「ん――むっ……!?」  
 唐突に首筋に腕が廻ったかと思うと、京介の唇は甘く塞がれる。彼女の唇は、とても甘いのだ。  
   
 『あぁああ〜〜〜〜ッッ!!!』  
 「ムギィッッ!!?」  
   
 小麦と恵の声がハモり、琉奈はほかほかの湯気立つ湯飲みを落とす。  
 
 「うわぁ…」、  
 口元に手を当て惚けたような声を漏らす櫻井明日香だの、ヒュー、と口笛を吹く壬生シロー、  
「あれ、今変な声が……」、とムギバッヂの声を気に掛ける国分寺こよりなど、周囲の反応も様々だ。  
ついさっきまで烈火の如きブチ切れようを見せていた桐原夕映も席に座ったまま硬直する。  
 「ん――んん〜〜……っ♪」  
   
 ――ちうぅうう〜〜!  
 
 そんな彼らを尻目にまるでハリウッド映画のスクリーンでよく見られる互いの(とはいっても一方的だが)唇をぶつけ合い  
、貪る大人のキス一歩手前な烈しいキスに彼女はとろける。  
 「んふ……♪ んぅ、ふぁ――ぁん……!」  
 「……! ――!!」  
 
 円を描くように美しい貌を揺り動かし、京介の唇全体に自らの濡れそぼった朱唇をなすりつけ、  
はぷっ…、と唇で唇を包み込むように押しつけて粘膜の接触に酔いしれる、傍目にはディープキスと何ら変わらない様にこういった現場にあまり免疫ない明日香なんかもうドキドキだ。  
 こよりもいつしかそこに熱い視線を送ってたりする。  
 そんな、キス魔な彼女に京介は頭が真っ白になったり目を白黒させたり思わず鼻呼吸忘れて呼吸困難になりかけ三重苦で大変だ。  
 「かっ、はぁ――♪ ぷはぁッ! うん、クライマックスでのキスはぁ、こんな感じでいいのかしら? ねぇ京介くん、私のくちびるどうでした? 私上手にできたかな……?」  
 と、接吻の余韻に頬を染め、唇に人差し指を当てて、感想を求めてみるけど  
 
 「う、う〜ん………」  
 
 「――わぁ、わっ? 京介くんっ」  
 たまたま近くにいたこよりに倒れかかる京介くんだった。呼吸困難で顔色はすっかりタブー中のタブーに触れた感じになっている。  
 「あらあら……大丈夫?」  
   
 「くぅぅッ! お、おにょれ〜〜!! 一度のみならず二度までも!! こ、今回ばかりはいくら女神といえどゆるさんぜよ〜ッ!」  
 拍子抜けな彼女についに小麦は反旗を翻すけど、至ってすまし顔で両手で軽く耳を塞いでわざとらしく頭を振ってみせる。  
 
 「アーアーきこえなーい、きこえなーい! んふふ、ほぉら、京介くん、起きて。今日は私の役作りに付き合ってくれるって約束でしたでしょ…?  
 いくら不意打ちだったからって役者たるもの、いつ如何なる時も役に入り込んでくれなくっちゃ、駄目ですよ――♪」  
 
 「女神……?」  
 
 耳慣れない単語に目を丸くするこよりからグロッキー状態の京介を抱きかかえ、  
 「もう、しょうがないですねぇ、それならもう一回――この姿勢からするキスシーンもあったし、ね♪」  
 ――今一度、眠りの王子様にせまる、唇。  
   
 『むきいぃ〜〜〜〜ッッ!!』  
 小麦、恵のジェラシーヤキモキっぷりも、フーフー吹かれるファンファーレのようで。  
 
 「……み……みさき……さん――?」  
   
 触れる直前で、止まる。今の二人の距離のように。  
   
 
 ――『岬真夜』と彼女は名乗った。  
 通りで歩く方向が同じと思ったら、なんと彼女は件のオーディションの合格者だったのだ。  
同時間帯にJUNESへ挨拶しに行こうとしたところ、たまたま共演者である伊達京介と出くわしたって訳だ。  
 しかも住んでいる場所が京介宅と近いマンションと判って色々話も弾んだところでもう時間がないことに気付き、慌てて事務所に着いた時は既に約束の時間を過ぎていた。  
初めて、と言うことでリチャード社長は大目に見てくれたものの、車を運転してくれるマネージャーに迷惑を掛けてしまい、京介はばつの悪い貌をする。  
 ため息をつく中で、自分と真夜の会話を見て、  
 
 「お前達、本当にさっき会ったばかりなのか?」  
 眉を眉間に寄せ、リチャード・ヴィンセントは訝しがる。大理石で出来た机に肘を載せ、鼻の前で両手を組み貌の支えとする。  
 「あ、はい。そうですけど……それが、何か?」  
 真夜も一つ頷く。  
 
 「いや、他意はないさ。ただ、お前達を見ているともう永いこと連れ添った恋人達のようでな。  
なんとなくそんな気がしたんだ。でも、それだけ意気投合してるなら今度の映画も成功間違いなし、だな」  
 と破顔する。すっかり機嫌が戻ったみたいだ。京介はそれに戸惑いながらも笑顔で応えるが、彼女はただ、  
はい、ありがとうございます! と何だか必要以上なほどにこやかに頭を下げた。  
 
 ――恋人か…………そうか、な。  
 
 ということを思い出していた、キリプロへと向かう車上で真夜に演技の方向性や役作りについて訊かれる。台本はもうこちらの手に渡っており  
、それぞれ別に監督とも会ってある程度指示は受けている。撮影は未だ少し先で今は役者が事前に演技を練り上げる期間だと言ってもいい。  
 そういうわけで主演同士、役作りに付き合って欲しいというのだ。無論彼は快く承諾したその矢先。キリプロ応接間の扉の前。  
 
 『――あ、あんですとォッッ!! この転落乳女!! もうその使い古された乳も垂れてきてるクセにィッ!!』  
 『るっさいわねェッッ!! 垂れてないわよ!! だいたいねー、生中継のテレビカメラぶっ壊したりイベントドタキャンしたりまるで  
癇癪起こしたリッ○ー・ブラッ○モアやマイ○ル・シェ○カーみたいなことばかりしてるアンタがどーして京介さんと……――!!』  
 
 「また、かな……」  
 扉の向こうでまさに今真っ最中ないつもの“祭り”に思わず苦笑を漏らす京介。尤も、何故喧嘩してるのかまでは読み取れないが。  
 心中で随分とまあマニアックな悪口言うのね……この作者の趣味丸出し。と余計なお世話なこと思ったりしながら真夜は、  
 「いつも、こんなに賑やかなのかしら?」  
 と、問う。  
 
 「ええ、少なくとも僕がいるときはこんな感じですよ。けど、ここだけの話、飽きないんですよねー。みていると」  
 と、京介は少し悪戯な貌をする。小麦達の前では見せない表情。キャリアは京介の方が遙かに上なれど  
、年下だからついつい敬語口調となる。  
 「そう……」  
 穏やかな顔を京介に向けた後、一転して扉を見つめて。  
 「いい、職場ですね」  
 と続ける。  
 「うん、普段から中原さん達とは仲良くさせて貰ってますからね。いろんな現場でもよく会うし、これからうまくやっていけそう? 岬さん」  
 「もちろん! ――京介くん、改めて、これからよろしくお願いしますね」  
 「――こちらこそ」  
 「それから……」  
 
 ――ぎゅっと。  
 
 左手に伝わる、柔らかな感触。隣の人の体温が直に。彼が見ると、細くしなやかな手が繋がれている。  
 「さっきの、役作りのことも。今日はみっちりと付き合って貰うんですから。ふたりで、頑張りましょ」  
 ああ、そうだった。ついうっかりと。  
 「あ――うん、一緒に、いい映画にしようね、岬さん」  
 こくん、と真夜は満足げに頷く――。  
 
 『……あんたら、いい加減に――』  
 『ヤッベ! 拙い、逃げろッッ!!』  
 
 『もう撮影も近いんだからとっとと自主連でもしてきなさいッッッ!!!!』  
 
 扉の外なのにまるで耳元でされたような怒号に二人は耳を塞ぐ。  
 『は、は〜〜〜いッッ!』  
 扉は開け放たれ、飛び出した勢いで体当たりされる。  
   
 「いてて……」  
 「痛ぅ〜…っ! あ、アンタ、何処見て歩ッてんのよ!! ちゃんと避けなさいよッッ!」  
 「ははは、ごめんね、でも、今のはちょっとしかたないんじゃあないかな」  
 
 「………全く、もう」  
 「あいたたた………にゃはは、ごめんごめ〜ん、だいじょぶだったかにゃ?」  
 「相変わらず、元気そうでなによりですね。小麦ちゃん」  
 二人はそれぞれ受け止めてくれた主を見て、見覚えのある貌に驚く。   
 「――京介さん!!?」  
 「――マヤたん!?」  
 「ま、マヤ様!?」  
 
 最後のは無論のことムギまることムギバッヂである。幸いにも二人の声にかき消されて誰も気にとめない。  
 「や、やあ、恵さん、中原さん」  
 乾いた笑いをする京介に対し、真夜は。  
   
 「いやですわそんな♪ かわいいだなんて〜、もう♪」  
   
 可愛らしい八重歯を覗かせ今日も絶好調だ。  
 
 場は一転してしらけたムードに包まれるけど、取りあえず小麦はお約束とも言うべきリアクションする。  
 「いや、言ってないし……ってそーじゃなくて! 今日は一体何しにこっちへ!? 今度こそモノホンのあんぐらーでも現れたの!?」  
 勢いこんで小麦や真夜にとって色々とNGな事を口走る。  
 「――ね、ねえねえ。あんた、あの人と知り合い? マヤたん、とかいってたけど。何なの、あんぐらーって」  
 恵は小麦に耳打ちする。  
 「えッ――!? あー…にゃ、にゃはははは……えーと、そにょー、あにょー、って! ちょっとマヤたん!? どさくさにまぎれて何やってんの、ダメ〜!」  
ちゃっかり手を繋ぎ治していたマヤの手を退かそうとするが、さながらバスケットやサッカーのドリブル見たく小麦の手が空を切る。  
 「よッ! くぉのッ――! ちょっと目を離すと油断も隙もないんだから ちょっとこの、離れなさい、よッ!」  
 下を攻めれば上に、上を捕まえようとすれば下に、小麦が必死に追いかける手をするっと通り抜け、肝心の京介はと言えば戸惑いつつも身を任すしかできなかった。  
縄跳びの縄を回す側みたいな動きで真夜はにこやかに軽やかに小麦をかわしていく。  
 「――そ! そうよ、離しなさいよ、アンタみたいな何処の馬の骨とも知らない娘に京介さんを――!」  
   
 「――離さない」  
 
 その言葉をきっかけに、水を打ったようにまた場が静まる。  
 「え……」  
 「――聞こえませんでしたの? 離さない、っていいましたのよ」  
 「岬さん……?」  
 
 「マヤたん……?」  
 雰囲気が、変わった。未だにその貌は笑みに塗り込められているものの、空気の彩は確実に違っている。  
一見、無慈悲な夜気の冷たさに包まれているようでも、何よりも、強く暖かな何かを裡に隠した双眸に射すくめられ、二人は動けない。  
何ものをも超越した覚悟が、本能を凌駕する魂が其処にあったから。  
 
 「くっ――! あ、あんたねぇッッ!」  
 それでも気性の荒い恵はくってかかろうとするが、焼け石に水という言葉を思い知る。  
 「あたしはもう、二度と京介くんを離しはしない」  
   
   
 面会室いっぱいに声が響き渡る。  
 「えぇえぇ〜〜ッッ!! ま、マヤたんが主演〜〜!!? あの主演女優オーディション合格者ってマジ!!?」  
 聞いてないッスよ社長!! な小麦は一気にまくし立てる。折角ヒロインとは行かないまでもFAKE新作で準メインの座を射止めてた小麦は  
思いっきり面食らった調子で真夜を見る。先の喧嘩の原因は此処にあったわけだが。  
 「マジな合格、見せてあげましたわ♪」ってな感じで彼女は某機動戦艦の女艦長ばりのVサインを送る。  
 小麦達に知らされた情報と言えば、二十三歳で、看護婦免許を取得しているということだった。  
 「あら? 言ってなかったっけ? まあなにぶんまだ一般発表は先だし、仕方ないとこもあるか――でも関係者の間ではすこぶる評判なのよ。  
『一目見た瞬間、今回のヒロインは彼女しかいないと心に決めてた』とか、『ミステリアスなふいんき――じゃあなかった雰囲気がぴったりな美少女』だとか  
、『いま欲しいんだよね〜、君の力が』とか、『コロモノコロカラカノジョニアコガレチタ』とか」  
 「――なに最後の今さらオンド○ルは」  
 
 琉奈の至極もっともな突っ込みを華麗にスルーして女だてらに  
一癖もフタクセもあるタレント連中をまとめる若き敏腕社長・桐原夕映は続ける。  
 
 「これ食っていいかな?」  
 横からお茶請けのチーズおかきをひとつまみしたシローを横目に、琉奈が後ろを向いて、  
 「バカばっか」  
 と愚痴り、  
 
 「『美少女』って! いくらなんでもそれは無いムギよっ。だってマヤ様、ああみえて実は何万年モガガガ……」  
 「一言多いウサギ」  
  やはり小声で呟くムギバッヂを手だけ動かして笑顔のまま真夜が無言で握りつぶす一方、  
 「なるほど……こうしてみると確かに……」  
 まじまじと品定めするかのように真夜を見上げる女社長。  
 「……あ、あの〜……なんでしょう?」  
 視線に耐えきれずに冷や汗をかく真夜。  
 「うん、よしっ!」  
 と腕組みして夕映は何事か得心する。小麦達の方を向き直って、  
 「あなた達、気合い入れてかからないとこの娘に喰われちゃうわよ」  
 と、告げる。   
 「まあヒロイン役だからそれも当たり前か……さすがはあの伊達京介と共演と言うことで集まった  
三万人の中から見事選ばれたラッキー・ガールなだけあるわね……あなた、売れるわよ? このあたしが言うんだから間違いない。  
正直、うちの事務所に欲しいくらいよ」  
 「うちみたいな中小企業の社長が何言ったってねェ」  
 思わず肩を竦めるシローだ。  
 「シローちゃん、何か言ったかしらぁ?」  
 
 「いんや別に」  
 「とにかく、頑張ってね。岬真夜さん。あたしも影ながら応援してるわ。むしろうちの子達が足を引っ張らないか心配よ。特に――」  
 
 「あ、あたし? なんで?」  
 自分を指さして、解りきったことを小麦は言う。  
 「なんでじゃない! あなたはうちの子達の中でも明日香についで重要な役に選ばれたのよ! 今回だけは失敗できないの、解る!?」  
 「――はあ……そのぉ、前向きに善処しますですはい」  
 まだまださっきの喧嘩が尾を引いているようだ。ぽりぽりと額を掻きつつ、小麦は上目遣いで俯く。  
 
 「やれやれムギ。ま〜ったく期待されてないムギね〜、それもこれも普段の行いが」  
 小麦にしか解らない小声で愚痴るムギバッヂを拳で黙らせる。  
 「小麦ちゃんも前回『FAKE2』での役どころが評価された上での抜擢なんだから、しっかり頑張るようにね!」  
 「は、はぁ〜い。しょぼーん」  
 応援されてるのにそんなに嬉しくないのは何故? と小麦は自問する。  
   
 「――ということは、あなたがあたしの“恋敵”ってワケね。宜しく。櫻井明日香よ。知ってると思うけど、いちお、ね」  
 役柄上で指名しながら、黒髪ツインテールが印象的な、引き締まった肢体でのハード・アクションが定評の明日香は握手を求める。  
FAKEシリーズでは伊達京介と並んで主役の立場にあるが、今回は“外伝”ということで準ヒロイン的な位置づけだ。  
因みに今回のアクションの見所はというとベレッタM92二挺を携えてのクライマックスオール殺陣だ。  
攻撃面では120%上昇、防御面では64%上昇で今までとはひと味違ったものとなるんだそうな。  
 「ええ。私からも宜しくお願いしますね、櫻井さん」  
 
 「明日香でいいよー。その代わり、こっちも真夜さんって呼ばせて貰うけどね」  
 互いの手が結ばれる。  
   
 ――真夜さん、か……。  
 
 京介を横目に見る。振り向いて、笑みを返してくれる。  
 
 「ん? 真夜さん、どうかした?」  
 「え――ええ。お好きにどうぞ」  
 
 それから彼女は同じく顔合わせにやってきていた国分寺こよりと言葉を交わす。お互いのんびりとした性格からか、  
それとも声が似ているからか直ぐにうち解けたようだ。恵はもともと今回の映画とは別口の仕事を受けていた、  
つまり仲間はずれなのと第一印象が最悪だった所為もあってすっかりふてくされてしまっていた。  
 「さっきは騒ぎを聞きつけた社長がきたおかげで流れたけど、あたしは認めないんだから……!   
ったく夕映社長は何だってあんな女の肩を持つのかしらぶつぶつ……」  
 とはいえ、何故か強く言い出せない恵であった。あの眼に射すくめられた時、真夜と京介の間に隙を見いだせなかったから――彼女自身は気付いてないが。  
琉奈は表面上は穏やかにお茶を飲んでいる。傍観を決め込むようだ。お茶菓子の水ようかんをもそもそと口に運んではずずずい〜と啜る。  
 
 「ねぇねぇ、ムギまるは何でこっちに来たのか聞いてないのー? コマチちゃんの時みたいにさ」  
 小声で小麦は腰のムギまるバッヂを質す。  
 
 「そんなのこれっぽっちも聞いてないムギ。皆目見当つかんムギよ。本来なら、わくちん界の頂点に立つ女神様がそうそうみだりに人間界に来ることは掟で禁じられてるムギが  
――前回京介くんにキスぶっこいた時点でとっくに破られてるし」  
 「じゃ、じゃあまさか……」  
 「? 心当たりあるムギか?」  
 「大ありよ! ってかムギまるって意外とにぶちんだねぇ、マヤたん、やっぱり京介くんを――」  
 「小麦ちゃん、何下向いてぶつぶつ言ってるの?」  
 「あ!? いや、な、何でもないですにゃはははは」  
 笑って誤魔化すしかなかった。  
 社長は溜め息一つして、  
 「――ところで、小麦ちゃん。岬真夜さんと知り合いなの? 名前、知ってたようだから」  
 
 恵とおなじことを訊いてくる。  
 嘘を付くのが元来得意でない小麦はまた笑って誤魔化すしかなかったけど今度は渦中の本人が助け船を出してくれる。  
 「――親戚ですよ! とおい親戚。ね、小麦ちゃん。小さい頃、一緒に遊んだりとかしましたよね、ね!」  
 横から割り込んでうかつなこと言わないように彼女の頭を押さえ付け代弁する。  
 「んぎぎぎぎ」  
 無理矢理こくこく頷かせられる小麦。  
 「ああ、そうなの……別にいいけど――」  
 「あの、夕映さん」  
 「うん、なにかしら?」  
 押さえ付けたままの姿勢で真夜は訊く。  
 
 「――ここ、素敵な事務所ですね。いつも賑やかそうで、楽しそうで――さっきそこで京介くんともお話ししてたんです。『いい職場』だって。  
夕映さんも部下や所属タレントと同じ目線で接することの出来る、佳き経営者だと思いますわ」  
 「あらあら♪ 急に何かしら、褒めても何も出ないわよぉ、おほほほほっ」  
 の割に悪い気はしないみたいだ。頬に手を当ててすっかり相好を崩す。意外と単純だ。  
 「そっ、そーだよ。す〜ぐ怒るしさ! お説教は長いしおまけに変な地下室はあるわでまるでどくさいしゃ」  
 「ごむ゛ぎぢゃ゛ん゛!?」  
 「ひゃいぃっ」  
 拘束を逃れた小麦を一喝する様に真夜はくすくす笑い、  
 「けど、事務所をここまでにするのも大変だったでしょう? これだけのタレントさんを抱え込んで」  
 「あ〜ら、分かる? そ〜なのよぉ、あたしってばもともとアイドルなんてやってたもんだから世間知らずなまま社会に放り出されてねぇ。  
右も左どころか、上も下もわかんなくて色々人には言えない苦労したもんよ、本当。それにほら、見ての通りうちの子達ってばその…個性的でしょ?  
 だからまとめるのが大変! さっきだってくだらないことで喧嘩してるし、一人しかいないうちのマネージャーもやる気無いし、胃薬が手放せなくってねぇ。  
それにここまでったって、確かにJUNESなんかと比べたら悔しいけど、まだまだだしね」  
 「つーかシローちゃんってぱっと見本職の人みたいだもんね。あれじゃあ新しい人入れようたって人が寄りつかないよぉ」  
 「うっせーや。ションベン娘。何の本職だ、何の」  
 「でも、わたしも本当にここいいところだと思いますよ。わたしのとこより活気あるし、出来れば移籍したいくらい」  
 真夜の後に付いてきたこよりだ。  
 「あ、そお? こよりちゃんが来るんだったらうちの事務所は百人力、いや一騎当千ってとこねぇ! 助かるわ〜」  
 
「だけどそれってこよりちゃんの事務所の人が許さないよね。あそこはもうこよりちゃん一人で持ってるようなもんだし」  
 「そ〜んなことないよぉ! やだなー、小麦ちゃんってば」  
 「それにさっ、こよりちゃんがうちに来ちゃったら恵の居場所がなくなっちゃうもんねぇ♪ ケケケ」  
 「へ? なんで?」  
こよりは全く分かってなかった。まあそれがこよりのこよりたる所以なんだが。  
 「小麦ィ!!」  
 恵の抗議に小麦は聞こえないふりをする。  
 「あたしも……ここに来て良かった、かな。前いた事務所よりも面白い仕事が来るし、体を動かすには困らないわね」  
 特に『アクション』にやり甲斐を見出す肉体派な明日香にとって、移籍は都合が良かったらしい。力強く腕を回してみせる。  
 「あららら♪ もう、みんなしてなぁに? 褒め殺しなんて通用しませんよ♪ でも気分がいいから今度また温泉にでも連れて行っちゃおうかしら♪」  
 
 もう通用しまくりである。  
 「本当に、ここは佳(よ)いところですね……本当、平和で、誰もが笑っていられて――」  
 
 「真夜さん、どうかしたの?」  
 今までとは違う声のトーンに社長は気付いたよう。小麦もまた、真夜の瞳の色がさっきの騒動で見たのによく似てることに。  
 「マヤたん」  
 
 「……………」  
 
 「そ、それにしても岬さんと中原さんって親戚だったんだね。なんだか、運命めいたものを感じるな」  
 ややしんみりした空気を和まそうと京介は話題を振ってくれる。  
 「うんめい?」  
 オウム返しする小麦の脳裏には頭の中でベートーベンの曲のあの一節ではなく、  
爆風ス○ンプが歌ってた某アニメのOPのサビ歌詞が間違えて再生されていた。流石アニメ好き。  
 「そうだよ。実を言うと岬さんとは今朝偶然出会ったんだ。そのまま一緒にこっちまで来たんだけど、びっくりしたな」  
 「え、えぇ〜!!」  
 
 ――や、やっぱり!!  
 
 こよりなんかはやっぱり偶然ってあるんだねー、と素直に感心しているが小麦は別の意味で気が気じゃない。  
 
 「京介くん」  
 マヤはおもむろに、京介に身を乗りだし、貌を寄せる。  
 「…岬さん?」  
 三人娘の露骨な目線を感じるも、京介だけを視界に映し真夜は続ける。唇よりも先に、鼻が触れそうな近さで。  
 「京介くんにとって、『運命』とは確かなものだと思います?」  
 「え――」  
 ふって湧いたような問い。誰よりもキスまで近い距離。  
 胸元に押しつけられる柔らかな胸と漏れる滓(かす)かな吐息に一瞬だけ、言葉が詰まる。  
 「ねえ、京介くん……」  
 
 少しだけ切ない顔をする。微かに上気した頬。窓から射し込む光に照らされた彼女は、やっぱり綺麗だと素直に感じた。光を反射する水面のように、澄んだ蒼さを持つ眸が彼を捉える。  
 「うん。ひょっとしたら、あると思いますよ。僕らがこうして揃ったのも、  
きっと『消えない絆』みたいなもので人と人って繋がってるんからじゃないか――なんて、ね。そうだったら、いいな」  
   
 ――変わってない。ぜんぜん、変わってないね。京介くん。  
   
 真夜はその満足を、ただ笑うことで示した。そして、  
 「京介くん、映画のクライマックス・シーン――憶えてる?」  
 
 ――じゃあ、それを証明して見せて。  
 
 「クライマックス・シーン……」  
 「そう、見せ場ですよ。私達の、一番の」  
 「キス、だけど……それが――――」  
 
 ――あなたの唇の味も、あの刻(とき)と同じかどうか――。  
 
 「演技指導して。今、ここで……」  
 
 囁くように、唐突に。有無なんて、もう関係ないのだ。  
 
 
 何かを言おうとする彼女にとってはたまらないその唇を、甘く塞いだ。  
 
 そのことに気付いたのは、京介が彼女の前から消えて、程なくしてだった。  
 胸の十字架が、失せていた。彼に返して貰った、かつて自分が失(な)くなってから、彼が片時も手放さなかったロザリオが。  
 自分の形見として、そしてもはや自分の分身とさえ言えるそれが。方々を探したが、見つからず終い。今、眼下で彼の胸のそれを眼にして思う。  
   
 ――これが、あたしを呼んでくれた。  
 
 もう、逢えないと思っていた。逢おうとも思わないようにもした。 だけど……無理だった。あの刻京介を自分の許へと導いたように、今回は、自分が。  
この黄金(きん)色のロザリオを通じて、心が引き寄せられた。だから、京介の居場所も手に取るように分かる。  
   
 「……み……みさき……さん――?」  
 ぼうっとした眸が見上げる。  
 
 ――ごめんね、ちょっと、はしゃぎ過ぎちゃったみたい。でも、あたしもうガマンできないの。今だけは――今だけは、赦して。  
   
 何もかも変わって無くて。キスの甘さにとろける自分がいる。だって嬉しくて。  
 逢えない刻は何よりの調味料。唇の感触はいつにもまして絶品だ。  
 結局、何故彼の傍らにあったのか。あの別離(わか)れの間際に、無意識にうちに未練から  
、せめてもの餞(はなむけ)にと、彼に“返して”しまったからか――それはもういい。これが、彼と共にありたいなら。  
 これはもう彼のものなのだ。  
 そして、自分も。  
 
 どうしようもないのだ。自分もまた変わってないのだから。  
 
 ――約束、したもんね。あたし、もう何処にも行かないよって。京介くんのそばから離れないって。  
いつも『お姫様』は『王子様』と共にあるって、約束だもんね。  
 
 永遠に、変わること無いのだ。  
 
 
 ――いまどきの若い子って、随分と積極的なのねぇ……というかいいのかしら、事務所的に。え、でも今、「役作り」って…?  
 
 アイドル時代、リチャード・ヴィンセントに片思いしていた当時を思い出した夕映。というか、年齢だけ考えれば彼女はちっとも若くないし、  
 今時でもないのだ。  
 
 「それにぃ……二度目じゃあないし」  
 
 ――もう、数え切れないほど。  
 
 「今なんつったッ!?」  
 「いえ、何でもないですよ? 小麦ちゃん、今のはあくまで演技なんだからそんなに怒らない、怒らない」  
 今度は恵ちゃんが二度目ってなんなのよ!? と小麦ちゃんに詰め寄る。琉奈ちゃんは明らかに険の篭もった視線であたしを見る。  
   
  ………そうね。やっぱり二度目でいいん、だよね。  
 
 あたしのことを憶えてる、あの時代を生きた京介くんしか見たくなかった。愛したくなかった。だってあたしは“その”伊達京介に逢いたかったから。  
また逢いたかったから――。  
 
 あの後、あたしはそう思おうとした。だから、今の京介君はこの世界で留まるべき、どうか彼を必要としてくれる人たちのためにも生きて欲しい。  
もう誰の哀しみも見たくないから。そう思ってた。  
 魔法で京介君に関する記憶を消そうともした。  
 
 だけど、無理だった。  
 
 何もかもがもう無理だったのだ。  
 
 “恋”という本物の魔法は、女神であるあたし自身の力を持ってしても消す事は出来なかった。もう言い出せなかった想いを秘め続けることに疲れてしまった。  
それどころか、気付いてしまったのだ。  
 
 ――あたしは、どの京介くんでもない。此処にいる他の誰でもない、『伊達京介』くんそのものが………! その『存在』そのものが………好き。  
 
 だから――。  
 
 だから、心が張り裂けそうだった。躯も千切れそうに痛かった。   
 また――退屈な毎日。憂鬱な時間。  
 
 また――あたしは欠片に戻ってしまったのだ。  
 
 そんなのはもう、耐えられない。忘れられなくて、辛い……。どうすればいいのか。どうすればいいのかだけを、ただ考えてた。痛みに耐えながら。  
そうして出た結論は。  
 
 そうだ。京介くんを追いかければいい。  
 
 これがあたしなりの最終結論。簡単なこと。あたしが京介くんを追ってこの世界へ。そして。  
 
 「うぬぬぬ……! やらせはせん! やらせはせん、やらせはせんぞいッ!!」  
 小麦ちゃんが必死な形相であたしにつかみかかってこようとする。   
 ――だから演技だっていってるのに小麦ちゃん。ウソだけど♪  
 
 正直、あなたがまじかるナースに選ばれた時、あたしは初めて運命の悪戯というものを感じた。皮肉よね。  
あなたはあたしがいなくなったあとずっと京介くんの側にいて、見届けてこれたのに、あの頃の記憶はぜんぜん無くて、  
同業なのをいい事にあたしよりもずっと近くで京介くんを観ていられた――あたしは、いつしかそのことに嫉妬していさえした。自分でも醜いほど。   
 秋葉恵も、時逆流奈も――確かに本来ならあんな風に生きられたのかも知れない、変わらずに京介君と知り合えたかも知れないけど、  
それさえもあたしは羨ましくて仕方なかった。本当はそれで良かったのに。そうなるべきだったのに。  
 
 今は。  
 
 それだったら、同じ土俵で張り合えばいい。今のあたしならそれができるのだから。あたしは伊達京介くんそのものを、  
死ぬほど――いや、死んでも愛しているのだから。この世界で、また逢えればいい。このあるべき、平和な日常の中で、また、京介君と。  
それもまた、悪くはない。京介くんと此処まで来て、そして夕映さん達と話して確信した。此処は、とても暖かい処。  
   
 
 ――岬さん、か。  
 
 京介くんの呼びかけを頭で繰り返してみる。  
 そんな、他人行儀な呼び方……!  
 心が、ズキン、と痛む。あの世界で逢えた時は、それだけでも嬉しかったのに。  
 知らないうちにまた随分と欲張りになったものだ。あたしは。  
 『真夜さん』って呼んで欲しい。いや、呼び捨てにして欲しい。  
 
 ――まってて。直ぐに、また呼ばせてみせるんだから……!  
 
 今までは、京介くんがあたしのことを追いかけて、あたしの影を追い続けてくれたから。  
   
 ――今度は、あたしがあなたを追いかける番よ。京介くん。  
 
 ライバルは、とても多いけど。必ず、また好きにさせてみせる。絶対、また「僕のお姫様」って言わせてみせる……!  
 何故なら欠片のあたしを完全にしてくれるのは、あたしを満たしてくれるのは。あたしの白馬に乗った王子様は、いつだって。  
 
 京介くんだけなんだよ。  
 
 だから、あたしは今はまだこれだけでも幸せ。違う、今はまだこれだけで赦してあげる。そうよ、あたしは欲張りなのよ。  
 このキスは、祈りの魔法を込めて。そしてここから始まるの。  
 
 ――過去と訣別し、今と和解し、そして未来に希望を。  
   
 “過去”を受け入れることとはそういうことなのだ。きっと。  
 その為に、“今”を生きるのだから。だから、歩きだそう。  
 
 これから、もっと、いつまでも。  
 
 未来へ伝える、熱いこの想い。全てを賭けて。  
 
 ――恋しても、いいよね? 京介くん。  
 
 役名で呼ぶのを忘れたけど、それがどうしたというのだろう。  
 
 「京介くん――好き。いつまでも、愛してる……!」  
   
 ここからはじまる魔法のキス。KissからはじまるMagical。  
 
 ――ちゅっっ♪  
 
   
 
 
 
 End  
 
 

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