『…お姉ちゃん。』
『お姉ちゃんっ、大好きっ!』
ぱしゃっ
「…おねえちゃん…かぁ…」
お風呂の中で先ほどの果歩さんとのやり取りを思い出す。
「普段明るくしていてもやっぱり甘えたい年頃だっていうのはあるのかも
しれませんね…」
私には身寄りがない。いつも明るく、にぎやかでお互いを支えあって
暮らしている工具楽兄妹がうらやましい。
先代に拾ってもらってからずっと、先代をお父さん代わりのように思ってきた。
工具楽兄妹のお父さんも先代。
私と果歩さんの心には、同じお父さんがいる。
「そういう意味では確かに。妹みたいなものなのかも。」
ぴちょん
天井から水滴が落ちてきた。その波紋を何とはなしにみながら考える。
そういえば社長も、私のことを家族だと言ってくれた。
兄弟かぁ…果歩さんや珠さん、斗馬さん。ふふ…きっと楽しいんだろうなぁ。
でも社長は…お兄さん…というにはちょっと頼りないな。弟というのも変だし。
「社長が…私の家族になるとしたら…」
その時。果歩さんを叱ったあとの一件がふっと頭を掠めた。
『ガモンの嫁候補ってわけ?』
そうか。私と社長が結婚すれば、果歩さんたちは私の本当の家族になるわけですね。
先代も私のお義父さん。めでたしめでたし。
…
……
………
ぼっっ!
私の顔が火がついたように熱い。
「べ、別に、わ、私はっ!」
うつむくと自分の胸が見える。
…大きくはない。ちょっと控えめ。
男の人はやっぱり大きい方が好きなんだろうか。
…ちょっとむっとする。
…結婚。胸。…
結婚したら、やっぱり、その…
初夜というかえーと。
社長が車の中で着替えていた時のことを思い出す。社長に抱きかかえられた時の
ことを思い出す。社長のまっすぐなまなざしを思い出す。
社長と、私が、はだかで、だきあう。
そして…
きゃーきゃーきゃーっ
じたばたじたばたドボンっ
…湯船の中で足を滑らせて頭までお湯に浸かってしまった。
…きっとお風呂でのぼせてるからですね…そろそろあがろう…
「ふぅ…」
お風呂上り。髪を拭き終えて、そのままベッドに倒れこんだ。
冷えたシーツがお風呂でほてった体を冷ましてくれる。気持ちいい。
ふと、さっきのことを思い出す。
「私が…お嫁さん。社長の…お嫁さん。私が…社長の…お嫁さん。」
…かぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ…
せっかくクールダウンしてきたところなのに体が熱い。…コレはお風呂のせいじゃないな。
なぜか身体を動かさずに入られなくなってごろごろごろごろベッドの上で転げまわる。
冷静に。冷静に…私は秘書。社長の秘書なんだから。
…状況を整理しよう。
1.工具楽我聞。私たちの社長であり、私の恩人である先代の
息子さんでもある。
2.桃子さんは、私のことを「嫁候補」と勘違いした。
3.私は社長のことをどう思っているのか
4.私は社長のことを、私たちの社長であり、私の恩人である
先代の息子さんだと思っている。
「そう!社長は社長で私はその秘書です!」
ぎゅっ
思わず両手で握りこぶし&声が出る。
5.では、社長のことを私はどう思っているのか?
6.すきかきらいか。きらいではない。それは確実。
では…好き?
「すっ…好きっだなんて…」
…かぁぁぁぁぁぁっとまた顔が熱くなるのを感じる。
又もごろごろごろごろベッドの上で転げまわった。
いけない。冷静になって考えなければ…
「すーはーすーはー…」
深呼吸してみる。…我ながらオーバーアクションだ。これではまるでしゃちょ…
…かぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ…ごろごろごろごろ
…いや、社長は関係ないから。
頭の中に浮かんだ安全メットを頭の中で弾き飛ばす。
「えーと。」
そうだ。好きか、嫌いかだ。うん。
悪い人ではない。それは確か。
でも私の趣味とも違う。きっと違う。
…確かに誰かとお付き合いなんてしたことはない。仕事も忙しいし。
でも卓球部に入ってから、今まで仕事を理由にそういうことを避けていただけのような気も
してきている。
私のタイプは…えーと。
責任感があって、体が丈夫で、決断力があって、頼りがいがあって、笑顔が素敵で、
優しくて、私を包み込んでくれるような人間としての大きさがあって、思いやりがあって、
そう!先代みたいな感じの人!
といっても、先代はどちらかというとお父さんみたいな感じ。恋愛対象というのではない。
…私はファザコンなんだろうか。少なくともその気はある気はする…
…ともかく、先代と同じレベルを同世代の求めるのは酷だ。現実的ではないだろう。
でも、先代の8割でも揃っていれば好きになってしまうかもしれない。
それに先代みたいにどこかにいってしまうのもいやだ…近くにいて欲しい。ずっと。
うん。これが私の理想のタイプだ。きっと。
その点社長ときたら…
確かに責任感はある、体も丈夫だ。笑顔が素敵ではあると思う。優しくもある。
でも、私の理想には遠く及ばないはずだ。決断力はあるけど間違ってることが多いし、
思いやりがどこかに暴走することも多いし、そういうところはいまいち頼りがいがない。
でも、とっさに見せる決断は、たまに、私の予測を超えるほど正しい。
そういうときの社長は、とても大きい。私やご家族の皆さんや社員、場合によっては敵対
する相手でさえも包み込んでしまう。
私も家族の一員だっていってくれたときは嬉しかったなぁ…
いつの間にか社長のまっすぐな目、温かい笑みを思い出していた。
…かぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ…じたばたじたばた…
…冷静に。冷静に。
…とにかく、桃子さんにも言ったことだけど、日常のだらしなさを考えても、気持ちだけで
動けて、しかもまっすぐなところが社長のいいところだ。細かいところは私が一緒にいればいい。
いい加減なところがずっと続くというなら、私がずっとフォローすればいいんだ。
ずっと?一緒?
…かぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ…ごろごろごろごろ…
…ふぅぅぅぅぅ…
大きく深呼吸…
…総合的に考えて、社長は、先代並ではないにしろ、そうなる可能性は十分。
つまり彼は私の理想のタイプに近いといえる。
…彼?理想のタイプ?
…かぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ…じたばたじたばた…
…えーと。単純に考えよう。
社長は社長。私はその秘書。それだけ。それだけの関係だ。
いわば私は女房役なんだから。
…女房?
…かぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ…ごろごろごろごろごろごろごろどたんっ
…痛い…
ベッドから落ちた時にうった頭を抑えながら立ち上がり、ついでに電気を消してベッドに入る。
何か考えれば考えるほどドツボに入っている気がする。今日はもう寝ることにしよう。
こんなことで明日は本当に社長と普通にしゃべれるのだろうか…
暗闇で布団に抱きつくように寝ていると、誰かに抱きしめられている時のような安心感を覚えた。
…おやすみなさい…社長…