冬休みが終わり神山高校は新学期を迎えた。
それは俺と千反田が正月に豪奢な蔵に閉じ込められたのを
福部里志と伊原摩耶花の機転によって救いだされてから丁度一週間目にあたる。
しかしそれは、伊原が失踪を遂げてから一週間ということにもなる。
その間の里志の憔悴ぶりは見ていて居た堪れない程だが、
伊原の両親にしてみれば、俺たちがどんなに伊原摩耶花を心配したところで
所詮は娘の友達。つまり赤の他人しか過ぎない。
俺たちはそんな無力感に打ちひしがれながら、新学期そうそう古典部の部室で力なく項垂れていた。
「……なあ、ほうたろう」
里志が頭を垂れたままで俺に語りかける。
「……摩耶花はさぁ、あれで結構可愛いだろう?」
俺には微妙に異論があるのだが、ここは水を差す所ではない。
「ああいう小学生みたいな風体をしてるのが、一部の好事家にはたまらないらしいんだよ」
里志は摩耶花が失踪して以来、オウムがえしのように同じ発言を繰り返している。
そう、変質者による突発的な犯行の線は、警察も初動から念頭に置いて捜査をしている
らしいが、未だ遅々として状況は進展していない。
それは千反田からも逐一報告されていた。
「こうしてる間にも、摩耶花は……」
里志は身悶える様に頭をかきむしる。
「……福部さん、伊原さんは絶対そんな目にはあっていません」
千反田はそう言ってうな垂れる里志の背中に手を添える。
それを見据える俺。
辛いか?里志。……しかし安心しろ。
もうすぐ事件は解決するぞ。
先日、里志がなけなしの貯金をはたいて雇い入れたというS&Rとかいう興信所の探偵が
俺の家を訪ねてきた。
その紺屋とかいう探偵は愛想笑いをしながら、俺と千反田が蔵に閉じ込められていた
空白の時間のアリバイを聞き出そうとした。
この段になっても里志はその事を警察や、自らが雇い入れた探偵に話していないのかと
驚いたが、その信義を重んじる里志の友情に、感動を覚えないと言えば嘘になった。
そう、俺と千反田は本当にただ蔵に閉じ込められていただけで、何もやましい事はしていない。
里志はそのことを判っているからこそ、周囲の好奇の視線に俺と千反田を晒さない為に、
沈黙を貫いてくれているのだ。
しかし伊原摩耶花は違った。
その探偵によると、伊原はあれほど千反田家の令嬢として世間体を気にしなければいけない
千反田に向かって、
俺と二人きりで閉じ込められていた蔵から出てきた直後、
「あ!ちーちゃん帯留めがずれてるよっ」といって、千反田の帯留めを
そそくさと直すところをお手伝いさんに目撃されているそうだ。
程なく千反田と伊原は二人で何処かへ消えたかと思うと、再び戻ってきたのは
千反田だけだったという。
その証言に俺は絶句した。
だって、千反田だって帯留めがずれていたくらいで、出来れば伊原を殺したくはなかった筈だから。
しかし千反田は、千反田家という背負ってるものの大きさを考えたときに、摩耶花という醜聞の種を放置する訳には行かなかったに違いない。千反田のおおばかやろう。
「千反田っ」
そう呟く俺を、眼前の探偵は見据えている。
思えば千反田は氷菓事件からこのかた、何をするにも俺を頼ってきた。
菩薩の様な顔立ちと裏腹に修羅の道を突き進もうとする千反田に、
俺が引導をわたしてやらないで、誰が引導を渡せるだろうか。
……だから俺は、その探偵に「当日、その証言の前に、俺と千反田はセックスをしていた」と答えた。
程なくその醜聞は、その探偵の口によって神山市全域に駆け巡ることになるだろう。
これだけで、千反田えるが仕掛けた動機なき完全犯罪はあっけなく崩れ去るのだ。
そう、千反田がそうまでして守らなければならなかった千反田家のしがらみから開放されるのはもうすぐだ。
千反田家の広大な敷地内から掘り起こされる伊原の遺体によって……。
里志を慰める千反田は流し目でチラチラと俺を伺う。結わいた長髪の、
結びそびれた後れ毛が頬に枝垂れるのがなんとも艶めかしい。
俺はその艶めかしさを生涯忘れることはないだろう。そんな予感がする。
そんな千反田を見据えながら、俺は心の中で別れを告げた。
さようなら。千反田。