「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
古典部部室に気まずい沈黙が訪れている。
いや、気まずいのは俺だけなのかもしれない。千反田は俺に抱き付いているし、伊原は呆れた表情で、里志はニヤニヤしながらこちらを見ていた。
「あー……なんでちーちゃんが折木に抱き付いているのかな?」
伊原が沈黙を破って質問をしてくる。
それに答えるのは簡単だ。だが、馬鹿らしくて真面目に話す気にもならない。しかし伊原を納得させるような適当な理由も思い浮かばないので、俺はやむなく説明することにした。
「思ったより野菜ジュースが不味くてな」
「は?」
「つまり……」
* * *
今朝のことである。
家を出る直前に姉貴から飲み物のパックを一本渡されたのだ。
『それ、新作の野菜ジュースだって。栄養ばっちりらしいから飲んどきなさい』
それを鞄にしまったのを放課後まで忘れていた俺は、一番乗りした部室で取り出した。
「紅汁……?」
青汁のパクリか? だったら少し不味いかもしれんな。
そう思いつつストローを差して吸い、口に含む。
「ぶはっ! ごほっ、ごほっ!」
な、なんだこれ!? もはや不味いってレベルじゃないぞ! 良薬口に苦しとは言うが、それでも限度を越えている。
思わず吹いた液体をとっさに手で受け止めたものの、机や制服にまで赤いものが飛び散ってしまっていた。
掃除とか面倒だな、とか考えているとドサッと鞄が落ちるような音がする。
俺のではない。入口に立っていた千反田が取り落としたものだ。ちょうどやってきたとこなのだろう。
くそっ、飲み物を吹くなんて恥ずかしいところを見られてしまったか。
「お、折木さん……それは、どうして……」
「ああ、いや……思ったよりずっとマズくて」
「!!」
千反田の表情が悲壮なものに変わる。
ああ、そういえばこいつは農家の娘だったな。食べ物や飲み物を粗末にするのは許せないのだろう。
「すまん、千反田。そして迷惑をかけたな」
俺はなるたけ真摯に謝った。
ついでに部室の机を汚してしまったことも謝罪する。
「それで、その……できればこの事は他の人には黙っていてほしい」
「な、何でですか!?」
何でって……恥ずかしいからに決まってるじゃないか。
「できれば千反田にも忘れてほしいんだが……」
そう言った瞬間千反田が泣きそうな顔になる。
「嫌、嫌です! 好きな人のを忘れるなんて!」
何だと!? まさか弱味を握ったと言うのか。千反田に限って?
俺が混乱してるところで千反田が駆け寄ってくる。
「死んじゃ嫌です折木さん!」
「えっ?」
「折木さんがいなくなったらわたし、わたし………………え、お野菜の匂い……?」
* * *
「つまり折木がなんかの病気で血を吐いたと勘違いしたちーちゃんが安心した反動で甘えているわけね」
「……まあそうだな」
「アホらし」
俺もそう思う。
だから説明したくなかったのだ。
「帰ろ、ふくちゃん。バカップルに付き合ってられないわ」
「そうだね。ここは二人にしといてあげよう」
里志と伊原が立ち上がる。
おい、こんな状態の俺たちを放っておく気か。
恨みがましい視線を向けるが、二人は意に介さず部室を出て行ってしまった。
あとには俺と俺に抱き付く千反田が取り残されている。
「……おい千反田、もういいだろ。いつまで抱き付いてるんだ」
「嫌です。あの時わたし凄い悲しくなったんですから」
顔を俺の胸に預けたまま動こうとしなかった。こうなったら千反田が満足するまで好きにさせるしかない。
俺は軽くため息をつき、そっと千反田の頭を撫でる。
きゅっと千反田の力が強くなった。
艶やかな髪を梳くように俺は指を絡めて頭を撫で続ける。
しばらくそうしていると、ようやく千反田が顔をあげた。
「安心しろ千反田、俺は勝手にいなくなったりしないから」
「本当、ですか?」
「ああ」
少し潤んだ目でじっと見つめられるのは正直恥ずかしいが、そこはぐっと我慢して見つめ返す。
やがて千反田の目が閉じられ、俺はゆっくりと顔を近付けた。
二つの唇の距離がゼロになり、沈黙が訪れる。先程とは違う、暖かな心地良い沈黙。
すっと離れると、千反田の頬が上気して息が少し荒くなっていた。
もう一度唇を合わせようと寄ってくるのを俺は慌てて押し止める。
不満そうな千反田を宥め、内側から部室の鍵を閉めた。いつ誰がやってくるかわからないからな。
俺は再び千反田を抱きしめ、唇を重ねた。
今度は少し濃厚で、激しい、キス。
互いに吸い合い、舌を絡めて唾液の交換を行う。
身体の力が抜けてくったりとした千反田を机の上に横たわらる。
野菜ジュースからこんなことになるとはな。姉貴に感謝するべきか文句を言うべきか。
そんなことを頭の片隅で考えながら俺はその身体を弄り始めたのだった。
終わり