『Cherish』
*補足説目
いろいろあって、桃子は工具楽屋の社員となりましたとさ。
以上、補足説明終わり。
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私が正式に工具楽屋の社員となった、その日。
私は重大な問題が残っている事に気付いてしまった。
「…え、えーと、社長?」
今まで呼び捨てだった分、我聞の事を社長と呼ぶのに少し抵抗がある。
けど、今や私は工具楽屋の社員。こういうケジメはちゃんとつけないと。
「…ん、あ、俺の事か?」
どうやら我聞の方も、私に社長と呼ばれるのに慣れてないみたいだ。
私の問いかけに、少しのタイムラグをもって答える。
「桃子、別に無理して『社長』って呼ばなくてもいいぞ」
「何言ってるの。あなたは社長で、私は社員。こういうのはちゃんとするべきよ」
「その通りです、社長」
私の言葉に、奥の机に座っていたハルナが同意する。
「今までは客分扱いでしたが、今日からはれっきとした社員です。
その辺りはちゃんとケジメをつけて貰いますからね、二人とも」
冷静…と言うよりは、冷ややかな視線で私たちを見るハルナ。
直視したら、凍らされそうだ。
「國生さん、最近冷たくないか?」
にぶちんの我聞も、さすがに気付いたようだ。
私に耳打ちするように、こそこそと聞いてくる。
「さあ、気のせいじゃないの?」
私はぶっきらぼうに答える。
正直に教えてあげるほど、私は都合のいい女じゃない。
「…とにかく、ちゃんと社員としての節度を持って行動してください!」
こそこそと雑談する私たちを見て、何か勘違いしたようだ。
ハルナは強い口調でそう言うと、椅子から立ち上がる。
「こ、國生さん、何処へ?」
「…今日の分の仕事は終わりました。お先に失礼させていただきます」
そして我聞に向かって慇懃に礼をすると、スタスタと出て行ってしまうハルナ。
後には、私と、呆然と立ち尽くす我聞だけが残される。
「…俺、何かしたのかな…?」
「……こいつは…」
私は額に指を当てて、小さくため息をつく。
ホント、壊滅的に鈍い。
「むう……最近は赤字も出していないんだが…」
腕を組んで、考え込む我聞。
こんな低能を好きになるなんて、ハルナも可愛そうに……いや、それは私も同じか。
「で、社長。ちょっと相談事があるんだけど…」
まだ考えている我聞に向かって、私はもう一度問いかける。
「ああ。で、何?」
「…私、これから何処に住めばいいのかしら?」
「………あ」
今までは、行き先が決まるまでという条件でおっぱい魔人(優さん)の所に寝泊りしていたけれど、
さすがにずっとお世話になるわけにもいかない。
オリマーとジィルは男性用社員寮に寝泊りしているけれど、さすがに私もそこに住むわけにはいかないし…
「あー、すっかり忘れてたな…」
やっぱり、我聞も忘れていたか。
「むぅ…社員寮はいっぱいだし、新しく借りる余裕もないし…」
考え込む、我聞。
私としては、あなたの部屋でもいいんだけどね……って、言えるわけないけど。
「…それじゃあ、俺の家くるか?」
………What?
「部屋は余ってるし、会社に通うにも学校に通うにも丁度いい所だしな。どうだ?」
「ど、どうだって、言われても……」
ちょ、ちょっと待って。
ままま、まさか、本当にそう来るとは。
いやいやいや。待て待て待て。
我聞が言っているのはあくまで、『俺の家』だ。『俺の部屋』とは違う。
…けど、一つ屋根の下ってのは確かなわけで……
いくら鈍い我聞とはいえ、それでも多感な高校生。
何かの拍子に、あんな事やそんな事が起きるとも限らない。
そう…例えばうっかりお風呂を覗かれたりとか、夜に部屋を間違えたりとか……あわわわわわわ!
「どうした、顔赤いけど?」
「な、何でもない、何でもないから!」
な、何を考えてるの、私。
まるで、期待しているみたいじゃないの!
「それじゃ、決まりだな。果歩には俺から言っておくから」
屈託の無い笑みを私に向ける、我聞。
…今の私には、その屈託の無さが逆に恨めしい……ん? 果歩?
しまった、そういえばあの女がいた。
むう、我聞と一緒に暮らせるのは嬉しいけど、あの女と暮らすのはなぁ……
「ちゃんと仲良くするんだぞ」
「…はーい」
正直、仲良くできる自信が無い。
我聞は、屈託の無い笑みのまま続ける。
「これから家族になるんだから、喧嘩するなよ」
「…家族?」
「うむ。工具楽屋の社員で、これから一緒に住むんだ。家族も同然だろ」
……家族……
………しょ、しょうがないわね。自信は無いけど、少しは努力してあげるわ。
「どうした、また顔赤いけど」
「だ、だから何でもないってば!」
「…? ならいいけど」
やがて、我聞の方も雑用が終わったらしい。
「うーん」と言う声と共に、大きく背伸びをする我聞。
「うし、仕事も終わったし、一緒に帰るか」
一緒に……
「う、うん!」
「……また、顔あか…」
我聞の台詞を遮る様に、私はその腕に身体を預ける。
もう! 気付いても言わない事がマナーでしょ!
私は顔を我聞に見られないように、我聞の腕をぎゅっと抱きしめる。
「お、おい…」
「帰るんでしょ…私たちの家に」
何か言いかける我聞に、私はちらりと上目遣い。
レディにこんな事言わせるなんて……これだから低能は……
「……そうだな、帰るか」
我聞はそれ以上、何も言わなかった。
ちょっと照れくさそうだったけど、まあこの位のサービスは社長の務めよね。
…低能発言は撤回してあげるわ。
…いつ以来だろう。家に帰るという事がこんなに嬉しいのは。
秋も終わりに近づいた夕暮れ時。
私と我聞は、腕を組んで帰路へとついた。
まるで、恋人みたいに、ね。
余談だが。
工具楽家の玄関で、果歩とリアルファイトの一歩手前まで言ったのは、まあ想定の範囲内です。