「折木さん、お気付きでしたか。このところ地学準備室に栗の花のような香りが漂っていることがあるんです。
あれはどうしてなんでしょう。わたし気になります」
「(面倒なことをしてくれたな、里志に伊原)」
「そんなことはないんじゃないか。俺は一度も感じたことがないぞ」
「いいえ、間違いありません。折木さんはお忘れですか。
わたし、お鼻にはちょっと自信があります」
千反田はそう言って、拗ねたように少し口を尖らせてこちらを覗きこんできた。
甘えるような態度を見せるのは千反田には珍しいことだ。
答えに詰まっているうちに、からかうような、試すような色が瞳に浮かんでいることに気がついた。
こいつはもしかして、全部分かっていて言ってるんじゃないだろうか。
分かっていて話を振っているなら、その意図はなんだ。
間違っても知り尽くしているなどと勘違いすることはしないが、
千反田は下世話な冗談を口にする性格ではない。少なくとも俺はそう思っている。
そうであれば、こいつはいったいどういう返事を期待しているのか。
動揺する思考をつばとともにに飲み込み、平静を装って俺は口を開いた。
「そうだったな。とはいえ、俺は気付いていなかったんだからなにも言えないぞ」
それもそうですね、と言って千反田は右手を形のよいあごに添えて黙り込んだ。
とはいえ、好奇心の権化である千反田がこれで引き下がるはずがない。
なにか思いついたのか、やにわに勢い良く顔を上げ、こちらを見上げてきた。
ついでに一歩踏み込んでくる。いつもながら距離が近い。
「それでは、わたしが気付いたことをお話ししますので、
折木さんはお知恵を貸して下さいませんか」
「ようするに、いつも通りにしろということか」
俺は軽く顔をしかめた。
非常に心外なことなのだが、俺はなぜか理屈をまとめて謎を解くという
探偵のような役回りになることが多い。
千反田は困ったような笑顔を浮かべたものの、否定はしなかった。
まっすぐにこちらの目を見つめてくる。
こいつは話すときに相手からけして目を逸らさないのだ。
千反田の目はあいかわらず大きい。
この目に見据えられると、なぜだか俺はこいつを拒めなくなる。
しかも気のせいだろうか、今日は普段よりも艶めかしく見える。