あれから10日ほど経ったある週末。  
またしても場面は工具楽家・居間、時刻は午後8時を回ったくらい。  
工具楽家では普段より少し遅い夕飯を目前にして、相変わらず賑やかな様相を呈していた。  
 
「おーなーかーすーいーたー!」  
「大姉上! ご飯は・・・ご飯はまだですか・・・」  
「もうちょっとだから! 少しはおとなしく待ってなさい! もう、お兄ちゃんからもなんか言ってやって!」  
「お!? ああ、そうだぞ珠! 斗馬! 昔からな、武士は喰わねど高楊枝といって・・・」  
 
ぐぎゅるるるるる  
 
「「・・・・・・」」  
「―――む・・・まあ、その、なんだ、もうすぐ、もうすぐ出来るから・・・多分・・・」  
「・・・お兄ちゃん・・・はぁ・・・」  
「す、すみません果歩さん、私が手際が悪いばかりに・・・」  
「い、いやいやいや! 陽菜さんは何も悪くないですから! 慣れない台所で十分過ぎるくらいですから!  
 悪いのは全部あのバカ兄ですから!」  
「な、なんで俺が!」  
「だってそうでしょう! なに今の無言の催促! 珠や斗馬よりよっぽどタチ悪いわよ!!」  
「ぐ・・・だ、だがこれは不可抗力で」  
「お黙りバカ兄貴! これ以上口答えしたらおかず半分にするからね!」  
「・・・・・・ハイ」  
(社長・・・家長の威厳が全然感じられません・・・)  
 
と、そんな感じで普段以上に戦場な工具楽家。  
あれから1、2日おきに陽菜は工具楽家の食卓に招かれ(毎日果歩から誘いは受けていたが、さすがに遠慮した)、  
夕食を共にしていた。  
相変わらず油断すると果歩にドキっとするようなことを言われはするが、  
家族の団欒に憧れていた陽菜には、ある意味客にも遠慮のない工具楽家の食卓は、とても楽しいものであった。  
―――もちろん、我聞と一緒にいられる時間が長くなる、というのも大きかったが。  
 
そんな日々が一週間以上続き、さすがにご馳走されるばかりなのも気が引けるのと、  
料理の腕を上げたいという目的もあったので、今日は材料持参で果歩と共に台所へ立った訳だが―――  
慣れない台所な上に、育ち盛りを含む5人分の食事を一気に作るという作業量に圧倒されてしまい、  
ほとんど働きらしい働きができずにいた。  
それでも果歩は丁寧にコツや注意点を説明してくれたので、陽菜にとってはいい勉強になったが、  
その分だけ調理に時間がかかり、結果として先に述べたような修羅場が展開されていたのだ。  
 
しかしそこは、食い意地の張った三人をあしらい続けてきた工具楽家の炊事番こと果歩である、  
可及的最速で料理を仕上げると、さくさくと配膳していく。  
これらの手際全てが陽菜には驚愕だった。  
おもわず見とれている陽菜に気付いた果歩は照れたように笑い、  
 
「さ、陽菜さんも座ってください、慣れなくて疲れたでしょう、食事にしましょ!」  
「は、はい・・・」  
「さ、おまたせ! 今日は私と陽菜さんが腕によりをかけて作ったお夕飯だからね!  
 ちゃーんと味わって食べるのよ!」  
「「「いただきまーす!」」」  
 
と、堰を切ったように猛烈にかっ込みはじめる三人。  
やれやれ、と呆れたような、それでも楽しそうな顔で、果歩も箸を進める。  
だが、陽菜だけは食事に箸をつけようとしなかった。  
そんな陽菜の様子に気付いて、果歩が声をかけようとして  
 
「む、どうした國生さん、食べないのか? 今日の夕飯は國生さんも手伝ってくれたんだろ、上出来だよ?」  
 
我聞に先を越されてしまってちょっとだけムッとしつつも、それだけ思いやっているなら、と許すことにする。  
・・・が、  
 
「すみません・・・わたし、今回、ほとんど何もしていなくて・・・」  
 
「わたし、果歩さんの手際と量の多さに圧倒されちゃって、ほとんど手伝えてないんです・・・」  
「國生さん・・・?」  
「陽菜さん・・・・」  
 
我聞と果歩が心配するくらいに、陽菜は落ち込んでいるように見えた。  
そして、実際に落ち込んでいた。  
これまでなんどか工具楽家で夕食を共にして、果歩がいかに大変そうかは分かっていたが、  
自分が手伝うことでその労力を減らして上げることが出来ると信じて疑わなかった。  
だが、実際に手伝ってみた結果、それが思い上がりであったことを痛感してしまったのだ。  
手伝いとは名ばかりで、逆に果歩の手間を増やして余計な時間を取らせてしまった。  
 
「すみません果歩さん・・・わたし、足を引っ張るばかりで・・・」  
「そ、そんなことないですよ! 慣れない台所でちょっと戸惑っただけじゃないですか!  
 大丈夫、最初から上手くできる人なんていませんから、大切なのは練習ですよ!」  
「あ、ありがとうございます・・・」  
 
果歩に励まされて少し表情を崩しはしたものの、やはりショックなのには変わりないようだった。  
そんなちょっと気まずい雰囲気が漂い始めてしばらくして  
 
「んー・・・そうだよな、俺や果歩の時とは勝手が違うもんなぁ・・・」  
「どうしたの? お兄ちゃんいきなり」  
「勝手・・・ですか・・・?」  
「いやさ、俺が家事を始めた頃は、果歩も珠も斗馬も小さかったし、親父がいたとはいえ、  
 作る量なんてたかが知れてただろ、果歩が手伝ってくれるようになった時もまだ食べ盛りは俺くらいだったしな。  
 それに比べると、今は人数は同じでも、喰い盛りが俺いれて三人もいるからな・・・量が全然違うだろ。  
 そりゃ、流石にいきなりこの人数分をこなせってのは普通に厳しいよなぁ、と・・・」  
「あ・・・確かに・・・わたしがお兄ちゃんに料理習ったときは、もっと量とか時間とか、余裕あったかな」  
「國生さんも、いきなり手伝いとは言え五人分じゃ焦るばかりだろうし、  
 最初は二、三人分の食事作りから始める方が飲み込みやすいんじゃないかな」  
「なるほど・・・」  
 
確かに今日の台所は陽菜にとっては戦場さながらの忙しさで、  
折角の果歩の指導もどこまで身についたか不安なのも事実だった。  
 
「そうですね、社長のおっしゃる通り・・・その方が落ち着いてできそうですね  
 ただ、二、三人分となると・・・」  
 
工具楽家でやるには人数分に足りないし、果歩と分業して別々に作業を行うのは効率面で問題がある。  
かといって部屋で一人で作っても・・・あ、そうだ  
 
「そうだ! これよこれ! これだわ!!」  
 
陽菜がちょっといいことを思いついた矢先、果歩がいきなり大声を上げてなにやらガッツポーズ。  
 
「な、なんだなんだ!?」  
「陽菜さん! わたしいい事思いつきました、またお兄ちゃん貸してあげます!」  
「・・・んな・・・」  
「そうしたら陽菜さんとお兄ちゃんで丁度二人分になるじゃないですか!  
 ちょっと多めの量で練習しつつ、人にも食べてもらえるから、一人よりずっと上達早いですよ、まちがいなく!!」  
「え・・・でも、よろしいのですか?」  
「そりゃーもう、よろしいもよろしくないも! 未来の兄よ・・・じゃなくて、陽菜さんのためでしたら、  
 バカ兄の一人や二人、もういくらでもお貸ししますとも!  
 ていうか、ウチで一緒に夕ご飯食べるとき以外はもう連れて行っちゃってくださって構いませんから!」  
「ちょ・・・果歩、俺の立場は・・・」  
「お黙り」  
「・・・・・・」  
 
工具楽家家長・工具楽我聞。  
実は長女・果歩による傀儡政権という噂が後を絶たない今日この頃。  
 
勢いづいた果歩は、もう誰にも止められない。  
下手に遮ろうとすれば某家長のように轢かれるだけ。  
 
「だいたい立場ってなによ! お兄ちゃん考えてる!?  
 陽菜さんの手料理が食べられるのよ!? て・りょ・お・り!!  
 それともなに、陽菜さんの料理なんて食べたくない?  
 あっそーお? お兄ちゃん酷いんだ!! ねぇ陽菜さん聞いた!?」  
「ちょ、ちょ、ちょっとまて! 誰もそんなこと言ってないから!  
 國生さんも誤解だから、もちろん食べたいから! 是非とも食べたいから! だから・・・って、あれ」  
「あらあら、やっぱりそうなんじゃな〜い! 最初から素直に言えばいいのに、ねぇ陽菜さ・・・あら」  
 
そんな熾烈な(そして一方的な)舌戦の最中に、渦中の人物たる陽菜は、と見ると  
なんとなく目が虚ろで上のほうを見上げ、少し頬を染めて、うっとりとした顔で呆けていた。  
 
「こ、國生さん・・・?」「陽菜さん・・・だ、大丈夫?」  
「・・・へ・・・あ! ひゃ、は、はいっ! 大丈夫です、なんでもないです!」  
 
さっきまでの争いも忘れ、思わず顔を見合わせる我聞と果歩。  
 
(つ・・・疲れてるんだな、きっと)(そ、そうよね・・・まあ、それだけ馴染んできたってことで・・・)  
 
兄妹だからこそ可能なアイコンタクトで咄嗟に意思の疎通を図ると、そこにはあえて突っ込まないことにする。  
もちろん、他の二人も含めて陽菜が何を考えていたかなど知る由もなかった。  
果歩より一瞬先に同じことを思いついて、許可まで頂いたものだから、そのまま妄想に浸っていたことなど。  
妄想のなかで我聞に “あーん”させて、ご飯を食べさせていたことなど。  
 
(わたしったら・・・なんてことを・・・)  
 
今度は一人真っ赤になって頭を振る陽菜を、工具楽家の兄妹たちは一生懸命見ない振りでスルーしていた。  
 
しばらくして陽菜もやっと落ち着きを取り戻し、同時にさっきまでの落胆も消えたようで、  
後はまた和気藹々とした工具楽家の夕食風景となった。  
陽菜は果歩の提案にも(一瞬また真っ赤になって混乱の様相を呈したが)喜んで賛同して、  
あんまり喜ぶものだからそこを果歩に突っ込まれたりと、相変わらずの雰囲気だったが、  
この団欒が心地よくてたまらなかった。  
 
そんな風にして食事を終えて後片付けも済ませ、今は果歩の提案で五人はゲームに興じていた。  
といっても工具楽家にTVゲームなどあるわけもなく、五人が囲んでいるのは “人生ゲームEX”。  
昔よく遊んだものを果歩が見つけ出してきて、折角五人もいるんだし、ともちかけたのである。  
工具楽兄妹には懐かしく、陽菜はこんな遊びをするのは初めてだったので、  
明日は休日ということもあり時間を忘れてのめりこんでいた。  
 
「えーと、5、と・・・あは、やりました、いいところに!」  
「む、やりますね陽菜さん! ・・・っていうか、陽菜さんって結構勝負事にアツくなるタイプです?」  
「え、そ、そうですか?」  
「そういや卓球してても、なかなか負けず嫌いなところ、あるよな〜」  
「そ、そんなことないですよ! あ、次は社長ですね」  
「お、よっしゃ、今度こそ挽回してやろう! ・・・10か、よっしゃいい引きだ! ・・・あ」  
「・・・社長、なんといいますか・・・今日はついてないですね・・・」  
「あはは、お兄ちゃん昔っからこれ弱いんですよ、もうほんと笑っちゃうくらい!」  
「ま、まだだ、まだまだ闘いはこれからだからな!」  
「はいはい、それもいつもどおりの台詞ですね、っと」  
 
と、そんな感じで、果歩・斗馬・陽菜がトップを争い、珠はぼちぼちと。  
我聞はドツボに嵌りっぱなしで、浮かび上がる気配すら見えない。  
 
(駐車してある車を傷つけてマイナス20万とか、なんか妙にリアルで嫌なコマばかり止まりますね・・・社長)  
 
余計なお世話と思いつつも変なところで心配になってしまう陽菜であった。  
 
「あら、ここは何でしょう・・・え」  
「お、陽菜さん結婚一番乗りですね!」  
「け、け、結婚、するんですか!?」  
「そうですよ、なんたって人生ゲーム、ですからね、えい!」  
 
といいつつ、陽菜のコマに青いピンを刺す。  
 
「あ、なんだ、これでいいんですね」  
「へ、どういうことですか?」  
「いえ・・・わたしてっきり、他のどなたかと結婚するのかと・・・」  
「あはは、なるほど〜、そんなルールあっても面白かったかもしれませんね〜?」  
 
軽く流すようなそぶりをしつつ、果歩の目がギラリと光る。  
 
「と・こ・ろ・で、陽菜さん、もし誰かと結婚するってルールだったら、誰を選びました〜?」  
「・・・え!?」  
「いやぁ、そういう発想したってことは、相手のことも考えたんじゃないかなーと思いまして!  
 ねぇ、どうなんです、は・る・な・さん!?」  
「あ・・・あの、いえ・・・べ、別に何も考えていないですっ!」  
「え〜、ほんとですか〜? お兄ちゃんも気になったんじゃなぁい?」  
「い、いや・・・俺はルール知ってるし・・・」  
「・・・ったく、話くらいあわせなさいよ!」  
「んな、無茶な・・・」  
 
そんな感じで果歩主導の構図は変わらずだが、逆に盤上では果歩が少し遅れて陽菜が一歩リード。  
 
「じゃあ、私の番ですね・・・ええと、8です・・・え・・・こ、子供、ですか・・・」  
「お、陽菜さんおめでとう〜! 結婚に続いて出産も一番ですね!  
 さ、男の子と女の子と、どっちがいいですか?」  
 
またしても困惑する陽菜に対し、待ち構えていたかのようにピンクと水色のピンをそれぞれ両手に持って、  
陽菜に選択を迫る。  
 
「うう・・・べ、別にどちらでもいいですが・・・」  
「そんな適当な言い方じゃ、子供が可哀想ですよ! ちゃんと旦那さんと相談しないと!」  
「は、はぁ・・・」  
「子供といえば、陽菜さん子供って何人くらい欲しいですか〜?」  
「え・・・ええと・・・」  
 
(子供・・・何人って・・・ええと・・・考えたこともなかったし、わたしひとりで決めるのも・・・)  
 
本来なら適当にあしらっていいような質問なのだが、  
果歩の勢いに呑まれて判断力が衰えている陽菜は、ここで最もやってはいけないことをしてしまう  
―――助けを求めるように我聞の方に赤くなった顔をむけ、我聞もそれに気付いて視線を交わしてしまった。  
果歩、意図したとおりの展開ににやりと笑いながら  
 
「あっれ〜? お兄ちゃんの方なんか向いてどうしたんですか〜? あら、お兄ちゃんも顔みあわせちゃって♪」  
「え・・・え、あ! い、いや、べつに、たまたま! たまたまですから! なんでもないですから!」  
「そ、そう、たまたまだから、何も気にする必要はないからな果歩!」  
「え〜、ほんとかな〜!? やだ、二人とも顔真っ赤! あはははっ!」  
 
(あわわ・・・社長、すみません・・・  
 それにしても果歩さん、ここまで抜け目が無いとは・・・同じ兄妹なのに社長とは大違いです・・・)  
 
GHKとしてこれまで散々に努力を踏みにじられてきた果歩だから、  
この10日程前からの“打てば響く”状態の二人の反応が楽しくてたまらないらしい。  
それからも陽菜や我聞がちょっとでも面白いマスに止まると抜け目無く果歩が揶揄するものだから、  
いちいち二人は真っ赤になったり慌てて弁解したりで、ゲームの方は遅々として進まないのであった。  
 
そうこうしているうちに時刻は11時を回り―――  
 
「ほら、斗馬の番よ? 斗馬? あら、あんた眠いの? ってあらら、もうこんな時間なのね、いつのまに・・・」  
「珠さんも眠そうですね、ゲームは途中ですが、そろそろお開きにしたほうが良いかもしれませんね」  
「仕方ないなぁ、もーちょっとイジっていたかったけど、これまでか」  
「なぬ・・・イジる?」  
「あ、いやいや、こっちの話! ああ! もう斗馬、ここで寝ちゃダメでしょうが! もう、仕方ないなぁ」  
「まあ、この時間だからな、俺が運ぶから果歩は布団を頼む」  
「うん、わかった、陽菜さんちょっとごめんなさいね、すぐ戻りますから、ほら、珠もおいで!」  
「ふぁーい、陽菜ねえちゃんおやすみなさ〜い」  
「あ、いえ、お気遣いなく、おやすみなさい、珠さん」  
 
一人居間にのこった陽菜は、ゲーム盤を片付けながらいまの何気ないやり取りを思い返す。  
 
(自然に気を遣い合ってるっていうのかな・・・やっぱり、家族って、兄妹って憧れるな・・・  
 子供かぁ・・・二人は欲しいかな・・・)  
 
さっき果歩に言われたことが頭に残っていたのか、ついついそんなことを考えてしまう。  
 
(社長は、どうなんだろう・・・兄妹の良さを知ってるから、もっと欲しがるかな・・・・・・・・・って!)  
 
自分と我聞の間で、という前提で考えていることに今更気付き、一人真っ赤になって頭をぶんぶん振る。  
 
「は・・・陽菜さん? ・・・だいじょうぶですか?」  
「は! か、果歩さん、おかえりなさいませ! いえ、もう、平気ですから!」  
 
(・・・陽菜さん、今日はちょっとお疲れなのかな・・・まあ、気にしないことに・・・)  
 
「片付けありがとうございます、今お茶いれますから、座っててくださいね」  
「あ、いえ、時間も時間ですから、私もそろそろお暇しようかと・・・」  
「えー、騒いでばかりであまりお話できなかったし、もうちょっと・・・あ、そうだ!  
 陽菜さん、今日はウチに泊っていきませんか!?」  
「え・・・こちらに、ですか?」  
「うん、最近陽菜さん来てくれるようになったけど、いつも騒いでばっかりであまりお話できてなかったから、  
 ゆっくりとお話したいなって思ってたんです・・・だから、もし迷惑じゃなかったら、だけど・・・」  
「んー・・・そうですね、別に帰らなきゃいけない理由もありませんが・・・」  
「ふぅ、珠も斗馬もはしゃぎ過ぎたかな、コロっと寝付いたよ・・・お、國生さん片付けありがとう」  
「あ、お疲れ様です、社長」  
「ねぇ、お兄ちゃんからも頼んでくれない、たまには陽菜さんもウチに泊っていかないかって」  
「へ? ウチに?」  
「そ! 折角珠も斗馬も寝ちゃったし、ゆっくりお話できるかなと思ってさ」  
「あ、なるほど・・・まあ、果歩もこう言ってるし、國生さんが迷惑じゃなかったらどうかな?」  
 
んー、と少し考えると、  
 
「分かりました、折角のお誘いですし、お言葉に甘えさせていただきます」  
「ほんとですか!? やった! 陽菜さん、今日は一緒に寝ましょうね!」  
「あ、はい!」  
 
本当は、我聞と、とも一瞬思ったのだが、流石に妹や弟のいる家で何をするわけにもいかないか、と思い直し、  
快く承諾する。  
工具楽一家に家族同然として受け入れられている陽菜にとって、果歩は妹ということになる。  
兄弟姉妹に憧れていた陽菜にとって、妹と一緒に寝る、というのも魅力的だった。  
 
「じゃあ、國生さんお風呂入ってきたら? 今丁度沸かし直したからすぐ入れるよ。着替えは果歩に借りて、さ」  
「あ・・・でも、いいんですか、先に頂いちゃって?」  
「うん、今から着替え持ってきますから、先行っててください!」  
「じゃあ社長、失礼して、お先にお風呂お借りしますね」  
 
陽菜が着実に工具楽家に慣れてきているのが感じられて、我聞は微笑んで陽菜を見送った。  
 
「ねぇお兄ちゃん」  
「ん、なんだ?」  
 
陽菜が風呂に入り、残った兄妹は居間でお茶をすすっている。  
 
「この前の夜さ、本当に陽菜さんとは何もなかったの?」  
「ぶっ!」  
「わ! お兄ちゃん汚いなー! なに、そんな動揺しちゃうわけ!?」  
 
我聞にとっては最近しょっちゅう見ている気がする小悪魔系の表情になって、またも追求開始。  
 
「ば、バカなこというな! 俺は社長だぞ!?」  
「その社長様が動揺するようなこと、あったのかな〜?」  
「な、あるわけないだろう! だいたい國生さんがそんなこと許すか!」  
「そんなこと、ねぇ・・・まあ、いいけどさ・・・  
 ・・・お兄ちゃんさ、実際のところ、陽菜さんのことどう思ってるの?」  
「ど、どうって・・・國生さんは秘書で、大切な部下だからな・・・」  
「それだけ?」  
「それだけって・・・その、なんだ・・・まあ、俺ももう少し頼れる男にならないとな、と・・・」  
「は?」  
「いや、別に深い意味は無いぞ!  
 ただ、國生さんには迷惑かけっぱなしだったからな、男として・・・いや、社長として、だ!  
 もう少し頼れるようにならねばな、とそう思ってるだけだ!」  
「ふぅん・・・」  
 
ふと我聞が気付いたとき、果歩の表情はいやに真剣になっていた。  
 
「・・・果歩?」  
「一つ言っておくけど―――  
 お兄ちゃん、この前のときから、陽菜さんのこと意識してるの、バレバレだからね」  
「んな・・・そ、そんなことは・・・」  
「別に認めなくなかったらそれでもいいけどさ・・・・・・上手くやんなさいよ、応援はしてあげるから!」  
「な・・・」  
 
果歩は立ち上がると、部屋を出て行く。  
 
「お、おい、何処へ・・・」  
「陽菜さんそろそろ出るでしょう、お茶のお湯沸かし直してくるわ、あと、それと・・・」  
 
くるっと我聞へ振り返ると、少し悪戯っぽく微笑んで  
 
「・・・私、陽菜さんがお姉さんになってくれるなら大歓迎だから!」  
「お、おい! ちょっとまて、お前勝手に・・・っておい!」  
 
そんな我聞の声は無視して台所へ。  
 
「ふぅ・・・」  
 
薬缶を火にかけて壁にもたれ掛るとため息をひとつ。  
 
「頼れる男、ね・・・バカ兄なりに、考えてはいるのかなぁ」  
 
この一週間の様子からして、お互いに意識しているのはほぼ明らか。  
やはりあの夜に何かあったのだろうけど、口を割らせるのはどうやら無理そうなのでそこは諦めている。  
ひょっとすると既に二人の間には繋がりが、という可能性も考えないことはなかったが、  
いくら優の仕込みがあったとはいえ、兄の朴念仁っぷりを長年目の当たりにしている果歩には色眼鏡は外せない。  
 
「ま、頑張りなさいよ、応援してあげるから・・・」  
 
本人には見せることはない、兄を気遣う表情がそこにあった。  
 
 
「お風呂ありがとうございました、私の部屋のと違って、広くてついついゆっくりしちゃって、すみません」  
「そんないいですよ〜、気に入ったら、いつでも入りにきてくださいね」  
「はい、ありがとうございます!」  
「それにしても、湯上りで火照った陽菜さんって、ちょーっと色っぽいと思わない〜?」  
 
台所での表情など微塵も感じさせぬ小悪魔顔で、またしても兄へチクリと。  
 
「な、そ、それは・・・むぅ、いいから果歩も入ってこい!」  
「私は最後でいいわ、お兄ちゃん先に入って来なさいよ、そ・れ・と・も、  
 湯上りの陽菜さんをもーっと見ていたい、かな?」  
「わ、わかったから、入ってくる!」  
「ごゆっくり〜」  
 
ちょろいもんだわ、と一笑して陽菜を振り返ると、さっき以上に真っ赤になっている。  
 
「あ、陽菜さんごめんなさい、お兄ちゃんからかうと面白くて、つい・・・」  
「い、いえ・・・べつに・・・」  
「・・・あの、陽菜さん、最近わたし、お兄ちゃんと陽菜さんのことからかってばかりだけど、  
 やっぱり、気に障ります・・・?」  
「え、そ、そんなことは、別に・・・ただ、ちょっと恥ずかしいかな、って・・・」  
「あは、照れてる陽菜さんも可愛くて、ついつい口が出ちゃって・・・  
 でもよかった、調子にのって嫌われちゃったらどうしようって思って・・・」  
 
さっきまでの悪戯っぽい表情が、いつのまにか不安げなそれに変わり、陽菜の表情を窺っている。  
 
「大丈夫ですよ・・・だって、果歩さんもこの前言ってくれたじゃないですか、私も家族みたいなものだって・・・  
 それくらいのことで嫌いになったりしませんから」  
 
そんな果歩をいたわるように優しげな表情で、微笑を向ける。  
 
「陽菜さん・・・」  
「いつも思ってたんです、社長や果歩さん達を見てて・・・家族っていいな、って・・・  
 だから、こうしてお邪魔させて頂けるようになって、本当に嬉しいんですから」  
 
そんな陽菜に見つめられ、果歩はしばらくの間何も言わず、ただ陽菜を見つめ返した。  
何か言いたそうな、何かに耐えるような、そんな表情だった。  
 
「前に、海外に一週間っていって大きな仕事に行く前の日・・・」  
「・・・・・・?」  
「陽菜さん、私のこと、抱きしめて、指きり、してくれましたよね」  
「あ、はい・・・あの時ですね」  
「あのとき、すごく、すごく嬉しかったです・・・  
 そのときからです、私、陽菜さんのことお姉さんみたいに思ってて、  
 本当にお姉さんになってくれたら、どんなにいいかなって・・・」  
「ほ、本当に、って・・・」  
 
その言葉の意味からして、またからかわれたかと思ったが―――  
果歩の表情に例の悪戯っぽさはなく、むしろ真剣な顔だった。  
 
「・・・・・・ごめんなさいね、困らせるようなこと言っちゃって・・・忘れてください」  
 
ふっと笑って、果歩は普段の表情に戻る。  
陽菜は、そんな果歩の手を取ると―――  
 
「本当にって、私だけではなんとも言えませんが・・・  
 私も、果歩さんと本当の家族に、果歩さんと姉妹になれたらいいなって・・・素敵だなって・・・思います」  
 
「・・・陽菜さん・・・」  
 
果歩はそれだけ言うと、陽菜の手を両手でぎゅ、と握り締めた。  
 
「待たせたな果歩、風呂あいたぞ〜」  
 
我聞の気配がして慌てて陽菜から離れた果歩は  
 
「は、早かったじゃない、じゃあ入ってくるね、私はゆっくり入らせてもらうから、  
 今のうちに二人っきりで、ごゆっくり〜♪」  
「なんだそりゃ・・・」  
「でも! 誰もいないからって襲っちゃだめよ!」  
「な・・・だ、誰が襲うか!」  
 
楽しそうに廊下へ去っていく果歩を見送って、困ったような笑いを浮かべながら陽菜の隣に腰を下ろす。  
 
「まったくあいつは・・・困ったもんだなぁ」  
 
だが、陽菜からのリアクションは無く、かわりに神妙な表情で何か考え込んでいるようだった。  
 
「・・・どうしたの國生さん、なにかあったか?」  
「あの、社長・・・いま、果歩さんとお話してたのですが・・・」  
「ん、そういや果歩は國生さんとお話したいって言ってたな、それで?」  
「はい・・・果歩さん、わたしのこと、お姉さんみたいに思っていたって、それで・・・  
 本当にお姉さんになってくれたらどんなにいいか、って・・・」  
「本当に、ねぇ・・・・・・・・・って! そ、そんなこと言ったのかあいつ・・・  
 ・・・で、國生さんはなんて?」  
「ええと、その・・・私も、果歩さんの本当の家族になれたらいいな、・・・って」  
「な、なるほど・・・・・・・・・」  
「果歩さんがどう解釈されたかわかりませんが・・・すみません社長!  
 私の方から・・・ボロを出してしまったかもしれません・・・」  
「いや・・・俺の方も國生さんが風呂行ってる間にちょっとあったからな・・・」  
「社長の方でも?」  
「ああ・・・とりあえず、この前のあの晩から、俺が國生さんのこと意識してるってのは完全にバレバレらしい・・・」  
「ま・・・まあ、やっぱり、それは・・・仕方ないですよね、私も、自分でも不自然だと思いますから・・・」  
「それでね、とりあえず応援してやる、と・・・そのときも言ってたな、國生さんみたいな姉が欲しいって」  
 
そこで会話は一旦止まり、二人して冷めたお茶をすすり、ため息をひとつ。  
相変わらずこのタイミングが揃っているものだから、二人して顔を見合わせて軽く微笑む。  
 
「まあ、なんていうか、俺のその、気持ち的なことは8割方バレてるとみていいかな・・・」  
「そ、そうですね・・・私の方も・・・同じくらい・・・」  
「と、とりあえず、果歩の方で妨害とかそういうつもりは全く無さそうだし、  
 それだけ分かっただけでも収穫っちゃ収穫かな、あはは・・・」  
「はい、私も、その、あの・・・いつでも受け入れて頂けそうですので・・・」  
 
また沈黙・・・今度は二人とも真っ赤で言葉が紡げない。  
どうしても今より先の、まだ実感できなくともいずれそうありたいと、漠然とだけ思っていたことに考えが回る。  
そんな膠着を破ったのは、陽菜の方だった。  
 
先ほどの果歩のように我聞の手を取ると、不意をつかれて思わずこちらを向いた我聞の顔を正面から見る。  
 
「社長・・・。 社長は、私のこと・・・受け入れて、くれますか?  
 私のいいところも、わるいところも、性格も、趣味も、癖も、声も顔も心も身体も・・・  
 全部、受け入れて、くれますか・・・?」  
 
真剣な、眼差しだった。  
下手な飾りの言葉など役に立たない、ちょっとした嘘も全部見抜くような、そんな眼差し。  
だから、我聞も目を逸らすことなく、時間を置いて、思っていることをそのままに、答える。  
 
「俺は・・・まだ未熟だ・・・社長としても、家長としても、そして、君の相手としても・・・」  
 
陽菜の表情が曇る。  
そんな答えは聞きたくなかった、といわんばかりに。  
だが、構わず続ける。  
 
「だけど、それでも! 俺は、今は頼りなくても、必ず、強くなって、頼れる男になる!  
 だから・・・そんな俺でよければ、俺を信じてくれるなら・・・  
 俺が頼れる男になれたとき、その時は、君を受け入れさせてくれるだろうか・・・」  
 
陽菜の手を握り返し、痛いくらいに力を込める。  
我聞の決意が、そこから伝わってくるようだった。  
でも・・・  
 
「ダメです」  
 
ぼそり、と呟くように、しかしはっきりと答えた。  
 
「そ・・・そうか・・・」  
 
それ以上の言葉は出ない。  
一瞬冗談なのかとも思ったが、陽菜の目は真剣なまま、いや、責めるような色すら帯びていた。  
 
「なんですか、それ・・・未熟ですか・・・それがどうしたって言うんですか!?」  
「え・・・こ、國生さん・・・?」  
「そんなの知ってます! それでも私は、そんなあなたに受け入れて欲しいって言ったんです!  
 頼れる男になって、それでどうするんですか? 私のこと背負って生きてくれるとでも!?  
 私は私を受け入れて欲しいって言いました! でもそんなのは望んでない!!  
 私だって未熟です・・・でも、それでも! そんな未熟さだって受け入れて欲しいです!  
 私も、私だってあなたを受け入れたい、その未熟さも全部、何もかも!!  
 それで・・・それで・・・二人で一緒に、いっしょに支え合って行けばいいじゃないですか・・・  
 一緒に強くなって、一緒に、お互いに頼り合えるようになれば、それでいいじゃないですか!!」  
 
言い終えたとき、陽菜の目には涙が浮かんでいた。  
だが、それを流すことはなく、今にも崩れそうな表情を必死で維持しながら、我聞を睨みつづけた。  
我聞の手を握り返すその手も、震えるほどに力が込められていた。  
 
「・・・社長は・・・あなたはいつも、いつも一人で抱え込んで・・・  
 私だって・・・支えてあげたいのに・・・頼りないかもしれないけど、それでも、あなたの力になりたいのに・・・  
 私は、あなたの重荷になんてなりたくない・・・守られるだけなんて・・・嫌です・・・」  
 
それだけ言うと、こらえきれないようにうつむいて、小さく肩を震わせていた。  
小さな、本当に小さな、嗚咽の声を上げながら。  
それでも、我聞の手を握るその力だけは、決して緩まなかった。  
我聞に比べたら遥かに弱い力だったが、  
その握られた手が、痛かった。  
 
もし一人だったら、手が自由だったなら、頭を抱えてうずくまりそうだった。  
また、俺はやってしまったのか。  
自分の弱さを、頼りなさを晒したくなかった。  
自分に自信の持てない男が、人を幸せになど出来る筈もないと思っていた。  
指摘されたとおり、陽菜の全てを背負えるような器が欲しいと思っていた。  
それが頼りになることだと思っていたから。  
だが、それは思い上がりだった。  
―――また、一人で抱え込もうとしていたのだから。  
 
目の前の、この少女は全てを彼に預けるために言ったのではない。  
弱みも何もかも、全てを晒して、それを分かち合いたかったのだ。  
一人で出来ることには限りがある。  
だからこそ、手を取り合おうとしているのではないか。  
弱さを認め合って、支えあおうとしているのではないか。  
 
力が弱いから未熟なんじゃない。  
弱さを認められないから、未熟なんだ。  
こんな俺を・・・彼女は受け入れてくれるのだろうか。  
 
聞きたかったが、声が出なかった。  
彼女の手を握る力も、ほとんど抜け切ってしまっていた。  
 
「・・・・・・情けない」  
 
辛うじて、これだけ言った。  
いや、頭の中で膨らみつづけていた自分への失望が、勝手に口をついただけだった。  
 
「・・・そうですか」  
 
うつむいたままで、陽菜が答える。  
 
「ああ・・・情けないくらいに、何も分かっちゃいない」  
「そうですね」  
 
一呼吸おいて。  
 
「強くなりたい、それは本当なんだ。 頼りになる男に、いつか必ずなりたい・・・親父みたいに  
・・・でも、今わかったよ・・・俺には・・・俺一人じゃ、多分無理だ・・・  
 一生かけても、このままじゃ、親父の様にはなれない」  
 
今度は陽菜も一呼吸おいて。  
 
「・・・諦めますか?」  
 
一呼吸より、すこし長くおいて。  
 
「だが・・・君が、俺を助けてくれるなら」  
 
「俺の弱さを、君が受け入れてくれるなら、俺のことを支えてくれるなら、きっと、いつか・・・いや、必ず」  
 
「・・・そうですか」  
 
そして、涙に濡れた顔を上げる。  
 
「じゃあ、社長の弱さ・・・情けなさも、考えなしなところも、察しの悪いところも、それもこれも・・・  
 全部、何もかも・・・受け入れてあげます・・・  
 だから・・・必ずなってくださいね、あなたの目指す・・・頼れる人に!」  
 
そして、やっと、陽菜は笑顔を見せた。  
 
「・・・ありがとう・・・迷惑かけるかもしれないけど・・・約束するよ、必ず」  
 
もう一度、陽菜の手を強く握る。  
 
「社長なら、大丈夫です・・・  
 私は、あなたの強さも、良いところも、たくさん、たくさん知ってますから!」  
 
ほんと、敵わないや・・・  
そう思って、我聞も自然に顔をほころばせる。  
俺は弱いけど、君といることで、それだけで少し強くなれると思う。  
君が俺の弱さを受け入れてくれるから。  
だから、俺も君の弱さを受け入れる。  
その強さを尊重して、受け入れて、同時にその弱さも受け入れる。  
 
だから、一緒に進んでいこう。  
 
「・・・ありがとう」  
 
もう一度、そう言った。  
 
そしてそれ以上は何も言わず、二人は手を握り合う。  
陽菜はその手を見て、それからまた我聞の顔を見つめる。  
じっと、見つめる。  
その視線に込められた意図に気付いて、我聞は顔を寄せる。  
我聞が意図を読み取ってくれたのがわかると、陽菜は目を閉じて我聞を待つ。  
我聞も目を閉じて、そのまま顔を寄せる―――唇が触れ合うまで。  
 
そのまま長い間、二人は動かなかった。  
 
 
 
 
 
 
しばらく、時間が経った。  
”それ”に先に気付いたのは、我聞だった。  
 
「あ・・・」  
「? どうしました?」  
「・・・・・・果歩」  
「・・・・・・・・・あ!」  
 
いくらなんでも風呂に入っている時間が長すぎる。  
いや、耳を澄ましても水音が既に聞こえない。  
今度は互いに引き攣らせた顔で見つめ合う。  
 
「お、俺ちょっと見てくる!」  
 
勿論風呂場ではない、  
さすがの我聞もここで果歩が水難事故にあったかもしれないとか考えるほどには、ズレてはいない。  
台所が暗いのを確認して珠と斗馬の寝ている部屋へ行きふすまを小さく開けると、そこには果たして―――  
 
果歩が眠っていた。  
それは我聞が想定していた通りの、緊急事態。  
・・・それは、つまり・・・  
 
「・・・ん〜? お兄ちゃん? まぶしい・・・」  
「す、すまん・・・じゃなくて・・・果歩・・・いつから、ここに・・・?」  
「んー、まだちょっと前・・・」  
「ええと、國生さんと一緒に寝るんじゃ・・・、ていうか挨拶とか・・・」  
 
そこまで言われて、それまで眠そうだった顔がいきなりニヤリと小悪魔系笑いに転じ  
 
「挨拶、ねぇ・・・・・・よかったの? あのシーンで、声かけて?」  
 
果歩からは逆光で我聞の顔は見えないが、引き攣っているのが見なくてもわかる。  
 
「うぐ・・・・・・」  
「一応、部屋の前までは行ったんだけどね〜?  
 二人とも全っ然気付いてくれなかったし、ちょ〜っと声かけられる雰囲気でもなかったし、ね♪」  
「え、ええと・・・どこらへんから・・・」  
「聞きたい? 詳しく説明したげよっか? 二人がどんな顔でどんな風だった、とか・・・  
 お兄ちゃんの顔ったら、もう写真に永久保存しておきたいくらいな・・・」  
「い、いや、も、もういい、もういいから!」  
 
妹の笑顔は、小悪魔どころか悪魔に見えた。  
 
「ま、あんなところ見せられちゃったら仕方ないからね、今日は陽菜さん、お兄ちゃんに譲ってあ・げ・る!」  
「ゆ、譲って、ってお前・・・」  
「どうしたの? この前だってひとつの部屋で一晩二人っきりで、何も無かったんでしょ〜?  
 別に気にすること無いんじゃないの〜?  
 ま、なんとなく慣れてる感じだったし、もしかすると、既にあんなことあったりしたのかもね〜♪」  
「おま・・・あの、なあ・・・その・・・」  
「まあでも、まだ二人とも高校生なんだし、あんまり進みすぎてもダメだから、ね!」  
「・・・・・・・・・」  
 
完全敗北。  
そんな言葉が我聞の頭に浮かんだ。  
 
「・・・まあ、でも・・・よかったわね、お兄ちゃん」  
 
その時だけ、果歩の表情からニヤニヤした笑みが消え、兄を労わる表情になっていた。  
 
「・・・え?」  
「なんでもないわよ! 陽菜さん待たせてるんでしょ!?  
 じゃあ眩しいからそろそろふすま閉めちゃって! 陽菜さんによろしくね! おやすみ!!」  
 
急いでそう言うと、頭から布団を被ってしまった。  
 
おやすみ、と声がかかり、ふすまが閉まる音がして、我聞の足音が遠ざかっていく。  
布団を被ったまま、果歩はふぅっっとため息を吐いた。  
二人に気を遣って長湯していたら、いきなり陽菜の叫ぶような声が聞こえて、慌てて出てきたものだ。  
そしてこそっと覗いてみると、小さく嗚咽を漏らす陽菜と、うなだれる兄と、物凄い気まずい沈黙。  
お兄ちゃんナニしやがった、とか思ってキレそうになるが、よくよく見ると二人は手を握り合っていて・・・  
少しぼそぼそと話をした後に顔を上げた陽菜は、涙で濡れていたけど、幸せそうな顔になっていた。  
悲痛と言ってもいいくらい落ち込んだ顔だった兄も、吹っ切れたような笑みを見せた。  
そしてそのまま見詰め合って、顔を寄せていく二人が何をするかは分かったけど、  
唇が触れ合う直前で覗くのをやめた。  
間違いなく気付かれてはいないけど、見ていること自体が邪魔しているような気がして。  
 
(次からは容赦しないからね・・・  
 GHKとして、ちゃーんと形に残るようにしてあげるから、覚悟しときなさいよ・・・  
 まあ、今日だけは、朴念仁のくせに頑張ったご褒美なんだから・・・  
   
 でも、よかったね、お兄ちゃん・・・・・・おめでとう)  
 
 
居間へと戻った我聞の顔から、陽菜もなんとなく事態を理解したらしい。  
それでも一応・・・  
 
「ええと・・・果歩さんは・・・」  
「既に布団に入ってた・・・」  
「じゃあ・・・ええと、その・・・」  
「ああ、一度ここの前まで来たらしくて・・・『あの場面で声かけてよかったのかな』、なんて言われた・・・」  
「・・・・・・・・・」  
 
陽菜も引き攣ったような落胆したような表情なのだが、色だけは赤い、というか真っ赤。  
そのまま、しばし沈黙。  
 
「と、とにかく・・・果歩が珠と斗馬のところで寝ちゃったから・・・今晩は、俺と、國生さんで・・・」  
「・・・はい・・・」  
「じゃあ、時間も時間だし、俺らも寝ようか・・・なんかもう考えるの疲れたし・・・」  
「そ、そうですね・・・私も、なんか一気に、疲れが・・・」  
 
ただでさえ、間違いなく決定的な場面を見られたとしか思えない状況で恥ずかしくてたまらないのに、  
明日から果歩にどう絡まれるかと思うと、二人とも “とほほ”とうなだれるしかなかった。  
 
ふらふらと部屋を移り、二人で布団を並べて敷いて、明かりを消して床に入ったのだが、  
いざ二人で並んで、真っ暗な部屋で布団に入ってしまうと、なんとなく落ち着かない。  
一度は抱き合って、それから10日程もそういったことをしていない若い二人には、  
先ほどのことを意識していても尚、それ以上に相手のことを意識せずにはいられない状況だった。  
かといって、すぐに積極的な行動に出られる程の経験も度胸もなく、  
互いに布団の中でまんじりともせずに悶々としていた。  
 
「しかし・・・果歩には参ったな、ほんと・・・」  
 
その状況に耐え切れず、我聞が喋り出す。  
 
「そうですね・・・いや、でも、私も・・・まさか見られてたなんて・・・全然気付かなかったです・・・  
 あああ、思い出すともう・・・あああ、恥ずかしいです・・・ぅぅ」  
「ほんとに・・・明日からのことを思うと・・・気が重い・・・」  
「私・・・しばらくお邪魔するの遠慮しようかな・・・」  
「ぬ、それはずるいぞ國生さん!」  
「何言ってるんですか、頼れる男になるんでしょう? これくらいの試練、耐え抜いてもらわないと」  
「む・・・ぬぅ・・・」  
 
うめく我聞に、クスクスと笑って  
 
「冗談ですよ、さっき支えあうって言ったばかりですし・・・恥ずかしながら・・・本当に恥ずかしいですが・・・  
 私もお供させていただきますから・・・」  
「そ、そうか、それは有難い・・・いや早速で情けないが、いきなり潰されそうな気分だったよ」  
「あは、もう、そんなんじゃ頼れる男は遠いですよ!」  
「む・・・精進シマス」  
 
「しかし・・・果歩にやられっぱなしってのも、ちょっと面白くないな」  
「そうですねぇ・・・振り回されっぱなしですからね、ちょっとくらい意趣返しをしてみたいかな・・・  
 うーん・・・なんだか果歩さんにいろいろ読まれっぱなしでしたし、予想を越えた何かをいきなり発表するとか・・・」  
「果歩の予想を越えた、か・・・そうだな、例えば子供ぶふっ!」  
 
我聞の顔面に枕を叩きつける。  
 
「な、な、何言ってるんですかよりにもよって! せ、せめて結婚とか!!」  
「む、す、すまん! そうか、結婚か・・・・・・・・・って」  
「そうです、その方がまだ・・・・・・まだ・・・・・・・・・・・・・・・・・・あ・・・あああああ!!!」  
 
自分が咄嗟に何を言ったか理解したのか、我聞に背を向けてがばっと布団を被り、引きこもってしまう陽菜であった。  
 

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