口を押さえている手をよけさせて、何も言わずに唇を吸った、さっきと同じように千反田が首に腕を巻き付けてくる。俺は唇を吸いながら、右手の掌を千反田の脇腹に当て、腹のあたりまで滑らした後、今度は左足の腿の上をさするように動かす。  
ひんやりしたなめらかな手触りを確かめた後、掌を右足の内腿に滑らせる。  
 
んん、と鼻の奥で千反田が声を漏らすのを聞いて、唇を放してやる。二人とも長いキスに息が荒い。見つめ合って、何か言おうとして、千反田が口をつぐむ。  
 
「恥ずかしいか」  
 
だまってうなずく千反田。  
 
「我慢してくれ」  
「は、はい」  
 
消え入りそうな声で返事をする千反田ともう一度キスをしながら、掌を上へと勧める。しかし、それはすぐに千反田の抵抗にあって頓挫する。脚に強くはさまれて、手を動かせない。  
 
「える、力を抜いてくれ」  
「はい…あの…でも」  
 
緊張が激しすぎるのか、千反田が脚の力を抜いてくれない。本人も努力はしているようだが、恐怖のほうが大きそうだ。  
 
「怖いか」  
「ごめんなさい」  
 
ほとんど泣きそうな千反田に微笑む。俺のほうもいっぱいいっぱいだが、ここは恋人としての何かを問われている気もする。  
 
「いいんだ。謝らなくていい」  
「でも」  
 
眉間にしわを寄せ、申しわけなさそうな色を混ぜて見上げる千反田の頬にキスをしてやる。  
 
「そんな顔するな」  
「だって…」  
「初めてなんだから、怖くて当たり前だ」  
「でも奉太郎さんに」  
 
今にも泣きそうな千反田に精一杯の優しい笑顔で聞く。  
 
「俺のこと、好きか?」  
「え?」  
 
さっと、表情が変わった。何を訳の分からないことを、という顔をされて軽く傷つく。話が飛躍したから仕方ない。  
 
「嫌いか?」  
 
慌てたように横に首を振ってくれて、一安心。  
 
「好きか」  
 
こくんとうなずく彼女の頬にキスして、わがままを囁く。  
 
「好きって言ってくれ」  
「…今ですか?」  
「ああ」  
 
戸惑うように上目遣いであらぬ方向を見た後、唇が、きゅっとすぼみ、油断したかのように口角が弛む。隠せなくなった笑みが千反田の顔に花が咲くように広がっていく。  
 
「好きですよ」  
「ありがとう。俺も好きだ」  
 
二人微笑んで口付けを交わす。掌をはさむ腿からも力が抜けている。もう動かせるが、名残惜しくて、もう少しキス。唇を放し、ほとんどゼロ距離で見つめ合う。焦点なんか合わない。鼻の先で千反田のえるの鼻の先をつついてやると、クスクス笑う。  
◇ ◇ ◇ ◇  
 
再びゆっくりと、掌を動かす。今度もぴくりとからだが震えるが、先ほどのような切迫感は消えている。ゆっくりと手を這わして、ひんやりした内股をなでる。その部分はやがて、上へと手を這わすにつれて、熱をもってきた。  
 
目を閉じて唇をきゅっと結ぶ千反田の頬に何度もキスをしながら、手を進める。やがて親指の付け根あたりに、サワサワとしたものを感じて、自分が茂みに到達した事を知る。俺もひどく興奮していた。  
 
どうしよう、と逡巡する。  
 
どうしようも何も無い。少し手を引き抜いて親指を開くと、今度は四本の指だけを柔らかい腿の間に進める。人差し指が熱に包まれてきて、突然、柔らかい行き止まりに阻まれて、千反田の体が震えた。心臓がばくばくいっている。  
足の付け根にたどり着いた。なけなしの知識を総動員するに、この先、左足の付け根との中間点に、千反田が大事に守っている場所があるはずだ。  
 
ゆっくりと手を動かす。人差し指を上に上げながら、掌を回転させる。千反田が俺の首に回した腕に力を入れる。脚は力が入ったり抜けたりで、彼女の羞恥と、俺を受け入れようという気持ちのせめぎあいが胸を打つ。  
やがて人差し指、中指、薬指をその部分に当てる形になった。掌の下にはさっき見た茂みが広がっている。  
 
濡れていた。  
 
嬉しかった。感じてくれていたのか、と思う。俺だって初めてで自分が何をやっているか分からなかった。正しいとか、間違っているとか判断する材料もなく、闇雲に千反田の身体をなでさすってみただけだ。  
千反田は声を上げていたが、それが羞恥から来るのかくすぐったいのか、今の今までわからなかった。俺にしがみついて薄い胸を荒い息で上下させている千反田は、そんな稚拙な愛撫にも感じてくれていたのだ。  
 
もう何度目なのかも分からないキスを交わしながら、ほんの少し、中指を動かしてみる。  
 
「ん」  
 
俺の下の身体が揺れる。唇を放して少し顔を放すと、千反田が上気した顔で俺を見上げる。腕はさっきから俺の首に回されたままだ。  
 
「んんっ」  
 
もう少し大きく、中指を前後に動かす。首に回した腕に力がはいり、白いからだが小さく左右によじれる。大きな目が、一層大きく開かれる。  
 
千反田のその部分を目にすることは出来ないが、触ってみた感じでは左右からぴったり閉じているみたいだった。真ん中の部分に筋のような部分がある。それを前後になでさするだけで、千反田は声を漏らし、身体を震わせる。  
そして少し力を入れただけで、中指はぬぷりと中に沈んでしまった。  
 
「ああっ」  
 
千反田が一層体を固くし、両脚を強く締め付けた。しかし、遅い。俺の指は入ってしまっている。一方の俺も軽いパニック状態になっている。指が入ってしまったそこは、信じられないほど柔らかく、人間の体の一部とは思えない。  
まるで熱いゼリーの中に指を入れてしまったよう。その部分の様子は、俺の想像をはるかに超えていた。  
 
◇ ◇ ◇ ◇  
 
ここで、間違ってないんだよな、と不安になる。なけなしの小遣いで過去に細々と購入したその手の本の知識はあまりあてにならないらしいとすでに気がついている。仕方ないと言えば仕方ない。  
多くは中学時代に興味本位で買った物だし、千反田と付き合い始めてからは、参考書や問題集の費用を除くと、小遣いはほぼ全額千反田予算として計上され、映画に、電車代に、食事代にと有効利用されている。  
 
思っていたよりもはるかに柔らかく、思っていたよりもずっと潤んでいて、思っていたよりももっと熱いその部分に指を捕らえられたまま、俺はしばらく硬直していた。  
 
「える」  
「はい」  
 
ずっとしがみついたままの千反田は、さっき落ち着かせたのに、もう、声が震えている。仕方ないか。おれだって心臓が爆発しそうだ。  
 
「痛くないか」  
「はい、大丈夫です」  
「ちょっとでも痛かったら言え、我慢するな」  
「はい」  
 
俺のほうは言葉を交わしてすこし頭が冷えた。ひょっとして奥まで入ってしまったかなどと頓珍漢な事を考えていたが、よくよく指の感触を確かめるに、第一関節くらいまでしか入っていないし、そもそも斜めに入っている。  
と言うことは、千反田を守る幕だか膜だかに到達して傷を付けた何てことはないだろう。胸をなで下ろすが、一方で慎重に進めないと傷でもつけないかと心配になる。  
 
千反田のその部分は、恐ろしく柔らかい。傷でもつけたら大変だと考えを巡らせる。爪はこまめに切っている方だが、最後に切ったのは2日まえだから、爪の角で傷をつける心配は無いだろう。  
土を扱ったわけではないし、石けんは使ってないとは言えさっき風呂に入ったばかりだ。雑菌まみれと言うことも無いだろう。俺の指は千反田の身体の一番大事な部分に触れる資格があるはずだ。  
 
「動かすぞ」  
「ええ?!は、はい!」  
 
予想してなかったか。優しくするから我慢してくれ。  
 
さっきから動かさずにほとんど硬直状態にある中指をゆっくりと手前に折っていく。しがみついたままの千反田が足に力を入れたり、身体を小さくよじったりしている。  
 
「本当に痛くないか?」  
「大丈夫です」  
 
消えそうな声。  
 
やっぱり、感じるんだろうか。ここを触れば女が感じるというのは、その手の本では10冊の内10冊に書いていることだ。しかし、個人差があるとか、経験を積まないとだめだとか、情報は錯綜している。なにより、男が下手だと駄目だという重苦しい情報もあって緊張する。  
 
◇ ◇ ◇ ◇  
 
手前に曲げた指を千反田の中からゆっくりと引きぬくと、、今度は表面の合わせ目をたどるように伸ばす。そうして、もう一度、中に入れると、先ほどと同じ動きを繰り返す。じっとしていた指が動き出して、千反田の反応も窮屈になってきた。  
俺にしがみついて何かに必死に耐えるような呼気を吐くのだ。自分でそんな目に遭わせてなんだが、哀れを催してとても見ていられない。  
 
「える、苦しいならやめるか」  
「大丈夫です。続けてください」  
 
大丈夫って、しがみつかれている俺も相当窮屈だが、それはいい。しかし、いくら何でもこれでは千反田の体力がもたないだろう。  
 
「少し楽にしろ」  
「え?」  
「力を入れすぎだ。身体の力を抜け」  
 
促されて千反田がほんの少し力を抜く。ぎゅっと抱きつかれていた俺はようやく少し離れる事が出来た。首の後ろあたりで、千反田の手が合わさっている。  
 
「怖い思いさせて悪かったな。すこし休むか」  
「いえ、大丈夫です」  
 
上気した顔で俺を見上げていた千反田は、ふと恥ずかしくなったのか俺の首に手を回したまま顔を背けて目をつむる。相変わらず身体は硬い。汗ばんだ頬に髪が何本か貼り付いていて俺の心をあおり立てる。  
 
「そうか、じゃぁ、もっと力抜いていいから。な、楽にしろ」  
「でも……いえ」  
「どうした」  
 
少し様子がおかしい。なにか言いたいことを飲み込んでいる気がする。  
 
「無理に我慢するな」  
「そうじゃなくて。あの…」  
 
よほど言いにくいのだろう、顔を背けて目を閉じたまま消え入りそうな様子で千反田が続ける。  
 
「力を抜いたら声が漏れそうで」  
「恥ずかしいのか」  
「はい」  
 
あまりの可憐さに頬がゆるみそうになる。同時に、やっぱり感じてくれていると、嬉しくなる。  
 
「える、大丈夫だ。声だしていいんだぞ」  
「でも、はしたないです」  
「はしたなくない。こういうときには、声が漏れるものなんだ」  
「そんな……笑われそうで嫌です」  
 
俺が笑うわけがない。  
 
「奉太郎さんにはしたないなんて笑われたら、生きていけません」  
 
愛おしさに俺が死にそうになった。そこまで思っていてくれたとは。すまん、千反田。明らかにこれまでの俺は愛情を注ぎ足りてない。  
 
「える、笑ったりしない。はしたないなんて思わない。俺が思うわけがない。える、お前が愛おしいんだ。お前がそんなに苦しそうに力を入れている姿なんか見ていられない。だから、な、力を抜け」  
 
千反田はおそるおそると言った風に目を開くと、しばらく迷ったように視線をおよがせ、そうして正面を向いて俺を見た。  
 
「はい」  
 
完全にリラックスしているとは言えないが、さっきよりはずっと身体の力が抜けている。左肘で体重を支えたまま、左手でなんとかほつれ毛を払ってやる。やっと何とか微笑んだ千反田の額にキスをしてやる。  
 
「はぁ」  
 
文字にすればそんな声が千反田から漏れる。再び指を動かして、損の柔らかい部分をゆっくりと、傷つけないように、ほぐすようにする。  
 
◇ ◇ ◇ ◇  
 
千反田は時折白い身体を震わせ固くするが、だいたいにおいて俺に言われたとおり力を抜いている。そして、指の動きにあわせて、声を漏らす。  
 
「心配するな。笑ったりするもんか、える、かわいいぞ」  
 
唇を吸い、髪をなでてやりながら、大事なところへの指での刺激に恥らう千反田に何度も優しく囁いてやる。  
 
「お前が好きだ」  
「一番好きだ」  
「綺麗だぞ。魂まで融けそうだ」  
「いつも一緒にいたい」  
「好きだっていってくれ」  
 
あとで思い返せば顔から火でも噴くかもしれないが、不思議となんの抵抗も感じない。てらいもなく、素直に気持ちを囁くことが出来た。  
 
そして囁いている最中も間断なく指を動かして、千反田のその部分をかきまわし続ける。正直言って、自分がしているのが愛撫なのか、好奇心に任せていじりまわしているのか、千反田の声を聞きたくていじめているのか、不安になる。  
どうしても言えと言われれば、千反田の今まで一度も聞いたことのない声を聞いていたくて愛撫しているのだと思いたい、としか答えようがない。  
 
緊張が和らいだからなのか、少しずつ感じ方が深くなっているからなのか、俺にはわかりようもなかったが、千反田の反応はさっきよりなまめかしくなってきた。  
俺の首に手をまわし、目を閉じて髪を撫でられている眼下の少女は、その清楚な顔立ちも、ほっそりとした体もまぎれもなく、千反田なのだ。  
しかし、俺の指に合わせて洩らす小さな声、赤みの差した白い肌にうっすらと浮かぶ汗、戸惑うようによじりあわされる脚、切なげな吐息、ほのかに立ち上ってくる香りの何もかもが、千反田が一度も見せたことのない姿だった。  
 
その感触が指に染み込むほどいじりまわしてしまったぬかるみから指を少し引き上げると、千反田自身によってねっとりと濡れそぼったその指を、そっと手前に向かって滑らせる。  
その手の本で読んだ内容が正しければ、ぴったりと合わさった割れ目のその辺りには一番敏感な部分があるはずで  
 
「あっ!」  
 
それまで目を閉じて小さく声を漏らしていた千反田が、びくっと体を強く震わせ、俺の首に回した手に力を入れた。そして閉じていた目を大きく見開いて、おびえたような顔をする。  
 
脚はよじり合わせたまま硬直し、俺を拒もうとしているが、内股を探っていた先ほどとは異なり、もう、俺は肝心なところにふれている。指一本動かせればいいのだから、あまり役に立っていない。  
 
「何をしたんですか?」  
 
震える声で千反田が問う。  
 
そこを何と呼ぶか。解剖学的な名前から俗称やら女の子向けの可愛い呼び方やらその手の本向けの妙に飾った名前まで、一通り知っていることは知っている。だが、それを千反田の耳にささやくのはためらわれた。  
 
「その、ここがえるの一番感じるところだ」  
「一番……あの、あっ!」  
 
もう一度、今度は可能な限り優しくふれたつもりだったが、今度も千反田は体を大きく震わせた。そして俺の後ろ頭に回していた手を離すと、我慢できなくなったのだろう、大事な部分にのばしている俺の手を両手で押さえた。  
強くつむっていた目を開くと、右手だけを曲げて、白い胸をかき抱くようにし、怖がるような表情で小さくいやいやをする。  
 
「痛かったか」  
「いえ、あの」  
 
千反田が大きくあえいで、目を泳がせる。  
 
「刺激が強すぎたんだな。すまん。もう、直接さわらないから安心しろ」  
「でも」  
「なれていないんだからびっくりしても不思議じゃない、ほら、力抜いてみろ」  
 
深呼吸をさせて落ち着かせ、脚の力も抜けてきたところで今度はその真珠の部分に直接さわらないように、横のあたりをもむようにしてみる。千反田の体がわずかに反り返る。  
確か、その部分は皮をかぶっていたはずだが、さっきの反応だと直接触れたらしかった、下から触れたから直接さわってしまったのだろうか。感じすぎるときは横からとか何とか本に書いていた気もするが、もはやよくわからない。  
千反田の反応を見ながらおそるおそる指を動かして試してみるしかなかった。  
 
それはどうやらぬかるみの中をかき回されるのとは違う、強い感覚を千反田に与えているようだったが、いつも楚々としている彼女を翻弄している感覚がどんなものなのかなど、男の俺には想像することも出来ない。  
 
一番感じるというその部分の近所と、すっかり熱く濡れきっている合わせ目の部分を交互に指で愛しながら、俺は千反田の横でずっとどれだけ千反田が好きが囁き続けた。彼女はもうずっと目を閉じたままだ。  
右手で胸をかき抱き、左手は俺の右手に添えているが、時折小さな声とともに力が入る他は、戸惑ったように軽く触れているだけである。  
◇ ◇ ◇ ◇  
 
一方で俺は、すぐそばで聞こえる千反田の悩ましい声や息づかいに当てられながら、次第に大きくなる疑念に不安を募らせていた。このまま続けていいのだろうか、と。どうもこれまでの会話の流れからすると、千反田は自分自身で慰めたことがないのではないだろうか。  
仮にそうではない、つまり千反田が夜密かに自分を慰めることがあったとしても、俺は軽蔑もしなければ笑いもしない。しかし、一度も自分でしたことがないというのはいかにも千反田らしい。  
 
だとしたら、今俺がやっているのは愛撫と言えるかどうか非常に怪しくなってくる。彼女は未知の感覚に乱暴に揺さぶられながら、必死で羞恥に耐えているだけかもしれない。ひょっとすると、このまま続けても彼女はこのまま高みには至らないのではないだろうか。  
俺は単に千反田を辱めているだけなのではないか。  
 
そんな考えに、最初から無かった自信がさらにしぼんで風前の灯火になった頃、千反田の様子が変わりはじめた。  
 
「あの、奉太郎さん」  
「なんだ、える」  
「あの、…ぁ…変なんです」  
「気持ち悪いのか」  
「いえ……ん……何か、あの……」  
「いきそうなのか」  
「え?」  
 
目を閉じていた千反田が、戸惑ったように俺を見上げる、その表情が時折、とろけそうになる。  
 
「大丈夫だ、える。大丈夫だ」  
「でも……ぁぁ…」  
「力を抜け。怖いなら、掴まっていろ」  
 
そういうと、千反田は両手で俺の肩にしがみついてきた。顔が俺の肩と枕の間にねじ込まれて、見えなくなる。ぽっかりと胸に穴が開いたような空虚感。顔を見ていたい。しかし、それを言うのは酷な気がした。  
かなり無理な体勢になったが、  
右手の指は彼女のその部分を探り続ける。あまり力を入れないよう、少し動きを速くした。  
 
そうやって30秒ほど愛撫を続けていると、急に千反田が漏らす声が大きくなってきた。指を真珠の部分近くのあたりに移して、それまでより近いところを細かく振るわせる。  
 
「あ、あ、奉太郎さん、奉太郎さん!」  
 
そして千反田は俺にしがみついた手にぐっと力を入れると、急に喉の奥で声にならない声を立て、身体をぴんと緊張させた。俺は彼女に訪れた変化に指をとめる。  
 
やがて千反田は力を抜くと、俺から離れてベッドの中に沈んだ。  
 
息を荒くし、薄目を開けてぼんやりとしている千反田にキスをする。右手で髪をなでてやろうとして、指がぐっしょりと濡れていることに気づく。千反田に気づかれないよう、シーツでぬぐって髪をなでてやった。  
 
「える、好きだ」  
 
何度も囁きながらキスをするあいだも、千反田はぼうっとしたまま、弱々しくキスに応えるばかりだった。  
 
「あの……わたし」  
 
ようやく何か話せるようになったらしい千反田が俺を見上げる。優しく微笑んでやる。  
 
「大丈夫か?」  
「はい、あの」  
 
自分の身に起きた異変に戸惑っているらしい。俺としては恋人が自分の愛撫でいってくれたというのは嬉しいが、千反田は何が起きたか分からないようだった。  
 
「わたし、どうしたんでしょう」  
 
自分がどんな目に遭っているのか分からないというのは心細い物だ。俺はなるべく生々しくならないように気をつけながら、頬や唇にキスをする合間に説明してやる。  
 
「いったんだよ」  
「いった?」  
「女の子は、こうやって愛し合っている内に、いまみたいになるんだ」  
「気絶、でしょうか」  
「あまり気にするな」  
「あの、恥ずかしいことでは?」  
 
急に心細そうな顔になる。俺はそんな千反田がたまらなく愛しい。  
 
「心配するな。恥ずかしい事なんかじゃない。むしろ幸せなことだ」  
「幸せなこと、ですか?」  
「ああ。恋人と愛し合ってもいくことが出来ない人だっている。いったのは、お前が健康な女で、俺に心を開いてくれたって事だ」  
 
千反田が納得したかどうかはわからないが、性感にとけて考えがすすまないのか、あるいは別の理由か、とにかく俺の言っていることを信じることにしたらしい。目を閉じて、俺の肩に顔を埋めようとしてくる。  
 
◇ ◇ ◇ ◇  
 
千反田の何もまとっていない身体を抱きしめ、しばらくじっとしていた。そして、どうやらそのときが来たと俺も腹をくくる。  
 
「える」  
「はい」  
 
俺の肩に顔を埋めた千反田に、やさしく、しかしはっきりと伝える。  
 
「ちゃんと、避妊するからな」  
 
千反田はその言葉の意味をかみしめるように時間をおいた後、小さな声で返事をした。  
 
頭のあたりの避妊具に手を伸ばす。本来俺が用意すべき物だとは思うが、何しろこんなに早く千反田と愛し合うことになるとは思っていなかった。いや、言い訳にならないか。  
とにかく、もし、避妊具がなければ俺は絶対千反田を抱かないつもりだったから、ここに一つだけ用意されていることには素直に感謝しなければならない。  
 
身体を離しておこすと、千反田はそのまま自分の胸を抱くようにして反対側に寝返った。脚も大事な部分を守るようにくの字に曲げている。恥ずかしい思いをさせて申し訳ないと思う一方で、全裸の千反田の真っ白な身体は、言葉に出来ないほど美しいと思った。  
 
一枚しかない避妊具を慎重に装着する。初めて使うが、これで失敗したらいい恥さらしだし、千反田にも気まずい思いをさせてしまう。初めてというのは、男にとっても綱渡りの連続だと今更ながら実感しつつ、なんとか付け終わった。  
 
もう一度千反田に寄り添おうとして、ふと、気が変わる。ベッドに千反田を運んだときに、薄い上掛けが足下に折ってあるのに気づいた。正しいベッドメーキングの方法ではないはずだが、なるほど、実用的だ。  
千反田の綺麗なふくらはぎに目を取られながら、脚に触れて促してやり、上掛けを引っ張り出す。窓から漏れる光に全身をさらしていた千反田の身体を、これで腹のあたりまで覆ってやった。  
 
優しくしたいのなら肩まで覆えばいいし、見たいなら二人とも全裸のままでいればいいのだから、我ながら中途半端だ。しかし、上掛けを掛けてやったときに、小さな声で礼を言われたから、気持ちは少しは伝わったのだと思う。  
 
◇ ◇ ◇ ◇  
 
千反田はまだ向こうを向いている。  
 
「える」  
 
背中から覆い被さって頬にキスをする。頬から耳たぶへとキスを繰り返し、そっと右肩を引く。逆らわずに身体を返してきた彼女と口付けをかわす。そして項から鎖骨へと軽いキスをし、もう一度乳首にキスをしてから俺は身体を起こした。  
千反田は時折身体を震わせながらも、目を閉じて、じっとしている。膝に手を伸ばして脚を軽く広げさせると、さすがに顔をそむけたが、抵抗はしない。  
 
もう、ためらいもなにも必要は無かった。千反田の脚の間に身体を滑り込ませる。自分の物を手でもって千反田のその部分にあてる。そうして、さっき愛撫したあたりに見当を付けると、ゆっくりと前に押し出した。避妊具越しに、千反田の軟らかい肉が俺の先端を包み込む。  
千反田は、目を閉じ、唇をひき結んで、これからくる痛みに耐えようとしていた。両手でかき抱くようにしている白い胸の上に、さっきさんざん吸った色の薄い乳首が覗いていて、なぜか痛々しく感じる。  
 
自分の物を進めると、軟らかい肉の先に、行き止まりがあった、たぶんこの辺とあたりをつけて探ると、どうやら入り口らしきものがある。慎重に腰を進める。急に狭隘になった部分にゆっくり、ゆっくり、慎重に腰を進める。  
頭の部分が入ったあたりで、千反田が短く声を漏らし、身体を硬くした。  
 
「痛いか」  
「はい、少し。でも、大丈夫です」  
「酷く痛むようなら、言え」  
「はい」  
 
酷く痛みますと言われて俺に何が出来るのか不安だが、後には戻れない。ゆっくりと、本当にゆっくりと時間をかけて自分の物を進めた。たぶん、もう処女膜は破れている。それでも、出来る限り時間をかけた。自分の物を全部埋め終わるまで3分くらいかけたのではないかと思う。  
 
とうとう、千反田とひとつになった。目の下には、目を閉じ、顔を背けて胸をかき抱き、痛みに耐える千反田の白い裸体が横たわっている。ひどく、胸がざわついた。俺の物は、きゅっと絞られるような感じで、想像していたのとは全く違う感覚に戸惑う。  
 
ゆっくりと身体をふせて顔を背けている千反田に覆い被さった。  
 
「える」  
 
千反田が目を開け、大きな黒い瞳で俺の顔を見上げる。二人、至近距離で見つめ合う。  
 
「俺たち、一つになったぞ」  
 
千反田の顔に、痛みに耐えるような、あるいはちょっとつらそうな、戸惑うような表情が、入れ替わり表れた。やがて、口元に淡い笑みが浮かぶ。眼尻にうっすらと涙をたたえているのは、痛みを我慢したせいか。  
 
「はい」  
 
キスをした。ゆっくりと、優しく、キスをした。俺は肘で身体を支え、掌で彼女の髪をなでてやる。千反田は俺の背中に腕を回していた。二人とも囁くような声で会話をする。  
 
「痛いの、大丈夫か?」  
「はい、思ったほどではありません。ちくっとするだけです」  
「そうか」  
 
もう一度キスをして、そして千反田の黒い瞳を見つめながら、今の気持ちを素直に言っておこうと思った。俺はどうも妙なところで見栄っ張りらしく、気の利いた言葉や素直な言葉が出ないことがある。今は大切なときだから、ちゃんと言わなければならない。  
 
「える、ずっと、大事にするからな」  
 
千反田が頬を染める。口元をすぼめて我慢していたようだが、無理だったのだろう。大きな笑みが浮かんだ。いつも大げさな表情を出さない千反田には珍しい。それだけ、喜んでくれたのか。  
 
「これからも、いろんな所に連れて行ってください」  
「ああ」  
「うれしい」  
 
目を閉じて微笑みを浮かべる千反田に見とれた。少し場違いな言葉に聞こえるが、彼女の説明不足はいつものことだ。連れて行けと言うのは、たぶん場所のことではない。いつだったか、千反田は俺を「わたしをこたえまで連れて行ってくれる」と評したことがある。  
ようするに、千反田が知らない世界を俺が見せたということなのだろう。それを千反田がこれからも望むというのなら、運だろうが偶然だろうがいくらでもたぐり寄せてやる。  
 
「じゃぁ、動くぞ。少し痛いかもしれんが、我慢しろ。もし、我慢できないようなら、言え」  
「は、はい」  
 
背中に回した千反田の手に力が入る。俺はさっきから千反田の中に入れたままだった自分の物をゆっくりと抜く。そして、抜ききる前に再びゆっくりと挿入した。  
 
◇ ◇ ◇ ◇  
 
目を閉じた千反田が薄い唇を引き結ぶ。やはり痛いらしい。しかし、俺の言葉通り、我慢してくれている。俺はその頬にキスをしながら、腰をもう一度動かす。腕立て伏せみたいな体勢で腰を動かすのは思っていたよりもずっと難しい。しかし文句を言える筋合いではない。  
 
千反田のその部分は俺をしっかりと締め付けている。それがいわゆるよく締まると言われるものなのか、あるいは普通なのか、それとも世の女達はもっと締まるのか、俺には全く判断するすべはない。  
ただ、目の前の千反田の顔に大きな苦痛の表情が表れないか注意しながら、一方で下半身から与えられる不思議な感覚に、長くはないなと思っていた。  
 
うっすらと汗をかいた千反田の白いからだ。  
 
いつも静かないずまいの、名家の一人娘。時折、大きな黒い目を輝かして俺に足早に歩み寄り、ろくすっぽ説明もせずに騒動に巻き込む女子生徒。成績はいいくせに肝心なところで説明をすっ飛ばすあわてんぼ。  
料理が上手で、笑顔が愛らしくて、目を閉じた顔が楚々としていて、涼やかなよく通る声の少女。  
 
その子を、世界でもっとも愛おしい女を、組み敷いていた。ほっそりとした体からふんわりと立ち上る、おそらくは千反田の体臭らしい甘やかな香り、ほつれて汗で貼り付いた黒髪、時々漏らされる小さな声、そう言った感慨やら感覚やらが俺を包み込み、激しく興奮させる。  
 
その瞬間はあっさり訪れた。時間にすれば、3分かそこらだったのだろう。千反田の中で締め付けられたまま、俺は脊髄に昇ってくるような甘いしびれとともに身体を振るわせた。二度、三度と射精は続き、そして、その果てた。  
 
◇ ◇ ◇ ◇  
 
大きく深呼吸をする。千反田もおそらく何が起きたか分かっているはずだが、じっと目を閉じ、肩を上下させている。頬にキスし、そっと囁く。  
 
「終わったよ」  
「…はい」  
 
身体を起こし、ゆっくりと俺の物を抜く。まだ萎える様子はないが、そんなことはどうでもいい。枕元の箱からティッシュを3枚ほど引っ張り出すと、丁寧に重ねて上掛けの中に入れる。  
 
「える、ティッシュをあてるから、少し力を抜け」  
 
恥じらいからか、返事をせず横をむく千反田。ちょっとやり過ぎかとも思うが、あまり出血が激しいと困るので、何かの本で読んだとおりに、その部分にティッシュを当てておく。  
 
とりあえず千反田の手当をして、俺の番。背を向けて、避妊具を悪戦苦闘しながらはずす。後ろを振り向くが、千反田もこちらに背を向けているので見られる心配は無い。見られる心配は無いが、背を向けられる事がこれほどつらいとは、今日の今日まで知らなかった。  
 
避妊具をそっと持ち上げて部屋の光にすかす。妙に生々しい。血がついているが、出血はそれほどでもないようだ。それよりも心配な漏れをチェックするが、そちらも大丈夫なようだった。見て分かるのかどうか、知らないが、とりあえず破れていないのでよしとする。  
安堵の息をついてティッシュをさらに引っ張り出し、くるんで足下のゴミ箱に入れておく。ついでに自分の物もティッシュでよく拭いておいた。  
 
それにしても、ゴミ箱だとか、避妊具だとか、ティッシュだとか、よく考えて配置してある。自分の部屋で初めてを迎えていたら、これほど万全な態勢を取れたかどうか怪しい。  
 
◇ ◇ ◇ ◇  
 
向こうを向いて横たわっている千反田の白い背中に添い寝する。そろそろこっちを向いてくれないだろうか。  
 
「える、こっちを向いてくれ」  
 
しかし、思いがけず抵抗を受ける。肩を軽く引くが、ぐっと力を入れられてこちらに引くことが出来ない。上からのぞき込もうとすると、ひっーと声にならない声を喉の奥でだして、顔を枕に押しつける。どきりとする。ひょっとして、今になって後悔しているのだろうか。  
もしそうなら、俺は取り返しのつかないことをしたことになる。背中を冷たい物が走る。後悔しているのかを聞こうとして、言葉にするのが恐ろしくて聞けない。  
 
かろうじて、遠回しに聞くことが出来た。我ながら声がかすれているのがみっともない。  
 
「どうした、怒っているのか」  
 
首を振る。怒っていないと。  
 
「恥ずかしいのか」  
 
こくこくと。恥ずかしいらしい。  
 
「恥ずかしがらなくていい、こっちを向いてくれ」  
 
とりあえず後悔しているわけではなさそうなので一安心だが、こっちを向いてくれないのは酷く寂しい。少し乱れた髪を手で梳いてやりながら、無理に向かせるのもどうかと悩んでいると、いきなりものすごい勢いで千反田の白いからだが寝返り、俺の肩に顔をうずめた。  
 
「どうした」  
「見ないでください!」  
 
小さい声だが、叫んでいるように聞こえる。  
 
「どうしたんだ」  
 
問いかける俺に、ほとんど気持ちを吐き出さんばかりの勢いで千反田が話し始めた。  
 
「わたし、わたし、今日奉太郎さんにすべて捧げました。恥ずかしかったです。怖かったです。痛かったです。知らないこといっぱいされました。でもがんばりました」  
「あ、ああ。よく頑張ったな。ありがとう」  
 
やっぱり、いっぱいしてしまったか。すまん、千反田。  
 
そう思う一方で、小声ながら声にいつもの調子が戻ってきているようでつい微笑んでしまう。  
 
そしてなにより、『捧げました』という言葉が胸を打つ。そうだ。大事なものをもらったのだ。  
 
「とってもがんばりました。痛かったです。怖かったです。恥ずかしかったです。でもですよ、でもですよ」  
「なんだ、聞いてるから言って見ろ」  
 
千反田は、小さく深呼吸をしたようだった。思い切って、だけど小さな声で呟く。  
 
「嬉しくて、笑顔になっちゃうんです」  
 
それのどこが悪い!  
 
「ばかだなぁ、その笑顔を見せてくれ。俺を安心させろ」  
「はしたないです。こんな娘、きっと笑われます」  
 
思わず喉の奥で笑ってしまった。本当に可愛い奴だ!  
 
「える!」  
 
ぎゅっと抱きしめ、千反田をベッドから引っこ抜くように寝返る。俺は仰向けに天上を眺め、千反田は悲鳴を上げながら俺の腕の中に収まった。  
 
「好きだ。誰よりも好きだ。笑ったりしない」  
「今笑ってました!」  
 
うむ。  
 
この状況ですばらしい観察力じゃないか。部長殿は頼もしいな。  
 
「そう言う意味の笑いじゃない。お前が可愛くて仕方なくて笑ったんだ」  
「ほんとうでしょうか」  
「嘘なものか」  
「信じてもいいですか」  
「信じろ」  
「信じちゃいますよ」  
「ああ」  
「じゃぁ」  
 
そう呟く声に甘いものが混じっている。  
 
「奉太郎さんがそう言うなら、信じます」  
 
ぎゅっと抱きしめると、切なげな息を吐くのがわかった。  
 
「える、今日のことは忘れない。ありがとう。きっと、ずっと大事にする」  
「はい」  
 
囁くような千反田の返事を最後に、俺たちはしばらく黙ってそのまま抱き合っていた。  
 
◇ ◇ ◇ ◇  
 
「あの、奉太郎さん」  
「ん?どうした」  
 
千反田の囁き声で、意識が戻った。危なく眠るところだった。  
 
俺たちはしばらく黙って抱き合っていたが、腕の中の千反田はいつの間にか寝息を立てていた。驚きである。俺はと言うと、終わった後もずっと続いている高揚感やら、時折、その部分によみがえる感触などもあって、眠れなかった。軽い興奮状態が続いていた  
。一方でこいつはすやすやと寝ているわけで、それほど俺の腕の中で安心してくれるのか!などと手前味噌なことを考えてほくそ笑んだものだ。  
 
よれほど疲れたんだな。すまん。  
 
もっとも、千反田の小さな寝息を聴きながら、寝顔を見ることができずに残念だ等と考えているうちに、俺のほうも意識に霧がかかり始めていた。危ない危ない。なにしろ今日は大変な一日だった。いや、大変だったのは、ここ1時間半くらいか。横目で時計をみる。  
千反田が寝ていたのは15分くらい。俺はたぶん30秒くらいか。それでも頭がすっきりしている。  
 
「わたし、眠っていたみたいです」  
「ああ、疲れてたんだな」  
「恥ずかしい」  
「気にするな」  
「でも」  
「える、これは思いの外幸せな発見だったぞ」  
「幸せ、ですか?」  
「恋人が腕の中で寝息を立てるのを聞くのは、なかなか幸せなものだとわかった」  
「いじわるです」  
「いじわるなものか。これで寝顔を見せてくれたら文句ない。もう一度寝てみないか」  
「いやですいやですいじわるです」  
 
全裸の千反田が俺にしがみついていやいやをしている。  
 
思わずにやけ顔になった。まずい。これはいけない。今何かお願い事をされたら、俺は何でもほいほいと安請け合いしてしまいそうだ。『奉太郎さん、生命保険に入っていただけませんでしょうか』くらいなら、『うん』と即答しかねない。  
 
「すまん、許してくれ」  
「また謝ってます」  
 
千反田がくすくすと笑う。つられて俺も、喉の奥で笑う。  
 
◇ ◇ ◇ ◇  
 
「雨、止んだみたいですね」  
「そうだな。どうする。美術館、行くか?」  
 
腕の中の千反田が、かすかに顔を肩口に押しつけたように思える。  
 
「しばらく、こうして一緒にいてもいいでしょうか」  
「ああ、いいさ。美術館は、またにしよう」  
「はい」  
 
しばらく、またそうして黙っていた。通りを時たま車が通る音が聞こえる。部屋の中ではエアコンの音がすこし耳につくか。さっきは全然気がつかなかった。よほど余裕がなかったと言うことか。  
 
千反田の背中をそっとさする。小さな吐息が漏れるのを聞く。なめらかなきめの細かい肌。すこしひんやりしているか。今は腰から上のあたりがはだけている。上掛けをひっぱって、肩の辺りまでかけてやった  
。雨に濡れた身体を温めるためにホテルに飛び込んだのだ。二人で抱き合って風邪を引いては本末転倒だろう。  
 
「ありがとうございます」  
 
こんな時まで丁寧な言葉遣いの千反田の髪を、そっと撫でてやった。  
 
◇ ◇ ◇ ◇  
 
どうでもいい話を、ふたりともたくさんした。おしゃべりに興じたわけではない。無言で抱き合ってお互いの体温を感じながら、時々小さな声で話をした。時間はたくさんあったから、魂を抜かれたみたいにぼんやりしながらいくつものとりとめのない話を重ねた。  
 
俺は時折頭に浮かぶイメージの話をした。  
 
幻覚や白昼夢や妄想のたぐいではない。ふと、時折浮かぶイメージ。小さな国にお姫様がすんでいる。お姫様は流れ者のする話をいたく気に入ってくれ、そして彼女の世界を見せてくれた。二人はやがて心ひかれるようになる。それだけの話。  
 
「悲しいお話です」  
「そうだろうか」  
 
なんとなく、千反田はそう言うだろうなという気はしていた。  
 
「二人は心引かれているのに、壁があるように聞こえます」  
「壁だろうか」  
「違いますか」  
「俺は距離だと思っている」  
「距離、ですか」  
 
壁は乗り越えられない。でも、距離なら歩いて行きさえすれば、縮めることができる。走っていけば、もっと早く縮む。たやすいことだとは思っていないが。  
 
◇ ◇ ◇ ◇  
 
「お会いしたころは、奉太郎さんは、めんどくさがりな方だと思っていました」  
「違うな。俺は省エネなだけだ」  
 
くすくすと千反田が笑う。  
 
「『やらなくてもいいことならやらない。やならければいけないことなら手短に』ですね」  
「よくわかっているじゃないか」  
「嘘つきです」  
 
なんだと。憮然とする俺の肩の辺りで、千反田が小さく笑う。どうしてそんな酷いことを、幸せそうな声色で言うのだ。  
 
「だって、本当は努力家ですから」  
「里志に言ってみろ、えるの人間を見る目のなさをたっぷり1週間は笑われるぞ。それに俺はモットーからいって、他人から過大評価されるのは好まない。前にも言ったはずだ」  
「摩耶花さんに聞きました。成績、あがっているそうですね」  
 
む。  
 
里志経由か。口の軽い奴ではなかったはずだが。『戦争において秘密の作戦が漏れるのは必ず男女の間からだ』とか言ってたな。歴史はいいから自分の身を糺せ。  
 
「以前は勉強をされているようではありませんでしたね」  
「俺は平均点を取ることができれば満足だったからな」  
「過去形になってますよ」  
 
千反田がまた笑う。くそ、語るに落ちた。  
 
気の迷いと笑うなら笑え。俺は勉強をしている。それも相当本気でやっている。確かに、おかげで成績は上がった。もとがたいしたことなかったからと言うのもあるが、驚く無かれ100位以上あがったのだ。もっとも、腕の中の誰かさんの順位は遙か彼方だが。  
付け焼き刃で追いつけるとは思っていない。正確に言えば、そもそも追いつけると思っていない。  
 
「うぬぼれ、と笑われるかもしれませんが。奉太郎さん。わたし、ですか?」  
 
しばらく天井を眺めていた。みっともないことこの上ない。努力して、未だ遙か、だ。なのに、もうばれた。  
 
「ああ」  
 
千反田が、吐息を漏らす。  
 
「わたし、うれしいです」  
「全然追いつけないけどな」  
「誰に、ですか?」  
「お前に、だ」  
 
すこし、千反田が考えるようにする。  
 
「わたしに追いつくのが、目標ですか?」  
「違う」  
 
即答した。千反田が、また幸せそうなため息をつく。くそ、何もかも見透かされているようだ。これ以上聞かれても俺は口を割らんぞ。  
 
「福部さんから聞いたのですが、経営の本をたくさん読んでいらっしゃるとか」  
 
あのおしゃべりめ!今度あったらどうしてくれよう。  
 
◇ ◇ ◇ ◇  
 
「あの、笑われるかもしれませんが」  
 
またか、と俺は苦笑した。そんなに俺が千反田を笑っていると思っているのだろうか。それはそれで信頼されていないようで複雑だ。まぁいい。話が変わるのは歓迎する。  
 
「笑わないぞ。何度も言うが」  
 
クスクスと笑ったのは千反田のほうだ。  
 
「ちょっと恥ずかしい話なのです」  
 
黙って聞く俺に、千反田が呟くように話して聞かせる。  
 
「1年生のときの、入須先輩のクラスの映画を覚えていらっしゃいますか?」  
「『女帝』事件だな」  
「はい」  
 
『女帝』事件は、千反田が古典部に持ち込んできた数あるやっかい事の一つで、1年生の夏休みの最後の一週間、俺たち古典部が2年F組の女帝こと入須冬美に翻弄された事件である。結果的にまんまと女帝に利用された形ではあったが、俺は未完成映画の謎に切り込むことが出来た。  
 
「あのとき、福部さんが古典部の皆さんにタロットのシンボルをあてはめました」  
「覚えている。えるは『愚者』、俺は『力』だった。里志は『魔術師』で伊原が『正義』だったか。えるに『愚者』なんて失礼だと思ったが、存外あたっていたな」  
「調べたんですね」  
 
楽しそうに声がはずむ。  
 
「ああ」  
「奉太郎さんの『力』は、どう思いました?」  
「酷い皮肉だったな。あれは」  
 
里志は俺にタロットカードの絵を当てこすったのだ。『力』のカードはライオンを女がてなづけている絵だ。里志は『氷菓』事件では千反田が、『女帝』事件では入須が俺を振り回していると笑ったわけだ。まぁ、間違ってはいない。  
 
俺はそのとき感じた、幾分不快な想いが表に出ないよう、千反田に話をしてやった。  
 
「奉太郎さんはそう思っていたのですか」  
「違うのか?」  
 
肩口をのぞき込むが体勢的に無理がある。千反田の顔は見えない。  
 
「わたしは最初、福部さんの言っている意味がわからなかったのです」  
「所詮戯れ言だ」  
「そうかもしれません。でも」  
 
と、言葉を切った千反田は、くすぐったそうに微笑んでいたのではないかと思う。  
 
「でも、ですよ。笑わないでくださいね。あの、『力』のカードには別の解釈があるのをご存じですか?」  
「いや、俺はあのとき調べたっきりだからな」  
「そうですか。あのカードは『無意識の力を解き放つには、女性の介在が必要だ』という意味だとも言われているんです」  
「うむ。同じに聞こえるが」  
 
要するに、怠け者、もとい、省エネ高校生の折木奉太郎は千反田えるや、入須冬美にけしかけられて難事件を解決したのだから。  
 
「あの、本当に笑わないでくださいね。  
わたしは思うんです。奉太郎さんにお会いしてすぐ、私はこの方は本当はすごい方だって思うようになりました。  
でも、奉太郎さんはいつも自分は省エネ主義だって言ってました。省エネ主義だから無駄なエネルギーは使わないって。  
その方が、二年生になって成績があがりはじめたんです。それまでより勉強をするようになったんですね。  
それが、ですよ。  
本当にわたしと出会うことで勉強を始められたのなら、うぬぼれかもしれませんが、わたしはひょっとしたら、奉太郎さんの無意識の力を解き放つ、鍵の役割を果たした女なのかもしれません」  
 
俺は何も言えなかった。  
 
「全部、わたしのたわいない夢みたいな思いつきです。でも、もしそうなら。奉太郎さん、それは、わたしにとって、とてもとても幸せなことです」  
 
千反田がため息を漏らす。きっと今は目を閉じている。俺は何も言うことが出来ない。じっと天井を見つめているだけだ。  
 
◇ ◇ ◇ ◇  
 

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