「仕事が始まる前に、國生さんと話をしないとな。この調子じゃ、仕事もまともにできん。」
我聞はそう思い立ち、ホームルームが終わるや否や家にも寄らずにダッシュで工具楽屋の社屋まで駆けつけた。
そして、陽菜が待っているであろうオフィス目掛けて階段を一足飛びにしていると、中から話し声が聞こえてきた。
「・・・珠さん・・・・セ、セックスというものをご存知ですか?」
「なにそれー?」
それは陽菜と珠の声だった。我聞は耳を疑った。清楚を絵に描いたような國生陽菜の口から『セックス』なんて言葉が出てくるとは、想像した事も無かったからだ。
気を取り直して陽菜に話しかけるまでの数秒間、我聞の頭がパニックに陥っていた事は言うまでも無い。ついでに陽菜もずいぶん取り乱していたので、結局事情は珠に聞いた。
珠が帰った後、オフィスは不気味なほど静まり返った。
我聞は手持ち無沙汰といった感じでウロウロしているのだが、そんな我聞に普段は「あれをしろこれをしろ」と予定を申し付ける陽菜が黙って椅子に座っているだけなのだ。こころなしか、うつむいている。
我聞は重たい空気を切り開こうと、喋り始めた。
「け、けど何で珠はあんなこと聞いてきたんだろうなー。」
と、ここまで言って我聞はハッとした。秘書との会話でAVの話題をいつまでも引っ張る社長というのは、もしかしてセクハラなのではないのか!?我聞の中でそんな疑問が渦巻いた。
それに陽菜が何だか落ち込んでる風なのは、さっきのことを恥ずかしがっての事なのではないかと(遅まきながら)気が付いた。
「(いかん!さり気なく話題を変えなければ!)あ、ところで國生さん。中之井さんが言ってた仕事って言うのはどうなったんだ?」
それは我聞からしたら自然なネタフリだったのかも知れないが、その他の人間からすれば強引極まりない話題の切り替え方だった。
(何かに気付いたように無理に話題を変えた・・・そうか、社長は自分のAVが珠さんに見られたかもしれない可能性に気付いたんだ・・・。)
陽菜は我聞の態度をそういう風に解釈した。そして、ここで話題を変えられては煙に巻かれると思い、言うべき事は言おうと決意した。
「すみません、例の仕事はどうやら片付いたようです。・・・それより、社長。誤魔化さないでください。」
「え、何を?」
「珠さんがいきなり・・・AVについて聞いてきたりしたのは、社長の部屋で『あれ』を見たからじゃないんですか?ローティーンも居る家に、あんなものを置いておくのは家長としてどうなんですか?」
「・・・・・・あれって何?」
我聞は陽菜の追求をのらりくらりとかわし続ける(ように陽菜には見える)
陽菜はだんだん頭にきた。珠にAVの説明をする羽目になったのも、言いたくも無いのに日に何度も『AV』だと『アダルトビデオ』だの連呼しているのも、元を質せば目の前に居るこの社長が変なビデオを持っていたせいではないか。
それなのに、こっちが恥ずかしさを堪えて『青少年の教育上、あーゆー物を置いておくという環境は好ましくないのでは』とたしなめようとしているのに、こんな態度では腹が立ってくる。
陽菜は頭に血が上って叫んだ。
「ですから!社長の部屋にある変なアダルトビデオの事です!!」
「はぁ!!??」
我聞にとっては寝耳に水だ。AVなんて買った事も無ければ借りた事も無い。
見た事が無いとまでは言わないが、それは佐々木の家での事だ。自分の部屋には1本たりともあるワケがない。我聞は顔を紅潮させて反論した。
「ば、バカな事を言うな國生さん!オレはそんなもの持ってないぞ!」
「嘘をつかないでください!私は昨日、社長の部屋で見ました!」
「昨日?なんでオレの部屋に國生さんが??」
「そ、それは・・・優さんが変な事を言い出すから・・・。」
「優さんが?」
「話をそらさないで下さい!!」
「い、いやそらしたつもりは・・・。」
口論になると我聞は分が悪い。ただでさえ口喧嘩が得意でないのに、今の陽菜はキレているような状態だ。まともな話し合いは期待できない。
「と、とにかくオレの部屋で昨日なにを見たんだ?」
「それは女子・・!・・・・・・・高生秘書と社長が・・・・という内容の・・・ものです。」
我聞の質問に勢い込んで答えようとした陽菜だったが、あまりの内容の恥ずかしさに声が先細りになって言った。しかししっかり聞こえていた我聞は目を丸くして驚いた。
「え・・・まさか今日の國生さんの態度がおかしかった理由って・・・それ・・?」
冗談じゃない。身に覚えの無い我聞からしたら、誤解もいいところだ。
そんなビデオ持ってたらまるで、日常的に陽菜に対して抱いてる劣情をビデオで発散してるかのように受け取られかねない(というか優のせいでそう受け取られている)
我聞は「ここで退いたらセクハラ社長どころかAV社長の汚名を着せられる」と思い、必死に否定した。
「絶対ない!!オレはそんなビデオ持ってない!國生さんが身の危険を感じる必要も無い!!」
何だか余計な事まで言った気がするが、我聞からすれば決死のアピールだ。
しかし実際に現物を見てしまっている陽菜からすれば納得いかない。
「・・・じゃあ、今から社長の部屋に行ってみましょうか?ちょうど仕事の予定も消えた事ですし、お互いこの後のスケジュールは無いでしょう。」
「む・・・それで國生さんが納得するなら。」
こうして陽菜と我聞は工具楽家────という名のGHKの巣窟へと向かった。
「幕間」
中之井千住は現場に居た。技術部長の森永優から、保科ますみが担当している現場で問題が起きたから直行して欲しいと言われたからだ。
しかし、いざ来てみれば作業は滞りなく進んでおり、顔見知りのカンジやヤスヒロに茶を勧められて従業員用のプレハブ小屋で休んでいるだけ。
「ワシ、何しに来たんじゃろ・・・。」
「まぁ何の手違いがあったのか知らねぇけど、じいさんも普段忙しいんだしせっかくの機会だ。ゆっくりしてけよ。」
ユンボ乗りのますみがそう言って笑う。中之井もその言葉に甘えて「ちょっと休んでいこうか」と思った。ますみがまた話しかけてくる。
「そういや、今会社の方には誰か居るのか?」
「あぁ、辻原くんが外回りじゃから、社長と陽菜くんの2人が居るかもしれんの。」
「なにっ!セクハラ社長と2人きりか!?あぶねぇなー。」
「いやいや、あの2人に限ってはそういう事とは無縁じゃよ。朴念仁と仕事の虫じゃからのう。」
その朴念仁と仕事の虫が、アダルトビデオ探索に出かけた事を中之井は知る由も無かった。