ある日の事。場所は工具楽屋社員寮の一室。  
國生陽菜は自室を訪れた来客と向かい合っていた。  
 
「どうしたんです、果歩さん?『話がある』って…」  
 
「えっと…その…」  
 
いつになく歯切れが悪い果歩に対し、陽菜は穏やかな笑顔で目の前  
の少女の言葉を待っていた。  
 
「…ごめんなさい。」  
「えっ?」  
「…ひかえ目…ううん、桃子の事…。」  
 
ああ、その事か…と陽菜は思い至った。  
果歩が経営が苦しい工具楽屋の為(と、陽菜は思いこまされている)  
桃子達を追い出そうと、決算報告書を改竄しようとした件だ。  
経理を担当している自分にとっては許せぬ悪戯であり、また自分も  
先代の庇護を受けた身としては、桃子の境遇は他人事ではない。  
厳しく叱ったのが相当堪えたのであろうか?  
 
陽菜は叱りすぎてしまったかと、気まずい感情が込み上がってくるの  
を抑えながら、ゆっくりと口を開いた。  
 
「もうあんな事をしてはダメですよ?それに桃子さんだって…」  
「あの娘の事を言うのは、もうやめて!!」  
 
突然果歩が話を遮り、陽菜は思わず目を見開いた。  
 
「…判ってる…あたしが悪いって判ってるんです。でも…」  
 
俯きながら果歩は言葉を搾り出す。  
 
「…あの娘が来てからというもの、お兄ちゃんにべったりだったし、  
 それに…陽菜さんにまで…」  
「私は別に…」  
「だって…陽菜さんだって、あの娘の事ばっかり…」  
 
言い掛けて果歩は途中で言葉に詰まる。  
桃子の事で陽菜にジェラシーを感じさせようと躍起になっていたのに、  
結果的に自分が嫉妬していた事に気付いたのだ。  
 
「私は桃子さんの事を特別扱いしていませんよ?」  
「でも…」  
 
すがる様な目で陽菜を見つめる果歩。  
果歩からすれば、陽菜は桃子に肩入れしている様に思えてしまい、  
気が気でないのだ。  
 
陽菜は工具楽家を切り盛りしている快活な果歩が、普段とは異なり  
萎縮している様子に驚きながらも、ある事に思いついた。  
 
(そう、あの時…)  
 
真芝の第3研を壊滅させるべく、準備をしていたあの日。  
果歩は兄の我聞が赴く先が危険な場所である事を知り、  
陽菜に兄を連れていかないで、と懇願した…。  
兄を想う妹。  
それは幼くして母親と死別し、父親の行方が知れない中、妹弟の  
面倒を見てきた健気な少女でもあった。  
 
(社長が言っていた…「果歩はオレの前じゃ絶対弱音を吐かなかった。」  
って。「いつもより笑って、明るくして…」と。)  
 
しっかり者とは言え、14歳の女の子だ。  
自分が同じ立場であったなら、果歩の様に周囲に明るく振舞う事が  
出来たであろうか…いや自分には無理だ…。  
 
(そんな果歩さんにとって、社長は心の支え…。桃子さんの事も、お兄さんを  
取られてしまう錯覚を覚えて過剰に反応してしまったのでしょうか?)  
 
陽菜は思いを巡らしながら、目の前の少女を見つめる。  
果歩は後に続ける言葉もなく、ただ俯いていた。  
 
(果歩さん…)  
 
そんな果歩に愛しさを感じた陽菜は、そっと果歩に両手を差し延べ、  
華奢な身体を抱き寄せた。  
 
(あ。あの時と同じ…。)  
 
陽菜は「あの時」と同じ言葉を果歩に掛ける。  
「大丈夫ですよ、果歩さん。」と。  
突然の事に少し驚いた果歩だったが、陽菜の胸の中で頭を優しく撫でられる  
と、気持ちが落ち着いてきた。  
 
(陽菜さんがあの時の様にあたしを抱きしめてくれた…)  
 
果歩は陽菜に甘える事が出来、代え難い安心を実感していた。  
陽菜を巡っての事で桃子に差を付けた…というのもあるが、何より自分が  
優しさに包まれている事が嬉しかった。  
それは、もう感じる事が出来ない母親の温もりの様な…。  
 
「果歩さんには私がついています。何も心配する事はありません。」  
「…うん、陽菜さん…」  
 
陽菜は果歩を励まさずにはいられず、つい大きな事を言ってしまったが、  
果歩を思いやるその言葉は偽らない本心からのものだった。  
 
「あたし、前から思ってたんです。陽菜さんがお姉さんだったら…って。」  
「私が…ですか?」  
「でも、陽菜さんに叱られて…あたし、陽菜さんに嫌われたくないから、  
 だからちゃんと謝りたくって…」  
 
兄妹がいない陽菜は、日頃から賑やかな工具楽兄妹を羨ましく思っていた  
だけに、果歩が自分を姉と慕ってくれる事に悪い気はしない。  
 
「果歩さん…」  
「だから…今だけでも言わせて下さい。」  
「…?」  
 
果歩は陽菜の背に両手を回し、陽菜の胸に顔を埋めて、照れくさそうに言った。  
 
「…お姉ちゃん。」  
「!」  
「お姉ちゃんっ、大好きっ!」  
 
甘える事が出来なかった少女は、ようやく「姉」を得ることが出来た。  
陽菜は戸惑いながらも優しく「妹」の頭を撫でてやった。  
 
おしまい。  
 

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