暑い。厳しい夏の太陽が、校舎に向かう俺たちを容赦なく照らしつける。  
 
夏至は一か月以上前だったが、気温は日に日に上がるばかりである。どうして日照時間が一番長く、太陽から受ける熱量が最大の日より、今日のほうが暑いのだろうか。千反田は理系だから教えてくれるだろう。今度聞いてみよう。わたし、気になります。  
 
雲ひとつない空を見上げながら、登校日くらい曇りになってくれてもいいじゃないかと、天の血も涙もない仕打ちに独りごちる。まったく、気がきかない。野暮め。そして野暮と言えば。  
 
「やあホータロー、夏休みを満喫しているかい」  
 
口の軽い里志のお出ましである。いつものマウンテンバイクだ。夏休みに入ってたった10日で真っ黒に日焼けしている。自転車三昧か。  
 
「俺はともかく、その様子だとお前のほうは」  
 
軽口を返してやろうと思ったが、ふと、用事を思い出した。やるべきことは、手短に。里志は言葉を切った俺を、おや、といった風に見ている。もっとも、端から見ればいつもの軽い笑みにしか見えないだろうが。  
 
「里志、話がある」  
「ここでいいのかい?」  
 
校門から校舎までの短い舗装道路の真ん中である。無人とは言えないが、まぁ、国家存亡に関わる秘密作戦を論じるわけではない。里志を促して、道の端に寄る。すこし、周囲に気を遣って声を潜めればプライバシーは十分だ。  
 
「千反田と付き合っている」  
 
たっぷり3秒間動かなかったのは、半分くらいは奴らしいポーズだと思う。が、どうやら話の切り出し方そのものは本当に不意打ちだったらしい。めずらしくちょっと不機嫌な顔を、一瞬だけだが浮かべた。  
 
「まいったね。いや、ホータロー。前から気づいてはいたよ。嘘じゃない。だけど、今、ここでその話を打ち明けられるとは思いも寄らなかったね。で、これまで伏せていたのを今更打ち明けるとは、どういう心境の変化だい?」  
「深い理由はない。強いて言えば、高校最後の夏をこそこそしないで解放的に楽しみたくなったのさ」  
「解放的に楽しみたい?おやおや、これが省エネ主義の折木奉太郎かね。変われば変わるものだね」  
「根っこはそれほど変わってないつもりだがな」  
「ホータローがそう言うなら、そういう事にしておこうか」  
 
薄笑いを浮かべて里志が追求をやめた。もともと、人の色恋を根掘り葉掘り聞くような奴ではない。  
 
「なんにせよ、その様子だと夏を満喫しているようだね。いいことだよ。ホータローも薔薇色の人生に遅まきながら参加することになったわけだ」  
「俺はともかく、その日焼けだとお前こそ夏を満喫しているみたいだな。自転車三昧はいいが、伊原をほったらかしで大丈夫か?」  
「やだな、ホータロー。いつから人の恋路の心配をするようになったんだい?それはともかく、言うまでもないけど、僕たち二人は夏休みを謳歌しているよ」  
「そうか。それは安心した。ときに里志。お前、受験勉強は大丈夫か」  
 
ぐっと、里志が言葉に詰まる。自転車と伊原三昧で、いつ勉強する気だ。俺が気にすることでもないが、先日の件で少々腹を立ててやる。やるべき事はやり終わったので、いじめてやった。ざまあみろ。  
 
「いやいや、登校日にまさか友人からそんなきつい言葉をもらうとは思わなかったよ」  
「言いにくいことを言うのが真の友人らしいぞ」  
「らしいね。じゃぁ、僕もホータローへの友情の証としてひとつだけ忠告しておくよ」  
 
そういうと、里志は周りを見回し、人がいないことを確かめて薄い笑みを浮かべながら小声でいやみたっぷりに言った。  
 
「千反田さんをあまりちらちら見るのはやめることだね。古典部の名探偵たるものがみっともないよ」  
 
自分でも顔が赤くなるのがわかった。そんなにあからさまだったか?  
 
「おい、俺はそんなにちらちら見ていないにぞ」  
「何を言っているんだよホータロー。君と来たら危なっかしくていけない」  
 
そういうと、ニッコリ笑って里志は自転車にひと漕ぎくれる、先へと進んで行った。  
 
◇ ◇ ◇ ◇  
 
登校日の放課後の部活は任意だ。校内では文化祭に向けてエネルギッシュな活動があちこちで行われているが、古典部は文集用原稿の進捗確認がおわると、自由解散となった。  
 
里志は伊原に原稿の進捗の悪さをなじられ、ほうほうのていで逃げ帰っていく。伊原も伊原だ、一緒にいたのなら、たまには横について原稿の催促でもすればいいものを。  
 
伊原が里志を怒りながら退場すると、部室には俺と千反田だけになった。千反田が俺に向かい、頬を赤らめて口元に淡い笑みを浮かべる。今日一日、彼女は俺に目を合わせるのを避けていた。気持ちは分かる。あの日以来、逢うのは今日が初めてだ。俺も少し面はゆい。  
 
困って照れ笑いを隠していると、千反田が後ろ手に持っていた封筒を差し出した。  
 
「あの、これを」  
「ん?開けていいか?」  
「はい」  
 
まさか恋文、と思いつつも封を開けながら気がついた。これは、あれだ。封筒の中には折った紙が入っていて、中にさらに別の紙が包まれている。折った紙を開くといい香りがした。  
 
「いい写真だ。ありがとう」  
「いえ」  
 
紙の中から表れた写真をみて、俺は思わずほほを緩める。千反田のほうは頬に両手をあてて横を向いてしまった。  
 
この前わがままを言った雛祭りの写真だ。誰かが撮影したものが千反田家に渡されたのだろう。素人の俺でもこれがなかなかの写真だと言うことはわかる。画面の中央にはくっきりアップで千反田が映っており、背景は幾分暗くなるよう角度が選ばれている。  
そのおかげで被写体である千反田が引き立って見える。そして少し気をつけると、うまい具合にぼかされた桜も写っていると分かる。こういう写真は相当高い機材やら腕前がいるはずだ。ひょっとすると茶髪が撮影した写真かもしれない。  
 
「千反田、これはオリジナルじゃないのか?」  
「え?」  
「おまえんちに一枚しかない写真だろう」  
「いえ、私の家にはほかにありますから」  
 
どうも話が通じていないな。  
 
「そうじゃなくて、この写真は一枚きりだろう。コピーとったか?」  
「写真ってコピーとれるんですか?」  
 
うむ。こういう俗な話を千反田に吹っかけても無理がある。俺は頬を抑えたまま小首をかしげる千反田にどぎまぎしながら視線を外した。  
 
「わかった。大切なオリジナルをもらうわけにはいかないから、これは俺が写真屋でコピーしてもらったあと、お前に返すよ。俺はコピーでいい」  
 
しばらくきょとんとしていたが、千反田はようやく合点がいったらしく、頬から手を離すと微笑みを浮かべた。  
 
「いいえ、そういうお気遣いはいりません。その写真は千反田ではなく私がいただいたものです。ですから、折木さんの手元で大切にしていただいたほうが、私も嬉しいです」  
 
そういうことなら、遠慮するのはやめよう。千反田からのプレゼントとして大事にしよう。  
 
「そうか。わかった。大事にするよ」  
「そうしてください」  
 
しわにならないよう鞄に入れようとして、ふとさっきの香りが残っていることに気がついた。微かにというより、割と主張のはっきりした香りがする。俺は手元の封筒を見た。いかにも千反田らしい和紙の封筒。  
 
「香をたきしめているのか」  
「はい」  
「さすがだな。いい香りだ。というか、お前に似合っていると思う」  
「そう思いますか?」  
 
千反田が頬を染めて嬉しそうに微笑む。  
 
「そう思う。自分で選んだのか?」  
「その、自分で作ったのです」  
 
俺は間違い無くその場で目をむいていたと思う。いくら豪農の一人娘とはいえ、高校三年生の恋人が香を自分で作るなんて、想像するか?一方でせっかく恋人にこんな趣味があるのだから、大学に進んだら文通でもしてみようかと思う。  
 
「変でしょうか」  
「馬鹿な。変なものか。なんだか、こんな彼女とつきあえるなんて罰が当たりそうだ」  
「そんなことないです。香り、どう思いますか」  
「うむ」  
 
いい香りだ、と言ってもがっかりさせるだけなのだろう。よくわからないが、もう少し気の利いたことを言わなければならない気がする。コーヒーだって苦みにもいろいろある。  
 
「和風の柔らかい香りではあるんだが、一方で強いというか、主張がはっきりしているな。いや、他の香をよく知らないから適当なこと言っているかもしれないが」  
「確かに、少し強さのある香りにしています。きつさとはちょっと違う強さなんですよ」  
「いかにも千反田らしい」  
「そう思いますか?」  
「楚々としたお嬢様かと思ったら、とんだわがまま、おてんばで」  
「折木さん!ひどいです!」  
「悪かった!怒るなよ」  
 
千反田に詰め寄られて、俺は笑いながら思わずのけぞる。互いに見つめあって、微笑み、そして急に二人とも照れてしまった。やはり、ああいうことがあると平常心を保ちにくい。  
 
「では折木さん。私たち二人だけですし、戸締りをして帰りませんか?」  
「そうするか」  
 
俺たちは二人で戸締りをすると、職員室に鍵を返して帰路に就いた。  
 
◇ ◇ ◇ ◇  
 
今日は半どんだったから、今は一番暑い時間だ。校内には結構な生徒が残っているが、帰るやつらはもう帰ったのだろう。半端な時間なせいで帰り道は生徒が少ない。千反田の自転車は俺が押していく。  
 
通学路には街路樹の一本も植わっていない。直射日光にあぶられて、俺は顎が出そうになる。千反田は大したもので、いつもどおり、姿勢よく歩いている。こいつは日光にあぶられても平気で、しかも俺の推測するところでは日焼けしない。  
というか、毎日自転車で長距離通学してこれほど色が白いとは、どういう事だ。  
 
「奉太郎さん」  
「なんだ」  
「今日、摩耶花さんにお話をしました」  
 
お話とは当然、俺たちが付き合っていると言う話だ。  
 
「そうか。何か言っていたか」  
「ちょっと困っていたようです」  
 
少し顔を伏せて微笑みながら千反田が話す。  
 
そりゃ、伊原はさぞかし困っただろう。俺と伊原は小中学校9年間同じクラスで、高校は3年間同じ部活だった。が、あいつの中での俺の地位は基本的に「無視できるなら無視する」相手以上にはなっていない。  
嫌われてはいないとは思うが、話をするのだって、里志がらみだから仕方なく俺と話をしているといった程度だ。そんな奴と付き合うことになったと打ち明けられても、返事のしようがなかったろう。  
『よかったね』とも『やめなよ』とも言えず言葉に詰まる伊原の顔を思い浮かべておかしくなった。  
 
「俺も里志に話した」  
「福部さんは何かおっしゃってましたか?」  
 
千反田が頬を染めて聞く。  
 
「驚いていたよ。いや、付き合っていることは感づいていたらしいな。俺が打ち明けたことが驚きだったらしい」  
「やはりご存じだったのですか。摩耶花さんもご存じだったそうです」  
「まぁ、徹底的に隠していた訳じゃないしな」  
 
原稿執筆の強制になだれ込んでいなければ、今頃里志と伊原は相互の情報の確認をしているころだろう。次の登校日には、俺たちは互いにどんな顔をして会うのだろうか。打ち明けたとは言え、お互い、自分の色恋をぺらぺら語るような人間でもない。  
ひょっとするとこれまでと全く変わらないかもしれない。  
 
「そう言えば奉太郎さん」  
 
他愛もない妄想をしていた俺の横で、千反田が思い出したように話を振った。思わず身構える。ひょっとしてあの日の安請け合いのつけがもう来たか。  
 
「どうした」  
「もうお二人には話してしまいましたし、これからは特に私たちのお付き合いの事は伏せなくてもよいのですよね」  
「ああ、そうだな」  
 
ほっと溜息をつく。よかった。妙な話ではないらしい。  
 
「でしたら、その」  
 
と、言葉を切る千反田は、頬を赤らめて伏し目がちで歩いている。おい、前を見ろ。危ないぞ。  
 
「部室では、『奉太郎さん』と、お呼びしてもいいですよね」  
 
思わずうなり声を返した。あの二人の前で名前を呼ばれるのか。  
 
「まて、いきなり変えるのはどうなんだ。伊原だって里志と付き合いだしても呼び方を変えなかったろう」  
「でも、摩耶花さんははじめから福部さんの事を愛称で呼んでいましたよ」  
 
確かに。ふくちゃんふくちゃんふくちゃんとうるさかったな。  
 
「部室の中でだけって、それじゃ学校のほかの場所でうっかり下の名前で呼んでしまうんじゃないか」  
「確かにそうですね。それでしたら、学校の中ではずっと『奉太郎さん』とお呼びすることにしてはいかがでしょう」  
 
俺は思わず目を瞑った。それはつまり、いつでもどこでも『奉太郎さん』と呼ぶってことだな。千反田の自転車を押していなかったら眉根を揉みたい気分だ。  
 
「まぁ、うん。わかった。反対はしない」  
「嫌なのですか?」  
「そうじゃない。なんというか。気恥ずかしいだけだ」  
「気恥ずかしいのは、私も同じです」  
 
だったら無理しなければいいのに、と思うが、それは例によって俺が頭からひねり出した理屈でしかない。千反田は、また頬を染めて下を向いている。  
 
「える、前を見て歩け。危ないぞ」  
「奉太郎さんも『える』って呼んでくださいね」  
「呼んでるだろう。  
……ちょっと待て」  
 
俺は千反田のほうを振り向いた。だからちゃんと前を向いて歩けよ。  
 
「学校で呼べっていうのか」  
「はい」  
 
そんな甘い声を出してもだめだ。俺は嫌だぞ。  
 
「いくらなんでもだめだ。誰も学校で自分の彼女を下の名前で呼んだりしてない」  
「福部さんは呼んでいますよ」  
 
あの野郎。  
 
「奉太郎さん?」  
「なんだ」  
「『える』って呼んでくれないと嫌です」  
 
俺は太陽にあぶられながらもう一度唸り声を洩らす。ひと気の少ない通学路。隣を千反田が歩いている。微笑みながらかすかに顔を伏せ、頬を染めて俺の言葉を待っている。  
 
(おしまい)  
 

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