それは、高校3年の春のこと  
 
 「では、今配ったプリントは今週中に提出すること。以上、今日のHRは終了。日直」  
 「はい。起立。気をつけ、礼」  
 きびきびとした担任に合わせ、日直が今日の授業を締めくくる  
 私はその先生が出て行くのと同時にざわざわと騒がしくなる教室を見ながら、ふぅとため息を吐きつつ席に着いた  
 「あら、カホ、いつもの威勢はどうしたの?」  
 『鬼の霍乱てやつか?』  
 「キノピー、それ喧嘩売ってるの?」  
 私こと、果歩が立ち上がり金髪碧眼の桃子とお供の自立型ロボット・キノピーを睨み付けた  
 いつもなら軽い言い争いになるところが、私はまたため息を吐いて席に座りなおした  
 ここで退いてきた私に少しだけ目を見張り、桃子が更に突っ込んできた  
 「……本当にどうしたってわけ?」  
 「別に」  
 私は鞄に教科書を詰め、帰り支度を整え始めた  
 「あ、わかった。あの鉢巻男と喧嘩したんでしょ」  
 「なんでアイツが出てくるのよ……」  
 物静かな言い方から、それが原因ではないのに桃子はまた驚いている  
 ロボットとは思えないキノピーが、首をかしげるような動作をしつつ私に問いかけた  
 『もしかして、さっき配られたプリントが原因か?』  
 「さっきのプリントって……ああ」  
 桃子も得心がいったようで、手に持っていたプリントをひらりと私に見せた  
 
 そこには、『進路希望』と簡潔に書かれた題字があった  
 
 「なーるほどねぇ、これが原因なわけ」  
 「……ま、ね」  
 そう、今、私はこれで悩みっ放しなのだ  
 「カホは大学に行く気なの?」  
 だから、それで悩んでるんだってば  
 「そういうあんたは、大学行くの?」  
 「行くわけないじゃない。この天才美女・桃子様が」  
 ふーん、行かないんだ  
 まぁ、もう既に大学を出ているとか何とか言っていたから当然かもしれない  
 「私くらいの技術者ともなれば就職先も選び放題だし、自分で事業を起こすだけの個人資産もあるわ」  
 流石、元真芝の第八研所長ってとこか  
 「でも、カホ、迷うくらいなら大学行くのやめたら? 勉強したいものがないのなら、時間の浪費になるだけじゃない。  
 やりたいことがあるなら、そっちを優先。だから、ハルナだって進学しなかったんじゃない」  
 それは正論だ  
 「……勉強したいことならあるにはあるのよ。でもさ、家庭の事情というか、家計の事情というか」  
 桃子とキノピーがああと声をそろえた  
 そう、ウチ……工具楽家は相変わらず貧乏なのだ  
 解体業は大手に客を取られ、本業はご無沙汰……とこれは世間的には喜ばしいことなんだけどウチとしては素直に喜べない  
 更に食べ盛り真っ盛りとなった下の2人が食費で圧迫、家計は大炎上で車が消し炭になりかけている……  
   
 でも、それでも家族の皆は大学に行けと後押ししてくれているのだ  
 
 長いこと時間がかかったものの、晴れて夫婦になったお兄ちゃんこと我聞と少しお腹の大きくなった陽菜の2人  
 そして、最近になってようやく家に落ち着いてきたものの、まだ性別も判別していない孫にメロメロなお父さんこと我也が後押ししてくれている  
 
 「だったら、素直に甘えればいいじゃない」  
 「そういうわけにもいかないのよ」  
 陽菜さんが家計をいかに切り詰め、私の分の学費を捻出しようとしてくれているか  
 我聞と我也、辻原さんが中心に工具楽屋(株)が必死になって仕事を見つけ、遅くまで頑張ってきているのも皆知っているのだ  
 『学費援助ってのはどうだ?』  
 「……それでなんとかいければ、そう苦労はしないんだけど」  
 だから、というのはおかしいけれど・・・だからこそ私は迷っている  
 このまま、皆の頑張りに甘えて、大学に行かせてもらっても良いのかどうか  
 まだ下に2人も控えているし、陽菜さんのお腹の子のことだってある  
 でも……してみたい勉強や、行ってみたい希望の大学もある(多分、浪人の心配無く入れる)  
 でも……経営の苦しい工具楽屋(株)に入って、皆(特に陽菜さん)の負担を減らしてあげたい気持ちも同じくらいに強い  
   
 私は、迷っている……  
 
 『……これはもう、赤の他人が口出すことじゃねぇな』  
 「そういうこと。だから、黙っててくれる?」  
 私は素っ気無くそう言うと、さっさと鞄を持って教室を出た  
   
 ・・・・・・  
 
 「ただいまー」  
 私が玄関を開けてそう言っても、誰からの返事もしなかった  
 靴を脱いで、居間の方に向かってみて……テーブルの上の置手紙を見て合点がいった  
 そこには久々の本業がいきなり入ったこと、それが北海道という遠方だということ、工具楽屋(株)総出で行くこと、2日程かかること、何かあった時の連絡先などが簡潔に明記されていた  
 「……ふーん、そっか」  
 それから置手紙を再びテーブルに戻したことを見計らったかのように、電話のコール音がした  
 ぱたぱたと小走りでそれを取ると、電話は珠と斗馬からで、今夜は2人共通の友達の家に泊まるというものだった  
 向こうの家に失礼の無いようにと釘を刺し、受話器を置いた  
 
 今夜は、私1人か  
 
 タイミングが良いのか悪いのか  
 しかし、1人で悩み考え抜くには丁度良いことかもしれなかった  
 「よし、まずは食事の準備だ」  
 私は誰に言うことでもなく、そう言った  
 今日は1人分の食事を作るだけでいいのだから、楽といえば楽だった  
 いや、もう冷凍物や残り物で済ませてしまおうか  
 そう思案しつつ、台所に赴いたら、今度はドアベルの音が聞こえた  
 「あ、はーい」  
 宅配便か、それとも桃子だろうか  
 私はスコープに目をやり、怪しい人でないか確認……  
 
 「……」  
 私は、ドアを開けた  
 「何の用件?」  
 トゲのある、ぶすっとした声で訪問者にそう応えた  
 「……とりあえず、ドアを開けてくれただけでもマシか」  
 そこにいたのは時代錯誤な鉢巻男、静馬番司だった  
 
 「で、何の用件?」  
 私は番司を居間に通し、淹れた茶を差し出した  
 「別に。工具楽のヤローに前の仕事の書類を届けに来ただけだ。本社には誰もいなくてよ」  
 番司がくいっと親指を立てて、本社屋のある方を示した  
 「ああ、そりゃそうよ。いきなり本業が入ったとかで、皆で北海道行っちゃったらしいから」  
 私の言葉に、番司が「マジか」とぼやいた  
 そういえば、いつもなら本業ともなれば合同で番司も手伝うのがパターンだったはずだが……  
 「置いてかれたってわけね。実力が足らなかったんじゃない?」  
 「何だとっ!?」  
 「だって、それ以外ないんじゃないの」  
 私が一口お茶をすすると、番司がうんうんとうなった  
 「……あっ! そういや、昨日、携帯ぶっ壊れたんだった」  
 「要するに、連絡が取れなかったから置いてかれたってことね。似たようなもんじゃない」  
 「違ぇ! 断じて違ぇ!」  
 「はいはい」  
 憤慨し立ち上がる番司を適当になだめ、とりあえず書類は預かっておくと言った  
 「あー、一応重要書類扱いだからなー」  
 何それ、私を信用してないっていうの?  
 「違うっつーの。この書類を狙う奴らに、お前が襲われたらどうすんだって話だ」  
 まさか、そんな話があるわけない  
 真芝が壊滅して数年が経過した今、そんな暇な奴らがどこにいるというのか  
 「わっかんねーぞ。最近、また本業が増えてきた気がしてきたしよ。今回だって、かなり急な話だったんだろ」  
 「前フリがある本業も珍しいけどね」  
 何を言うかと思ったら、馬鹿馬鹿しい  
 「とにかく、だ。今日のところは書類は持って帰るからな」  
 はいはい、もう好きにして下さい  
 私は学校でのとは違うため息を吐き、お茶を飲み干した  
 「じゃ、用件は終わりでしょ。さっさと帰った帰った」  
 ぐいぐいと番司の背を押し、玄関へ押し出す  
 なんだなんだと後ろを振り向こうとする番司の意思を無視し、とにかく押し続けた  
 
 「ちょ、ちょっと待て、お前!」  
 「待たない! さっさと帰る!」  
 これ以上は聞けない、聞きたくない  
 「……お、お前、まだ怒ってんのか!?」  
 聞こえませーん  
 「悪かったって。何度も謝ってるじゃねーか!」  
 記憶に御座いません、と言いますか何の話をしてるんですか?  
 「ダーッ、もうっ、離せ!」  
 ぶんっと力任せに私の押す手を振りほどくと、足が滑ったのかそのまま体勢を崩したようだ  
 ぐらりと倒れてくる身体に、私はそのまま床へと押し潰された  
 「……たたたた」  
 私が起き上がろうとすると、上になっている番司とばちっと目が合った  
 「ケダモノ」  
 「なっ……!」  
 番司ががばっと起き上がり、「んなんじゃねー! 事故だ、事故!!」と叫んだ  
 私は平静を保っているように見せかけ、むくりと起き上がる  
 「……」  
 「ぐ……そんな目で俺を睨むなー!」  
 番司がそうわめくのを確認すると、私は110番をかけに電話のある所へと向かった  
 が、いつの間に気づいたのか先に番司が回りこみ、受話器を持つ手を押さえ込まれた  
 「と、とりあえず通報だけは勘弁してくれ……」  
 「そ。手、痛いから放して」  
 私がそう言うと、番司はぱっと手を放した  
 ふーん、とりあえず通報はしないと見て手は放してくれるんだ  
 「……」  
 「……」  
 「……」  
 「……」  
 「……玄関は向こうよ?」  
 「いや……今日、お前1人なのか?」  
 また唐突に、何を言うかと思えば  
 「1人で危なくねーのか? 本社の人もいねーんだろ?」  
 「少なくとも、アンタと2人でいるよりずっと安全だと思うんだけど」  
 「……やっぱ、まだ怒ってんのか……」  
 番司は頭をがしがしとかいた  
 
 ええ、そうですとも  
 
 ・・・・・・  
 
 今年の春、私の進級前のこと  
 お父さん達無事帰還&お兄ちゃんがお父さんを倒して陽菜さんを手にした記念パーティの夜のこと  
 今思えば、あの時、私は優さんに少し酒を飲まされていたのもアレだった……  
 
   私はゴールインした2人を祝福した  
   2人共、凄く嬉しそうにしてた  
   でも、心のどこかでお兄ちゃんが取られてしまうのが悲しかった  
 
 私はコタツに入り、ぶつぶつと文句を垂れていた  
 なんて幼稚なんだろうと、自分で悲しくなった  
 そこに、鉢巻男が現れて……それから……それから……  
 
 ・・・・・・  
 
 「だ、大体よ、あん時はお前の方から絡んできたんじゃねーか」  
 「ふーん、責任転嫁するんだ? 男のクセに」  
 「オイ待て、それは男女差別じゃねーか?」  
 「ふーんだ」  
 全く、よりにもよって・・・こ、こいつと・・・ききキスするなんて!  
 しかも、ファーストっ!  
 「だから、あれは不慮の事故だってーの!」  
 「あのね、そういう問題なわけ? 乙女の唇奪ったっていう自覚無し?」  
 「だから、何度も謝ってるじゃねーか!」  
 「謝る謝らないじゃなくてね、なんていうか、こう……誠意というか……」  
 「ふざけんな! 俺の謝り方に誠意が無いっつーのか!」  
 ……ああ、もう腹が立つ!  
 
 客観的に、映像的に見るとこういうことだ  
 少し酔いの回った果歩が番司に絡み、陽菜のことでからかい続けた  
 番司はそれを我慢し、見事に何とか耐え抜いた  
 果歩がぱたんと倒れ、寝てしまったようなので、番司はあくまで風邪を引かないようにと善意で布団をかけてやった  
 その時、ふっと果歩の寝顔に目がいき、「寝てりゃ可愛いのに」とでも何でも思ったのかもしれない  
 そんな覗き込むような位置に番司の顔があり、気配に気づいたのか急に果歩が振り向きつつ起きたのがまずかった  
 
 そう、2人はそのまま唇が触れ合ってしまった  
 ただ、それだけのこと……本当に事故のようなもの……  
 誰にも見られていない、誰にも気づかれていない2人だけが知っていること  
 
 それを、果歩はずっと根に持ち続けているわけだ  
 極力、番司との接触を避け、会えばこうして埒の明かない押し問答……不毛である  
 
 ・・・・・・  
 
 言い争いに疲れたのか、番司がふと目をやると時刻はもう7時過ぎだった  
 「げ。もうこんな時間かよ」  
 「……! もう、あんたの所為だからね!」  
 「また俺の所為か!」  
 もはや、言いがかりなのは自分でもわかっている  
 でも、何故だか私の中で納得言っていないのだからしょうがないではないか  
 「とにかく、今日は帰って! 用件無いんでしょ!?」  
 「……いや、ある! あるッ!」  
 この返答には果歩も驚き、そのまま番司が続けた  
 「帰んのは、お前が寝る前だ」  
 「はぁ?」  
 「こんな広い家に女1人は危険だって言ってんだ! 俺達の本業が完全に無くならねぇ限り、お前が襲われない可能性は無くならねぇんだよ!」  
 「何言うかと思ったら、どんな理屈よ、それ!」  
 「うっせぇっ! とにかく、俺は俺が安全だと納得するまで帰らねーぞ。どうせ1人暮らしだ、遅くなったって誰も気にかけねぇ」  
 「私の方はどうなのよ! むしろ、あんたがいる方が危ないって言ってるじゃない!」  
 これは正論のはず、返せるものなら返してみなさい  
 「襲う気があんなら、とっくに襲ってるだろ!」  
 ……そう来たか! ていうか、ありなの!!?   
 「万が一、工具楽のヤローの留守中にお前の身に何かあったら、陽菜さん達がどれだけ悲しむと思ってんだ!」  
 「そ、それは……で、でも」  
 「あー、もううっせぇな! 何も泊まるだの何だのは言ってねーだろ! お前が寝た後、戸締り確認したら帰る! 最初からそう言ってるだろ!」  
 ……これはどちらかが折れるしかない  
 そして、折れるべきなのがどちらなのかもわかってる  
 もの凄く悔しいけどね  
 
 「……わかったわよ。好きにすれば。ただし、私に手を出すようなことしたら」  
 「するかよ」  
 番司はそう言うと、その場にどすんとあぐらで座り込んだ  
 私もふぅと息をつき、それから小さくくぅとお腹が鳴る音がした  
 時間も時間だが、あれだけ派手に言い争ったのだから、そりゃお腹もすくというものだ  
 「……」  
 私はちらっと番司の方を見た  
 やっぱりこいつも、お腹をすかせてたりするんだろうか  
 ……た、ったく、仕方ないわね!  
 「いつまでも座ってんじゃないわよ! 夕飯作るから、手伝いなさい!」  
 「……あ?」  
 「あ?じゃない! とにかく、台所へ来なさいってぇーの! 働かざる者食うべからずよっ!」  
 私は番司の鉢巻をつかみ、ずるずると引きずるように台所へと向かったのだった  
 
 ・・・・・・  
 
 「ちょっと、皮むきすぎ! ほとんど身が残ってないじゃない!」  
 「こんなちまちましたの出来っか!」  
 「なに威張って・・・あ―――っ! ふきこぼれてるっふきこぼれてる!」  
 「オイ、炊飯器のスイッチ入れたのか!?」  
 
 ・・・・・・  
 
 「……いろいろあったけど、うめーな」  
 「そりゃどうも」  
 やっぱり、コイツを台所に入れるんじゃなかった  
 そう後悔した時には既に遅く、現在時刻は9時を回る  
 1人で作った方が、断然早かっただろうに……私はため息を吐いた  
 「(いや、そもそもコイツと差し向かいで夕食食べてる時点でおかしいか)」  
 どうも調子が狂う、流されっ放しだ  
そうだ、私、進路で悩んでなかったっけ?  
こんなんじゃ、1人で悩む暇も無い  
 「……とりあえず、さっさと食べちゃってくれる? 片付かないから」  
 「あ、ああ……」  
 なに、その反応  
 「コンビニ飯以外の食うの、久し振りだったからな」  
 「は? あんた、自炊してないの!?」  
 「おう。いつも適当に、外食かコンビニですませてる」  
 「バッカじゃないの!? 栄養が偏るじゃない!」  
 がたんと机を叩き、私は憤った  
 今時の外食やコンビニは割とよく出来ているが、それでも栄養バランスの偏りは否めない  
 そもそも個人個人で必要な栄養素が毎日違うのだから、画一化された工場生産の弁当やパンで充分なわけがない  
 「いや、だって」  
 「だっても何も無い! とにかく、最初は一食からでもいいから自炊しなさいっ」  
 まったく、こんなのでも1人暮らしが出来るのだから今の世の中は皮肉なまでに便利になったもんだ  
 私が息を荒くしていると、番司が言った  
 「……まさかお前にまで言われるとはな」  
 「? ……ああ、かなえさんにも言われてるんだ。じゃあ、尚更じゃない」  
 すぐにピンときた  
 そんな注意をしてくれる人、コイツの周りではそのくらいしか思いつかない  
 どうやら当たったようで、番司は頭をがしがしとかいた  
 
 「ったく、やりづれぇなぁ……」  
 「フン。悔しかったら、自炊して見返してみなさい」  
 私は茶碗に一口分残っていたご飯を口に入れ、自分の食器を手早くまとめて流しへと持っていく  
 そのついでに食後のお茶も準備とお湯を沸かし、一応……番司の分もいれておくことにする  
 「あー、食った食った」  
 「だーかーらー、早く食器を片せっての」  
 私はお盆にお茶を2つ乗せ、テーブルの所へ戻りながらそう言った  
 番司は「ワリィワリィ」と言いつつ、持っていく気配ややる気が見られない  
 さっさと自分の分だと思われる湯飲みを取って、勝手に飲み始めている  
 「ったく、さっさと帰りなさいよ」  
 「……ん? これ何だ」  
 番司が畳の上に置いてあったプリントを手に取った  
 私があっという前に番司はそれを見た  
 「ああ、進路のか。早ぇーな、もうお前もそんな歳か」  
 「返しなさいよ!」  
 バッと番司からプリントをひったくり、さっさと折り畳んでしまってしまう  
 「何だよ、減るもんじゃねーだろ。大体、まだ白紙で見られて困るわけでもねーだろ」  
 「ぅ……」  
 それでも、番司は少しやりすぎたと反省したのか、ちょっとだけ黙った  
 無言の居間は、時計の音がもの凄く大きく聞こえる  
 「意外だな」  
 「何がよ」  
 「頭のいいお前が、まだ進路決めてねーなんて。悩みでもあるのか?」  
 「……」  
 
 いきなり核心突いてきた  
 ……私は、思い切って番司に「なんで、あんたはこわしやになったのか?」と訊いた  
 向こうも唐突な問いにいぶかしんでいたようだが、ぽつりとぽつりと語ってくれた  
 「……最初は、祖母ちゃんや姉ちゃんがこわしやだったから、俺もそうなるもんだって思ってた。  
 先祖代々仙術使いの家系に生まれてきてよ、当然のように素質も持ってた。気に入らない奴は、それでちょっと脅してやれば一発だった。  
 まぁ、そんな俺を変えたのが工具楽のヤローだ。同い歳なのに、こわしやの資格を持った男。どうせ、親の七光りだろうって思ってた。  
 だが、違った。あいつはこわしやとしての信念を持ってた。絶対に間違っちゃいけないもんを、あいつは知ってた。  
 正直、かなわねぇと思ったよ。俺は、あのヤローと俺自身を未熟と認めざるを得なかった。だから、俺は一からやり直した。  
 あのヤローと肩を並べるくらいに、こわしやとして、人間として強くなりてぇ!……ってな。  
仙術使いとしてとびきりの素質を持ってても、心が未熟ではぐれ者になる奴だっている。俺ももしかしたら、そんな奴らになりかけてたのかもしんねぇ……」  
 番司は拳をぎゅっと強く、強く握り締めた  
 「俺は感謝してる。こうして、今の俺がいられんのはここ、工具楽の皆やこわしや協会のおかげだってな。  
だから、早くその想いを返してやりてぇ。工具楽のヤローみてぇに、人の道も正せるこわしやになりてぇ。今度は俺の番だ、ってな。  
 始めはさ、底辺でも大学には行っとけって姉ちゃんに言われてたんだわ。でも、行かなかった。学費の心配はするなとか、再三言われてたけどな。  
ま、俺はバカだったし、大学行くよりもっと沢山の人と関わっていきたかったからな。そっちの方が、俺にとっては重大だっただけだ。  
 んで、なんとかこわしや協会会長である姉ちゃんの試練を突破して、こわしやの称号を貰って……こうして今に至るわけだ」  
 番司が食器を持って、流しの方へ運んでいく  
 がちゃがちゃと音がしているようだから、洗ってくれているのかもしれない  
 
 ……そっか……  
 
 番司は番司なりに、ちゃんとしたいことや自分の道を自分で考えて、今を選んだんだ  
 人のことなんて何の参考にもならない、自分自身が決めなきゃどうしようもならないこと  
   
 番司が手を拭きながら居間の方に戻ってくると、ぎょっと驚いた顔をしていた  
 なんでだろうって思ったら、頬を熱い何かがつたってた  
 それが涙だってことに気づくのに、時間がかかったのがなんかおかしかった  
 「お、おおおお俺が泣かせたのかっ!!?」  
 番司がうろたえてる  
違う、そうじゃない……そんなんじゃない  
 
   決まらない進路 白紙のプリント  
 
 番司は泣いている私にうろたえ、慌てている  
 が、いきなりがしっと私の両肩をつかみ、その真っ直ぐな目で私を見据えた  
 「なに泣いてんだよ、お前は!」  
 「……泣いてないっ!」  
 「泣いてんじゃねぇか!?」  
 「泣いてないっ!」  
 番司がつかんでいる両肩が痛い、か弱い女の子相手にどれだけの力を込めているんだろう  
 「……ろが……」  
 「ろ?」  
 「進路が決まらないのっ!」  
 急に大声を出したのにまた驚いたのか、番司は目をぱちくりとしている  
 「自分で、何をしたいのかわかんないのっ! 大学に行きたいのかも、ここで働きたいのかもっ!」  
 
   私は逃げてたんだ 自分が選ぶべき道をはずれて  
   皆が優しくしてくれて 好きなようにしていいと言われて  
   甘えてたんだ 気づきたくなかったんだ  
   
   私の中身が こんなにもカラッポだったなんて  
 
 「お前、ふざけんなよっ!!!?」  
 番司の怒声に、私の身体がびくっと震えた  
 私のことをつかむ両手の力が、また強くなった気がする  
 「それ、本気で言ってんのかっ! なにトチ狂ってんだ、バカヤロウ!」  
 「だって……」  
 「だってもくそもねー! いいか、お前はここんちの中で一番頭が良いんだぞ!?  
 仙術使いの素質は無くたって、こんなに料理が上手に出来るじゃねぇか! 今まで、工具楽の家族を支えてこれたじゃねぇか!」  
 それがなんだって言うのよ……っ!  
 「まだわかんねーのか! お前はカラッポなんかじゃねぇ! 今はただ、ちょっと混乱してるだけでしっかり中身の詰まった人間なんだよっ!  
 俺なんかよりずっとしっかりした、立派に自分の道を歩んできた人間なんだよっ!!」  
 だから、両肩が痛いってば……  
 「甘えて何が悪いっ!? 皆は、お前がしたいように出来るよう頑張ってくれてる!  
 お前は、それに甘えればいいんだ。大学に行きたきゃ、行きたいって素直に言えばいい。ここで働きたいって言うなら、そう言えばいい話だろ」  
 だから、それが決まらないから……  
 「そんなの、すぐに決まんなくて当然だろ。もう一度、頭冷やしてよく考えろ。  
 お前は本当に勉強したいのかしたくないのか。そんでもって、もし本当に勉強がしたくて大学に行きたいならもう他の事を考えるのやめろ」  
 ……え、えぇっ!!?  
 「本当にしたいもんが大学にあんなら、これから4年間、学費では甘えて、甘えた分をしっかりやりたいことを大学で勉強さしてもらってそいつを無駄にしなきゃいいんだ。  
 わかるか? お前が心配する程、あのヤローや陽菜さん達は弱くねぇ。お前は、お前のしたいことをさせてもらえばいいんだ。したいことだけ考えてりゃいいんだ。  
簡単なことじゃねぇか。しかも、わざわざ選ばせてくれてんだぞ。  
 もしお前が、勉強よりここの皆と一緒に働きたいなら、そうはっきり言えばきっと誰も反対しねーよ。もし我聞のヤローや他の皆が反対するようなら、俺も説得してやるから」  
 説得って……  
 番司がふんと息を吐き、私の目をずっと見据えている  
 真っ直ぐ過ぎて、怖いくらいだった  
 でも、何故か逃れられなかった  
 
 どのくらい、こうしていたんだろうか  
 「……肩、痛いんだけど」  
 私がふいに、そうぽつりと言うと、番司はようやく私の両肩を強くつかんでいたことに気づいたらしい  
 わたわたとまたみっともないくらいに慌てて、その手を離した  
 そっと私は両肩に触れるように、私自身を抱きしめた  
 「……」  
 「ぅ……お、怒ってるか……? わ、わるい。力の加減が……」  
 ああ、もう腹が立つ  
 私は、いつもの声で番司を怒鳴りつけた  
 「全く、なんでそう謝るのよっ!」  
 「なっ……そりゃお前が……」  
 「夕食も食べた。食器も洗った。じゃあ、もういいでしょ! 帰りなさい!」  
 ズビシッと番司の方を指差し、そう言った  
 もう、涙は頬をつたっていない  
 「お、おい!」  
 「それともなに? 私が風呂入って、寝るまで本当に待つつもりなの?  
 今度こそ、それこそ通報ものよ」  
 「う……」  
 背景、効果音としてゴゴゴゴゴゴと聞こえてきそうな程の迫力に番司は圧されている  
 よしよし、いつもの私が戻ってきた  
 番司はまだ何か言いたげだったが、がしがしと頭をかき、ひとつ息を吐いた  
 「……そんだけ元気があれば、もう大丈夫か」  
 「ん? なに、それ……」  
 「あ、いや。わーった。帰る、帰るって」  
 番司はどかどかと音を立て、玄関の方に向かう  
 私はここの家の者として、それを見送るべく同じく玄関へと足を運ぶ  
 「んじゃ、工具楽のヤローや皆に宜しくな」  
 「こっちこそ、宜しく言っておいて」  
 番司が「な、なんのことだっ!?」とうろたえているが、既にお見通しだっつーの  
 そそくさと玄関の扉を開けて帰る番司を見送った後、私はお風呂を沸かしにいった  
 
 ・・・・・・  
 
 「グッモーニン、カホ」  
 「おはよう、桃子」  
 翌日の学校にて、私は桃子を見つけるとすぐさま彼女本人の頭とその肩に乗っているキノピーをわしづかみにした  
 「な、何すんのよ!」  
 「それはこっちのセリフよ。あんたらね、昨日、鉢巻男をウチにけしかけたの」  
 桃子とキノピーが思い切りバレた!!!!?って顔をしてる、大当たりだったようだ  
 
 北海道の本業情報のリークは元真芝の情報網を駆使して、でっち上げたもの  
 珠と斗馬の共通のお友達の正体……招待は、桃子の家  
 番司へは大方、「カホが悩んでるみたいだから、聞いてあげたら?」とかそれとなくそそのかしてみたんだろう……  
 
 「何を考えてんの、あんたらは〜〜〜!」  
 桃子がはわわわわわと怯える顔を見せるのは珍しい、それほどまでに私の顔は修羅のようなのだろうか  
 同じく平静を保てないキノピーが、震えた声で弁明した  
 『あ、赤の他人が口出すようなことじゃねぇって思って……』  
 「ほう、それで鉢巻男を? Why?」  
 『い、いや、だって……その……なぁ』  
 あのキノピーがどもるのを見て、私は女の直感が一瞬で目覚めた  
 「まさか、あれを見てたっていうの……?」  
 あれとはすなわち、あの時の番司とのきキスのこと  
 人は見ていなかったが、機械は見ていたのか  
 ということは、必然的に桃子も知っていると言うことに……  
 そうか、それであいつと私がなんとなく避けあってることを利用して、思惑通りに家に行かせたのか  
 番司の性格を知っていれば、さっさと仲直りするなり誤解をときたいと考えていると思うに違いないからだ  
 「……あんたら、今日、生きて帰れると思わないでね……!」  
 「な、ちょ……それより、あんたの悩みは解決したの!!?」  
 桃子の必死の抗いに、その問いで私はぱっと両手を離した  
 解放された2人はふーと安堵の息を吐くと、私は自分の席についた  
 「…………ま、ちょっとはね」  
 『そ、そりゃ良かったー』  
 「でも、あれのことは今すぐ忘れなさい。さもなくば奥義を……」  
 と言い終わらない内に、キノピーが急に片言で『エイゾウ・メモリーノショウキョシマス。ショウキョカンリョウシマシタ』と言い出した  
 桃子は折角の何とか〜とよくわからないことを言っていたが、製造者の命より自分の身の安全を優先したようだ  
 私はふぅとため息を吐き、鞄の中から白紙のプリントを取り出した  
 「……ったく、どうしてくれんのよ」  
 
    私がしたいことだけ考えて、あとはそれ以外の他の事は考えるな?  
 
    どうしてくれんのよ  
 
    昨日から、あんたのことが頭から離れないんですけど  
 
    なんで大学と就職の横並びに、あんたがいるわけ?  
 
 「ああ、もう腹が立つ」  
 
 私が腹を立てていたのは、キスじゃなくてその後のこと  
 なんでか知らないけど、そのことで番司が謝ってきたのが気に食わなかったみたい  
 
    進路希望のプリントは 相変わらず白紙のまま  
 
    でも 私の中は何故かあいつで埋まってる  
 
 それに気づくのは、もう少し後の話……  
 

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