『男子高校生の日常』
「はあ……」
部室の前で今日何度目になるかわからない溜め息をついた。
やらなくていいことならやらない。やるべきことなら手短に。
俺はそんなモットーを掲げてはいるが、やりたくないことをやるのはやはり気が重い。
先週末、千反田がうちに泊まった。そこでついに俺達は一線を超えたわけだが、千反田はうちに泊まる理由として伊原の家に行くと言って出てきたのだ。
しかも伊原にアリバイ工作を頼んでまで。これでは出会った瞬間に問い詰められること確定である。
この放課後の時間まで古典部の誰とも会わなかったが、さすがに部活となればそうもいかない。
本当なら部室に顔を出すことなく帰路につきたいが、いつまでも逃げ回るのも無理な話だ。さっさと済ませてしまおう。
「……よし」
俺は心を決め、部室のドアに手をかける。
ガラガラ、と音を立てながら開けると里志の姿が見えた。
「やあ、ホータロー」
「…………お前だけか?」
「うん。摩耶花が千反田さんと何か買い物に行く約束があるってさ」
「そうか」
伊原に問い詰められるのをどういなすか考えていただけに拍子抜けである。いや、問い詰められたいわけではないのだが。
まあいい。それなら今日出された宿題でも済ませてしまおう。
俺は椅子に座り、鞄に手を突っ込む。
そこで。
「おめでとう、ホータロー」
ぴたりと俺の手の動きが止まった。
声の主はニヤニヤしながらこちらを見ている。
「……何のことだ?」
「千反田さんがホータローの家に泊まったらしいじゃないか」
一応とぼけてみたが無駄だったようだ。
俺は宿題を諦め、里志に向き直る。
「伊原か?」
「そうだよ。突然電話がかかってきて『ふくちゃん! ちーちゃんが折木の家にお泊まりするって言ってたんだけど何か知ってる!?』って」
「……まあそんなところだろうな。ちなみに何て答えたんだ?」
「『付き合ってしばらく経つんだからおかしくはないよ』って答えておいたさ」
「…………」
なぜ?
里志は俺と千反田が交際し始めたのを知っているのだろうか?
千反田が言ったとも思えないし、態度も別に怪しくなかったはずだが。
そのことを素直に聞いてみる。
「千反田さんてさ、モテるよね」
「そうなのか?」
突然の言葉に俺は疑問系で返す。
が、少し考えればわかることだろう。
容姿端麗。頭脳明晰。人当たりが良い上に実家は名家ときている。モテない方が不思議というものだ。
…………何故俺なんかと付き合っているのだろう? 少し自信なくしてきたぞ。
まあそれはさておき。
「で、それがどうかしたのか?」
「うん、つまり千反田さんは頻繁に、ってほどでもないけど時々告白されたりラブレターを貰ったりしてるのさ」
「……そうか」
俺は全く知らなかった出来事なのだが、何故里志は知っているのだろう?
「で、ホータローにもわかっているだろうけど千反田さんはそれらすべてを断っているんだ」
それはそうだろう。俺と付き合っているのだし。
うむ。相思相愛のはずだ。自信を持て折木奉太郎。
「ところが、ついこの間から断りの言葉が変わった」
「? どういうことだ?」
「以前までは『家の事情で』だったり『他に好きな人がいまして』だったりしたのが『今お付き合いしている方がいますので』になったのさ」
「…………」
「で、ホータローと千反田さんを注意深く観察すると、ね……まあ本当になんとなくって程度なんだけどさ」
俺はふうっと息を吐いた。
「一応バレないように気を使ってはいたつもりなんだがな」
「それは成功してたと思うよ。摩耶花にもバレてなかったくらいだし」
「まあバレたらバレたで構わんさ。後ろめたいことがあるわけでもない」
「そうだね。で、ホータロー」
突然里志が身を乗り出してくる。
というかこのあと出てくるセリフが容易に予想できてしまう。
「千反田さんとは最後までいったのかい?」
ほらな。
もちろん俺はこう答えた。
「さてね」
「ええー、僕とホータローの仲だろ?」
「だからって何故俺と千反田のプライベートをお前に話さにゃならんのだ」
「いいじゃないか男子高校生らしくて。僕と摩耶花のことも話すからさ。何か今後の付き合い方に関するヒントとかもあるかもよ」
む……確かに。
今までの人生で恋愛というものに無頓着だった俺には里志と伊原が大先輩というわけだ。
たまにはそんな雑談もいいかもしれん。
「わかったよ、それで何だっけ?」
「ホータローと千反田さんはどこまでいったのかなって」
「お察しの通りだ。うちに泊まったときにお互いの初体験を済ませたよ」
「おおー! それで、どうだった?」
「どうだった、とは?」
「何か失敗とかしなかったかい? 僕と摩耶花も初めてのときは恥ずかしい失敗談があったからね」
「あー、あるにはあったな……入れる前に出てしまった」
「えっ?」
「その、千反田にアレを握られてそれが気持ち良くて我慢できずに、な。ああ、もちろんそのあとに最後までしたぞ」
「は、はは、そうかい」
「どうした里志? まさかお前も」
「いや、違う。僕はむしろ逆だった」
「逆?」
「緊張のあまりね、直前になってアレが起たなくなったのさ」
「そ、そうか」
「それに焦ってますます萎えていくという悪循環。もう大変だったよ。摩耶花は『ごめんね、わたしに魅力がないばっかりに』なんて言い出すし」
「それはなんというか……大変だったな」
「それから日を改めて何度か挑戦を繰り返して、ようやく成功したときはもうお互い感動しちゃったよ」
「今更ながらおめでとうと言わせてもらおう」
「あ、別に成功と性交を掛けたギャグじゃないからね」
言われなければ気付かなかったことをわざわざ言わんでいい。
祝辞の言葉を返せ。
「一回で性交に成功したホータロー達がうらやましくもあるね」
繰り返すな。
俺は無言でツッコミのジェスチャーを入れる。
「ま、今は笑い話にできるけどね。その後は特に問題ない性生活を送っているよ」
「性生活以外は問題がありそうな言い方だな」
と言うか問題だらけだろう。
くっついてはいても二人の、里志と伊原の付き合い方は変わってない。
里志の適当な行動は自分にも他人にも厳しい伊原にとって厄介なものらしく、よく怒られている。
昔からよく見る光景だった。
「ま、喧嘩するほど仲が良いってことにしといてよ」
「お前らはそうなんだろうな」
俺と千反田の場合はそれは当てはまらない。というか想像できない。
……想像か。
それを言うなら入学したてのころはこんなふうになるとは想像もしなかった。
部活に入って。
好きなやつができて。
男女交際をすることになるなんて。
うーむ。
「なあ里志。世間一般では『付き合う』って何をするものなんだ?」
「お、いいねいいね。高校生男子の会話って感じで!」
茶化すな。一応真面目な相談だ。
確かに俺と千反田は付き合い始めたが、今まで何かしたかと言えば微妙な気がする。
一緒に昼御飯を食べたり帰ったりはしているが、休日に出掛けたりはしていない。その辺をすっ飛ばして一線を越えたのはどうなのだろう?
「僕の意見で良ければだけど、それは人それぞれだと思うよ。そこはむしろホータローと千反田さんで話し合うことじゃないのかな」
ふむ。確かに。
下手に格好つけない方がいいかもしれん。
「そうだな。今度聞いてみるか」
あいつが俺と何をしたいか、俺に何を求めているのか。
面倒くさいのは御免だができる限りのことはしてやりたい。
「ホータロー、恋人関係ってのは本来対等なものだよ」
「? そうだな」
「だからホータローの方もちゃんと千反田さんに言わないと駄目だよ。ホータローが何をしたいのか、さ」
「ああ」
何をしたいか、か。
しかしそう言われてもな……。
「正直に言えばいいよ。『ただ一緒にいたい』でも『もっと触れ合いたい』でも」
「……人の心を読むな」
「あはは。ついでに言わせてもらうとね、付き合い始めの頃は多少我が儘なくらいがいいと思うよ。ホータロー達の場合はね」
「どういうことだ?」
「ホータローも千反田さんもどちらかと言えば相手を思いやるタイプじゃない? 考えすぎてつい遠慮してしまう、みたいなさ」
「それは……あるかもな」
むしろ心当たりがありまくりだ。
鬱陶しがられたりしないかと不安になりがちだし。
「千反田さんなら大丈夫だよ。ホータローになら何を言われても何をされても嬉しいはずさ」
「そう……か」
俺は目を瞑って千反田の顔を思い浮かべる。
会いたい。
無性に千反田と一緒にいたい。
そして、できれば触れたい。
千反田を、抱きたい。
「……今は伊原と一緒にいるんだったな」
「うん、そのはずだよ」
連絡をとってもらおうかと思った矢先、電子音が鳴る。
里志の携帯に着信が入ったようだ。
「もしもし、摩耶花かい? うん、いるよ。えっ? うん、うん、あはは、そうなんだ」
ちょうど伊原からの連絡らしい。ならば二人が今どこにいるのか教えてもらいたいのだが。
が、呼び掛ける前に手で制される。
「わかった。じゃあホータローを連れてすぐに行くよ、また後で」
里志は電話を切ると、にやにやしながら俺を見る。
いったい何だ?
「千反田さんがね、ホータローに会いたいから連絡して欲しいって摩耶花に頼んだらしいよ」
「っ……!」
「あはは、二人が待ってるってさ。行こう」
「……ああ」
伊原に色々言われるのは面倒だったが、それ以上に千反田に会いたい。
俺は逸る気持ちを抑え、里志と共に学校を後にしたのだった。
終