「あとで埋め合わせるから決めといて」  
 ふくちゃんからそう言われたのは、文化祭二日目、料理研のコンテストの時だった。  
それから半月が経つが、埋め合わせの内容は決まっていない。  
決められるわけがない。私がふくちゃんに何を求められるだろう。  
「デートして」? 「付き合って」? 馬鹿か。  
 そんなわけで何事もなかったかのようにしていたある金曜日、古典部部室である地学講義室でふくちゃんとふたりきりになった。  
ちーちゃんは家の用事で一時間以上前に帰っていた。どうも親戚関係の集まりらしい。名家のお嬢様も大変だね。  
折木は、今日はそもそも来ていない。いつものことだ。気にもならない。  
そういうわけで、下校時刻まで時間を潰していたのは、カバーのかかった文庫を読んでいたふくちゃんと、次の即売会に合わせる同人誌のネームを練っていた私だけだった。  
 下校のチャイムが鳴り、私たちは揃って席を立った。黙ったまま教室を出る。  
 ふくちゃんが私に話しかけてきたのは、地学講義室に施錠をしたときだった。  
「そういえば、摩耶花。『埋め合わせ』の内容、決まった?」  
 
「決まらない」  
 私は敢えて少しずらした回答をした。決まらないのではなく決められないのだ。  
ふくちゃんはどこまでわかっているのか、いつも浮かべている微笑を深めた。  
それが少し緊張しているように見えるのは、私の思い上がりだろうか。  
「じゃあ、明日、埋め合わせに付き合ってくれないかい?」  
 よくよく考えてみれば、「埋め合わせに付き合う」とは妙な言い回しだ。  
私のための埋め合わせでふくちゃんに付き合うなんて。  
でも、どうしても決めかねている私にとってはこの上ないほどの申し出でもあった。  
「別に、いいけど」  
 断わる理由もない。  
 
 翌日の土曜日は、小春日和の暖かい日だった。  
薄手のコートを羽織った私は、高校の前でふくちゃんを待っていた。  
時計の針は午前十一時の少し前。待ち合わせには少しだけ時間があった。  
 ふくちゃんの指示通り、高校までは歩いてきた。  
ショルダーバッグは学校で使っているものより少し大きめ。  
私は漫然と、校舎の時計を見上げていた。  
頭が少しだけふらつくのは睡眠不足だからだ。  
夕べはなかなか寝付けず、不本意ながら白い錠剤に頼ってしまった。  
それなのにどういうわけか朝早く目覚めすぎてしまって、こうしてふくちゃんを待つ羽目になってしまっている。  
時間ちょうどに来る予定だったのに。  
 果たして、ふくちゃんはやってきた。左のグリップを布で補強してある、いつものマウンテンバイクに乗って。  
時計は少し進んでいたけれど、まだ十一時にはなっていない。  
「ごめんね、待たせた?」  
 これがデートなら、「待っていないよ」とでも答えるべきだろう。だけど私は事実を述べた。  
「うん」  
 ふくちゃんが、少し噴き出した。  
それにしても、私には徒歩で来るように言ったのに、自分はマウンテンバイクとはどういうことだろう。  
てっきりバスにでも乗るものだと思っていたけれど。その疑問は、程なく解消されることになる。  
 
「摩耶花、乗って」  
 その言葉を理解するまでに少し時間がかかった。  
荷台のあるママチャリならともかく、ふくちゃんのは走りに特化したマウンテンバイクだ。  
二人乗りなどしようがない。  
私のいぶかしさを読み取ったのか、ふくちゃんは後輪を指差して照れくさそうに言った。  
「この日のために、魔改造を施したんだ」  
 人差し指の先を追って後輪を見ると、見慣れたマウンテンバイクに見慣れないものが装着されていた。  
後輪のちょうど真ん中、使い込まれたマウンテンバイクとはそぐわない新しさのそれは。  
「ハブステップ?」  
 ぴかぴかに輝く、丈夫そうな棒が左右に一本ずつ、取り付けられていた。  
なるほどこれなら二人乗りが可能だ。でも、ハブステップの二人乗りって禁止じゃなかったっけ?  
「今日だけ、だけどね。見つかったらよくないから、市街地には行けないけど」  
 促されるままに、私はハブステップに足を掛けた。  
両手は、ふくちゃんの肩を掴む。  
随分と頼りなさそうに見えるそれは、意外としっかり私の身体を支えてくれた。  
「しっかり掴まっててね。じゃあ行くよ」  
 
 そう言って、ふくちゃんはペダルをぐっと踏み込んだ。  
いつもよりぎこちなく、けれど十分スムーズにタイヤが回転する。  
身体がふわりと浮き上がるように錯覚した。  
それくらい危なげなく、マウンテンバイクはふたり分の体重を乗せて進んでゆく。  
 ふくちゃんが選んだのは、神山市北東部へと向かう道だった。  
つまり陣出、ちーちゃんの家がある方向だ。  
なるほど、陣出の方なら人通りも少なく、それに従い二人乗りを咎められる心配も少なくなる。  
 周りの風景が、いつも自転車で走るよりもずっと早く、飛ぶように過ぎてゆく。  
秋風が頬を撫でて髪を揺らした。  
今日は季節にしては暖かい日だけれど、こうしていると少し肌寒いくらいだ。  
マウンテンバイクを漕ぐふくちゃんの身体だけが、ぽかぽかと温かい。掌を通して伝わってくる。  
 辺りの風景が、田園地帯に変わってきた。  
それでもふくちゃんはペダルを漕ぐのをやめない。  
ここは確か、なだらかな坂が続いているはずだ。  
車体の傾きも感じている。なのに息も切らさず、ただひたすら漕ぎ続ける。  
前へ、前へと。  
 
 できることなら叫び出したかった。  
この感情をなんと呼ぶのか知らない。  
私のためにわざわざこんなことをしてくれたことに対する愛しさか、何も返そうとしないくせにここまでしてくれることへの怒りか。  
わけのわからない感情は、全部秋の風が攫ってゆく。  
 少しの間きつい坂を上ったと思ったら、下り坂へと差し掛かった。  
視界の隅をお堂が過ぎてゆく。  
広がる平野を横目に、小川に沿ってマウンテンバイクは走る。  
古びた橋を渡り、更に上流へと遡る。  
ここまで来れば、私にもふくちゃんの目指すところがわかった。  
山に食い込むように建っている、水梨神社だ。  
 マウンテンバイクは、小さな鳥居の前で止まった。  
車体が傾くのに合わせて、反射的に足を地面に付く。  
身体は冷えていたけれど、手だけが不思議なくらい熱かった。  
 
「ここまでだね、僕の脚の限界は」  
 ふくちゃんの言葉に促されるように、私はハブステップから足を下ろした。  
ずっと後ろで揺られていたからか、久しぶりに踏みしめる地面はふわふわと頼りなく感じる。  
ふくちゃんもすぐに降りて、紐状の鍵でマウンテンバイクを鳥居に固定する。  
そんなことして罰が当たらないのかなと思うけど、信心深い方でもないので口には出さない。  
ふくちゃんも、そんなことは全く気にしていないようだ。  
 鳥居をくぐると、ふくちゃんは狭い石段に腰掛けた。  
私もそれに倣い、一段高いところに腰を据える。  
いつもなら見上げているふくちゃんと同じ目線なのが、なんだか新鮮だった。  
 走り出したときには傾いていた太陽は、すっかり真上を指している。  
時計を確認すると、もう昼近い時刻だった。  
そんなにも長い間、ふたりで走っていたのだ。  
 
 ふくちゃんは何も言わない。だから私も黙っていた。  
石段は木陰になっていて、風が通り抜けると温かさも霧散するような気がする。  
けれど寒さを感じないのは、付かず離れずの距離にいるふくちゃんの身体が温かいからだ。  
 不意に、ふくちゃんが口を開いた。  
「これくらいしか思いつかなかったんだ」  
 なにが、とは言わない。それでもなんとなく、わかった気になっていた。  
ふくちゃんはまだ、私を選べない。それだけははっきりとわかっていた。  
 それなのに、この満たされた気持ちはなんだろう。  
喜びとも高揚とも付かない不思議な胸の高鳴りは、なんなのだろう。  
私は何も語れずに、ショルダーバッグに手を突っ込んだ。  
 
「これ」  
 差し出したのは大きめのタッパー。  
中には色とりどりのおにぎりが詰まっている。  
赤いのは、ゆかりと梅干。白ごまを混ぜ込んだのはしぐれ煮が中に入っている。  
薄茶色のは大葉醤油を混ぜたものだ。  
午前から出かけたのなら昼時にいいだろうと、時間を持て余した朝に作ったものだった。  
 ふくちゃんは一瞬、面食らったような顔をした。  
でもそれも一瞬のこと、すぐに破顔する。  
私の大好きな、ふくちゃんの笑顔だった。  
「ありがとう、摩耶花」  
 短い言葉が、私の胸へと染み渡る。ああ、私はやっぱりふくちゃんが好きなのだ。  
 
 私たちは夕方近くになって、神山高校の前で別れた。  
一度マウンテンバイクから降りたふくちゃんは、後輪のハブステップを外し、いつもの巾着袋から取り出した小さな布袋にそれを入れて手渡してきた。  
隅に天秤を刺繍してあるそれがふくちゃんの手縫いであることは想像に難くない。  
「僕にはいらないから、摩耶花に」  
 私はそれを受け取った。  
そして帰宅すると、それをずっと眺めて過ごした。  
 確かにこれは、ふくちゃんには必要のないものだ。  
でもそれを私にくれるのは、どんな意味があるのだろう。  
私にはこれが必要だということだろうか。  
私がこれを、ふくちゃんと一緒にどこまでも行ける証であるこれを、必要としてもいいということだろうか。  
 疑問は決して解消されない。それでも私は、一つだけ確信していた。  
 今夜、睡眠薬は必要ない。  
 
 

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