
 「思い上がりです」  
 「!」  
 我聞が「どうして!?」と言葉と共に拳を撃ち出した  
 「どうして、社長にこの見合いが陽菜さんが望まない話だとわかるんです?  
 確かにお断りを前提に、とは言っていたようですが、胸中は本人しかわかりません」  
 「でも、あんな・・・『損にはならない』なんて、言われたら、無理にでも出るしかないじゃないですか!」  
 「・・・成る程。確かにそうかもしれません」  
 辻原が我聞の拳を総て右手で受けとめ、残った左手で眼鏡を上にずらした  
 「わかりませんか。だから、國生さんはこの話を受けたんです」  
 「・・・・・・」  
 「本人の口でしか断れないのならば、無理にでも出るしかない。当然のことでしょう」  
 我聞が「でも」と言葉に出そうとした瞬間、辻原の撃つ打突が我聞の額に当たった  
 思い切り頭から吹っ飛ばされ、我聞が悶絶した  
 「社長も『こわしや』ならわかるでしょう? ものにはこわしかたがあります。  
 うまくこわせばものは修復可能ですが、下手にこわせばそれも不可能になります。  
 社長がこうして、陽菜さんの見合いを『こわそう』とすれば、間違いなく先方と工具楽屋(株)の間に波風が立ちます。  
 工具楽屋(株)を大切に思うからこそ、陽菜さんは出来る限り穏便に事を済ませようとしているのです。  
 それをなんです、陽菜さんの気持ちをくみ取ることなく、社長はまだこわすと言いますか?」   
 ぐっと我聞が詰まると、辻原は続けた  
 「それに、本当に陽菜さんが望んでいないとも限りません。  
 話こそ強引ですが、間違いなく陽菜さんにとっては玉の輿です。  
 お金や地位に目が眩むような人ではないことは承知していますが、少なくともここにいては出来ないようなことも可能になります。  
 この話に嘘がないとすれば、工具楽屋(株)も赤字経営から脱することでしょう」  
 辻原が「勿論、これは憶測にすぎません」と付け加えた  
 「・・・私もこの話はよく思っていませんし、工具楽屋(株)の人達も本当の家族以上に大事に、大切に思っています。今の私があるのも工具楽屋(株)があったからこそです。  
 しかし、家族同然に思うからこそ、口出してはいけない時もあるのです」  
 我聞は拳を強く、ギュッと握りしめた  
 「また当ててみせましょう。『何も國生さんが犠牲になることはないじゃないか』。  
 先程言いました通り、社長の方にも見合いの申し入れが入っています。  
 相手の方は・・・」  
 辻原の言葉に我聞はぎょっとした  
 「どうです? 断れないでしょう」  
 辻原が「いやー、向こうは大真面目みたいですよ」と笑って言うが、我聞の方はそれどころではない  
 「・・・さて、どうします、社長?」  
    
 ・・・・・・  
 
 「(・・・と言った次第で、俺は此処に決死の覚悟出来たわけなんだが・・・)」  
 勿論、断るにしても何にしても、強制的に此処に来るハメになったのだろうが  
 ちらりと、目の前に座っている女性の姿を見た  
 我聞は別の意味で緊張していた  
 「(なんで國生さんが此処に居るんだ!?)」  
 辻原から聞いた話や相手とは大違いだ、それとも何かの手違いだろうか  
 「(う、うーむ、部屋を間違えたか。それとも、乗る電車か降りる駅でも間違えたか?)」  
我聞は何か見当違いの検討をしているようだ  
 とにかく、出会い頭があの調子だったわけだから、二人共かなり気まずい思いをしていた  
 そして、それは陽菜の方も同様だった  
 「(しゃ、社長が・・・な、な何で!?)」  
 普通に考えれば、何かの間違いだろう  
 いや、そもそも陽菜は相手の顔も名前も知らず此処に来たのだから、もしかしたらはめられたのかもしれない  
 「(でも、中之井さんがそんなことするわけないし・・・)」  
 となると、この縁談とやらを持ってきた辻原だろうか  
 しかし、一体何のためにそんなことをしたのか  
 2人が気まずい雰囲気の中、うんうんと唸っていると、先程陽菜を案内した婆さんが立ち上がった  
 「・・・どうも知り合いのようだから、あたしゃ行くよ」  
 「え、わわわっ、まま待って下さい!」  
 「おお、お願いですから!」  
 我聞と陽菜が慌てて引き留めると、婆さんが胡散臭そうにじろりと2人の方を見て、「やれやれ」とため息を吐きつつ、机の前に座り直した  
 どうやら留まってくれるらしいとわかると、2人はほっと安堵のため息を吐いた  
 「(よ、良かったー)」  
 「(流石にこの状況下で2人きりはちょっと・・・)」  
 ふっと陽菜が我聞の方を見ると、向こうもそんな感じでいた  
 
 「・・・・・・」  
 「・・・・・・」  
 「・・・よくわからんが、頼まれた以上、見合いは進めんといかんのでな」  
 婆さんがそう言うが、2人は固まったまま動かない  
 しびれを切らしたのか、カッと気合いを入れ「先ずは互いに名前や自己紹介!」と言った  
 「あ、っと・・・工具楽我聞です。工具楽屋(株)の家ちょ・・・違った、社長をやってます」  
 「え、あ・・・國生陽菜です。しゃ、社長秘書を務めております」  
 流石に同じ会社名を挙げるのはまずいと思ったのか、陽菜はあえて伏せたようだ  
 「しゅ、趣味は、か、家庭菜園です」  
 「えと、ガーデニングを少々・・・」  
 こんな調子の会話が続くのだが、最初から最後までお互いが顔を伏せたまま言うので、婆さんは顔をしかめている  
 2人共こうして、改めて向かい合って話したことは殆ど無いので、お互いが緊張しまくっている  
 それに「(しゃ、社長のスーツ姿なんて初めて見た・・・)」なんて陽菜が思っている  
 普段は学生服姿やラフなTシャツなどの私服姿が殆どであり、スーツ姿の我聞など見たことがなかった  
 「(こんな所でなんて・・・は、反則です・・・!)」  
 いったい、何が反則なのかわからなかったが、兎に角いつもとは違った雰囲気の所為か、陽菜は我聞のことを正視出来ずにいた  
 一方で、我聞も陽菜の着物姿を見たのはこれが初めてだったようである  
 確かに巫女衣装やメイド服など、様々な服を着た陽菜を見た我聞だったが、こうして向き合って見るということは殆ど無かった  
 それに普段、会社ではビシッと決まったスーツを着こなし、学校では指定された通りの制服しか着ない  
 頭に可愛らしい櫛飾りを付け、薄化粧までしている着物姿の陽菜は我聞にとって、珍しいや目の保養を既に通り越していた  
 「・・・あ、あのさ、國生さん」  
 「は、はい、何でしょう」  
 ぼそぼそと話す2人に、婆さんは初々しさよりも苛立たしさを感じていたりする   
 
 「き・・・着物姿、似合ってるね」  
 「!」  
 陽菜は思わず目を伏せ、思い切り顔を下に向けてしまった  
 我聞の方は「(・・・しまった、褒め方を間違えたか!?)」なんて思っているが、そうではなかった  
 「(・・・しゃ、しゃ社長に・・・)」  
 我聞に着ている服や陽菜自身のことを褒められたのは、これが初めてのことだった  
 頭の中で先程の言葉が反芻され、思わず顔や頬を赤らめてしまう  
 「(・・・・・・退場して下さい、社長)」  
 反則の次は退場である、いや・・・むしろ此方の方が逃げだしたくなってしまう  
 しかし、今のこの状況はおかしすぎた  
 自分はどんな気持ちで此処に来たのか、何を思ってこの着物を選んだのだろうか  
 
 ・・・・・・  
 
 「ゆ、優さん、どこまで行くんですか!?」  
 「んー、すぐそこ」  
 そう宣言してから、もう既に1時間は経っているのだが  
 
 土曜日の朝早くから、陽菜と優さんは明日の見合いの為に車で出かけていた  
 目的は着物なのだが、何故か優さんはやや不機嫌だった  
 「(やはり、こんなことの為に休日を潰して貰って悪かったんでしょうか)」  
 そう思いつつも、陽菜は着物に関しては全くわからないので、こうして付いてきて貰ったのだが・・・少し後悔していた  
 2人が向かったのは近くの街、陽菜はどうせ1日限りなのだからレンタルで充分だと思っていた  
 ということで、2人はそういった店へ行ったのだが、選んでくれている優さんの表情はいまいちパッとしない  
 「あ、あの・・・この辺で良いかと思うんですけど」  
 陽菜が着付けて貰った着物を優さんに見せると、やはり納得がいかない顔だ  
 「え、と・・・優さん?」  
 「決めた! はるるん、今日は一日中付き合って貰うからね!」  
 まだ借り物の着物を着ている陽菜の手をぐいぐいと強引に引っ張っていく  
 「ちょ、ちょっと優さん!?」  
 「えぇい! こーなったら、もうどうにでもなれよ!」  
 何か恐ろしい台詞が聞こえた気がするのだが、店員の制止の声も届かず、優さんは陽菜を車に押し込めた  
 そして、恐怖のドライブが始まった   
 
 「優さん! 聞いているんですか!?」  
 「んー」  
 流石に陽菜も起こり始めるかと思った頃、車が急停止した  
 優さんが「さっ、降りて」と言うので、恐る恐る降りてみると、そこには場違いが建っていた  
 この辺りの中心都市のビル群のど真ん中に、日本家屋風の店があったのだ  
 屋号は○枠の中に天才、のれんには「じぃにあす」とあった  
 「・・・あ、あの此処って・・・」  
 「はるるん、先入るよー?」  
 優さんが障子風の自動ドアをくぐってしまうので、陽菜は慌てて追いかけた  
 店の中に入った瞬間、また場違いがいた  
 『ようこそ! この天才の頂点に立つ天才が建てた天才呉服店へ!』  
 マイク片手に音量全開の声で、そして聞き覚えのある声と見覚えのある顔がいた  
 「やっ、十曲くん」  
 『おお、これはこれは工具楽屋(株)の!』  
 「DMが届いていたの思い出してさ。一等地に建てちゃってまぁ、元気でやってるみたいだね」  
 『勿論、天才に不可能は無いのさ!』なんて十曲が言うのを、千紘が止めた  
 「いらっしゃいませ。その節はお世話になりました」  
 「いやいや、いーのいーの。でさ、出来合いの着物見せて欲しいんだけど」  
 千紘が「はい、こちらです」と案内するのを、優さんと半ば呆然と陽菜が後を付いていく  
   
 優さんが着物を選ぶ間、陽菜は着せ替え人形同然だった  
 それに、ともかく着付けというのもかなり時間や体力を消耗する  
 陽も暮れ、千紘と陽菜がくたくたにへとへとになり、店中の着物を着付け終わってなおも優さんは唸っている  
 「・・・も、もう良いですから・・・優さん」  
 「いーやっ、はるるんにはどうせなら最高の着物で望んで貰いたいもん」  
 「え、そういえば陽菜さんは何で着物を選んでいらっしゃるんです?」  
 千紘がそう訊くと、陽菜の胸がずきんと痛んだ  
 優さんが「なんか入り用なんだって」と適当に言うと、千紘は悪びれもなく「デートか何かで?」と言う  
 「い、いえ、そういうわけじゃ・・・」  
 「でもさぁ、これだけ着付けてさせてみたけど、どうも納得いかないんだよね」  
 と、優さんが無視して話を進める  
 千紘は驚いた顔で、「これだけ着て、ですか?」と言う  
 「うん。やっぱり出来合いじゃ、はるるんにはつり合わないのかも」  
 「でも、必要なのは明日なんですよ? レンタルか何かで納得しないと・・・」  
 もういっそのこと、適当に値段を見て自分で決めてしまおう  
 そう思った矢先に、千紘がポンと手を打った  
 「じゃあ、作っちゃいましょうか」  
 「えぇ!? 幾ら何でも今からじゃ無理でしょー」  
 『そこ! 天才には不可能はないのだよ!』  
 キーンとマイク最大音量が店中に響いた  
 「はい、若様の発明で、わずか1時間で京の職人さんがする手縫い同等レベルの美しさで反物を着物を仕立てる機械があるんですよ」  
 優さんが「おぉっ、スゲー!」と驚く  
 「い、いえっ、そこまでなさらなくとも・・・!」  
 「値段のことでしたら、大分お安くしますよ?」  
 「何言ってんの、はるるん。ここまできたんだから、ね?」  
 早速千紘が陽菜の細かな寸法を計りだし、優さんは反物のコーナーに走り出した  
 「スリーサイズ・・・」  
 「わかりましたから、口に出さないでください!」  
 あわわわっと慌てる陽菜に、思わず口に出そうとしてしまった千紘も「ごめんなさい」と謝った  
 真芝に所属していた頃、第8研で機械や実験結果によって算出されたものを読み上げるクセが付いてしまったのだという  
 
 「これこれっ! この色合いよっ!」  
 「寸法も丁度計り終えました」  
 優さんがようやく満足げな表情で見つけだした反物を千紘に手渡す  
 それを何やら奥の部屋へ持っていき、戻ってきた時には抹茶とお茶菓子、小さな木箱を持っていた  
 「どうぞ。出来上がるまで、少々お待ち下さい」  
 「こりゃ気が利きますね〜」  
 優さんが早速パクつくと、千紘も陽菜に勧めた  
 礼を言い、お茶菓子に手をつけたものの、陽菜の表情はあまり芳しくない  
 千紘が気にするが、陽菜は「何でもありません」の一点張りだった  
 
 1時間が過ぎると、優さんが選びに選び抜いた反物で仕立てられた着物が陽菜の手に渡った  
 「着てみなよっ、はーるるん!」  
 また千紘に手伝って貰いながら、その素晴らしい出来映えの着物を見に纏っていく  
 次に優さんの目の前に表れたのは、今まで見たことの無いような陽菜の姿だった  
 「すごくお似合いです!」  
 「おぉ〜〜〜!」  
 「・・・・・・ありがとうございます」  
 千紘や優さんが手放しに褒めるものの、やはり陽菜の表情は暗いままだ  
 
 歯車だ、陽菜はそう思い感じた  
 
 浮かない顔の陽菜に、千紘は先程持ってきた小さな木箱を開けた  
 中には可愛らしい櫛飾りが入っていた  
 「どうぞ、差し上げます」  
 「・・・! い、いえ、そんな!」  
 「いいんですよ」と、千紘は木箱から取りだしたそれを陽菜の頭にそっと挿した  
 手鏡でそれを見せ、にっこりと微笑んだ  
 「元気出してください。・・・ね?」  
 「あー、はるるんいいなー、うらやましいなー」  
 優さんは本気で羨ましがっているようで、そんな千紘の無邪気な笑顔がたまらなく・・・  
 
 陽菜にとっては痛かった  
 周りと自分の歯車が噛み合っていないのだ  
 そうやって周りから与えられるはずの元気が、何故か苦痛でしかなかった  
 
 「ありがとうございます。千紘さん、優さん」  
 
 陽菜は出来る限りの、精一杯の笑顔を見せた  
 心の歯車だけが、みしみしと悲鳴をあげていた  
   
 ・・・・・・  
 
 それがどうしてだろう  
 あの時は苦痛でしかなかったものが、今では何故かたまらなく嬉しかった  
 「(・・・どうしてだろう)」  
 こんなおかしな状況下で、こんなはずではなかったのに  
 もう、どうしていいのか・・・自分ですらわからなかった  
   
 我聞も陽菜も、お互いが何も喋れなくなってしまった  
 話せること話し尽くしてしまった感じだし、お互いがお互いに対する返事もどこか上の空だった  
 「・・・さて、と、あとは若い者同士で勝手にやりな」  
 婆さんがそう言って立ち上がると、今度は2人共何も言わなかった  
 いや、我聞の方が口を開いた  
 「あ、あの國生さん」  
 「・・・はい、社長」  
 「外、ていうか、庭に出てみない?」  
 我聞がそう言うと、陽菜は小さく肯いた  
 また気まずくなる前に、正座でしびれかけた足を奮い立たせ、先に我聞が立ち上がった  
 障子をからっと開けると、冷たい風が庭の方から吹き込んでくる  
 「・・・やっぱりやめる?」  
 「いえ、大丈夫です」  
 しずしずと陽菜が廊下へ出ると、ようやく2人は気づいた  
 「靴・・・」  
 「あ・・・」  
 肝心なところで抜けている、我聞は慌てた  
 「お、俺は靴が向こうの方にあるんだけど、國生さんは?」  
 「私は・・・草履がありますから」  
 そう、昨日、この着物と揃えて買ったものがある  
 ただ、着物と一緒に持ち歩いていたためと、庭に出るという考えがなかったので、着てきた服と一緒に先程までいた別室の方に置いてきてしまった  
 「じゃ、じゃあ俺が取ってくるから」  
 「え、あ、はい。ありがとうございます」  
 陽菜に別室の方向を教えて貰うと、我聞はばたばたと走っていってしまう  
 ぽつんと残された陽菜はとりあえず、どうしてこんなことになっているのかを再び考え始めた  
 
 ・・・・・・  
 
 思わぬ所で合流してしまったGHKの面々は呆然としていた  
 互いの話を総合すると、どうやら2人は別ルートで此方へ向かってきたらしい  
 「こ、これは・・・優さん!?」  
 「あ、あれー? あ、ははは・・・」  
 果歩はガシッと優さんの手を握った  
 「ますますグッジョブじゃないですか!」  
 「ぅ、ま、まぁね・・・優さんにかかればざっとこんなものですよ」  
 ふはははと高笑いする優さん、しかし目は笑っていない  
 「しかし大姉上、障子が閉まっていて、中の様子が見えません」  
 「まぁ、しばらくしたら出てくるでしょ」  
 「寒い・・・」  
 確かに今の季節、寒空の下で尾行や待ち伏せをするのはかなり厳しい  
 「へっきし!」  
 と、ここでくしゃみが・・・・・・  
 「・・・あれ?」  
 果歩が他の3人を見るが、誰もそんな素振りは見せていない  
 「(む、気のせいかな)」  
 「姉上、あまり暴れてはなりませぬぞ」  
 この状況下でも珠だけは元気に走り回っている、向こうにばれる心配は無かろうが、あまり暴れて貰っても困る  
 注意を呼びかけようとしたら、案の定・・・もうその姿が見えなくなっていた  
 「あ、どこ行ったんだろ?」  
 「かほちん、それよりも!」  
 優さんが指差す先には2人が入ったと思われる部屋が、その障子が開いた  
 とうとう出てきてくれるかと思いきや、出てきたのはあの婆さんだった  
 そして、何かおかしいと思ったのか、ちらっと果歩達の方を見たので驚いた  
 勿論、素速く茂みの中に潜んだので、見つかるようなことはないだろう  
 「危なかった・・・」  
 「此方の気配に気づくとは、何者・・・!?」  
 と、気を逸らしかけた時だった  
 障子がからりと開き、中から我聞が姿を現した  
 「(お兄ちゃん!)」  
 「(やっぱり同じ部屋にいたのね!)」  
 遠くでよく見えないが、我聞は家を出た時と同じスーツ姿だ  
 ちなみにスーツは我也のおさがりであり、見立ては果歩がやってあげた  
 本当なら、陽菜とのデートやお出かけの時に着てほしかったのだが、とりあえず見合いの席で恥をかかせるわけにもいかないので、渋々選んだ  
 が、まさか現実にそうなるとは思ってもみなかった  
 「お、大姉上!」  
 斗馬が小さく叫ぶのと同時に、着物姿の陽菜が部屋の中から出てきた  
 遠目からしか見えないのが残念だが、なかなかいい雰囲気のようではないか  
 「何を話したんでしょうか?」  
 「庭に出てくると言うことは、結構お話しが進んだってことでしょ」  
 まぁ、普通の見合いとは異なるが、「あとは若い者同士で・・・」といった展開なのだろうか  
 期待して次が起こるのを待つが、ここで我聞がばたばたと走っていってしまう  
 「お兄ちゃん!? ど、どこへ・・・もしお手洗いとかだったら減点ものなのに!」  
 「や、靴でしょ。その辺は2人共抜けてるよね」  
 お手洗いではないにしても、ぽつんと1人残された陽菜の姿が何だか寂しげだ  
 その様子を見かねたのか「靴なんか私が取ってきてあげるから、お兄ちゃんは陽菜さんの傍にいなさい!」なんて、果歩が無茶苦茶言っている  
 優さんが落ち着くように、そしてすぐに戻ってくるでしょと言ってなだめた  
 
 ・・・・・・  
 
 「ごめん、國生さん! これで良いのかな?」  
 ばたばたと我聞が戻り、手の中の草履を見せた  
 陽菜が「はい。ありがとうございます」と応えると、我聞は「別にお礼なんて良いよ」と軽く笑った  
 が、すぐに陽菜はうつむいてしまった  
 我聞は首を傾げたが、深くは考えずに草履をそっと飛び石の上に置いた  
 「(・・・社長、すみません・・・)」  
 陽菜が知る学生服などの普段の我聞とスーツ姿の我聞とが、どうしても食い違ってしまう  
 大分慣れてはきたのだが、まだ意識しすぎて直視し続けるには至らないのだ  
 もう室内ではないので、あまり顔を伏せていると、動揺して赤くなっていることに気づかれてしまう  
 が、朴念仁の我聞は気づかずに先に靴を、つま先を軽く地面にトントンと叩いて履いた  
 陽菜も続けて草履を履こうとしたのだが、慣れない着物の所為で地面との段差が高く思えた    
 あまり足を広げて降りるのは恥ずかしいし、かといって無理に降りようとすればつんのめってしまいそうだ  
 「國生さん大丈夫?」  
 本人は何も意識せずに、そっと陽菜の手を取った  
 「あ、は・・・はい・・・」  
 ただの心遣い、単に足下が危なげな陽菜を支えようと無意識に出たものだとはわかる  
 普段の陽菜ならば、「ありがとうございます」と軽く流せただろう  
 が、今の陽菜にとっては足下より心臓の方が破裂しそうで危険だった  
 そこをこらえて、くっと我聞の手を支えに何とか草履の上に乗った  
 
 ・・・・・・  
 
 勿論、遠目ではあるが一部始終が見えているGHKにとっては何よりの光景だった  
 何しろ、あの我聞が無意識とはいえ、陽菜のことをエスコートしているのだから  
 「お、おぉ〜〜〜!」  
 「いける! これはいけるよ! はるるんもクラクラだー!」  
 「いけ! ブチュッといったれ我聞ー!」  
 ばっと声がする方を果歩達が振り向いてみたが、それよりも早くにその姿は見えなくなっていた  
 流石におかしいとは思う  
 が、今はそんなことよりも、滅多には見ることの出来ない・・・GHKにとって最高のシチュエーションが目の前で展開されているのだ  
 何一つ見逃すわけにもいかず、だが2人が何を話しているのか聞こえないのが非常に残念だった  
 「ふっふっふ、ここで秘密兵器のご登場〜!」  
 優さんが取りだしたのは小さな傘のような機械だった  
 「これ何ですか?」  
 「極秘裏に開発した、小型集音器及び録音機。80m先の針の音もばっちり聞こえて録れる優れもの!」  
 果歩の目が輝き、優さんの目の色が変わった  
 「これで2人の嬉し恥ずかし会話を総て録ってくれるわっ!」   
 「あぁっ、優さん! ステキです!」  
 ぽちっと集音及び録音ボタンを押すと、遠く離れた2人の会話が細々と流れ込んできた  
 
 ・・・・・・  
 
 「・・・すっかり紅葉が散っちゃてるね」  
 「そうですね」  
 やはり外に出たのは失敗だったかもしれない  
 広い庭園はなかなかの見物だが、それを彩る樹々の葉が殆ど散ってしまっている  
 「(まぁ、あの部屋にいるよりかは・・・)」  
 それでも、我聞は何を話したらいいのかがわからず、沈黙は続く  
 
 「(・・・ふぅ、ようやく落ち着いてきました)」  
 外の冷気に当たったのも良かったのかもしれない、陽菜は安堵した  
 そもそも先程の、自らの行動はあまりにおかしすぎた  
 普段見慣れている姿や雰囲気と全く異なったため、変に意識しすぎていた  
 それに我聞に初めて容姿を褒められ、かなり調子が狂ってしまった  
 が、頭も冷えてきたのでもう大丈夫だろうと思った  
 
 「(俺の隣にいるの、國生さん・・・なんだよな?)」  
 声に出しては失礼になりそうなことを、ふと我聞は思った  
 いつもは寸分もスキの無いような雰囲気でいるのだが、今日は何だかそれも柔らかい  
 やはり、着ている服からの印象が違う所為だろうか  
 頭の櫛飾りも、普段では絶対に見ることが出来ないオシャレだ  
 また褒めてあげたいのだが、先程は失敗してしまったようなので、我聞は躊躇っていた  
 
 紅葉も何も見るべきものもない庭園や、どうしてこうなったのかもよくわからぬこの場所に長居することもないだろう  
 そう思った我聞はごく普通に陽菜に訊いた  
 「ねぇ、國生さん、ちょっと訊きたいんだけどさ」  
 「? 何ですか」  
 「普通、見合いの後ってどうするものなの?」  
 一瞬、質問の意図を読み間違え、陽菜はまた頬を赤らめ、それがばれぬよう顔を伏せた  
 陽菜の方は流石にお互いが良いならホテルへ直行などという考えは出てはこなかったが、それでも結婚という言葉は出てきてしまった  
 「(落ち着いて、冷静に・・・。多分、そういう意味ではなく、本当に知らないだけかもしれないんだから)」  
 ふーっと息を整えてから、いつも通りの口調で言った  
 「多分、お互いがその気なら、この後も会う約束などをするのかと思いますけど・・・」  
 という程度に留めておいた  
 我聞とて見合いのシステムぐらいは知っているが、具体的にどう進んでいくものなのかまではよく知らない  
 「わかった。ありがとう」のような返事をしてはみたが、そもそもそういった知識に欠けているのだ  
 だから、次の言葉が出てきたのだろう  
   
 「・・・・・・國生さん、この見合い断る気だった?」  
 「え?」  
 
 ・・・・・・  
 
 今いるGHKは耳を疑った  
 まさか、あの朴念仁が、とうとう・・・・・・  
 「おおぉっ!?」  
 「ちょ、優さん、音量もっと上がりませんか!?」  
 先程の我聞の言葉は予想外だった  
 あれやこれやで機械を取り合い、もっとよく聞こえるようにと無意味にも2人に近づこうとした時だった  
 後ろでかきょんと独特の音がした  
 「皆さん、もう少し静かにしないと見つかっちゃいますよ?」  
 その声に驚き、哀れGHKは茂みから飛び出し大きな音を立てて倒れてしまった  
 勿論、我聞と陽菜もようやく異変に気づいた  
 「な・・・!?」  
 「優さん、それに果歩さん達まで!」  
 「し、しまった・・・!」  
 「で、でも今の声・・・!」  
 わたわたと慌てふためいていると、2人がずいっとGHKに近づいてきた  
 「おい、もしかしてお前ら・・・!」  
 「優さんに果歩さん、これはどういうことで・・・」  
 GHK存続の危機、絶体絶命かと思われた時だった  
 「その前に、先程の続きを聞かせてもらいたいですね」  
 彼らの目の前にある庭園の樹の陰から、缶コーヒーを持って表れた人物・・・・・・  
 「! 辻原さん!」  
 「何で・・・!?」  
 2人は唖然としていると、「やれやれ、これまでかね」と聞き覚えのある声が聞こえた  
 「・・・静馬のばーちゃん!」  
 「さなえ様! それに中之井さんまで!?」  
 まだまだ眼光の鋭いさなえに加え、その杖に喉元を突きつけられた中之井がすたすたと此方に向かって歩いてくる  
 それから、がさがさっと広い庭園のあちこちの茂みから、見覚えのある人達が次々に姿を表した  
 かなえや理玖を始めとした第3研壊滅に参加した仙術使いから内閣調査室付の西さんの姿まであった  
 その中に水糸でさるぐつわされ、縛られているGHW・・・番司や桃子の姿、別口で捕まった珠の姿もあった  
 随分と豪華な顔ぶれに、2人は当惑しっぱなしだ  
 「え、え?」   
 「どうして・・・!?」  
 辻原は缶コーヒーを飲みながら、もう一度言った  
 「では、続けてください」  
 
 ・・・・・・  
 
 これはいったいどういうことなのだろうか  
 まさに今まで会ってきた人達の総出演  
 我聞や陽菜、及びGHKの面々は理解出来ないでいる  
 そして、その先頭に立つ辻原が言った  
 「社長、陽菜さん、驚かせてすみませんが、とりあえずさっきの続きをお願いします」  
 「さ、さっきの続き?」  
 「はい。社長にも同じ質問をします。『今、目の前の人が見合いの相手だったら、断る気だったかどうか』です」  
 2人はその言葉に固まった  
 陽菜の方は状況を整理しようと必死な傍ら、その質問にどう答えたらいいのかでも当惑していた  
 が、我聞はあっさりキッパリ言った  
 「・・・俺は國生さんが相手なら、この見合いを断る気は無かったと思う」  
 「!」  
 GHKの目が、優さんと果歩の目がきらっと輝いた  
 陽菜の方はその答えに頭が混乱し何も言えず、訊いた辻原も無言だ  
 「(え? え? え?)」  
 心臓がばくばくといって収まらない、陽菜は動揺していた  
 それも無理もない、まさか我聞がこういうことを言うだなんて、想像もしていなかったからだ  
 そして、それに追い打ちをかけるように我聞が言った  
 「國生さんはどう?」  
 「わ、わ私は・・・・・・」  
 ぐるぐると頭も目も回っているが、不思議とその中心にあるものは変わらなかった  
 ほんの少しずつ気づいて重ねてきたその想いは、ようやく言葉になった  
 
 「わ、私も・・・社長でしたら、あの・・・断らなかったと思います」  
 
 ほっと我聞が笑うのと同時に、GHK及び理玖が2人の元へ駆け寄った  
 「いよっしゃー! よくやったー!」  
 「お兄ちゃん、やったね!」  
 「勝利ー! 我らが勝利ー!」  
 今までやきもきさせられていた我聞に皆が集まり、頭をぐりぐり抑えつけるなど、もみくちゃにされる  
 陽菜も優さんにマイクで「今のお気持ちは? 2人はどこまでいってるんですか」なんて訊かれている   
 
 ・・・そんな様子を、離れたところで見ている人達がいた  
 辻原とかなえだ  
 水糸からどうにか抜け出そうとふんじばる番司と桃子を抑えながら、辻原に言った  
 「これで、この仕事は終わったんですね」  
 「いえ、まだです」  
 辻原の言葉に、かなえは「どういうことですか」と追求した  
 「すぐにわかります」  
 
 
 皆からの激励に逃げるように陽菜の元へ来た我聞が言った  
 「それにしても良かった、國生さんに断られなくて」  
 「いえ、私の方も・・・」  
 「嬉しかったです」と、言葉が続くはずだった  
 我聞は悪びれもなく、その陽菜の言葉の前に言った  
 
 「断られたらどうしようかと思ってた。國生さんとは学校でも会社でも会うし・・・」  
 
 ぷつっと、陽菜の中で糸が切れた音がした  
 皆の動きも止まった  
   
 そして、次の瞬間、陽菜は何も言わず、形振り構わず走り始めた  
 唖然とする我聞と皆、GHKを置いて  
 
 「・・・こ、國生さん?」  
走りにくいであろう着物姿なのに、あっという間に庭園の奥の方へと行ってしまい見えなくなってしまう  
 辻原は首を傾いで、ふうとため息を吐いた  
 かなえは呆然と放心し、思わず水糸がゆるんだ  
 途端、番司が抜け出し、その勢いのまま思い切り番司が我聞の右頬を殴り飛ばした  
 「・・・テメェだけは絶っ対ぇに許さねぇ!」  
 我聞が起き上がろうとするのを、今度は番司を抑えて優さんが左頬を引っぱたいた  
 「お姉さんは怒ったよ? 我聞君がそこまで馬鹿だとは思ってもみなかった」  
 「・・・・・・」  
 我聞はバッと立ち上がり、ダッと陽菜が走っていた方向へ同じく走り出した  
 憤然とした優さんがそれを見送ると、今度はつかつかと辻原の方へ歩み寄った  
「なんかよくわかんないけど、辻原くんなら全部知ってそうだね?」  
 果歩はシンと、その様子を見ているしか出来なかった  
 辻原は「はい」と返事した  
 「どーいうことだか、知らない人にもわかるように説明してくれるかな?」  
 「・・・わかりました。お話ししましょう」  
 
 ・・・・・・  
 
 我也と武文が旅立つ日のこと  
 あの爆弾発言に皆が動揺と同時に暴れ始めた頃、辻原はそんな当事者である武文が呼んだ  
「何でしょうか」と訊く辻原に、武文が言った  
 「君が我也の奴に恩義を感じているのを承知で、ある『こわし』の依頼を受けて欲しい」  
 「・・・・・・」  
辻原は缶コーヒーのプルトップをかきょんと開けた   
 「・・・・・・あの2人の、工具楽屋(株)の社長とその秘書という障壁を『こわして』ほしい」  
 「・・・それは単純に、2人の仲を取り持って欲しいということでしょうか?」  
 そう聞き返すと、武文は「そうではない」と言った  
 「辻原君、君はあの2人をどう思う?」  
 その問いに対して無言でコーヒーを飲むと、武文はふっと息を吐いた  
 「質問を変えよう。もし、私が飛行機事故を装って連れ浚われたりしなければ、あの2人は今頃どうしていただろうか」  
 「とりあえず、貴方の生還には驚きました。何しろ、死体があがったんですからね」  
 答えになっていない答えを言いながら、辻原が「まぁ、人のことは言えませんが」と軽く笑った  
 「あれは偽物だ。『新理論』を駆使し、クローン技術等の軍事研究を進めていた第6研の良く出来た人形だ」  
 「・・・そうですか」  
 「そんなことはどうでもいい。問題は、私がいなくなったりしなければ、我也はあのまま工具楽屋(株)の社長業務に就いていただろう。  
 我聞君も普通の高校生として過ごし、陽菜も秘書業に就くことなく、2人は何の変哲も無い学校生活の程を送れたはずだ。  
 そして、いやきっと・・・遅かれ早かれ、2人は自然と惹かれあっていただろうと、私はそう思う」  
 辻原は「んー、どうでしょう」と軽くはぐらかした  
 「・・・しかし、それは打ち砕かれてしまった。私の所為でな」  
 「気にしすぎです。今の社長と陽菜さんがあるのは、むしろそのおかげですよ」  
 辻原はそう言うが、武文はふうと息を吐いた  
 「同時にあの2人はもうこれ以上、先には進めないだろう」  
 辻原が缶コーヒーを口から離した  
 「短い間だったが、今のあの2人の様子を見ることが出来た。その結論として、あの2人の仲は、今のままではもうこれ以上は進まないものと思う」  
 あんな発言をした人が、一体何を言っているんだろう  
 「・・・どうも、2人は悪いところで公私混同をしているように見受けられる。  
 恐らく、我聞君は家長として社長としての、陽菜はその秘書であるという責任感からだろう。どちらも、大人である私達がいれば、感じることのないものだ。  
 その責任感が、2人の間に高く厚い壁を作ってしまっている。  
 相手のことを少しでも想えば、いつだって『社長だから』『秘書ですから』、と必ず一線を張ってしまう。  
 それは相手への思いやりではなく、むしろ意地にしか思えない」  
 辻原は「多分、貴方がそう言うんですから、そうなんでしょうね」と言うだけに留めておいた  
 
 「・・・成る程、それで壁をこわしてほしい、ですか」  
 「ああ。出来ることなら、私達が此処に留まり、2人を仕事から解放してやれば良いのだろうが、それも出来ない状況にある。  
 私の見立てでは陽菜の方は我聞君に好意は抱いている、問題は我聞君の方だが・・・多分、想うところはあるだろう」  
 「しかし、それでは私が工具楽屋(株)に恩があるのとは全く関係がありませんね」と辻原は言うが、「気づいているのだろう?」と武文は辻原に問いかけた  
 「・・・真芝が潰れたことにより、その下で蠢いていた他の闇の商人達が動き出す・・・と?」  
 「そうだ。世界でも有数の真芝が潰れた今、力を伸ばすのには絶好の機だからな。  
 そして、その時には間違いなく、狙われるのはあの2人だ」  
 辻原が缶コーヒーにまた口を付けると、武文は続けた  
 「真芝を潰した将来の危険因子としては勿論のことだが、それよりもあの2人自身だ。  
 それぞれ完成された使い手である我也や私とは違い、まだ不安定要素を見ることが出来、かつその資質は同等かそれ以上のものを秘めた仙術使いと反仙術の使い手。  
 それも揃って高校生、居る場所は零細企業とくれば・・・狙われて当然とも言える。  
 捕まれば、今までの私と同じ様な立場に、いや『新理論』を持たない者達からはそれ以上に利用されるに違いない。  
 私とて人の親、そんな危険が漂う企業に愛娘を置いていおけはしない」  
 辻原は眉をひそめた  
 「突き詰めれば男女としての関係は4通りしかない。男女共に好きか、嫌いか。またはどちらか片方だけが好きかどうか。  
 ・・・・・・その内、陽菜が心から幸せになれるのは1つだけ。これ以上、私は娘を悲しませたくはない」  
 武文の目はいつになく真剣で、思い詰めているよなものだった  
 「だから私は、陽菜が幸せになれないような企業ならば、いつでも・・・無理矢理にでも辞めさせる気でいる」  
 「・・・それは困りますね。今の工具楽屋(株)にとって、彼女は無くてはならない存在ですよ」  
 「だから、こうして依頼しているのだ。どのみち、受けて貰うことにはなるだろうがな。  
 あの2人がくっつく分には、この工具楽屋(株)には損はないのだから、君も我也に面目が立つだろう?」  
 辻原が「脅迫ですよ、それ」と言い返した  
 「構わん。親は子の為なら、鬼でも悪魔にでもなれる。  
 それに、もしそんな新たな組織が工具楽屋(株)を狙ってくるようであれば、我聞君には陽菜が、陽菜には我聞君が自ずと必要になってくるだろう。  
 だが、その時に社長とその秘書ではあまりに弱い。それ以上に共にあれる関係でなければ、私は認めない」  
 全く、この人はいつも斜め上を行くようなことを言ってくれる  
 いや、あの爆弾発言はそれを確かめるためにお試し版として落としたのだろうか  
 「・・・良いでしょう。その依頼、お受けします」  
 「こわすものは『日常生活における2人の、社長とその秘書という関係』、成功報酬は『その後の工具楽屋(株)のより一層の発展』だ」  
 勿論、失敗は許されない  
 辻原が「ただし」と付け加えた  
 「『こわし』は本来、社長の仕事です。ですから、私に出来ることはそのお膳立てぐらいなものです」  
 「元々そのつもりでいる。2人の意思が最優先なのは当然だ」  
 「その口で良く言いますね」と辻原がぼそりと言った  
 が、一番つかめず厄介であり、動いて貰わないといけないのも社長という立場の我聞であることは確かだ  
 陽菜が我聞に好意を抱いているというなら、後の問題は我聞が陽菜のことをどれ程想っているのかということに絞られるからだ  
 以前の『家族』程度なのか、それ以上に想っているのかは・・・実際に動かしてみないとわからなそうだ  
 
 「(なら、その為にも皆さんに色々動いてもらいましょうか)」  
 
 ・・・・・・    
 
 「・・・というわけで、ここにいるかなちんや西さんにご協力を仰いだというわけです」  
 「かなちん言うな!」  
 
 辻原の説明にGHKとGHWの面々は唖然としている  
 さなえが「おっと、私や中之井は責めないでやっとくれ。何も知らされてなかったんだからね」と言った  
 実際、さなえは何も手出ししなかったし、中之井は辻原の言うことを信じて陽菜に見合いを勧めただけだった  
 「・・・本来なら、果歩さん達には外して貰って聞いて欲しかったんですけど、事態が事態ですから。  
 下手すると、これからそういった騒ぎが本当に起こるのなら、仙術も何も使えない家族は工具楽屋(株)の弱点になり得ますからね」  
 「!」  
 最も、本当はこの依頼が無事成功したら、折を見て話すつもりではいた  
 が、こうして見つかってしまった以上、下手に隠すより話してしまった方が得策だろうと踏んだのだ  
 案の定、果歩は珍しく動揺していた  
 「え、ええっと・・・その後、辻原さん、いや優さんは・・・あれ?」  
 「言いたいことはわかります。『いつから、この仕事は始まったのか』ですよね。  
 ええ、最初からです。中之井さんが陽菜さんに見合いを勧めた時からです」  
 「・・・え?」と果歩は優さんの方を見た  
 すると、優さんは「ごめん」と言った  
 「私は辻原くんの計略なんか知らなかった。・・・って、言い訳だよね。  
 月曜日の夜の会議の時は、ただ偽の見合い相手の準備が出来たって報告しようとしただけなんだ」  
 それが、設置していた盗聴器からあの会話が流れ込んできて、言うに言えなくなり、そのままずっと流され、ノってしまったというわけだ  
 もしかしたら、辻原はGHKの計画を知った上で、こんな見合いを謀ったのかもしれない  
 優さん1人で立ち上がったMDN(もうどうにでもなれ委員会)は、実はこんな所からも由来していた  
 「あ、ちなみに言いますと、陽菜さんの見合い相手は架空の名前ですが、社長はかなちんの名前を出しておきました」  
 「なッ・・・! 勝手に人の名前を使わないで下さい!」  
 かなえが反論するが、辻原は「いやぁ、効果は抜群でしたねぇ」と全くこたえていない様子だ  
 と、ここで疑問に思ったのか優さんが訊いた  
 「あれ? そもそも、なんでかなちんや西さんはこの計画に参加したの?」  
 「かなち・・・・・・武文さんの話の通りだからです。我聞君と陽菜さんの関係はともかく、この先工具楽屋(株)が狙われる可能性は非常に高い。  
 特に陽菜さんの反仙術は驚異です。近い内に何らかの措置を執らざるを得ないと考えていた時に、この話がきたので、こわしや協会会長としてのったまでです」  
 「私は・・・工具楽屋(株)にはお世話になってますし」  
 あははと笑う西さんの顔に力はない、脅されて無理矢理に・・・かもしれない  
 元々、この2人には「辻原が断り切れずに持ってきてしまう見合い話」という前提のための、口裏合わせに参加して貰ったのだ  
 理玖さん達は、どこから聞きつけてきたのか・・・ただの野次馬だったりする   
 勿論、GHWが捕まっているのも、これ以上話をややこしくしないようにするためだ  
 「・・・とまぁ、これだけやっておきながら、結局は我聞君任せってのもね・・・」  
 言われてみれば確かにその通り  
 「ていうか、たったそれだけの為に我聞君やはるるんを突き放したり焚き付けたりしたの・・・?」  
 「はい」  
 にこにこと辻原が缶コーヒーを飲むのを、皆がはぁと盛大にため息を吐いた  
 「・・・・・・あのさぁ、もっとスマートに事を運べなかったの?」  
 それこそ、GHKの面々にはあまり言われたくないのだが  
 「とりあえず、どう想い、どう2人が動くのか、様子を見たかったもので。  
 何しろ、2人と工具楽屋(株)の未来が懸かっていますからね」  
 斗馬は「何故、2人をくっつけるだけの話がここまで大きくなったんでしょう」と首をひねっている  
 GHKも流石にこれには参ったのか、頭を抱えたりしている  
 「それに」と、辻原は言った  
 
 「他人を想う気持ちは、自ら気づかなければ意味が無いんです」  
 
 ・・・・・・  
 
 我聞は広い庭園を走り回った  
 「どこだ・・・?」  
 あの時、ふと出た言葉が、結果的に傷つける言葉となってしまった  
 謝りたい、そう思った  
 我聞の言葉と陽菜の言葉では、全く覚悟が違った  
 「・・・・・・」  
 我聞は軽く考えていた、形はどうであれ見合いというものがどんなものなのか  
 「國生さぁーん!」  
 それにしてもなんて広い庭だろうか  
 実はここは、西さんの計らいで貸してもらった内閣調査室関連の土地であり、本来なら見合いの席なんかで使われる場所ではない  
 この辺はそれなりの、2人に邪魔の入らないようにとの舞台として選ばれたのだろう  
 しばらく辺りを捜していると、足下に櫛飾りが落ちていた  
 「!」  
 我聞はそれを拾い上げると、ふとその先の茂みに目がついた  
 そっと耳を澄ませてみると、確かに誰かがいる  
 「・・・國生さん・・・?」  
 がさがさっと茂みをかき分けてみると、そこに小さく陽菜が横たわっていた  
 無理に走った所為か着物は着崩れ、すそがめくれ上がり、白い足が目に映り、思わず顔を逸らした  
 それだけではない、震えていた  
 寒いのではなく、泣いているのだろうか     
 我聞はもう一度、声をかけた  
 「・・・國生さん?」  
 「・・・・・・いでください」  
 よく聞こえないので、もう一歩、近づき手を伸ばそうとした  
 「こないでください!」  
 滅多に聞くことのない、張り上げた声を陽菜は出した  
 思わず我聞は身体を仰け反らせ、反射的に手も引っ込めた  
 「・・・あの」  
 「ちかよらないでくださいっ!」  
 こんな國生さんは初めて見た  
 「國生さん、本当にごめん・・・」  
 我聞は思うがままに謝罪するが、何とも言えない罪悪感が胸の中に残った  
 「俺、本当に馬鹿だった。本当に、ごめん・・・」  
 「あやまらないでください。・・・もう、いいんです」  
 小さな肩が震えている  
 これ以上の謝罪の言葉が見つからない・・・  
 どうしたら、償えるのだろうか  
 
 それから、どれほどの時間が経ったのだろうか  
 我聞はゆっくりと小さく震えている陽菜に近づき、後ろから抱き起こした  
 「!」  
 我聞の腕の中で、陽菜は泣きながら必死に抗った  
 「はなしてくださいっ!」  
 「離さない」  
 「おねがいですっ、はなしてくださいっ!!」  
 「離さない」  
 「はなしてっ!」  
 「離さない」  
 段々と陽菜の声が小さく、そして嗚咽の方が大きくなってくる  
 我聞に対して、陽菜は必死で抗って懇願した  
 「・・・・・・おねがいで、す、しゃちょ・・・はなして・・・」  
 これ以上、何も期待なんかさせないで下さい  
 「しゃちょ・・・おねがい・・・」  
 以前の関係のままで良いから、もうそれ以上は何も望まないから  
 「・・・や、しゃちょ、はなし・・・はなしてくださっ・・・」  
 お願いします、社長  
 「・・・・・・しゃちょ・・・」  
 我聞は、ゆっくりと、言い聞かせるように陽菜に言った  
   
 「『社長』じゃない。社長じゃ聞かない。今の俺は『工具楽我聞』として、國生さんを抱き締めてるから」  
 「・・・・・・ッ!」  
 
 互いの温もりが感じられる  
 互いの心臓の音が響き、伝わってくる  
 互いの息遣いさえ、何もかもが聞き取れる  
 
 顔が熱い  
 
 ぎゅっと強く、陽菜は我聞の腕を握った  
 華奢な指先、爪が食い込んで痛い  
 悲しませてしまった  
 ここまで必死になる程、愚かにも悲しませてしまった  
 「本当にごめん・・・陽菜・・・」  
 「・・・・・・」  
 自然に出た名前、今では何もかもが愛おしい  
 気づけなかった、気づこうともしなかった  
 自分が情けなさ過ぎて、あまりにもその存在が大きすぎて  
 「馬鹿だな、俺って・・・」  
 どうしようもないくらい、どうしようもないくらい  
 それでも、ようやく気づいた  
 「・・・もう、離さないから・・・」  
 「・・・・・・」  
 
 2人だけの時間が過ぎた、陽菜の震えはまだ止まらない  
 が、ぎゅっと強く握られていた指先が、爪に入っていた力が少しずつ抜けていった  
 うつむいたまま、陽菜が言った  
 「・・・あ、あの・・・」  
 「ん? 何、國生さん」  
 「・・・『國生陽菜』としてお願いします。もう、しばらく、このままでいさせてください」  
 ほっと顔を赤らめ、そう言うと、我聞は答える代わりにきゅっと陽菜を抱き締めている腕にほんの少しだけ力を込めた  
 そうやって身体を引き寄せると、2人の顔がそれだけ近づいた  
 お互いの心臓の音が身体全体に伝わり、互いの身体が触れているところが灼けるように熱かった  
 
 どちらからというわけでもなく、2人の唇は重なっていた  
 
 ・・・・・・  
 
 「・・・大丈夫? 寒くない?」  
 「はい、大丈夫です」  
 陽菜はめくれあがった着物のすそを直し、我聞は身体に付いた落ち葉を払ってあげた  
 まだ2人の身体はお互いの温もりを忘れていないらしく、本当は寒さなど気にならなかった  
 「あ、はい。櫛飾り、落ちてたよ」  
 「あ、ありがとうございます」  
 拾った櫛飾りをそっと陽菜の髪に挿してあげると、「うん、似合ってる」と褒めた  
 陽菜は素直に「ありがとうございます」と微笑みながら言った  
 思わずまた抱き締めたくなるような笑顔に、我聞は硬直した  
 「・・・あ、えと、皆の所に戻ろうか?」  
 「はい」  
 どうにも締まらない、我聞は苦笑した  
 と、ここで陽菜がまたこけかけた  
 「どうしたの?」  
 「草履が・・・」  
 見れば鼻緒の部分がぶち切れてしまっている、無茶苦茶に走った所為だろうか・・・全然気づかなかった  
 ただでさえ着物姿で歩きにくいのに、これでは直さないと動けない  
 陽菜は修理を試みようとかがもうとすると、ふわっとその身体が浮いた  
 「・・・!」  
 「これなら平気でしょ」  
 お姫様抱っこである  
 流石に我聞はよく鍛えられている上、陽菜も細身の方だから案外楽にいけたのだろう  
 「しゃ、社長!」  
 「ん?」  
 我聞はちょっと意地悪くとぼけると、陽菜はうつむいて、ぼそぼそと言った  
 「・・・く、工具楽・・・くん、大丈夫だから、その・・・」  
 「俺の方は大丈夫だよ。鍛えてあるし」  
 いや、そういうわけではないのだが、我聞は無視してすたすたと来た道を戻り始めた  
 陽菜の方も流石にこれは露骨に恥ずかしいが、抱えられ寄りかかれる我聞の胸があんまりにも居心地が良いので何となく黙ってしまう  
 そっと陽菜は目を瞑り、しばらくこの胸元とこの心地よい振動と鼓動に身体を預けていると、ふと思い出した  
 「・・・・・・あ、そういえば・・・」  
 「國生さん、今度は何?」  
 このポジションで、ちらっと上目遣いで見られ、我聞はほんの少し顔を上に逸らした  
 「名前、もう呼んでくれないんですか?」  
 「う・・・」  
 我聞がうっと詰まるのを、陽菜がじっと見つめ続けるので、また形勢逆転されてしまった  
 「・・・努力シマス」  
 「そうですか。わかりました」  
 いつもの口調に戻られたのが余計につらい、ドスドスッと我聞の胸に突き刺さる  
 むぅっと真剣な顔でいる我聞に、思わずくすりと笑った  
 
 ・・・・・・  
 
 「もっと分身の術やってー!」  
 「おう!」  
 珠と斗馬、理玖と勇次郎はすっかり打ち解け、和気あいあいと遊んでいる  
 果歩の方はぐるぐるとその場を歩き続け、眉間にシワを寄せて、本気で心配している  
 「もう我聞君信じるしかないからね〜」  
 優さんはそう口で言っているが、もう我聞がいなくなってから2時間は過ぎてしまっている  
 幾ら庭園が広いとはいえ長すぎるような気もするが、逆にそれはうまくいっている証明なのかもしれない  
 今はそう思って、2人が揃って帰ってくることを待つしかない  
 番司や桃子、GHWの方はそれぞれの心配をしつつも、やり場の殆ど無い怒りで憤っている       
 中之井はさなえや若き日の彼女に似たかなえが傍にいるだけで緊張し、いつでも幽体離脱してもおかしくない精神下にあったので、別の意味でそれどころじゃなかった  
 辻原が6本目の缶コーヒーを開けようとした時、ふと1人分の人影が見えた気がした  
 「・・・どうやら、無事に終わったようですね」  
 おぉっと皆が歓声を上げた、なんとお姫様抱っこでのご帰還とは思いもよらなかった  
   
 2人が此方へ歩み寄ってくる前に、皆が2人の元へ駆け出していった  
 
 ・・・・・・  
 
 翌日の月曜日の放課後  
   
 「じゃあ、今日は仕事が無いんだね?」  
 「はい。ですが、緊急に入った際は、速やかに帰宅願います」  
 そう陽菜がきびきび言うと、我聞は「はい」と返事した  
 「卓球部、寄ってく?」  
 「・・・そうですね。久々にお相手願いますか?」  
 「おう、どんとかかってきなさい!」  
 ここ1週間、全く部活動に顔を出していなかったから丁度良いかもしれない   
 2人は並んで校舎を歩き、一旦部室の方へ寄った  
 がらりとドアを開けると、既に全員そろっていた  
 「お、来たな」  
 「はぅぅぅぅん! 國生さぁ〜〜〜ん、会いたかったでぇ〜〜〜す!」  
 いきなりハイテンションな佐々木はさておき、2人の周りにわらわらと部員が集まってきた  
 「仲直りは出来たみたいだな」  
 「む、元々國生さんとは喧嘩などしとらんぞ」  
 「るなっち、今日は仕事無いんだ?」  
 「はい」  
 と、ここで携帯電話が鳴った  
 案の定、仕事が入ったとのことだ  
 「・・・というわけで社長、ここにいられる時間は残り30分程になりましたので」  
 「はい、わかりました」  
 周りはぶぅぶぅと文句を言ったが、この2人の場合はしょうがない  
 手早く着替えてくると、早速陽菜は我聞の所へ行った  
 「では、工具楽くん、お相手願います」  
 「お、國生さん、よし・・・・・・」  
 「「「工具楽・くんっ!!?」」」  
 途端、部員達の目の色が変わった  
 同時に陽菜に女子部員が詰め寄り、何故か3年の皇まで現れて男子部員は我聞をそこから引き離した  
 「何、何、ナニ、どういう心境の変化なわけ!?」  
 天野が追求するが、至って冷静に陽菜は答えた  
 「いえ、別に。ただ会社と学校及び私生活、公と私でのけじめの一環として、呼び方を分けただけです」  
 その言葉に、中村がくいっと眼鏡をずり上げ言った  
 
 「お前らこの土日中に何かあったな?」  
 佐々木が「何、どういうことだっ!?」と聞いた  
 「半年以上、一貫して『社長』と呼び続け、1週間程前には明らかに喧嘩したような雰囲気が漂っていたはず。  
 そして、今現在においては我聞の方は何も変わっていないようにも見えるが、明らかに接し方に違いが・・・両者の親密度が上がっている。  
 というか、今まで我聞の呼び名を分ける必要無かったのに、ここにきて意識的に分けようとの意思が出てきたということだ」  
 ごくりと國生さんファンクラブがつばを飲んだ  
 「・・・少なくとも、Aまでいったものと推測する」  
 「!」  
 「本当なのか!」  
 ぐっと詰まる我聞に佐々木達の魔の手、いや刃物が差し迫る  
 一方で逃れようもない女子部員の追及を必死でかわす陽菜の姿  
 「くぐ・・・しゃ、社長、少し早いですが仕事に、現場に向かいましょう!」  
 「おう、國生さんっ!」  
 ばたんばたんと着替える間もなく、慌てて飛び出した  
 中村と女子部員を除いた卓球部の面々が、まるで地の果て宇宙の果てまで追いかけてきそうな鬼のような形相でその後を追いかける  
 「待ちやがれ! 我らが神聖なる國生さんによくもっ、我聞許すまじ!!!」  
 
 ・・・・・・当分、また2人は「社長」と「國生さん」を押し通すこととなった  
 

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