ある晩の事。  
 
家事を終えた果歩は教科書とノートを拡げ、今日の授業の復習と  
明日の予習に精を出していた。  
とは言え、要領が良い彼女の勉強時間は比較的短い。  
陽菜に教わっている事もあって、最近は効率が上がってきたようだ。  
 
ノートには重点ポイントと不明点が整理されている。  
几帳面な性格をよく反映していると言えるだろう。  
丸みのある文字で書かれているのが、いかにも年頃の少女らしい。  
 
「…っと、あとは判んないから明日訊こうっと」  
 
筆記用具を片付けようと果歩はゆっくり立ち上がる。  
今の果歩は部屋着と言う事もあり、ピンクのトレーナーに  
白いミニのスカート。細い脚の先は裸足という、くつろいだ格好だ。  
 
「姉ちゃーん」  
 
ほっとした空気を破ったのは妹の珠であった。  
 
「寝る前にお風呂入ってきなさいよ」  
 
珠に先程言っていたのを果歩は思い出した。  
 
風呂上がりの珠は、パジャマに着替えている。  
タオルを首に掛けた様は女の子らしいとは言い難いが、滑稽な可愛さ  
がある。湯上りで顔がほんのり赤い。  
 
「姉ちゃん、耳掃除してっ」  
「ん?はいはい、ちょっと待って」  
 
戸棚から耳掻きを取り出した果歩は、座布団の上に座り直した。  
 
「…っと。珠、おいで」  
「うん!」  
 
珠は嬉しそうに応え、果歩の膝に頭を乗せる。  
一瞬の事であるが、珠の短い頭髪から洗髪した香りが果歩の鼻腔  
をくすぐった。ほんの少しだけ珠の髪は濡れていた。  
 
「大人しくしてるのよ」  
「はーいっ」  
 
素直に返事をする珠。普段はじっとしてない珠であったが、  
今は姉の膝の上で大人しくしている。  
そこは温かくて柔らかい場所。  
大好きな姉の匂いがする大好きな場所。  
そして今は珠だけの特等席であった。  
 
果歩は左手を優しく珠の頭に添えながら、耳掻きを静かに動かす。  
手馴れたもので、程好い力加減が気持ちいい。  
 
(珠も女の子だからキレイにしないとね。それに…)  
 
それに、こうして妹に膝枕してやるのにも理由がある。  
幼い頃に母にしてもらった思い出が、果歩の中に今でも強く残っていた。  
無論、珠も果歩同様に母親にしてもらってはいたのだが、いかんせん  
幼すぎた。  
弟の斗馬に至っては、母の思い出というものが殆どない。  
斗馬を生んで間もなく亡くなってしまったのだから。  
 
果歩は自分が母親にしてもらった事を出来るだけ妹達にしてやろう…。  
そんな風に考えていた。  
 
「じゃ、反対側もね」  
「うんっ」  
 
珠は、ごろんと身体の向きを換えると、反対側の耳を姉に委ねる。  
果歩は、優しく珠の髪を撫でながら、普段誰にも見せない穏やかな表情で  
膝の上の妹を見つめる。  
それは最愛の妹に向ける慈愛の眼差しであった。  
 
(あたしの妹なんだから、もうちょっと女の子っぽくてもいいのになぁ。)  
 
珠に女の子らしい、可愛い服を着せている想像をしてみる。  
今より伸ばした髪は自分がすいてやるのだ。  
髪留めもつけてやろうか?  
とっておきのリップもつけてやって…  
 
(でも誰に似たのか、おしゃれに興味がないんだよね)  
 
以前、自分が着ていた服を着せてはみたが、ボーイッシュな珠には  
似合わなかった。珠も少女らしい可愛い服よりも、動きやすい服を好んだ。  
我聞のお下がりを着せた方が似合ってしまったりしたが、流石にそればかり  
と言う訳にもいかず、珠に似合いそうな服をいつも選んでやっている。  
 
(まぁ、それも珠らしいかな)  
 
苦笑しながら果歩は、気持ち良さそうにしている珠に声を掛けた。  
 
「はい、おしまい。珠、終わったよ。…って、珠?」  
「…すぴー」  
「あ、寝てるし。」  
「大姉上、私めにも耳掃除をしては頂けませぬか?」  
 
ちょうど弟の斗馬が現れ、何やらそわそわした物腰で姉に訴えた。  
どうやら珠が耳掃除をしてもらっているのを見て、自分もして欲しくなった  
のであろう。  
 
「いいわよ。でも、その前にお兄ちゃん呼んで来て」  
 
「どうした、果歩?」  
 
兄の我聞が斗馬に呼ばれてやってきた。  
 
「珠があたしの膝で寝ちゃったんで、運んでくれない?」  
 
果歩の膝の上で寝息を立てる珠。  
その様子は子猫が甘えている様にも見えた。  
 
「へー。気持ち良さそうに寝ているな」  
「そうなのよ。起こすのも可哀想だしね」  
「お前の膝の上だから、珠も気持ち良さそうに寝てるのかもな」  
「へ?あたしの膝の上だから?」  
 
果歩は、ふと涌いた疑問に思わず間が抜けた声を出す。  
 
「お前も母さんの膝の上でよく寝てたからな」  
「あ…」  
 
幼い頃、母に膝枕されながら優しく頭を撫でられていた記憶…  
あったかくて、柔らかくって…。  
 
(そう、何だか安心しちゃって寝てたんだよね)  
 
自分も母の域に達したのであろうか?  
褒められたようで嬉しい。  
果歩は得意気に目を細め、ニヤニヤしながら我聞に言った。  
 
「お兄ちゃんにもしてあげよっか?」  
「ば、ばか言え。妹にそんな事させられるかっ」  
 
(あ、動揺してる)  
 
妹の予想外の発言に我聞は戸惑ってしまう。  
そんな兄の動揺が滑稽で可笑しく感じた果歩であった。  
 
「ふ〜ん」  
 
(まぁ、お兄ちゃんの耳掃除は陽菜さんにしてもらわないとねっ)  
 
「大姉上、次は私の番〜」  
「はいはい」  
 
兄姉達の会話をよそに、気持ちよさそうに寝ている珠。  
どんな夢を見ているのか…  
珠の寝顔は幸せそうであった。  
 
おしまい  
 

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