風邪をひいたのは、今年で二度目になる。
一度目は千反田に請われ参加した祭りの翌日のこと。
その件に関しては、俺の誕生日に起きた気まずい出来事のこともあって、これまで意識して思い出さない
ようにしていたのだが、しかしこの状況ではどうしてもあの日がフラッシュバックしてしまう。
「大丈夫ですか、折木さん」
千反田の気遣いに、俺は内心で嘆息してしまう。
熱でだるい身体とうまく回らない頭。見舞いにやってきた千反田。
千反田に非はないのだが、あまり思い出しくない記憶と体調の悪さから、どうにも気分が落ち着かない。
加えて今回は――
「叔父以外の男性の部屋に入るのは、初めてかもしれません」
俺が小学校から使っている学習机の椅子に行儀よく腰を降ろしながら、千反田はどこか気恥ずかしそうに
そう言った。
「すまんな」
前回はリビングで応対したのだが、今日は姉貴がそこを占領していた。
客が来たから空けろと言っても、ドラマの続きが見たいと言って席を譲る気配を見せない。
家族の前で学校の友人と話すというのはどうにも気恥ずかしく、まして相手が折木供恵と千反田えるとあっては
俺も妥協せざる負えなかった。即ち、千反田を俺の部屋に入れるという妥協を。
「いえ。異性の自室というのに、興味もありましたから」
詫びる俺に、知らない人間が聞いたら誤解を招きそうな返しをする千反田。
千反田の場合、単純に自分が知らないものに対する好奇心からそのように言っているだけなのだろうが。
「……そういうもの言いは、控えた方がいい」
「えっ」
熱のせいだろう、頭に靄がかかったようで考えがうまくまとめられない。
俺はそれが果たして口に出すべきことなのか、口にしていいことなのかの判断もつかぬまま、唇を動かしていた。
「異性の部屋に興味、なんて言ったら、相手が邪な下心を抱きかねない」
千反田は俺が何を言っているのか分からない様子で、目を丸くしてぽかんとしていた。
そんな反応に、何故か苛立ちが起こる。
「あの、折木さん……」
「お前だって年頃なんだからそんな無防備に……」
早口に説教めいた、普段の俺なら間違っても口にしないような文句をまくしたてようとした瞬間、視界が歪んだ。
「お、折木さん!」
膝から力が抜け、カーペットの上に倒れこんでしまう。
千反田の悲鳴のような声を耳にしながら、俺は意識を手放してしまった。
温かい。
冷たい。
気持ちいい。
どうにも言葉にしがたい、けれどこの上なく心地よい感覚。
夢を見ているのだろうか。
自分が誰なのかさえ分からないくらい、宙に浮いたようなふわふわとした意識のなかで、
ただ額から安らかな感触が伝わってくる。
瞼を上げたいのだが、どうにも重たくてうまく開けない。
ようやく見え始めた霞んだ視界の中で、誰かが俺の顔を覗き込んでいる。
誰だろう?分からない。
けれど、その顔にどこか安堵を感じている自分がいた。
「大丈夫ですか」
鈴のような声が耳に響く。大丈夫だ、と伝えたいのにうまく言葉を発せない。
どうにか顎を引いてうなづいて見せる。
「よかった……」
額に当てられていた手が離れる。同時に、あの心地よい感覚も。
待ってくれと言おうとしたのに、唇が震えるばかりで声にならない。
もう少しの間、その感触にふれていたいのに。
次の瞬間、両の頬がやさしく包み込まれる。
ああ、これだ。これがほしかった。
包み込む掌から伝わる感触に、意識せず頬が緩むのを止められない。
もっとほしい。もっと、この安らぎを感じたい。
もがくように腕を上げる。頬にあてられた掌に、自分の掌を重ねる。
「あっ……」
一瞬、相手の手が驚いたようにびくりと動く。また掌を離されたくなくて、俺は相手の掌を強く
握りしめた。
温かい。冷たい。気持ちよい。
額から、頬から伝わるのと同じように、掌からもその心地よい感覚が伝わってくる。
もっと、もっとと欲しがる思いが止められない。
相手の掌から手首へ、手首から肘へ、肘から肩へ。
「えっ……ぁ……」
心地よい、けれど足りない。
手首から先は衣服に包まれていて、あの感触を直に感じとれない。
「……は……んっ………」
肩を伝って、衣服の首元から剥き出しになった鎖骨のラインをなぞる。
微かに、相手が震えているのを感じる。指を動かすと、時折ビクンと大きく反応する。
それがおもしろくなって、相手がより反応を示す場所を探しながら指を動かした。
「はぁ……ぁ……ふあ……んんっ」
首筋からうなじへ。耳の後ろの辺りをさすり、指の腹で撫でまわす。
耳たぶを弄ぶと、くすぐったそうに身をよじる。
愛おしい、という感情がどこからともなく溢れてだして止まらない。
周囲に雑音はなく、視界には「彼女」しかいない。
指先から伝わる心地よい感触と、彼女の姿と、彼女が漏らす吐息と。
ここにあるのは、それだけ。
そのどれもが心地よく、どうしようもなく満たされたような思いが胸を満たしていた。
もう片方の手もどうにか伸ばして、彼女がそうし続けているように、両頬を包み込む。
彼女の潤んだ瞳と視線が合う。
美しい。かわいらしい。愛おしい。
もっと、ずっと、永遠に愛でていたいと、心の底からそう思う。
指先と腕に力を込め、彼女の顔を引き寄せた。
「あ……」
まるで磁石にひかれるかのように、唇と唇がひき寄せあう。
瞬間、電流が流れた。
指先から伝わるそれとは比べ物にならないほどの甘美な感覚に、身が震えるのを感じる。
触れ合うその一点から、相手の熱が、香りが、甘さが伝わってくる。
もっと感じたい。もっと味わいたい。
相手が身を離そうとするのを感じ、指先に少し力をこめた。
そのまま、相手の唇をついばむように、俺は唇を動かし始める。
「んっ……ふぁ……ん……んふぅう……」
舌先で唇のラインをなぞり、口紅を塗るかのように舌に絡めた唾液を塗りたくる。
さらに、口を開け、相手の唇を包み込み、飴玉をしゃぶる幼子のように、彼女の唇の膨らみを自らの唇でもみほぐす。
「……ん、んぅ……ふぁあ……あっ………」
漏れ出す吐息をこらえきれないというように、彼女の唇が開く。
そこへ舌先を滑り込ませ、彼女の舌に自身の舌を絡ませた。
「んちゅ……ん……はむぅ……ちゅる………んふうう……」
頬にあてていた手は、いつの間にか彼女を抱きしめるように肩に回されていた。
彼女の指も俺の頬を離れ、悶えるようにベッドのシーツを握りしめている。
舌を動かすたびにビクンビクンと身体が震え、そのたびにぎゅっとシーツに皴をつくる。
彼女もまた、自分と同じようにこの感覚に震えているのだろうか。
「んちゅ、ん……ちゅぱ……んぁ……ふぅん……っ」
いつしか、彼女の方からも舌を絡ませてきていた。
それが嬉しくなって、俺も更に舌先に意識を集中させる。
もっと、もっと、もっと。
熱病に浮かされたように、俺たちは互いの舌を絡ませ合った。
……数分もそうしていただろうか。
どちらかともなくゆっくりと唇を離すと、絡めあった二人の唾液がねっとりと糸を引いた。
彼女は横たわった俺に覆いかぶさるように、ベッドに肘をつき、俺を見下ろしている。
その瞳は潤み、どこか焦点を失ったかのように揺らいでいた。
赤みを帯びて汗ばんだ頬に、微かに震えた唇から洩れる吐息。
恐らく、俺も似たような有様になっているのだろう。
互いから伝わる熱に身体が火照り、時折ビクンと痙攣するのを止められない。
「……ぁ……あの……」
彼女が何か言いかける。
それを言わせてしまったらこの夢のような時間を終わってしまうような気がして、俺は――