「こんにちは、折木さん」
「ああ」
放課後の地学講義室、すなわち古典部の部室に入ると先にいた千反田が声をかけてきた。
俺は鞄を机に置き、開いてる窓のそばの席に座る。
三月にしては今日はかなり暖かい方でそよいでくる風が心地良い。
「今日は摩耶花さんも福部さんもいらっしゃらないそうです」
「? そうか」
「だから、今日は、二人、ですね」
「? そうだな」
千反田が少しおかしい。
いや、おかしいのはいつものことか。つまりいつもと様子が違う。
基本的に古典部はこれといったまともな活動をしていないので、誰が来ようと来まいとどうでもいいのだ。
だから改めて誰がどうとか伝えないし、今まで俺と千反田の二人だったことも幾度となくある。
それをわざわざ確認するということは。
俺がそっちを見ると、今までこちらを見ていたであろう千反田がさっと顔を背ける。
また何か話があるのだろう。厄介事か、相談事か。
しかし一向に話し掛けてはこない。落ち着きなくそわそわし、時折こちらを窺ってはまた目を逸らす。これでは呑気に本を読んでいられる状況ではないだろう。
かと言って自分から水を向けるのも信条に反する。
ならば。
「さて、帰るかな」
「え、も、もうですか!?」
読んでいたペーパーバックを閉じて立ち上がると、案の定千反田は焦った声を上げた。
かと思うと一度大きく深呼吸をして何かを決心したかのようにぎゅっと目を瞑り、カッと見開いてこちらにずかずかと寄ってくる。
その勢いに思わず後ずさるが、千反田は密着するぐらいに身体を近付けてそのまま唇を合わせてきた。
…………え?
唇を合わせてきた?
誰が? 千反田が。
誰に? 俺に。折木奉太郎に。
つまり俺は今、千反田にキスされているのだ。
すっと身体を離した千反田が茫然とする俺を見つめながら口を開いた。
「好きです、折木さん」
「…………順番がおかしくないか?」
突然の千反田の告白に混乱し、見当外れな言葉を返してしまう。
千反田の大きくて真っ直ぐな瞳は冗談を言っているのではないことを証明するかのようにキラキラと輝いている。
綺麗だなとか思ってしまうあたり、まだ俺は混乱状態から抜け出してないようだ。
「あー、千反田」
「はい!」
「その、なんだ、聞き間違えたかもしれん。もう一度言ってくれないか?」
「……折木さん、私ものすごく勇気を出して言ったんですが」
ということは聞き間違いではないのか。
それでも千反田は再び俺を見ながら言う。
「私、折木さんが好きです」
ご迷惑でしょうけども、と前置きをして言葉が紡がれていく。
「初めて会った時から気になって、色々折木さんに助けてもらい、気が付いたら好きになっていました。折木さんは強く、優しく、素敵な人です」
「……買い被り過ぎるなと以前に言ったはずだが」
「私がそう思っているだけですから」
やれやれ。この頑固なお嬢さまには何を言っても無駄か。
「ごめんなさい。でも、どんなに迷惑に思われても、この気持ちを伝えたくて」
「別に謝らなくていい、驚きはしたがな」
「いえ、突然こんなことを言われたら戸惑うのも当然です。本当にすみません」
「謝るなと言っているだろう」
俺は椅子に座り直した。
「好きなやつから告白されて迷惑などと思うものか」
「そうですか、それは良かっ…………え?」
千反田の目が大きく見開かれる。
俺は自分の台詞に恥ずかしくなってそっぽを向いた。
「お、折木さん、今なんて言いました?」
「知らん」
「折木さん!」
千反田は先程のようにずかずかと寄ってきた。
顔をずいっと近付けて問い詰めてくる。
「折木さん!」
あー、うるさい。
俺は千反田を強引に黙らせた。
千反田がしてきたように今度は俺から。
自分の唇でもって相手の唇を塞ぐ。
すぐに離れ、再びそっぽを向く。千反田を直視できない。
「まあ……そういうことだ」
「…………はい!」
いつも以上に元気溌剌な返事がくる。
そのまま俺の真横に椅子を用意して、千反田はそこに座った。
そっと身体を寄せられて俺の心臓がどきんと高鳴る。
この雰囲気はまずい。俺が耐えられない。
「あー……いきなりキスされるとは思わなかったぞ」
「す、すみません! 私も色々混乱してしまって……」
まあ、さっさと話をさせるために混乱させたのは俺なのだが。まさか告白されるとは思わなかった。
ちら、と千反田を窺うと、少し紅潮しながらもにこにこと笑顔を俺に向けている。
その笑顔に吸い込まれるように俺は顔を近付けていく。
「お、折木さん?」
千反田が戸惑った声を出すが、俺は構わずさらに接近する。
そして。
「……んっ」
三度俺たちの唇が重なった。
互いの背中に手を回し、抱きしめ合う。