秋の夕暮れは短い。  
先ほどまで赤一色に染まっていた空も、今は一面が黒の闇へと塗り替えられている。  
そんな闇の中、申し訳なさそうに輝いている星たちを見て『肩身が狭そうね』と私は思う。  
……そう、まさに今の私みたいに。  
 
「ん、どうした桃子? 食わないのか?」  
 
私の心情などまったく気付かずに、もりもりと夕飯を食べている我聞。  
 
「なんか嫌いな食べ物でもあるのか?」  
「いえ、そういうわけじゃ……」  
 
私が座っている位置は、長方形のテーブルの短い辺の場所。通称、お誕生日席と呼ばれる場所だ。  
我聞は私の左側、長方形のテーブルの長い辺を一人で座っている。  
で、さっきから私が肩身が狭いと思っている理由は……  
 
「仲良さそうねぇ…二人とも」  
 
冷ややか…いや、むしろ敵意に満ちた熱いまなざしを向けてくる、果歩。こいつだ。  
ちょうど、私の正面に座っているため、視線が痛いったらありゃしない。  
普段ならば正面切って言い返す所だが、ご相伴に預かっている今、私の立場は彼女より下だ。  
 
「いえいえ、それほどで…」  
「うむ、なんせ今日から家族だからな。家族のコミュニケーションは大事だ」  
 
営業スマイルで無難にやり過ごそうとする、私。  
そしてそれを、見事にぶち壊す我聞……さすがこわしや…いや、褒めてないけど。  
だけど…『家族』、か……  
……ふふ。  
ちょっとくすぐったいけど……嬉しいな。  
…まあ、正面からくる視線は、どう考えても家族のそれじゃないんだけど……  
 
「ふーん…『家族』、ねぇ……」  
 
なんか、視線だけで人殺せそうなくらい、果歩が恐いんですけど。  
私は視線から逃れるように、目の前にあったお漬物に手を伸ばす。  
 
「じー…」  
「じー…」  
 
…さらに言うなら、こっちの視線もちょっと困る。  
私の右側から向けられる、二つの視線。  
我聞の妹と弟…たしか…タマとトウマ、だったかしら。  
まるで、新しいおもちゃでも見つけたかの様な視線で、こちらをじっと見ている。  
こういう視線は、普段はキノピーへと向けられるのだが、そのキノピーは工具楽屋のオフィスでお留守番中。  
曰く「上手くやれよ」だって……あいつもかなりのおせっかいよね。  
…話が逸れた。今はこの視線をどうするか、だ。  
 
「な、何かしら…?」  
 
さすがに無言で見つめられると、反応に困ってしまう。  
私は意を決すると、精一杯の営業スマイルで問いかけてみる。  
 
「えと…と、とうこ、えー…」  
「桃子・A・ラインフォード、よ。桃子でいいわ」  
「それじゃあ、桃子……んー、桃子姉ちゃん、で」  
 
……姉ちゃん?  
私は聞きなれないその単語に、思わず我聞の方を見る。  
我聞は屈託の無い笑みを浮かべ、私に向かって頷く。  
果歩は恐いので見ない。  
 
……姉ちゃん、か。  
 
一人っ子だった私には、その言葉はとても新鮮だった。  
なんか……感動してる、私。  
…いけない、いけない。営業スマイルが崩れる。  
私は必死で営業スマイルを維持したまま、もう一度問いかける。  
 
「…で、何かしら。えーと…タマちゃん?」  
「その呼び方はどっかの川にいた獣を思い出すからやだなー……珠でいいよ」  
「OK。で、何かしら、珠?」  
「えっとぉ…桃子姉ちゃんって、今日から『家族』なんだよね…って事は……兄ちゃんと結婚するの?」  
 
ぶはぁっ!  
思わず、食べていたお漬物を噴き出してしまった。  
けけけ、結婚って、な、何言ってんの、この子は!?  
 
「な、何言ってんのよ、珠!」  
 
むせている私に代わって、果歩が珠へ向かって詰め寄る。  
 
「こんな貧乳がお兄ちゃんと結婚するですって!? 冗談じゃないわよ!」  
「ひ、貧乳……あ、あんたに言われたか無いわよ、このうす胸!」  
 
むせている胸を叩きながら、私は言い返す。  
さすがにここまで言われて黙っていられるほど、人間は出来ていない。  
 
「誰がうす胸か! ってゆーか、なんであんたはここでご飯食べてるのよ!」  
「そんなの我聞に連れ込まれたからに決まっているでしょ!」  
 
連れ込まれた……まあ、間違ってはいないわよね、うん。  
……正解でもないけど。  
 
「つ、つ、連れ込まれたって…うちをそんな場末のラブホテルみたいに言うなー!」  
 
果歩は興奮して立ち上がる。私もつられて立ち上がる。  
そしてかなりの近距離でにらみ合う、私と果歩。  
これが漫画なら、後ろは稲光のエフェクトがある事だろう。  
 
「大体、コレはもう予約済みなの! あんたなんかが入り込む隙間なんて全くないのよ!」  
「そ、そんなのやってみなきゃ分からないでしょ!」  
 
我聞を指差し、叫ぶ果歩。そして、売り言葉に買い言葉で答える私。  
…なんか今、さらっと本音言ってないか、私……  
果歩は果歩で、実の兄をコレ扱いか。なんかヒエラルキーの頂点を垣間見た気がするわ。  
ちなみに当の我聞は「予約済み……まさか借金のカタか?」と不幸せな勘違いをしている。  
 
「…へぇ、やる気なんだ……他人が予約済みのモノを横から掻っ攫おうなんて、虫が良すぎると思わないのかしら?」  
 
う…やはり、しっかりと聞かれていたようだ。  
私は額に嫌な汗をかきながらも、言葉を探して果歩に言い返す。  
 
「い、今のは言葉のアヤよ! 別に掻っ攫う気なんて更々ないわよ! 私は我聞がどうしてもって言うから来ただけで……」  
「…つまり、仕方なくうちに来た、と…?」  
「そ、そういうわけじゃないけど…」  
 
やばい。  
さすがにアウェイのこの場所では、私に分が悪い。  
とゆーか、我聞が目の前にいる時点で、私に勝ち目は無いのだが…  
ちなみに我聞は、私たちのやり取りを驚いたような顔で見ているのみ。  
…あー、もう! このやり取りから察しなさいよ、この低能!  
私は自分でも理不尽だと感じながらも、我聞を睨みつける。  
 
「…あー、その、なんだ。もうその位にしとけ、二人とも」  
 
私が睨みつけたのを、助け舟が欲しいと勘違いしたのか、我聞は恐る恐る会話に参加する。  
 
「お兄ちゃんは黙っていて! これはお兄ちゃんの未来が懸かっているのよ!」  
「あ、はい、すいません」  
 
自分の未来が懸かっているのに、黙れと言われる我聞。  
しかも、素直に引っ込むか……なんか、本気で落ち込んでるし……  
 
「…って、勝手に人の未来を決めるな!」  
 
あ、復活した。  
我聞は頭をぼりぼりと掻きながら、私達の間に割ってはいる。  
 
「何か勘違いしてるようだが、桃子が『家族』になるってのは工具楽家の兄弟の一員になるって事で、  
 俺と結婚するわけじゃないぞ。…むしろ、妹になるってのが正しいな」  
 
………  
そ、そんなの分かってるわよ!  
分かってるけど……そうはっきりと言われると……やっぱり、ちょっとショックだ。  
……結局、我聞は私の事を『妹』としてしか見てないのだ。  
果歩は果歩で、私の方を『ざまーみろ』な表情でこっちを見ている。  
うあ、むかつく……てい!  
 
「さっき珠が『桃子姉ちゃん』と言っていたが、珠から見ると姉になるんだからその通りだな。  
 わかったか、二人とも? ……わかったなら、その足どけてくれないかな、桃子……」  
「ふ、ふん!」  
 
私はもう一度我聞の足を踏んづけてから、足をどかした。  
痛そうに足をさする我聞。なぜ踏まれたのか分からない、といった顔をしている。  
……この、朴念仁め…もう一回、踏んづけてやろうか……  
 
「……一つ聞きたいのですが…」  
 
それまで少し離れた所から見ていたトウマが、首を傾げながら会話に参加してきた。  
私は振り上げていた足を下ろし、トウマを見る。  
 
「桃子さんについてですが、我聞兄ちゃんの妹で、珠姉ちゃんと私の姉というのは分かったのですが……  
 果歩姉ちゃんとはどういう関係なんですか?」  
「………」  
「………」  
 
私は果歩を見る。  
果歩も私を見る。  
 
……『果歩姉さま〜♪』  
 
……絶対、イヤだ。  
まあ、『桃子姉さま〜♪』と呼ばれるのも恐いが、まだこっちの方がいい。  
 
「も、もちろん私が姉に決まっているでしょ。  
 この家の事を仕切ってきたのは私なんだから、私が姉さんに決まっているわ」  
 
どうやら果歩も同じ事を考えたようだ。  
我聞に向かって自分の立場をアピールする、果歩。  
まずい、このままでは私が妹に…  
 
「ちょ、ちょっと待って! 果歩はまだ中学生でしょう?  
 私は飛び級で高校生なんだから、私の方が姉さんになるのが普通でしょう?」  
 
私も我聞に必死でアピール。  
お互いに相手のことを『姉』と認めるのは、プライドが許さなかった。  
私と果歩は、我聞を間に置いて睨みあう。  
 
「……ふ、二人とも姉でいいんじゃないか?」  
 
我聞は私たちの間に挟まれながら、何とかそれだけを言う。  
迂闊な事を言ったらヤバイ、と分かったのだろう。  
生命の危機に関しては、それほど鈍くは無いようね。  
しかし…二人とも姉、か……そんな中途半端は、私も果歩も願い下げよ。  
 
「ジャンケンで決めたらー?」  
 
珠が面白そうな表情で言ってくる。  
なるほど。何か勝負で決めるというのはいい案ね。  
で、何で勝負するかだけど……  
 
「どうやら、決着をつけるときが来たようね……貧乳」  
「それはこっちの台詞よ、うす胸」  
 
まあ、これしかないわよね。  
私は白衣のポケットからメジャーを取り出す。  
見ると、果歩もいつのまにかメジャーを取り出している。  
 
「勝負は一度だけ。負けた方が妹になる。OK?」  
「…ただ妹になるだけじゃ面白くないわ。  
 ネコ耳とメイド服着用で『お姉さま〜♪』と呼ぶ。で、どうかしら?」  
「…自分から首を絞めるとは…さすがは低能ね」  
「そう言って、後でほえ面かくのはどっちかしらね?」  
「ふふふふふ…」  
「ふふふふふ…」  
「……目が笑ってないぞ、二人とも……」  
 
我聞の呟きを無視して、私たちは奥の部屋へと移動する。  
ふふふ…どっちの立場が上か、はっきり教えてあげようじゃないの!  
 
「……何なんだ、これは?」  
「女の戦いでしょ。薄いプライドをかけた」  
「…珠姉ちゃん、きついね…」  
「私はほら、これからだから」  
 
***  
 
…で、結論:二人とも『姉』。  
 
「くっ、なかなかやるわね」  
「あなたこそ、いいモンもってんじゃない…」  
 
さすがは、私が認めたライバルね……すごく低レベルなライバルだけど……  
しばらくにらみ合っていた私たちだが、やがて同時にため息をつく。  
 
「なんか…むなしくなってきたわ…」  
「私も…」  
 
ちょっとだけ果歩に親近感が湧いた瞬間だった。  
これからに期待……できるのかなぁ……  
 
「はぁ……」  
「はぁ……」  
 
ため息の後の、しばしの静寂。  
先に言葉を発したのは、果歩だった。  
 
「…なんで、そんなにムキになるの?」  
 
私の顔を覗きこむ様にして聞いてくる、果歩。  
 
「…胸の事?」  
「違う! ……いや、それもあるけど……お兄ちゃんの事よ」  
 
…っ!  
 
「べ、別にムキになってる訳じゃ…」  
「…ムキになってない、と?」  
「そ、そうよ!」  
「…嘘つき」  
「う、嘘じゃ……」  
 
嘘じゃない……そう言いたいのに、声が出てこない。  
果歩は無言のまま、私の顔をずっと見つめている。  
私はその視線に耐えられなくなって、視線を落とした。  
…分かってる。私だって、分かってるわよ!  
我聞の事になると、私は自分が抑えられなくなる。  
 
我聞の姿を見ていたい。  
我聞に私の姿を見てもらいたい。  
我聞の声を聞いていたい。  
我聞に私の声を聞いてもらいたい。  
我聞の身体に触れていたい。  
我聞に私の身体を触れてもらいたい。  
 
ずっと、我聞の側にいたい。  
だって、私は……我聞の事が……  
 
「…あー、もう、そんな顔されると、まるで私が苛めてるみたいじゃない!」  
 
顔をあげると、果歩が怒ったような表情でこっちを見ていた。  
 
「正直に答えなさい。あなたはお兄ちゃんをどう想ってるの?」  
「どうって…」  
「好きなんでしょ、お兄ちゃんのことが!」  
 
果歩は怒ったような表情のまま、私に詰め寄る。  
そして、搾り出すような声で私に問いかける。  
 
「…お兄ちゃんがあなたの事を『妹』としてしか見てないとしても…それでも、あなたはお兄ちゃんを好きだと言えるの?」  
「っ!」  
 
『妹』。  
それは、我聞が私に対して言った言葉。  
そう。我聞は私の事なんて『妹』としてしか見ていない。  
……だけど……それが何だって言うのよ!  
 
「例え、我聞が私の事を『妹』としか見ていなくたって……私は我聞の事が好きよ!」  
 
私は果歩を正面から見つめて、言い放つ。  
 
「我聞が私を『妹』としてしか見てなくても、私が我聞が好きだと言う事には変わりはないわ!  
 それに、今は『妹』としか見てないとしても、これから先もそうだなんて決まってない!  
 我聞が私の事を『私』として見てくれる可能性があるなら、私はその為に頑張るだけよ!  
 私は、我聞の事を、愛してるんだから!」  
 
私は、自分の想いを全て吐き出す。  
自分勝手な想いって事は分かってる。  
それでも、好きになっちゃったんだからしょうがないじゃない!  
 
「……聞いてるこっちの方が恥ずかしくなる台詞ね」  
 
果歩は顔を赤くしながら、視線のやり場に困っている。  
うあ、そういうリアクションされると、言ったこっちはもっと恥ずかしいんですけど……  
 
「大体、あんな朴念仁のどこがいいんだか…」  
「あ、確かにあの朴念仁はなんとかしてもらいたいわね」  
「そうなのよ、見てるこっちの方がイライラしてくるし」  
 
なるほど、やっぱりみんなそう思っていたのか。  
ふと、私と果歩はお互いの顔を見る。  
さっきまで、どっちが『姉』か、なんて争っていたのが嘘みたいだ。  
 
「……あははは」  
「……うふふふ」  
 
気付くと、どちらからともなく笑い出していた。  
なんだ、果歩もこういう風に笑えるんじゃない……きっと、向こうも同じ事考えてるでしょうね。  
…しばらく笑いあう私たち。  
やがて、果歩が真面目な顔をして私の方を見る。  
 
「…まあ、あなたがどれだけお兄ちゃんの事を想ってるのかはわかったわよ……だから……」  
 
ちょっと言いにくそうに言葉を濁す、果歩。  
そして、私のほうに手を差し出してくる。  
 
「言いたい事はまだあるけど…とりあえず、桃子を家族として認めてあげるわ。  
 …あくまでお兄ちゃんの妹として、だけどね」  
 
…果歩が始めて私の名前を呼んだ。  
そして、差し出された手。  
私は最初、その行為が何か分からなかったけど……  
 
「…あ、ありがとう…果歩」  
 
私は、おずおずと手を伸ばして、その手を握り返した。  
果歩の手は、予想以上に暖かくて……不覚にも涙が出そうだったのは内緒だ。  
 
 
今日、私に家族が増えました。  
ちょっと問題のありそうな家族だけど……ちょっと……ううん、かなり……嬉しいな。  
 

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