新宿に到着した頃には既に周りが暗くなっており、仕事帰りのサラリーマンの姿が目立った。  
今回の会場であり、同時に宿泊先となる景王ホテルに到着し、二人は早速チェックインをした。  
渡されたカードキーは二枚。それを見たコトーは不服そうな顏をしていた。  
酷くがっかりしているコトーの様子を見て彩佳は思いっきり呆れていた。  
 
すると、背後から聞き覚えのある声がした。どうやら、その人物はロビーで新聞を広げていたようだ。  
ばさりと新聞を置く音と共に、二人に歩み寄ってきたのは…江葉都 怜。あの一件から少し  
穏やかになったような印象も受けるが、やはりどこか近寄りがたい雰囲気が漂っていた。  
「久しぶりだな。」  
江葉都がコトーに向かって手を差し出した。そして、彼に傷つけられ…そして手術を施された右手で  
コトーはそれに応えるかのように握手を交した。  
「お久しぶりです。江葉都先生。…お元気でしたか?」  
「…ああ。」  
 
相変わらず無愛想な奴…と彩佳はその時思った。コトーが苦手だと言い張るのも分からなくはない。  
その時である。この仏頂面な男が、彩佳に対しても握手を求めて来たのだ。  
「お前が付き添いか。まあ、その節は世話になったな。」  
 
いきなりのお前呼ばわり。彩佳はかなりカチンときた。とりあえず社交辞令として握手を交す。  
その手は驚く程冷たく、ざらりとした手だった。それがなんとなく不快に感じた。  
ムっとした表情のまま、彩佳はなるべくこの男と視線を合わせないように努力していた。  
「君の講演は明日だな。どのような内容か期待しているよ、コトー先生。」  
にやりと笑いつつ、『コトー先生』とわざと呼んでいるあたりが、彼の憎たらしさを増長している。  
 
「はい。江葉都先生もお疲れなんじゃないですか?ゆっくり身体休めたらどうですか。さそかし  
お疲れのご様子ですよ!」  
彩佳はそういうと、コトーのジャケットを引っ張り、部屋に行こう、と急かした。  
「そうだな…私はここの向いのホテルに泊まっている。此処はもう予約が埋まっていたのでね。」  
向いのホテルはHY-ATTホテル…此処よりさらに豪華な印象。さらにムカムカとしてきた。  
背を向けたまま去っていく江葉都に腹をたてている彩佳をなだめながら、エレベーターのボタンをコトーは押した。  
 
カードキーは二枚。つまりはシングルの部屋が二部屋。別々に泊まることになる。  
「あーあ。僕は恋人と来るから一部屋でいい、って言ったのに…」  
それを聞いた彩佳が熊谷幹事長の関係者にそんなことを言ったのかと驚いて、真っ赤になってしまった。  
 
「ん?違うのかな?」  
荷物をドサリとほうり投げ、コトーはジャケットを脱ぐと、彩佳をベッドの上にいきなり押し倒した。  
急に体重を預けられた彩佳は驚いていたが、やがてコトーからの柔らかなキスを唇に落とされ、すぐに  
抵抗する気力はなくなった。吐息混じりの声で、コトーが耳元で囁く。  
「一緒の部屋だったらずっと裸で抱き合えたのに…」  
そう言って、彩佳のワンピースの上から豊満な胸を揉みはじめる。生地の薄さがやたらに心地よい。  
彩佳が可愛くて、つい悪戯をしてしまうコトーの悪い癖は、こんな所でも出てしまう。  
「どうしよっかな…食事は体調悪いから明日の会食と兼ねるってことにして、今日は星野さんに触っていたいなあ。」  
 
太股から伝ってやってくるコトーの指は、再び彼女の敏感な部分を求め、その周りを焦らすかのように指先で  
やわらかく、すっと撫でる。船の中でしたように、一番感じる部分は直に弄らない…  
「やっ…あっ…ダメですよ…そんなの…だって、朝にも…」  
「そう?ダメなんだ…でも、ここはそう言ってないみたいだね。」  
ちゅく、ちゅくと音をたてながらパンティーの上からもわかる程尖っている部分をやっと愛撫しはじめる。  
「だ、だめです…コトーせんせ…身体、休めないと…」  
 
熊谷幹事長との食事は20時から。仮眠は2時間程出来る筈だ。いくら忙しくて酔う暇もなかったとはいえ、  
コトーは覿面に疲れているのは見るだけでもわかった。  
「…うーん…それもそっか…でも…ココ…イキたい…って感じになってるよ?こんなに固くなってるし…」  
「…もう…恥ずかしいこと言わないでください!罰として今日はここでお終い!」  
「えー…でも仕方ないか。じゃ、2時間くらい仮眠するね…ねぇ…僕が寝つくまで此処にいてほしいな…  
でも!ちゃんと帰ったら続きもするし、イかせてあげるから心配しないでね。」  
余計な一言で、コトーの顔面には枕が一つとんで来て見事に激突し、撃沈した。  
 
 
・・・・・・・・・・  
ほんの少し離れた場所で、少しずつ歯車が狂いはじめていた。  
 
「…そうか。やはり君もそう思うか。」  
順天堂大学の一室で、熊谷幹事長は一人の女性と話をしていた。清楚かつ聡明な雰囲気のその女性は深く頷く。  
「ええ、私も正直言って驚いたんです。彼があの後離島医療に従事していたなんて。  
…手紙も全部宛先人不明で戻って来ていたもので…やっと最近消息が掴めたばかりです。」  
 
話の途中、ドアを開けて一人の小さな女の子が駆け込んできた。可愛い盛りの女の子だ。  
「おじいちゃーん!はやくごはんたべにいこう!…あっ、せんせぇ!」  
「こら、まみ。先生には『こんにちは』だろう?」  
「いいんですよ。まみちゃん、大きくなったねー。いい子にしてた?」  
「うん!」  
女性に懐いている様子の少女は熊谷幹事長の孫娘だ。その可愛いしぐさに、熊谷幹事長は感慨深そうに彼は語る。  
「まみがこうやってすこやかに育っているのも、先生のおかげです…いやはや、この子が  
生まれる時は大変だった…あの時、貴女の機転があったからこそ、この子は元気に育っているんです…」  
 
「…縁とは不思議なものだ。同じ病院の医師によって私は命を救われた。彼にはいくら感謝しても足りない程だ…。  
私が政界に復帰した後に気付いたのだが、彼の才能はあのまま燻っていてよいものかとずっと疑問に思っていた…  
だが、離島従事が彼の意志ならば、それは止めることは出来ない…しかし、あの手腕はあまりにも…」  
それに続けて、彼の孫娘も元気に答える。  
「おじいちゃんは、せのたかーいせんせいに、たすけられたんだよね!」  
 
その女性は、その言葉に何かを確信したかのように、はっきりと答える。  
「…やはり、彼は一つの小さな島に従事している立場の医師ではありません…彼の手腕と才能は…  
いつかは世界に出るべきなんです。そしてまた、彼は優秀な後継者を生み出す立場にあるべき人です…  
優秀な医師を生み出す礎となるべき存在です…彼の技術が、並外れていることを私は良く知っていますから…」  
その言葉を聞くと熊谷幹事長は深く頷き、懇願するかのように頭を下げた。  
「頼みますよ…原沢先生…反対している連中もいるようだが、彼をこの病院に是非戻してもらいたい…」  
 
 
彩佳はいつの間にかコトーの部屋で眠り込んでしまったようだ。  
気がつくと彼の姿は無かった。  
時計を見れば、もう20時近くになっていた。  
コトーのために目覚ましをかけておいたのだが、それにも気付かず熟睡していたようだ。  
丁寧に毛布がかけてあり、サイドテーブルに書き置きのメモが残っていた。  
 
--------------------愛する星野さんへ--------------------  
 
時間になったので、熊谷幹事長の所に行ってきます。  
帰りの時間はまた改めて携帯電話に連絡します。  
食事はこのホテルの近くには沢山お店があるみたいだから  
美味しい物でも食べて来て、今日はゆっくり身体を休めてね。  
何かあったら、僕の携帯に連絡を入れて。出来るだけ早く帰るから心配しないでね。  
コトーより。   
------------------------------------------------------------  
 
「…相変わらずきったない字〜。それに、この『愛する』って何よー。センス悪っ!」  
乱筆っぷりが激しいコトーの書き置きに思わず彩佳は笑ってしまう。  
 
「…さて…もう遅いし…どこかでご飯食べてこよ…」  
ふと周りを見ると、コトーは相当慌てて出かけて行った様子だ。  
あちこちにシャツや靴下が脱ぎ散らかしてあり、バッグの中から荷物が散乱している。  
 
「何探してたんだろ。まったく、トランクスまで外に出てるじゃない!」  
文句は言いながらもつい、世話焼きになってしまう自分に苦笑いしていた時に。  
一冊のノートが散乱している荷物の中に紛れこんでいた。  
 
『これ…明日の講演会の内容まとめてるって言ってたノートじゃない…もう、無くしたら  
どうするのよ…それにしても、先生どんな話するんだろう…何度聞いても秘密って  
ばっかり言ってたからなあ…』  
 
単なる興味本位だった。何が書いてあるのか…多少なら理解出来る。  
パラパラとノートを捲り始めたら、乱雑ではあるがびっしりと文字で埋め尽くされていた。  
所々に、英語綴りの専門用語が出てくる。ある程度は読めるのだが、どうしても訳せない  
部分もあり、やはり医師になるためにはさらに努力を重ねないと…と思いつつ流し読み  
していた時だった。  
 
一枚のポストカードが、はらりと落ちた。差出人の住所は、見慣れない言葉で書いてある。  
 
「…あれ?英語じゃないや…でも海外からよね… Saki Harasawa… ハラサワ サキ?」  
あの青空の写真のポストカードを、彼はノートに挟んだままだった。  
青のインクで綴られていたいかにも女性らしい文字は、彩佳を動揺させた。  
 
「誰だろ…ハラサワさんって…病院の頃の人とか大学の同級生とかそのあたりかな…  
なんか、雰囲気からだとドイツとかあのあたりかな…そんな知り合いっていたっけ?  
話聞いたことなんか無いなあ…そういえばコトー先生、病院や大学の頃の話ってしないなあ…」  
 
只の知り合いか元同僚か、古い友人。そう思いたかった。  
表に書かれてあった文章を見て…動揺は慟哭へと変わった。  
それは、只の知り合いに宛てた文章ではなかった。  
 
…この人は、自分の知らないコトーの姿を知っている…  
そう思うと、彩佳は酷く胸が苦しくなった。  
 
考えてみたら、彼の過去は…ほとんど知らない…  
この人は、それを知っている。自分の知らないコトーとの時間を共有してきた人物だ…  
 
彩佳の中の不安と嫉妬が複雑に絡み合い、何かが闇に包まれるような錯覚すら感じた。  
 
 
--------------------親愛なる五島君へ--------------------  
 
お元気ですか?  
何度も手紙を送ったんだけど、ずっと宛先不明で  
戻ってきてしまいました。これはちゃんと届いているかしら。  
 
五島君が離島医療に従事していると風の噂で聞いた時には  
驚いたけど、よく考えたらあなたらしい選択かもしれませんね。  
あの日からずっとあなたのことが心配でした。  
何処で、何をしているのか、ずっとわからないまま随分時が過ぎるばかりで…  
でも…元気で過ごしているのかな。それなら、私も安心。  
 
○月×日に、一時帰国します。暫くは東京に滞在する予定です。  
久しぶりに五島君の元気な顏を見たいけど…  
さすがに東京とこの島は遠すぎるものね。  
時々東京に来ていると聞いたけど、さすがに今回は無理そうね。  
また、いつか会える機会があるといいなと思っています。  
久しぶりに声を聞きたいな。東京滞在中は携帯を持ち歩いているから、  
気が向いたら電話でもしてください。番号は、090XXXXXXXXです。  
忙しいのなら、このことは気にしないでね。仕事優先で頑張って。  
 
これから寒くなると思うけど、体調には気をつけて。  
五島君、いつも不摂生ばかりだったから…風邪なんかひかないでね。  
 
それでは、また。  
原沢 咲より       
 
 
 
暫くそのポストカードを手にしたまま、彩佳は何故か動くことが出来なかった。  
嫌な汗が身体にまとわりついているのがわかる。  
落ち着いて、落ち着いてと自分に諭すように呼吸を整える。  
考えてみれば、過去にコトーが誰かと恋愛経験があろうが全く不思議ではない。  
それに、この人は別に復縁を求めているのではなく、過去の恋人を懐かしんで  
手紙を出したのだろう、そう思うことに思考回路を切り替えようとしていた。  
 
しかし、心のどこかから、訴えてくる。  
この人はどんな人?どこで、いつ、どんなきっかけで先生と知り合ったの?  
どんな恋をして、何で別れてしまったの?…どうして今さらこんな手紙を送るの?  
 
…そんな気持ちが、彩佳を思いもかけない行動に走らせた。  
彼女は、このポストカードに書いてある携帯の電話番号にとりあえずかけてみようという  
気になったのだ…本来なら、良くないことだとはわかっている。  
しかも非通知というのは卑怯だとはわかっているのだが、そうでもしないとこの混乱が  
収まりもつきそうになかったのだ。  
 
……  
暫く呼び出し音が鳴り響き、相手が出た。  
「はい、原沢です…もしもし?」  
物腰の柔らかな、落ち着いた大人の女性の声が聞こえてきた。  
彩佳は何かを話そうとしたが、声が出なかった。携帯電話を持つ手が微かに震えている。  
「……もしもし?……五島君?…五島君なの?」  
「す、すみません!間違えました!」  
 
彩佳は慌てて電話を切った。  
何故、非通知なのに。コトーだと電話の向こうの女性は確信していたのか。  
彼から電話がかかって来るのを待っていたかのような声だった。  
コトーはどうあれ。電話の向こうのあの女性は…今でもコトーを忘れてはいない…そんな気がした。  
 
卑怯な手を使って相手に探りを入れたことへの罪悪感と、嫌な予感を晴らそうと、  
彩佳は外で食事をしようとホテルの外へ出た。  
無機質だと思っていた東京のオフィスビルは、夜になると煌々と光を照らし、  
不思議に綺麗に思えた。  
家路に急ぐサラリーマンやOLたちの波に逆らうように彩佳は歩き出した。  
 
「…高い。それに、混んでるし…ついてないなあ…」  
オフィスビルの中のレストランはどこもディナータイムとなると割高な上に、やたらに  
混んでいた。あまりそんな喧騒の中に居たくないと思っていた彩佳は、途中コンビニで  
何かを買ってホテルで食事を済ませようと決め、引き返した。  
 
『…コンビニも以外と少ないんだなあ…いいや…なんか食べる気しないし…』  
信号を渡ろうとした時だった。  
物凄い警笛音と、背後から誰かに肩を掴まれる感覚に驚き、彩佳はびくっと身を構えた。  
よく見ると…信号は赤。轟々と、車やバイクが行き交っている所を渡ろうとしていたのだ。  
 
「何をやっている!」  
…どこかで聞いたことがある声。自分の肩を強く掴んでいたのは、江葉都 怜。  
急ブレーキを踏むことになって面白く無さそうな顏をしていたタクシーの運転手が  
彩佳を睨んでいたが、江葉都の姿に驚いたのか、そそくさとその場を立ち去って行った。  
暫くぼう然としていた彩佳だったが、自分の置かれている状況を知ると慌てて、  
江葉都に謝った。  
 
「ご、ごめんなさい!考え事していて…あ、あの、江葉都先生…ありがとうございました…」  
彼は相変わらずの仏頂面ではあったが、低い声でぼそりと、彩佳にこう返した。  
 
「まあ…大事に至らなくて良かったな。気をつけて帰れ。……?どうかしたのか?」  
ぽん、と彩佳の肩を軽く叩く江葉都の不器用な仕草と返事の中に、彩佳は奇妙な  
優しさを感じた。  
不器用だが自分を気づかってくれる江葉都の珍しい姿が嬉しく思えた  
 
聞けば、江葉都は煙草を吸う為に外に出てきたのだという。  
自分のホテルは完全に禁煙だからだと。彼が煙草を吸っていたことに彩佳は驚いた。  
 
「へぇー。此処って完全禁煙なんだぁ…って、江葉都先生!アルコールの次は、煙草ですか!?」  
これも医者の不養生か…と彩佳は思ったが、江葉都はあっさりと答えた。  
「…私は煙草は滅多に吸わないが…気分転換には悪くない代物だ。たまに、一本二本吸う程度だ。」  
よく見て見ると、江葉都は喫煙スペースできちんと携帯灰皿を持って吸っている。  
しかも、江葉都は彩佳に煙がかからないように、少し距離をおいて風下の方に座っている。  
以外と几帳面なんだなあ…と、変な感心をしてしまったのだ。  
 
「以外ですね。江葉都先生、絶対煙草なんて吸わないと思ってた。」  
「そうか?」  
その時振り返った江葉都の表情は穏やかに、少しだけ微笑んでいたように見えた。  
何か、変な先入観で彼を毛嫌いしてたのか…と彩佳は心の中で反省した。  
あの時の自分はコトーを心配するあまり、江葉都を気づかう余裕がなかったのだから。  
「あ、あの…江葉都先生…あの時は…」  
江葉都が苦しんでいた時の自分の言動を反省し、謝ろうとしたその時。  
…きゅるるるる…  
彩佳のお腹が鳴った。何だかんだと言っても、やはり空腹ではあったらしい。  
それを聞いて、呆れたのかちょっと小馬鹿にしたのか。鼻で江葉都は笑った。  
「腹がへっているのか?」  
 
彩佳は真っ赤になりながら反論しようとしたが、江葉都は全てを悟っているかのように  
余裕綽々な表情を見せている。ちょっと憎たらしく思えたが、その間に漂う空気は決して嫌なものではなかった。  
 
「私も食事はまだだ。…此処のホテルの屋上に旨い店がある。…行ってみるか?」  
「…江葉都先生が、よければ。」  
以外な誘いに戸惑いながらも返事はしたが、先程までのどろりとした感情が、少し紛れて来たような気がする。  
ほんの少し、この人に甘えてみたい…これは、この人への興味なのか、自分の隙なのか。  
…その時、彩佳には分からなかった。  
 

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