「千反田、どうした?」
不意に俺の教室までやってきた千反田は人目もはばからず弁当を食べていた俺の手首を掴むと、
顔をうなだらせたまま人気無い階段の踊場まで俺を引き立てた。
「また厄介ごとか?」
千反田は背中をみせているため、その表情を伺い知ることができないが、
面倒事なら勘弁してほしい。
「おい、千反…」
「わたし、告白されました」
俺の言葉を遮るように、千反田は背中を向けたまま俺に呟いた。
「告白?」
言葉の意味が判らずに、俺は千反田に問い返した。
「放送部長の吉野さんに、わたし、告白されました」
千反田家の一人娘に告白する怖い物知らずがこの学校に居るとは……。
千反田からその話を聞いたとき、まず俺が思い浮かべたことは、そんな事だった。
「……折木さん、どう思いますか?」
背中を向けたままそう呟く千反田に、俺は憤りがこみ上げてきた。
よくよく考えて見てほしい。
俺は箸を手に握ったままで、頬にはご飯粒がついているかもしれないのだ。
「そんな事……、自分で考えれば答えは明白だろう?」
俺は捨て鉢にそう答えた。
「折木さんは、どう思いますか?」
しかし千反田は、同じ言葉を繰り返えす。
何だってこんな話を俺に……。そう、これは俺の問題ではない、色恋沙汰などというのは当事者同士で
解決しなければいけない問題なのだ。
なので自らの酷薄さに幾許かの心に痛みを感じながらも、俺は千反田を突き放すように
言葉を発した。
「すまん、そればっかりは俺の問題じゃない」
しばらく無言のまま背中を見せていた千反田。なぜかその時間が俺にはとても長く感じた。
「そうですか……」
千反田は顔をうなだらせたままそう呟くと、その身を翻した。
「お、おい」
その刹那の千反田の美しさに、思わず俺は声を掛けたが、
そんな俺を無視するように千反田は、足早にもと来た階段を駆け下りてゆく。
「なんなんだ、あいつは」
その時の俺には、そう独り言を呟いて、おどけるほかにすることは思い当たらなかった。
後年、そのときの俺の不可解な憤りが「嫉妬」と呼ばれるものであったと気がついたのは、
大学をでて東京で働く俺のもとに、どうやって調べたのか、千反田から婚礼の招待状が
届いてからだった。