チャプン……  
 
「…ふぅ……」  
 
少し熱めのお湯に身体を浸すと、ついつい口からため息がでた。  
ここは我聞家のお風呂。私は今、その一番風呂を堪能している最中だ。  
湯船の中、熱さで緊張している四肢を、私は少しづつ弛緩させていく。  
ピリピリと感じるお湯の熱さが、色素の薄い皮膚を通して、ゆっくりと身体の中へ染み込んでくる。  
久しぶりのその感覚に、私はうっとりと目を瞑り、そしてもう一度ため息を吐く。  
 
「はふぅ…」  
 
…なんか、おばさんみたいね、私……  
まあ、湯船に浸かるのが久しぶりだから、しょうがないわよね。  
優さんの所にいた時はずっとシャワーで済ませていた。  
めっきり肌寒くなった最近では、尚更お風呂のありがたさが身に染みるわ。  
私は目を瞑ったまま、湯船の中で大きく背伸びをする。  
 
「あー…気持ちいい…」  
 
やっぱり、おばさんみたいね。  
穏やかな心地よさに包まれながら、私は口元に微かな笑みを浮かべる。  
 
…やっぱり、我聞と一緒に入りたかったな……  
 
心地よさに身を委ねながら、私は先ほどのやりとりを思い出していた――  
 
   ***  
 
それは、夕食後の家族団らんの一コマ。  
 
トウマと珠は畳の上に寝っ転がり、TVのバラエティー番組を食い入るように見ている。  
TVには、やたらと筋肉を誇張したミュージカルらしきものが映っていた。  
それを目をキラキラさせながら見ている、珠……将来、変な趣味に目覚めなければいいのだけど。  
我聞は自分で入れたお茶を飲みながら、新聞の政治欄に目を通している。  
…家長たるもの、夕食後はお茶を飲みながら新聞でも読むべきだ……とか思っているのかしら。  
正直、似合わない事この上ない。  
 
「むう、解散総選挙か……」  
 
いや、あんた選挙権ないでしょ。  
 
「やはりここは、立候補するべきか……」  
「………」  
 
果歩は、台所にて食器を洗っている。  
さっき、「手伝おうか?」と聞いてみたが、「これは私の仕事だから」と台所から追い出された。  
どうやら、台所は果歩のテリトリーらしい。  
食器を洗う水音が、果歩の鼻歌交じりに聞こえてくる。  
 
……さて、困った。何もすることが無い。  
 
珠やトウマの様に、ごろごろと寝転がろうかとも考えたが、今日来たばかりの家でそれをやるのは失礼な気がする。  
まあ、我聞家の事だからそんな事気にしないでしょうけど……私のプライドが気にするからやらない。  
私はちらりと我聞を見る。  
我聞はさっきと変わらず、新聞を読みふけっている。  
その姿はやっぱり似合っていなかったけど……ふと、その背中に目が止まった。  
 
――大きな、背中。  
 
普段はあまり意識した事は無かったけれど、今の我聞の背中は私が思っていた以上に大きく見えた。  
…それはきっと、ここが我聞の家だからという事と無関係ではないだろう。  
我聞の父親が行方不明になったのは、今から半年以上も前だ。  
話によると真芝グループ内部にいるらしいが、私は直接会ったことが無いのでよく知らない。  
よく知らないけど……きっと、いい父親だったのだろう。  
それは我聞家の面々を見ればよく分かる。  
母親がいなくても、この兄弟達はちゃんと前を向いて生きている。  
我聞もあれだけの力を持ちながら、ちゃんと壊すべきもの、そして壊してはいけないものを理解している。  
それらは、父親の教育の賜物に違いない。  
そして我聞達も、父親に対して尊敬の念を持っている。  
子供に愛情を注ぎ、そして子供から愛される。  
きっと、いい父親だったのだろう。  
 
……だからこそ。  
父親がいなくなった時、我聞は辛かったはずだ。  
受けていた愛情が消え、愛情を注ぐ人がいなくなる苦しみ。そして悲しさ。  
……私にも、よく分かる。そして私は……  
だけど我聞は、私の様にはならなかった。  
我聞は強かった。そして、守るべき人がいた。  
我聞は守るべき人のため、父親の代わりになる事を選んだ。  
 
「立候補するには、新党を立ち上げた方がいいのか……」  
 
これも、父親の代わりをしようとする行動の表れなのだろう。  
……まあ、さすがにこれはどうかと思うけれど。  
私はもう一度、我聞の背中を見る。  
この背中が大きく見えるのも頷ける。  
守るべき人のために、愛する家族のために、必死で戦う男の背中なのだから。  
 
『これから一緒に住むんだ。家族も同然だろ』  
 
工具楽屋で我聞の言った言葉が脳裏をよぎった。  
我聞は私を、本当の家族のように愛してくれるだろう。  
私が求めても、決して与えられる事はなかった、愛情。  
だから私も、本気で我聞を愛そうと思う。  
 
――守られるだけでは、嫌だ。  
 
私は立ち上がると、ゆっくりと我聞の背中へと近づいていく。  
手を伸ばせば触れられる距離に、我聞の背中がある。  
 
――我聞を、守りたい。  
 
私は我聞の背中に、そっと自分の身体を重ね……  
 
「あー、そうそう。そろそろ……って、何してるの桃子?」  
「な、なんでもない! なんでもないから!」  
「?」  
 
いきなり襖の奥から現れた果歩。私は超反応で我聞の背中から飛び退る。  
ば、バレてないわよね…  
 
「なんか、明らかに挙動不審なんだけど……怒らないから、何をしようとしていたか言ってみなさい」  
 
清清しい笑顔で問いかけてくる果歩。しかし目は笑っていない。  
 
「こ、これは……我聞も仕事で疲れたかなーって、肩を揉んであげようかと……」  
「ふーん、肩揉みねぇ……ホントに?」  
「ホ、ホントよ!」  
 
嘘だけど。  
 
「そ、それより、後片付けは終わったの、果歩?」  
 
まだ疑わしげな視線を向けてくる果歩に対して、私は話を逸らすために当たり障りの無い話をふってみる。  
 
「んー、もうちょっと掛かりそうね。一人増えた分、洗い物増えちゃったし」  
「……それって嫌味?」  
「違うって。さっきも言ったでしょう。コレは私の仕事だって。その分、桃子は桃子の仕事をしてくれればいいんだから」  
「私の仕事?」  
 
……区具楽屋の仕事の事かしら?  
 
「具体的には、私の勉強を見てもらえたら嬉しいなー、とか」  
 
片目を瞑り、苦笑交じりに話す果歩。  
果歩が私に頼み事するのは、これが初めてだ。  
なんか……ちょっとだけ姉妹っぽい会話かも……  
 
「しょ、しょうがないわね。そこまで言うなら見てあげてもいいわよ」  
 
気恥ずかしさから、ついつい生意気な口調になってしまう。  
我ながら素直じゃないわね……  
 
「素直じゃないわねー。まあ、あんたらしいけどさ」  
 
バレてるし。  
 
「う、うるさいわね。天才の私が見てあげるって言ってるんだから、もっと感謝しなさいよ」  
「はいはい、ありがとう。それじゃあ、後片付けが終わったらお願いね………と、本題忘れる所だった」  
 
台所に戻ろうとしていた果歩が、振り返って私を見る。  
 
「お風呂が沸いたから、入っていいよ」  
「…お風呂?」  
「えーと、The bath」  
「いや、英語で言わなくていいから」  
 
お風呂か……そういえば最近はシャワーばっかりで湯船に浸かっていないわね。  
 
「私が最初でいいの?」  
「いいんじゃない? 別に順番とか決まってないし」  
 
私は我聞に視線を移す。  
 
「今日は色々あって疲れただろ。早く風呂に入って、休んだほうがいい」  
 
我聞はそう言うと、私に向かって微笑む。  
 
「………」  
「一応言っておくけど、日本では男女が一緒にお風呂に入れるのは十二歳までだから」  
「ま、まだ何も言ってないわよ!」  
「独り言よ、気にしないで」  
 
ま、まるで私が我聞と一緒に入りたいみたいじゃないのよ!  
…ちょ、ちょっとは…入りたいなって思ったけど……  
だけど、私から言い出すのは、プライドが許さない。  
もし、我聞の方から一緒に入りたいって言ってきたら……考えてあげてもいいかな。  
 
「…これも独り言だけど、日本では兄弟同士の婚姻は認められてないから」  
「は、早く後片付け終わらせなさいよ!」  
 
エスパーか、あんたは!  
 
「あ、脱いだものは洗濯機の中に入れておいてね」  
 
そう言うと、果歩はさっさと台所へと引っ込んでしまう。  
果歩には振り回されてばっかりね、私。  
私は軽くため息をつくと、我聞へと向き直る。  
 
「…それじゃ、先にお風呂使わせてもらうけど……覗かないでよね」  
「ああ。絶対覗かないから、大丈夫だ」  
 
微笑みのまま、断言する我聞。  
 
「………てい」  
「ぐはぁ!」  
 
それはそれでムカつくから、背中にヤクザキックを入れてみたり。  
悶絶する我聞を尻目に、私はお風呂場へと足を向けた。  
 
   ***  
 
「…我ながら、いい蹴りだったわね」  
 
私は湯船に浸かりながら、思い出し笑いをする。  
まあ、実際に我聞がお風呂を覗くという事は、天地がひっくり返っても無いだろう。  
……覗くくらいの甲斐性があれば、私としても色々と楽なんだけど……  
私は立ち上がると、湯船の縁に腰掛ける。  
 
「我聞はやっぱり、胸のあるほうが好きなのかな……」  
 
私は自分の胸へと視線を落とす。  
お世辞にも豊かとは言えない、胸。  
これからに期待……できるのかなぁ……  
 
「……揉めば大きくなるって、優さんが言ってたわね……」  
 
正直、眉唾な話だが、言ってるのがおっぱい魔人の優さんなので、まるっきり嘘とも思えない。  
 
「……試してみようかしら……」  
 
私は自分の胸に、そっと手を伸ばす。  
………  
はっ!  
な、何してるの私!  
こんな、非科学的な話を真に受けるなんて……  
 
「か、身体洗おうっと」  
 
私は湯船から出ると、洗い場へと腰を下ろす。  
目の前には大きな鏡があるが、それを見ないように視線はずっと下向き。  
……だって、赤くなった自分の顔見たら、ますます恥ずかしいじゃないのよ!  
私はシャワーの蛇口を捻り、頭を冷やすかのように頭から浴びる。  
出てくるのはお湯だから、頭が冷えるわけは無いのだけれど。  
 
「はぁ……」  
 
シャンプーを手に取り、濡れた髪に馴染ませる。  
勢いよく泡立つ、シャンプー。目の前が泡の白に染まり、私は目を瞑る。  
……目を瞑っても、瞼の裏に映るのは我聞の姿だった。  
 
――大きな、背中。  
 
ふと、その隣に私がいる姿を想像する。  
……今は想像だけだけど、いつかは……  
 
「桃子、いるか?」  
 
…いつかはこんな風に、一緒にお風呂に入ったりとか………ん?  
 
「桃子、いないのか?」  
「っ!」  
 
なっ、えっ、ちょっ……な、なんで我聞が!?  
うあ、シャンプーが目に入った!  
 
「……もうあがったか」  
「ま、まだ入ってるわよ!」  
 
私はシャンプーで沁みる目を瞑ったまま、浴室のドアに向かって――その奥にいるであろう我聞に向かって叫ぶ。  
え、ちょ、ちょっと、どういう事!? えーと、まさか覗き? いやいや、覗くのに確認する低能がどこにいる。  
大体、確認するってことは私がいるかどうかを調べているのであって、つまりは私に用があるから声をかけたって事よね。  
えーと、何の用かしら? って、ここ浴室よ! つ、つまり、浴室で用があるって事で、これはイコール裸の私に用があるって事で……  
えーと、えーと、その、あの、浴室に来たって事は我聞も裸になるって事で、これはつまり、その、あー、うー、あー、お、落ち着け私!  
と、とりあえず、身体はよく洗おう。準備は大事…って、な、何言ってんの私! 準備って何の準備よ!   
こ、こういう時はどうするんだっけ……そ、そうだ、悲鳴をあげるんだ。『いやーん、我聞のえっち〜♪』って、悲鳴じゃないし!  
『お背中流しましょうか?』って、立場逆だし! ってゆーか、何考えてるんだ私! あー、もう、目は沁みるし、なんなのよ、一体!  
 
「な、何の用なのよ!」  
 
私はそう言いながら、目に入ったシャンプーを洗い流そうと、シャワーの蛇口に手をかける。  
せ、せめて、最低限の心の準備はしないと……  
 
「バスタオルの場所、教えてなかっただろ。このタンスの一番下の段に入ってるから、勝手に使ってくれ」  
「………それだけ?」  
「それだけだ」  
 
……こ、こ、この低能が〜!  
 
「そんな用件で、レディの入浴中に入ってくるなー! とっとと出てけ〜!」  
「わ、悪い! すぐ出て行く」  
 
そう言うと、我聞は脱衣所から逃げ出すように出て行く。  
これだから、低能……もとい朴念仁は嫌なのよ!  
ちょ、ちょっとだけ……期待しちゃったじゃないのよ……  
 
「……我聞のバカ……」  
 
シャワーの水滴が髪を伝わって、身体へと流れていく。  
肩から胸、胸からお腹、お腹から……  
 
……今は何も無かったけど、これから起こる可能性はあるのよね……  
私はボディソープに手を伸ばす。  
………念入りに洗っておこう……一応、揉んでみようかな……  
 
 
――その後。  
あまりにも長い桃子の風呂に、痺れを切らした果歩が確認しに行くと、洗い場でのぼせ上がってる桃子が居たという……  
 
「あんた、そんなになるまで何してたの?」  
「……心の準備とか、身体の準備とか……」  
「…? よく分からないけど…牛乳飲む?」  
「……飲む」  
 

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