コトーは時々、何かの箍《たが》が外れたかのように、彩佳の身体を貪るように求めてくる時がある。  
何度達しても、止めてはくれない。その時のコトーの表情は手術の時のあの表情に近い。  
この人は幾つもの闇をくぐり抜け、また重い十字架を背負って生きてきたのだろう。  
踏み込んではいけない領域は、誰の心の中にもある。だからこそ、そんな内なる激しさや闇を抱えて生きるコトーを  
心底愛しいと思う…肌が触れ合い、身体を重ねると何もかもが昇華出来る気持ちになれる。  
 
「…いいですよ…泣いちゃうかもしれないですけど…」  
「きっと泣かしちゃうと思うよ。ごめんね…。でも、痛かったらすぐ言って。その時は止めるから…」  
 
そう言うや否や、コトーは上半身を起こすと対面座位の姿勢をとる。  
向かい合わせになるような姿勢に少し気恥ずかしさを感じていた彩佳だったが、そんな気持ちはすぐに  
吹き飛ばされた。  
 
「あ…っ!んあああっ!!」  
 
既にコトーの心身は臨界点を越えていたのだ。欲望を吐き出したがるコトーのペニスは固く起立していた。  
強く、彩佳の中を一気に貫いてきた。充分な程潤っていた彩佳はたやすくそれを受入れた。  
強い快感と、コトーの力の強さに思わず彩佳の身体が反り返る。  
 
綺麗な身体の線がコトーの視界に晒される。細い腰を支えられ、何度も何度も突き上げられる度に  
彩佳の形の良い乳房がぷるん、と揺れる。  
 
「いやぁ…せんせ…あっあっ…ああああん!!…やだあー!!」  
「やなの? そっか。嫌なんだ…そのわりには直ぐに入っちゃったね…」  
「ちっ…違っ…んっ、んっ!」  
「そうなの…?…今の星野さん、めちゃくちゃいやらしい顏してるよ…知ってる?」  
 
舌を捩じ込まれるようにキスをされ、彩佳の反論は無理矢理止められる。  
彼の右手で乳房を揉みしだかれ、すっかり固く立っている乳首を何度も指で弄られ、押しつぶされる。  
繋がった部分はお互いの体液と唾液でぐっしょりと濡れている…ふと彩佳が目をやると、繋がった部分が  
露骨に目に晒される…自分の中を貫くコトーのペニスを離さなないかのように、陰唇がぴったりとはりついている…  
あまりの鄙猥《ひわい》さに思わず目を反らしたのだが、コトーはそんな彩佳の表情を見逃さなかった。  
 
「ん?…そっか。繋がってる部分をちゃんと見たいの?…やらしー…」  
「やあああっん!!そんなんじゃ…!!」  
「じゃ、こっちの方がいいかな?…よいしょっと♪こっちのほうがいいね、星野さんの足にも負担かからないし。」  
「ちょ、ちょっと、やっ、先生!」  
 
繋がったまま、身体を持ち上げられる。彩佳の小柄で華奢な身体が一瞬頼りない感覚を感じると、  
コトーはベッドサイドに腰掛けると、彩佳を膝の上に跨がらせる姿勢になった。  
背後からコトーの両手によって何度も乳房を揉まれ、乳首を親指と人差指でこりこりと摘まれると、  
彩佳はいっそう身体が敏感になるのをコトーは知っている。  
 
「…ホラ。そこに映りこんでるよ。」  
 
コトーに指を指された方向は…備え付けの鏡だ。薄い灯りと暗い部屋のせいで、余計に彩佳の白い肌が  
鏡の向こうで強調される。そしておそるおそる…局部に目を向けると…二人の繋ぎ目がしっかり  
映し出されている…コトーに脚を開かれ、胸を揉みしだかれているイヤらしい自分の身体が鏡に映っている。  
 
「や…やだぁ…先生…」  
「僕、最初に言ったでしょ…意地悪しちゃうかもしれないって。それより、見てみなよ。すっごいいやらしいよ。  
ここからでも、クリトリスが立ってるのが見えるしさ…そんなに気持ちいいんだ…」  
「そ、そんなぁ…やっ、はあんっ、あっ…あっ!」  
 
後ろから何度も何度も突かれる度に、鏡に映し出された自分の鄙猥な姿を何度も目にする。  
胸を愛撫していた右手が、そろりと下半身の方に下りてくると、すっかり包皮が剥け、固くなっている陰核を  
指の腹で転がされると、強烈な快感が身体中を支配する。  
コトーの舌が、耳をねちっこく愛撫する。ちゅくっ…っといやらしい音が繋ぎ目と彼の唇と舌によって  
何度も音をたてられる…あまりにも全ての感覚を酷く刺激されるせいか、彩佳は理性を保てるのもそろそろ限界だ。  
 
「…ん?我慢しなくていいのに…あ、でも。声は控えめにね。」  
そんなことを促されても、コトーは彩佳にわざと嬌声をあげさせようと楽しんですらいるのだ。  
この男は絶対本心はひねくれて、意地悪だ…と彩佳は思ったが、優しい表情でのぞき込まれて、  
唇を吸われるようにキスを何度も落とされると、コトーにもっと自分の淫猥な姿を晒したいという衝動が生まれる。  
もっと強烈な快感を得ようと、自分から自然に求めてしまう。そのことを彼が計算していることなど周知である。  
 
「やぁんっ…あんっ…先生…だめ…」  
「星野さん、自分から腰振ってるよ…?そんなに気持ちいいの?」  
「…っん…。コトー先生…やらし…っ…」  
 
やけに従順だなと不思議に思ったコトーは、彩佳本人が無意識のうちに快楽を得ようとする姿を見て  
ふとほくそ笑んだ。男は女を支配して欲求を満たす生き物なのだとつくづく思う。  
だが、本当は自分が翻弄されているんではないか、とも感じてしまうのだ。  
離したくない。離すことなど、出来ない…自分こそが、彼女に支配されているんじゃないかとふと苦笑いした。  
コトーも翻弄されているままではない。逆にもっと過激な衝動が湧いてくるのだ。  
 
「あのさ、星野さん。」  
「…っん…はい…」  
「ココ…星野さんの一番気持ち良い所。この前みたいにさ…自分でしてみて…」  
「えっ!?こっ、この前って!?」  
「僕にエッチなことされるのを想像しながら一人でしてるんだもんね。星野さんは。」  
「…し、してませんっ、やっ、やだあ!!離してえええ!」  
 
当然、コトーは離してなどくれない…だが、いつ自分の自慰行為を見られたかなんて全く思い当たりがない。  
彼がふっかけたはったりなのかもしれないのだが…さすがに踏み入ってほしくない事を言われ、  
かなり頭に血がのぼってしまったのだ。だが、耳元でコトーの声がより強い快楽へと誘う。  
 
「見せて…そしたらもっと気持ち良くしてあげるから…」  
理性も、身体の感覚も既に限界を越えていた。彩佳の中で、自分の恥ずかしい姿を見せる事への抵抗より、  
強い快楽への欲求が勝ってしまった。抵抗していた筈なのに…軽く頷くことにより、彩佳は受入れてしまった。  
…このセックスが、今まで一番強く激しい快楽を彩佳の心身に与えていることが余計に拍車をかけた。  
 
「し、仕方ないですね…あ、あんまり見ないでください…ね…」  
そう小さく呟くと、彩佳は静かに陰核を自分の指で慰めはじめた。その鄙猥な姿が、鏡に映し出されている。  
コトーがそれを満足げに確認すると、ゆっくりと彼女の脚を開きはじめた。  
彼女に鏡越しにそれを見せつけるかのように、再び突き上げてきた。繋がった所から水音がする。  
コトーの膝の上は、愛液でびしょびしょに濡れている。そんな姿を満足げにコトーは鏡越しに観賞していた。  
 
「やっ…やあん!あああっ!」  
腰を激しく揺さぶられ、自分で慰めている恥ずかしさもあり、彩佳の頭の中は既に真っ白だった。  
何度も焦らされて、高みまで追いつめられると、クールダウンさせられ…  
コトーもそろそろ、彼女を許してあげようかと、彩佳の右手をふと止めさせた。  
 
「あっ…せん…せ?」  
「星野さん、そろそろ限界でしょ…?僕も、もうヤバいかも…」  
 
本音を言えばコトーはもっと翻弄したかったのだが、それを上回る興奮と快感にはさすがに勝てなかった。  
敏感になりすぎた彼女の中の、少し浅い部分を的確に突いてくる…  
そこは、彩佳が嫌がる部分なのだが、あまりにも快感が強すぎて積極的には責めていなかった所だ。  
 
「やああん!そこ……らめぇ!やだあああ!!」  
「嫌じゃないでしょ…本当は一番ココが気持ち良いんだよね…いいよ…そのままイっちゃいなよ。」  
 
コトーは、既に呂律がまわらなくなっている彩佳の顎をくい、と引いて自分の方に向け、  
そのまま深いキスを続ける。既に涙目の彩佳は、肌をすっかり紅く染め、淫らに吐息を漏らしている。  
充血しきったクリトリスを優しく撫で上げられ、ゆっくりと突かれると、脚の先から痙攣に近い感覚を感じ、  
次いで身体中を強烈な感覚が駈け抜けた。  
 
「んっ、ふぇんふぇ…んっ、んっ…んんんんーーーー!!」  
「うう…っ…!!」  
 
彩佳の中が強く締まると同時に、透明な液と白濁した粘液がコトーの膝を濡らす。  
あまりの快楽に潮を吹いてしまった彩佳を見て、コトーは満足げに笑みをうかべた。  
ほぼ同時に、二人は達したのだが、彩佳にはいささか強烈すぎたようで、果てると直ぐに身体の力が抜けていた。  
 
「…はぁ…あ、あれ?星野さん?」  
 
どうやら、失神してしまったようである…目尻には涙の跡がある。やはり予想どおり、泣かせてしまった。  
すっかり力の抜けた身体をしっかり抱き起こすと、ベッドに横たわらせた。  
そして、汗ではりついて乱れてしまった髪の毛を整えてやると、唇に軽いキスを落とした。  
 
…おそらく、今までで一番強烈な快楽を伴ったセックスだから無理もない。  
コトーも普段ならもう一度攻め立てる余裕もあるのだが、彼自身も今回は身体がいう事を効かないようだ。  
 
『…君から離れられないんだよ…好きになりすぎたんだ…これは、医者としては、失格だろな…』  
 
「もう、もうやだやだやだ!!バカバカーーー!!この変態医者ーー!!」  
 
枕で3回程頭をどつかれ、コトーはしっかり彩佳に復讐されていた。  
しかし、彼は唇をとがらせ、ふてくされながら子供のような態度をとり、小声で反論する。  
 
「…だって…星野さん可愛かったしさぁ…最後失神してるし…嗜虐心掻き立てられるっていうか…ねえ。」  
「『ねえ』じゃないし!!すっごい恥ずかしかったし!!」  
「でも、めちゃくちゃ気持ち良かったし。」  
彩佳の真似をすると、コトーはさらに一発枕でどつかれる。彩佳は本気で怒っているようだ。  
ここが病院だということも、声のことも忘れてさんざん乱れていた。病院でセックスに耽るなんて医療従事者に  
あるまじきことをした罪悪感は、さらに彼女の羞恥心を浮き彫りにさせる。  
 
「ま、まあ。明日はMRIの検査もあるし、帰りの路は長いし、ゆっくりできないし。こういうのもいいんじゃない?」  
「よくありません!!なんですか、そのわけのわからないまとめは!?」  
「…あ、そ。そういう言い方するんだ…そっかー。」  
すっかり拗ねてしまった様子のコトーに、彩佳は焦った。せっかく仲直り出来たのに、些細なことでまた  
雰囲気が悪くなるのはたまったものではない。コトーは思ったより強情な部分がある。先に折れるのが懸命だ。  
 
「ご、ごめんなさい…言い過ぎましたね…」  
「……星野さん。」  
「はい?」  
「明日、原沢先生とちょっとだけ話してきていいかな……」  
 
コトーは、怒っているわけでも拗ねているわけでもなかった。  
 
「なんか、色々あったでしょ…お互いに。スッキリして帰ろう…ね。」  
「…そうですね…。あの、先生…本当にごめんなさい…。」  
「怒ってないよ。」  
 
くしゃくしゃと、優しく髪を撫でてくれるコトーの笑顔に彩佳は心底安心した。  
 
「実はね、僕…大学の講師の依頼があったんだ…原沢先生の後押しだけど、実際は熊谷幹事長の意向だと思う。  
でも、今回のことではっきりわかった。僕は人を育てられるような度量はないよ。」  
「そ、そんなこと…」  
「それにね。あの島の診療所が一番好きだから離れたくないんだ。島の皆も好きだし…星野さんの傍にいたいし。」  
「ばか…」  
 
彩佳はいつも抱えていた不安があった。  
それは、いつかコトーがこの島から…自分から離れていってしまうのではないかという不安…  
東京に呼ばれる度、シンポジウムで出張がある度にそれはいつも感じていた不安だ。だが、コトーには  
敢えて言いたくなかった。彼の医師としての技術はあの島で留まるのみで良いのかとも疑問を感じていたからだ。  
最前線に立ち、多くの患者を救うべき存在なのかもしれないと思っていたから、なおさら不安は募った。  
 
だが、コトーも同じ様に不安を抱えていた。それはずっと先のことになろうとも、いずれやってくるものだった。  
彩佳が『医師免許を取得する』と言った時に…漠然とした不安を抱えてここまで来た。  
きっと、いつか彩佳は自分の傍を離れていってしまう。おそらく、自分にはない物を持った医者になるだろう。  
その時に…笑顔で送り出すことが自分は出来るのだろうか…  
いずれその時はやって来るだろう…。だけど、今回は逃げない…もう傷つけない…原沢 咲の時のように。  
 
「ここでは色々ありすぎたね…」  
「そうですね…」  
「先生…あたし、原沢先生…嫌いじゃないです。素敵な方ですね…先生が好きになったの、わかる気がします。」  
「…星野さんのばーか。そんなこと考えてたんだー。」  
「ちょ、ちょっと、ばかって!!ひっどーー!!」  
 
深く信頼し過ぎている。心を開き過ぎている。それ故に生まれる不安…。  
…だが、いつかそれを解決出来る方法が見つかるかもしれない。  
本当は、互いの笑顔をずっと傍で見ていたい。どちらかが欠けることなんか考えたくないのが本音。  
夜の帳はすっかり深くなり、その日、二人は朝まで深い眠りに落ちた。  
 
 
 
翌朝は気持ちの良い青空が広がっていた。  
病院内のカフェテリアでコトーは一人、コーヒーを啜っていた。  
ほどなくして、原沢 咲がコトーの座っていた席の隣座り、アイスティーを頼んだ。  
 
「五島君、おはよう。ごめんね、待たせちゃったかな…?」  
「ううん、僕もさっき此処に来たところだから。」  
「星野さん…だっけ? あの後大丈夫だった? 心配だったんだけど、五島君がいたから大丈夫…よね?」  
「……うん、大丈夫。まあ、なんだかんだ言って泣かせちゃったけど…」  
 
咲は少し困惑しているコトーの表情を見てつい表情が綻ぶ。そして、今まで自分が知らなかったコトーの  
表情や仕草を確認する度、少しずつ言いようのない寂しさが募っていた。  
 
「……で、ちゃんと言おうと思ったんだけど…あの…僕やっぱり……」  
「わかってる。講師は出来ない、ってことでしょう。多分、そう言ってくるんじゃないかって思ってた。」  
「…咲ちゃん…」  
「長年、五島君とは付きあってたんだもの。あなたの考えてることは大体予想はつくわ。ついでに言うと、  
江葉都先生にもフラレちゃった。」  
「えっ!?」  
「こっちは予想外だったから、さすがに私も驚いたけど…江葉都先生にも思うところがあるのよ、きっと。」  
「そっか…」  
 
コトーには江葉都がこの話を断ったのが以外だった…だが、もし彼が島の医者になることを望むのなら  
それも良いのだろうと考えた…島民に信頼され、愛される医師になるのなら、それも彼の生きる路だ。  
不思議な安堵を感じたと同時に、酷い誤解をしてしまった自分の浅はかさを申し訳なく思った。  
 
アイスティーのストローをくるくるとさせながら、どことなく寂しげに咲は空を仰いだ。  
 
「来週、ドイツに戻るの。」  
「…咲ちゃん…アメリカに行ったんじゃなかったんだね…」  
「…いろいろあったのよ、これでも…結婚も…子供もね…私にはまだ無理だったみたい。  
女としての自分よりも、医師として生きることを取っちゃったから…」  
 
それ以上は聞かないで、と咲の目は訴えていた。二人の間に、しばし沈黙が訪れる。  
きっと、コトーの知らない所で、傷つき泣いたことがあったのだろう。  
 
当時の自分には…彼女を想う余裕などなかった。結果として、彼女を酷く傷つけた。  
しかし、彼女は前に向かって歩ける女性だということも知っている。だから、今は安心できる。  
もし、あの時あの事件がなければ…きっと隣にいる人は彼女だったのだろう。  
 
「五島君は変わっちゃったわね…すごく。でも、会えて嬉しかった。ありがとう。」  
咲が右手を差し伸べて握手を求めてきた。  
 
「ごめんね…」  
「謝らないで。帰るのが辛くなるわ…」  
コトーが握手で、それに応える。咲の微かに震えた声を聞くのが、辛かった。  
 
「君が、幸せになるように日本から祈ってるよ…」  
「そんなこと考えなくて良いから…彼女を泣かせないでね…じゃあ、元気で…さよなら。」  
咲は、アイスティーの代金をコトーに渡す。微笑みながら、最後に振り絞るように返事をした。  
きっと、これが今生の別れになるだろう。コトーも、笑顔を見せながら咲に手を振りかえした。  
 
「さよなら…」  
コトーは去り行く元恋人の背を見送りながら小さな声でそう呟いた。  
 
「えーっ、元カノへの挨拶って…それだけで終わりですか!?やだー、デリカシーないなあ。」  
「うん。だって、それ以上話すこともなかったから。」  
彩佳がすっとんきょうな声で驚いていたが、コトーはあっさりと返事を返した。  
だけど、ニコニコと微笑んでいる。しかも意地悪な笑顔で。彩佳は今一つ納得のいってない表情だ。  
 
「星野さんが考えているような話なんてぜーんぜんしなかったしー。」  
「私は別に気にしてません!!バカ!!!」  
二人は帰路のフェリーの中でそんな話をしていた。  
MRI検査も『異常無し』という結果で、一週間程は注意深く様子を見れば大丈夫そうだ。  
それとは別に、帰りは他に観光客も何人か乗り合わせていたので、コトーはいたく不服そうだったのだが…  
帰りにもあんなことをされたらたまったもんじゃないと、彩佳は少しほっとしていた。  
 
『……ずっとあんなことをされたらねえ…身体がもたないし……』  
ふと、昨日の情事が思い出される。コトーは体力がないくせに、こういうことになると持久力があるんだなと  
妙な考えが思い浮かんだが…そのことに気付いて彩佳は真っ赤になった。  
そして、いち早くコトーは彩佳の頬が紅潮してることに気付くと、わざとそのことに突っ込んでくる。  
 
「……あれー?星野さん、顏真っ赤だねぇ。熱でもあるのかなー。それとも…」  
ニヤニヤとしているコトーが妙に意地悪で不愉快だ。  
「知りません!酔ったんです!!外の空気吸ってくるんで、先生はついてこないでくださいね!!」  
真っ赤になってデッキの方に彩佳は走っていった。  
「わかりやすいなあ…」  
 
デッキの方にコトーが向かうと、一人海を眺める彩佳がいた。  
空の青が優しい色になっていることが冬の到来を告げるよう。頬を横切る風が少し冷たい。  
コトーは彩佳の後ろから身体を包み込むように抱き締める。  
一瞬、驚きにびくっとした彩佳だったが、その相手がコトーだと察知すると、身体を預けるように力を抜いた。  
触れ合った場所から伝わる互いの身体の温もりが心地よい。  
 
「好きだよ」  
優しいコトーの声に、彩佳は涙が出そうだった。  
 
…江葉都はどうしたのだろう…出来れば、島に戻る前に一度会いたかった。  
会って、謝りたかった。きっととても傷つけた。彩佳はそのことが気にかかっていた。  
きっと、同じ匂いがする故に…彼は受け入れてくれなかったのだろう。そう思った。  
慕情とは違う。心のどこかで燻る気持ち…江葉都に対しては母性に近い気持ちだったのかもしれない。  
慰めるふりをして、彼の傷に土足で踏み込んでいたのだから。  
 
彼から貰った二つの袋には…一つが医大受験の参考書。  
もう一つが…シックなワンピースだった。怪我をしてしまった時のワンピースは血で汚れてしまった。  
きっと、その代わりなのだろう…そんな律義な所が少し可愛らしいなと思ってしまった。  
また、いつか。会ってちゃんと話をしよう。そして謝ろう…  
 
「ん?どしたの?」  
コトーが、優しく声をかけてくる。  
「…なんでもないです。気にしないでください。」  
「そっか。あ、そうそう。星野さん、そのワンピース似合ってるね。あまり着ない色だけど…向こうで買った?」  
「あ。は、はい。ちょっと衝動的に欲しくなっちゃって。」  
 
なんかいまひとつ飲み込めてない様子のコトーだったが、彩佳はさすがにこれは言えないなと思った。  
「………」  
また真っ赤になって俯いてしまった。  
 
「ねえ、星野さん。」  
「はい?」  
「寒いんだけどさ、僕。あっためて。」  
「あっためて、って…?」  
「こっち向いて。」  
 
くるりと、彩佳の身体を自分の方に向けると、コトーは彩佳をきつく抱き締める。  
コートでぐるりと彼女の身体を覆うと、人目を少し気にしながら…キスをする。風の音と、波の飛沫の音だけが  
二人を包んでいた。  
 
………  
そんな静寂を切り裂くかのように、遠くから声が聞こえてきた。  
 
「おーーーーーーい!!そこのバカップルーーーーーー!!」  
よく見て見ると…あれは…シゲさんと原さんと、漁師修業中のクニちゃんが漁船に乗ってひやかしているのが見えた。  
クニオが、元気よく手をふっている。おそらくひやかした主はシゲさんだろう。  
「あ、あのジイさん…」  
真っ赤になって固まっている彩佳をよそに、コトーはクニちゃんに応えるかのように大きく両手で手を振り替えした。  
 
ガン・カラン・・・・・・ぼちゃん。  
何か嫌な音がした。海に、何かが落ちた。……それと同時に、コトーの動きもシゲさんたちの動きも…凍りついた…  
「わわわわーーーーーーーーーー!!け、携帯がああああ!!」  
コトーの情けない声だけがそこに響いていた。  
 
「…で、なあ。クニオの腕前見るついでに、コイツらが心配で見に来てやったら、おっぱじめてるしなあ。」  
シゲさん発のゴシップは、島に到着すると同時にあっという間に広まってしまった。皆が、ニヤニヤと笑っている。  
だが、それは悪意の含んだものではなく…やっとか…という感じの微笑みだった。  
 
「ご、ごめんなさい……ちゃんと弁償しますんで……」  
コトーと彩佳は、揃って音田にひたすら謝っていた。借り物の携帯が…一つは海へ。  
もう一つは彩佳が手荒な扱いをしたせいで、だいぶ傷がついていた。  
音田は相当へこんでいたようだが・・・正直、この携帯がきっかけですれ違いは起きてしまった。  
手放すことが出来て、一安心だったのだが・・・弁償プラス彩佳の入院費で、コトーの財布はかなり寂しいものと  
なってしまった。  
 
「でも、良かった……皆、心配していたんですよ。」  
下山がそう彩佳に言う。内さん、原さん、シゲさん。クニちゃんにタケヒロ。彩佳の父…診療所に来る人々。  
皆が彩佳の怪我を心配していた。一日遅れの帰島を、揃って出迎えてくれた。  
この島が、此処の人がやはり好きだ。離れることは出来ない。  
此処で、この人達と…コトーが傍にいて…ずっと隣にいたい。彩佳は心からそう思った。  
 
…あれから1週間経った。ふと一人で見青空を上げると…頭上には飛行機雲が真っすぐに線を描いている。  
君が無事に帰れたのだろうかなんて考える。  
 
あの煌めいた日々のことは忘れることは出来ないけれど…もう、昔のこと。  
君のことは、あの頃本当に好きだった。  
…でもごめんね。僕は、もっと好きな人が出来てしまった。  
 
強くてまっすぐで、曇りのない彼女に強烈に惹かれてしまったのだ。たまに見せる儚さと弱さすら、愛おしい。  
いつまで、傍にいてくれるのだろう…いつか、離れていってしまうけれど。だからこそ傍にいたい。  
僕の思惑と彼女の思惑は違うかもしれないけれど…。  
僕のエゴかもしれないけどね…彼女が帰ってくる場所は此処だと確信しているんだ。  
本当は離したくなんかないんだ。僕が離れることが出来ないから。だけど、絶対に言わない。  
彼女を幸せに出来る自信はあるけど…だけど、彼女にとってそれが本当に幸せかどうかはわからないから。  
夢を叶えてほしいんだ。同じ医者として、この島に戻ってきてほしいなんて勝手かな。  
君は『それは五島君のエゴよ』って言いそうだね。  
 
君からのポストカードは…申し訳ないけど、もう捨ててしまった。  
同じ空の下のどこかで、其処が君にとって素晴らしい場所になるように願っている。  
だから、さよなら。お元気で…  
 
・・・・・・  
コトーは空を仰ぎ、飛行機雲が消えるまでずっと眺めていた。  
 
「コトー先生ー!!お昼ですよーーー!!」  
彩佳の声が、診療所から聞こえてくる。  
「早くしないと、のびますよーーー!!今日は奮発して、極旨特選塩カップめん取り寄せましたから!!  
先生が食べたがっていたヤツですよーー!!」  
「わーーい!!今行くーーーーーー!!」  
 
コトーはその声に応え、はりきって走っていった。やや西に傾いた日が冬の到来を告げるかの如く輝いていた。  
 
 
 
その頃、もう一人の男はようやく帰島し、相変わらず用もなく訪れる患者を怒鳴り散らしていた。  
午後1時を過ぎる頃、診療所もひとまず落ち着き、一旦の平静さを取戻す。  
 
「江葉都先生、そろそろお茶にでも・・・あれ?」  
診療所のサポートをしてくれる三上 恵が彼を呼びに行くと、そこに彼の姿はなかった。  
 
「あ、いたいた。江葉都先生、お昼どうしますか? あれ…?煙草吸われるんですねえ。」  
「診療所で吸うものではないからな。」  
「いえ、そんな…待合室に喫煙所があるのに。」  
「外に出て吸いたい気分だったんだ…気にするな。」  
 
恵はいつもと違う様子の江葉都を気にかけつつも、再び診療所に戻っていった。  
 
「この私が…馬鹿らしい。」  
 
紫煙がゆっくりと消えてゆく。  
あの日以来、煙草を吸う本数が増えてしまった江葉都が、奥底に燻る感情に気付き、苦笑いした。  
 
 

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