エディソンは、ハダリーの無数の神経組織の中を縦横に飛び交う目もくらむような稲妻が、
はげしく鳴りはためいているのに、微笑を浮かべながら人造人間の手をとったのである。
「どうです、これは天使ですよ!」
リラダン『未来のイヴ』
「バトー。」
凛とした声に呼び掛けられて、彼は我に返った。フラフラとしていて不安定な足元。
ここはどこだ、などという、凡そ九課の人間に相応しくない質問を
発するより先に、視線の先に見えた光景が彼に現在の状況をはっきりと思い出させる。
光り輝く摩天楼。その足元でユラユラと揺れる黒い海。彼は『再び』素子のダイビングに付き合い、船の上にいた。
「珍しくぼうっとしてるわね。…疲れてるんじゃないの?」
「その言葉、そのままお前に返させて貰いたいもんだな。まだ海に潜ろうなんざ」
「正気の沙汰じゃない?」
「少なくとも俺はそう思うぜ。俺だったら絶対に……」
バトーは『何か』に気づいたように、そこから先の台詞を言い淀んだ。
素子はビールの缶を甲板に置き、目を閉じて微かに笑う。
「眠って夢を見ることは幸福かしら」
「…?」
「愛しい人の顔、形、触れた肌の感触、視線の機微な動き。 それが義体の作り成すものであっても、
その肉体の側にいることで消える不安があるとすれば、夢の中でだけその不安を解消することのできる人間が
存在するのも仕方の無いことだわ」
「おい、一体何のことを言ってるんだ」
問いには応えず、はぐらかすように微笑んだままの素子の横顔を苦々しそうに見つめて、バトーはビールを一口含む。
近くを遊覧船が煌々と光を放ちながら通過していく。素子の身体の輪郭を、光が縁取る。
バトーにはその姿が、まるで何かに……そう、まるで、
「!」
「気が付いたのね」
まるで『天使』のように見えた。
「これは、夢か」
「そう。都合のいい夢ね。私は人形遣いと融合することも、あんたが海に潜ることも、
草薙素子の不在を感じることもなかった。全ては仮定の連続でしかない」
「………」
「望んでいることが夢になるわけではない。けどこれが決してあんたの願った結末で無いという保証もない。
そしてそれがどちらであれ、今の私には関係のないことだわ」
音もなく素子はバトーの側に近寄っていく。
周囲の景色の輪郭は滲み、黒い海はただの闇と化し、摩天楼の光を容赦なく呑んでいく。限りない収束。
「バトー」
素子の髪がバトーの頬に触れる。彼が打ち壊したあの人形によく似た瞳が、彼を見ていた。
互いの肌が触れたかどうかは、わからない。
収束は急速に進行し、境界は曖昧になり、光は闇に飲まれ闇は光になり、
終には何もかもが一つの黒い点になって――目覚めた彼が見たものは、愛犬の寝顔だった。
彼が見たものが夢だったのか、
それとも彼が『誰か』から夢を『見させられて』いたのか、
それは定かではなく、そのふたつの境界は未だ曖昧なままである。
「どうか答えてください、―――天使は愛さないのでしょうか、愛するとすればそれをどう表わすのか、
眼ざしだけでか光の交わりでか、つまり純粋で間接的な交わりか直接的な交わりか、そのどちらでしょうか」
ミルトン『失楽園』