あの晩から、ほぼ一日が経ちました。  
学校は特に問題なく、仕事の方も優さんが二日連続で中之井さんに大目玉を喰らったらしく凹んでいたお陰か、  
どちらも無事にまっとうすることが出来ました。  
痛いのはまだ痛いですが・・・前日に病欠していたお陰で、動きが緩慢だったり部活を見学しても、  
怪しまれずに済んだのは幸運でした。  
ただ、まだ安心はできません・・・今日の山場はこれから、いえ、今もうすでに始まっているのかもしれません・・・  
 
ここは工具楽家の居間、果歩さんの作った美味しそうな夕食が並ぶお膳を囲んで、総勢五名が座っています。  
本来ここに私が混じるのは不自然なのですが、  
社長が果歩さんに昨晩のことを問い詰められて下手なことを言われるとちょっと困ったことになるので、  
フォローのために口実を作って参加させて頂いてます。  
昨晩社長をお借りした(ということにして)お礼を言いに社長の家に寄って、  
“病み上がりでまだ無理はしない方がいいし、今日くらいはうちで食事を”と社長にそれとなく言って頂いて、  
夕食の席に混ぜて貰おうというのが事前に用意したシナリオだったのですが、  
 
「折角だから陽菜さんも夕食一緒に食べていきましょうよ、病み上がりなんだし!」  
 
と、呆気なく果歩さんに招かれてしまいました。  
思えばこの時点で既にペースを握られてしまった気もしますが・・・。  
 
そして現在ですが、社長と私が隣同士、そして私達と向かい合うように、端から斗馬さん、果歩さん、珠さん。  
何故か二対三に分かれて対面している、そんな構図です。  
みんな笑顔を絶やさず、明るい食卓、私が昨晩話を聞いて加わりたいと思った食卓  
―――のハズなのですが、プレッシャーを感じずにはいられません・・・  
 
「あの、陽菜さん」  
「は、はい、なんでしょう?」  
「うちの食事、お口にあいますか?」  
「え、あ、はい! すごく、おいしいです!」  
 
・・・ごめんなさい、果歩さん・・・なんかプレッシャーで味、よくわからないです・・・  
 
「そうですか、よかったー! ・・・あとそうだ、陽菜さん」  
「は! はい、なんでしょう!?」  
「もう体調は大丈夫なんですか?」  
「え、ええ、お陰さまで、もうすっかり!」  
「よかった、昨日の朝お兄ちゃんが電話受けたとき、凄く辛そうだって言ってたから、心配で心配で・・・」  
「す、すいません、ご心配をおかけしまして・・・でも、もう平気ですから! すっかり元気になりました」  
 
果歩さん、心配してくれてたんだ、嬉しいな・・・プレッシャーとか、私ちょっと考えすぎだったかな・・・  
 
「陽菜さんが良くなってくれたなら、それが何よりですよ〜  
 お兄ちゃんを一晩貸し出した甲斐があるってものです!」  
 
・・・一瞬、私たちと果歩さん達の間の空気が張り詰めた気がしました。  
今までのは前振りだったのですね・・・  
 
「ねぇお兄ちゃん、昨日は陽菜さんの部屋で一晩中ず〜っと、一緒だったんでしょ?」  
「え!? あ、ああ、そうだが、それがどうかしたか?」  
「んー、一晩中、ナニしてたのかなって、ちょっとした疑問なんだ〜、一人暮らしの女の子のへ・や・で♪」  
「そ、それはお前、決まってるじゃないか、看病とかいろいろ・・・」  
「・・・いろいろ?」  
 
やっぱり果歩さん、突っ込みが鋭いです・・・  
 
「う・・・そ、そう、夕飯作ったりとか・・・そう、そうだよな、國生さん!?」  
「は、はい、そうです、肉じゃがを作っていただいて、看病してもらって・・・それだけですよ!?」  
「なるほど、ちゃーんとお兄ちゃん働いてたのね、よかったー!  
 あんなこと言った手前、看病とか言いつつ却って陽菜さんに辛い思いさせてたら申し訳なかったなと思って」  
「う・・・」  
「ん? お兄ちゃんどうかしたの? ・・・もしかして、何か心当たりが・・・、とか・・・?」  
「いや、違う! そんなことは全く決して!!」  
「そ、そうですよ! ずーっとタオル変えててくれただけなんですから!」  
 
社長が私の看病で家に戻れなかったことにする為に、  
私は食事の後に熱が上がってしまい、社長が一晩中額の濡れタオルを代えてくれた、と言うことになっています。  
 
「へぇ〜・・・でも、お兄ちゃんも徹夜してた訳じゃないでしょう?  
 陽菜さんの部屋のベッドって、二人で寝ても平気なくらい大きいの?」  
「え、あ、まあ、そうだな、別に支障は無かっぐはっ!」  
「いえ、ちゃんと社長には失礼ですが床でお休み頂くように支度しておきましたので!」  
 
向こうからは見えないようにして社長の脇腹に蹴りを入れさせて頂きました。  
とんでもない事口走ろうとしないでください・・・  
 
「ちぇー、流石に一晩でそこまで望むのは無理かぁ」  
「え、な、何か?」  
「あ、何でもないです、こっちのこと!  
 ・・・それより、お兄ちゃん、陽菜さんの寝顔みて、思わずむらむらと来たりしなかった〜?」  
「な、な、なにをバカなことを! お、俺は社長として、そ、そんな不埒なことなど・・・!」  
 
ああ、社長・・・落ち着いてください・・・  
 
「本当かな〜? いつもしっかり者の陽菜さんの、滅多に見れない弱々しくて熱で火照った寝顔みて、  
 思わずドキッとしたり、しなかった〜?」  
「ぐ・・・そ、そ、そんなことは・・・」  
 
社長! そこはちゃんと否定しないと!  
 
「え〜! じゃあ、陽菜さんのことかわいいとか全っ然思ってないんだ! ひっどーい!!」  
「い、いや違う、決してそんなことはないぞ!」  
「な〜んだ、じゃあやっぱりそう思ってるんじゃーん! お兄ちゃん素直じゃないんだから♪」  
 
社長・・・手玉に取られてます・・・でもここで否定されるのもちょっと嫌かも・・・ああ、複雑・・・  
 
「あ〜あ、お兄ちゃんったら真っ赤になっちゃって、か〜わいい♪  
 ね、陽菜さんもそう思うでしょ〜?  
 でもでも、お兄ちゃんに可愛いって思われて、陽菜さんだって嬉しいでしょ!?」  
「え・・・あ・・・その・・・」  
「陽菜さんも、お兄ちゃんに一晩中看病されて、ちょーっと頼りになるな、とか思ってたり、し・て!」  
「いえ・・・あの・・・えーと・・・」  
「あらら、やっぱりまだお兄ちゃんは全然頼りにもならないダメ社長のままですか・・・」  
「あ、いえ! そんなことありませんっ! しゃ、社長のこと、凄く頼りにしてますからっ!!」  
「ふ〜ん、だってさー、聞いてた? よかったね、お兄ちゃん♪」  
 
あ・・・ああ・・・果歩さん・・・恐ろしい子・・・  
そしてごめんなさい、社長・・・私、あまりお役に立てなさそうです・・・  
 
結局、私たちは果歩さんのプレッシャーと話術?の前に為す術も無く打ちのめされて、  
並んで真っ赤な顔をして、珠さんや斗馬さんに囃し立てられてしまっています。  
ああ、もう・・・ほんと恥ずかしいです・・・  
 
「ぬぅぅ、お前らその辺にしとけ! 國生さんも困ってるだろうが!」  
「お兄ちゃんも顔真っ赤だけどね〜」  
「ぬぐ・・・もうそれはいいから!」  
「はいはい、ほらほら、珠も斗馬も、陽菜さんが困ってるからその辺にして、ちゃんと食べなさい〜」  
「「はーい!!」」  
 
社長が痺れを切らしてなんとか止めに入って下さいましたが・・・止まったのは実質、果歩さんのお陰です。  
さっき頼りになるって言ったばかりでなんですが、家長としての威厳で果歩さんに負けてます、社長・・・  
と、そんなことを考えてるのを知ってか知らずか、社長がこっちを向いて  
 
「すまん、國生さん・・・こいつら調子に乗っちゃって」  
「あ、いえ・・・別に社長が悪いわけじゃ・・・」  
 
まだ社長の顔が赤い・・・私もきっとそうだ・・・  
とか思いながら、つい顔を見合わせていると、なんとなく視線が・・・  
 
「―――ってなんだお前らはー!」  
「えー、ただ見てただけじゃない、それとも見られてマズいことでも、何か〜?」  
「い、いや・・・まあいいから、メシ食え!」  
 
・・・ただ見てたという割には・・・三人とも凄くこっちに乗り出して、凄く真剣な目、されてました・・・  
顔、近かったかな、私たち・・・  
 
「・・・ったく、これじゃあ誘うに誘いにくいな・・・」  
「ん、誘うって? どうしたのお兄ちゃん?」  
「ああ・・・昨日國生さんとこで飯食べててさ、いつもあの部屋で一人で食事してるのかなって思ったら、  
 なんか凄く寂しそうに思えてな・・・よかったらこれからちょくちょくウチで家族と一緒にどうか、  
 ってそんな話をしてたんだが・・・ちょっと今考え直しつつある・・・」  
 
果歩さんが驚いたように社長をみて、それから私を見て、また社長をみて・・・  
 
「お、お、お兄ちゃん!!!」  
 
いきなり大音量で。  
・・・やっぱり社長の考え無しの意見は果歩さんの神経を逆撫でしたのかも・・・  
 
「それナイスアイディア!! 昨日話したってことは、陽菜さんも了解済みなんですよね!?」  
「え? あ、は、はい!」  
「わっかりました! これからはちょくちょくと言わず! 毎日でも来て下さい、大歓迎ですから!!」  
「流石に毎日という訳には・・・で、でもいいのですか!?」  
「勿論ですよ! そもそも陽菜さんは家族みたいなもの! むしろ今までどうして気付かなかったのか・・・  
 お兄ちゃん、えらい!! さすが家長!!」  
「あ? あ、あはは、ま、まあな!」  
「これで二人の仲もますます進むこと間違いなしっ!!」  
 
・・・・・・  
 
「「二人の、仲?」」  
「あ! ううん、なんでもないですから、コッチノコトコッチノコト、おほほほ!」  
 
・・・えーと社長・・・私たち、なにか企まれてる気がしてきました・・・  
社長も同じように思ったのか、こちらを見て、困った顔をして、  
結局二人で笑ってしまいました。  
 
また、果歩さん達に覗き込むように見られた訳ですが・・・。  
 
その後も、からかわれたり笑われたりが多かったですが、  
多少は控えて貰えるようになったのと、私たちも慣れたというか諦めた感じで、楽しく食事することができました。  
そんなこんなで時間も過ぎて、すこし名残惜しいですが、あまり遅くならないうちに工具楽家を辞することにしました。  
夜ということもあり、社長が送ってくれています。  
 
「お兄ちゃーん、暗いからって、ヘンなことしたらダメだからね〜」  
「するかっ!!」  
 
そんな感じで果歩さん達に見送られて。  
 
「ふぅ・・・すまんな國生さん、ちょっと騒がしすぎたな」  
「あは、ちょっと、いえ・・・かなり恥ずかしかったですが・・・でも、本当に賑やかで、楽しくて・・・  
 やっぱり、家族っていいなって、そう思いました」  
「ま、そうだな・・・お袋がいなくても、親父がいなくても、あいつらがいるから、俺も頑張れてるし、な・・・」  
 
社長はそう言うと優しそうに微笑みました。  
どんなに怒鳴っても、やっぱり家族のことを本当に大切に思ってるのが、すごく、伝わってきます。  
私のことも、そういう風に思ってもらえるのかな・・・  
 
「・・・あの、社長」  
「ん、何?」  
「暗いからって、ヘンなこと、されないのですか?」  
「・・・んなっ・・・」  
 
ちょっとした悪戯心で。  
 
「お、俺がそんな・・・」  
「今は二人だけ、ですよ・・・」  
 
普段ははあくまで社長と秘書。  
でも、二人のときは、私はただの國生陽菜で、社長はただの工具楽我聞。  
まだ、我聞さん、とは呼べないから社長と呼ぶけど、でも、二人のときは遠慮なんてされたくない。  
 
社長は・・・周りをいやに念入りに見回すと(特に背後)、ちょっと照れたように私の手を握ってくれました。  
 
「國生さんの部屋まで、すぐだけどね」  
「ふふ・・・家が近いのが不便なこともあるんですね」  
 
こうやって彼の手の暖かさを感じられるだけでも、まあいいかな、と思う。  
でも、寮まで着くのは本当にすぐで、階段の下で手は繋いだままに私たちは足を止めました。  
 
「社長、ありがとうございました、ここまでで平気です」  
「お、そうか。 昨日も余り寝てないし、今日はゆっくり寝るように、ね」  
「はい、ありがとうございます!」  
 
本当は部屋まで送ってもらいたかったけど、そしたら多分、私は駄々をこねて、部屋まで入って貰っちゃう。  
そしたら、またきっと、昨日みたいに・・・。  
出来ることなら一晩でも一日中でも、ずっと一緒に居たいと思います・・・でも・・・  
けじめはつけないと、私はきっと、この甘い幸せに本当に溺れちゃうから。  
 
「あ、手・・・」  
 
名残惜しむかのように、どちらからも手を離すことができませんでした。  
二人でちょっと困ったように笑ってから、そんな時のための儀式で解決することにします。  
薄く目を閉じて、二人の顔を近づけて・・・  
 
「おや〜、我聞くんじゃない! どうしたのこんなとこで〜!?」  
 
 
―――心臓、止まるかと思いました・・・  
 
「ゆ、ゆ、優さんじゃないですか、こここんばんは! どうしたんですかこんなところで!?」  
「いや、こんなところって、ウチそこだけど・・・我聞くんこそそんなところでどうしたの? って、おや」  
 
声をかけられた瞬間に手と顔は離したものの、もし見られていたら決定的な場面・・・  
 
「な〜んだ、陽菜ちゃんもいたのか〜」  
「あ、は、はい、こんばんは・・・」  
 
位置的に丁度社長の影になっていたらしく、どうやら見られてはいなかったようで・・・とりあえず安心ですが  
 
「ふぅん・・・でもさ、二人してこんな暗がりで、いったいナニしてたの、かな〜!?」  
「い、いや別にナニも! そんなやましいことはナニもしてませんから! 社長ですから!」  
「そ、そうですよ! ただ社長に送ってきてもらっただけですから!  
 その、今日は社長のお宅で夕食をご馳走になりまして!」  
 
暗がりじゃなかったら、一発で見抜かれるくらい赤面してたと思います、社長も、私も・・・  
 
「そ、そうなの? いや、それならそれでいいんだけど・・・」  
 
やけっぱちな勢いでとりあえず優さんを圧倒して、今のうちです―――  
 
「じゃ、じゃあ俺はこれで! 國生さんも優さんも、また明日! じゃっ!!」  
 
しゅたっ、と手を上げて即座に引き上げていく社長、珍しく空気読まれてます。  
こちらも一息つくと、  
 
「では、私たちも帰りますか」  
「ん? う、うん、そだねー」  
 
下手に追求される前に部屋までたどり着ければいいのですが・・・  
 
「・・・なんか、すっごい慌ててた感じだけど、ほんとーに、何もなかったの、か・な?」  
 
う・・・やっぱりあからさまでしたか・・・  
 
「い、いえ、だから本当に本当に何もなかったですからっ!」  
「そ〜お? なんだかいい雰囲気だったように見えたんだけどねぇ・・・昨日の夜になにかあったりしなかった〜?  
 我聞くん、夜通し陽菜ちゃんの部屋にいたっていうし!」  
 
情報筒抜けなんだ・・・果歩さん喋っちゃったのですね・・・  
 
「別に、何も無かったですよ! だって、社長がそんなことするわけないじゃないですか!」  
「え〜、そうかなぁ・・・我聞くんはそうかもだけど、はるるんは一昨日の晩みたいに―――あ、ご、ごめん・・・」  
 
思わず冷たい視線を送ってしまいました・・・折角忘れようとしてるのに!  
 
「・・・・・・優さん」  
「な、なにかな?」  
 
許してあげようと思ってたけど・・・少し、ぴきっと来ました  
蒸し返すつもりなら、こちらも容赦しませんよ・・・?  
 
「私、一昨日のこと、何も、全然覚えていないですから・・・。  
 優さんにどんな酷いことされて、次の日どれだけ泣いたかとか、全っ然! なにも覚えてないですから!  
 ・・・それを思い出せとおっしゃるのでしたら、今後はそれ相応の対応を取らせて頂きますが・・・・・・?」  
「は・・・わ・・・わ、わたしも全然! 全っ然なにも全く覚えていないから!  
 一昨日? なにしてたっけ? あははははー、みたいな! うん、もう全く全然なにもかも!!」  
 
すみません優さん、全力で睨ませて頂きました。  
なんか哀れなくらいにガタガタ震えてますが・・・まあ、自業自得ですよね?  
 
とりあえず、これで今後も平気かな、ということで、そのまま優さんに別れを告げようとすると  
 
「あの、陽菜ちゃん」  
「なんです?」  
「えーと、その・・・あのさ、本当に、ごめんね  
 最初は本当に、我聞くんのこと気付かないだけで意識してるのかなって思ってて・・・  
 ちょっと探りを入れるだけのつもりだったんだけど・・・調子に乗っちゃって・・・」  
 
・・・・・・。  
一昨日の時点では余計なお世話だけど・・・社長と、えーと、仲良くなれたのも、ある意味そのお陰だし・・・  
一応は、私のことも思ってくれてのこと、みたいだし・・・まあ多分、面白がって、ってのが大半だろうけど・・・  
 
「・・・優さん、その話は忘れたって言ったはずですよ?」  
「あ、ご、ごめん!」  
 
冷たい視線の効き目はばっちりみたいです・・・やっぱり、ちょっと私、怖いのかな。  
ひとつ息をついて睨みモードを解除して  
 
「・・・じゃあ優さん、明日からまた起こしに行きますから!  
 でも、ちゃんと自分で起きれるようになってくださいよ!?」  
「え・・・あ、おねがい! 是非に! もう明日遅刻したら中之井さんにバラされるかもしれないのよ!」  
「あはは、自業自得、ですよ」  
「むー、面目ない」  
「ふふ・・・それじゃあ、ちゃんと早寝してくださいね! では優さん、おやすみなさい」  
「うん、努力するよ〜、じゃ、おやすみはるるん、明日の朝はよろしくっ!」  
 
扉を閉めて、ふうっ、と息をついて。  
とりあえず優さんに釘も刺せたし、仲直りも、できたかな・・・。  
優さんが現れたときは心臓が止まるかと思うくらいのアクシデントだったけど、  
結果的に心の中で引っかかっていたことも解決できたし、むしろ幸運だったようです。  
 
それにしても・・・  
 
「・・・キス・・・しそびれちゃったな・・・」  
 
それだけが心残り―――まあ、でもいいか。  
明日でも明後日でも、次のチャンスはいくらでもあるはずだから、と自分を元気付けて、部屋へ入る。  
 
一人だと、寂しくて寒い部屋、そういって社長に泣きついたのが、丁度ここだっけ、  
そういえば時間も今くらいだったかな・・・。  
昨晩のことを思い出して、一人赤面する。  
でも、今日は―――今日からは、かな・・・寂しさにも、寒さにも耐えられると思います。  
心の中に、すがれる人がいるから。  
それでも寂しくなったら、また来て貰えばいいから・・・出来れば、近いうち、また・・・。  
 
「さ、突っ立ってないで、お風呂お風呂!」  
 
一旦考え出すと妄想が止まらなくなりそうなので、声をだして気分を切り替えて、行動開始。  
自動給湯のスイッチをオンにして、そのまま洗面の鏡をなんとなく覗き込む。  
 
「お肌とか、社長、気にするかな・・・もうちょっと念入りにお手入れしてみようかな・・・」  
 
なんて考えながら、鏡に映る自分をいつもより念入りに眺めていると、  
 
「あ・・・あああああ!!」  
 
発見してしまいました・・・白い首筋に・・・赤い・・・こ、これは・・・あのときの・・・・・・  
 
こうして、私の残り少ない今日は、その“痕跡”を誰にも見られずに済んでいますように!  
とのお祈りで費やされていきましたとさ・・・。  
 
 
場面変わって、工具楽家・居間。  
優から逃げるように急いで戻った我聞は、なぜか果歩に説教されていた。  
 
「えー、もう戻ってきちゃったの!」  
「いや、そりゃ近所だし、送るだけだし・・・」  
「なんで今日も陽菜さんの部屋に寄っていかないのよ!」  
「なんでってお前、そんな用事もないし・・・」  
 
正直ちょっとそうしたい気も無くはなかったが、流石にそれをやっては果歩を欺くのも無理だろうし  
(既にどこまで見抜かれたか分かったものではないが)、  
陽菜が階段の下で「ここで」と言ったのは、欲求のままにずるずるしたくないとの意思の現れだろうと受け取った。  
我聞もそれでいいと思っている。  
それに、彼は二人のとき以外はやはり社長で、家長なのだ。  
その責務をまっとう出来ているかはともかく、自分の欲求を優先させてそれをおろそかにしたくは無かった。  
 
(まあ、でも・・・別れ際のは・・・ちょっと残念だったかな・・・)  
 
優さんさえ来なければ・・・とも思ったが、まあいいか、とも思う。  
明日はまた一緒に学校へ行くだろうし、放課後には一緒に部活へ出て、そのあとは同じ職場で働くのだ。  
二人の時間は、これからもいくらでも作れるはずだから。  
 
それよりも、別れたあとに陽菜が優から追求を受けたりしなかったか、それが心配になる。  
が、当面は目の前の妹が問題か。  
 
「用事なんてその場でこじつければいいのよ! お兄ちゃんは “送り狼”って格言を知らないの!?」  
「いや、それ格言じゃないから」  
「もう! つべこべ言わずにお風呂入っちゃって!」  
「わ、わかった・・・」  
 
そんな感じで風呂に押し込められてしまった。  
一体なんなんだ・・・。  
 
一人になって湯船に浸かっていると、なんだか疲れがどっと出てくる。  
思えば昨晩は余り寝ていないんだっけ・・・いろいろありすぎて忘れてたな。  
目を瞑って思い返すと、そこには沢山の國生さんがいる。  
楽しそうに微笑む國生さん、恥ずかしげに頬を染める國生さん、すがるように泣いていた國生さん・・・  
 
「頼れる男に、ならなきゃな・・・」  
 
家族と社員と、もうひとつ守りたいものが出来てしまったから。  
正確には社員だし、家族同様と言ったのは自分だが・・・それでも、彼女のために特別な枠を設けたかった。  
―――最愛の人。  
たった一晩のことでそこまで決め付けていいものか、と考えもしたが、それ以外に考えられないのだから仕方ない。  
自分で満足できるまでに強くなって、信頼に足る男になれたら、  
そのときに、まだ彼女が自分を向いてくれていたら・・・そのときは・・・  
 
「ま、先のこと、だよな」  
 
考えても仕方ないので、今はゆっくり疲れを取ることにするか、と思った矢先。  
 
「―――!?」  
 
何かわからない、分からないが・・・なんとなくぞくっと背筋が震えた。  
 
「む・・・なんだこの悪寒は・・・風邪でもひいたかな・・・」  
 
それが、同じ家の居間から漂う気配によるものだとは、勿論知る由もなかった。  
 
 
少しだけ時間を戻して、工具楽家・居間。  
 
無理やり兄を風呂へ押し込んだ果歩が居間に戻ると、そこには珠と斗馬が控えていた。  
そして、なぜか縁側から優がこそこそと侵入してくる。  
 
「おまたせ、デルタ1ただいま参上!」  
「お待ちしておりました優さん、では、兄も風呂へ押し込んだことですから、GHK緊急会議、開催します。  
 ―――さて、兄と兄嫁のあの変化ですが・・・昨晩、兄嫁の部屋で何かあったのは確実と思われます!  
 そこで、その前日に “仕掛け”をおこなったデルタ1に是非とも報告をお願いしたいと思います」  
「ふふふ・・・良くぞ聞いてくれました!  
 事前説明の通り、標的を陽菜ちゃんに絞って、ちょーっとしたおクスリを仕込んであげて、  
 ちょーっとした暗示ってやつ? をかけてあげてね、我聞君のこと意識させてみました!  
 それで翌日に我聞くんを陽菜ちゃんのお部屋に派遣した、と。それだけのことなんだけどね〜  
 ま、私からすれば高校生など所詮はお子様! 狙いどおりに効果テキメン、みたいな?」  
「それだけ・・・って、ひょっとして、そのクスリで陽菜さん熱出したんじゃ・・・」  
「うッ!! い、いやまあほら、結果オーライじゃない? お陰で看病って流れになったし!  
 私もさっき寮の前で二人にばったり出くわしたけど、以前とは確実に雰囲気変わってるね!」  
 
本当は陽菜にめっちゃ手出ししてるのだが、さすがにさっき忘れろといわれたばかりだし、  
そもそもおおっぴらに出来ることでもないので、適当に略しておく。  
それにしてもさっき陽菜にあれだけびびっていた割には相変わらずのノリなのは、さすが優と言うべきか。  
 
「うんうん! なんかすっごく意識しまくりって感じー!  
 お兄ちゃんなんか真っ赤になっちゃって、なーに青少年ぶってるの! みたいな感じでもうからかってると面白くって!  
 でもこれでやっと、我々の活動の最大の妨げであった朴念仁と無関心を打倒できたと見て間違いないですね!」  
「そのとおり! あれだけ大掛かりに仕掛けてやっと “お互い意識し始めました”ってのも物足りないけど、  
 あの二人の今までを考えたら十分すぎる収穫! これで本当の勝負ができるってものよ!!」  
「盛り上がってきましたね! このまま一気にたたみかけて、勝利を我が手に! 二人を夫婦に! 陽菜さんをお姉ちゃんに!!」  
「みなごろしよー!」  
 
盛り上がる二名と、意味はわからないけど便乗する一名。  
そのなかでメンバー中唯一冷静な男が一石を投じる。  
 
「ところで・・・具体的に、昨晩兄嫁殿の部屋では何が行われていたのでしょうか」  
「うーん・・・まあ・・・・・・やっぱ看病、じゃない?」  
「そうねぇ、いくらなんでもあの二人が・・・ナニしてたかって言われると・・・ねぇ・・・  
 陽菜ちゃんのこと、相当炊きつけはしたけど・・・流石に具体的な行為ってとこまで行ったかとはちょっと・・・  
 もしかすると、偶然手とか触れ合って、真っ赤になってたりくらいは、するかもだけど、ねぇ・・・」  
「まあ、そこはこれから、我々がこれでもかってくらいにシチュエーションを整えて上げましょう!」  
「うむ! 我々の手によって知らず知らずに大人の階段をてっぺまで転げ上らせてやろうぞ!」  
 
ツメが甘い果歩と、うっかりしすぎの優。  
あまりに盛り上がりすぎて、どうやら肝心のところまでは見抜けず仕舞だった模様。  
・・・というより、最後はやはり自分らの策のなかで二人に踊って貰いたいという欲求が強すぎるのかも。  
 
そんな二人をよそに、ひとり思案顔の斗馬であった。  
 
(誰も気付いてないのかな、陽菜ねえちゃんの首筋のあの赤いの・・・あれ、キスマークだよね・・・)  
 
丁度陽菜がそれを発見して大慌ての頃だったり。  
 
(まあ、いいか、今のままの方が面白そうだしー。  
 ・・・一応、婚姻届くらいは用意しておこうかな)  
 
工具楽斗馬・小2。  
唯一全ての真実を看破した彼は、しかし最後までそのことを誰にも明かさなかったという。  
 
 
 

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