雨。それはどんよりとした雲が空を覆い、丸く実った雨粒を降らせる。  
おかげで街はいつでもびしょ濡れになり、じめじめとした重く嫌な空気に変えてしまう。  
 
じめじめとした所で育つもの…雨季の名物と言っては少々イヤな感じだが"カビ"や"菌"だろう。  
長く続いた雨のせいかはわからないが、そのせいで妙な事になっている人物が一人いた。  
「あぁー・・・もう・・・誰か・・・誰かいい人いないの・・・?」  
少々苛立ったように独り言を呟いているのは、既に変身したこよりであった。  
こんな事を言いながら何をしているのかと言うといつもの仕事である  
『地球総ウイルス化計画』の為の獲物探し・・・ではなく  
かな〜り特別な私情を挟んだ事態になってしまっているらしい。  
 
事の始めは六月の中ごろ、変身した状態で今日のように獲物探しに精を出していた時、  
ふいにいつもは寡黙なぽそ吉が喋ったことが始まりだった。  
「・・・ちょっと・・・きいて・・・」  
「ひゃぁっ!!??!」  
突然耳元で聞こえた蚊の鳴くような声に、反射的に大声を出してしまった。  
「な、なんですのぽそ吉?あ、あなたが自分から喋るだなんて珍しいじゃないですの・・・」  
いつも腕にくっついているだけのぽそ吉が伝えたい事があると言うので、  
こよりは慌ててぽそ吉を腕から離し、目の高さでそっと抱いた。  
「ちょっと・・・ながくなる・・・かもしれないけど・・・きいて・・・?」  
特訓で鍛えたせいだろうか、最近のぽそ吉はよく喋る。  
「うんうん。で、なんですの?聞いて欲しい事って?」  
 
ぽそ吉がどんな事を話してくれるのだろうと、こよりはなんだか楽しみになってしまった。  
「・・あのね・・・このままだと・・・・・・」  
なんだか妙なタメが気になったので急かすように聞いてみる。  
「・・・このままだと?」  
 
「死んじゃう・・・かも・・・」  
 
「へ・・・・?」  
予想もしていなかったぽそ吉のセリフに耳を疑ってしまう。  
「死んじゃうって・・・誰が・・・ですの?」  
なんだか答えがわかっているような気もするが、なんとなく聞いてしまう。  
するとぽそ吉はいつもとかわらぬ無表情かつ、かわいい顔のままでスッとこよりを指した。  
「えっぇぇぇぇぇぇえぇぇぇぇぇぇぇええぇえぇえ!!??!??」  
とんでもない事実を突きつけられ、半ばパニックで絶叫してしまった。  
 
この後ぽそ吉の一時間半に渡る長い説明があったのだが  
(正確には長いのではなく時間がかかっただけ)こよりの中で要約をすると  
 
『ここ数日の雨でじめじめとした空気が原因でこよりの体内のウイルスが異常繁殖してしまった。』  
『人間の体ではとどめておけないのでなんらかの方法で発散しなくてはならない』  
 
という事だった。  
 
「あぁぁ・・・こんな事になるなんて…こんな事になるならあのおバカ小娘なんか相手にしてないで  
さっさと使命を果たすべきだったんだわ。ああでもあのとき(ry」  
 
まだパニクって今何をするべきかが解らなくなったこよりは頭を抱えて唸り始めた。  
見目麗しい美少女が可憐なメイド服に身を包んだまま地面を転がり、お経を唱えるようにぶつくさ喋る光景は  
いまここでしか拝めないことだろう。  
 
しばらくして、その奇行が止まった。  
待て、落ち着け。落ち着くんだ。今成すべきことは命の危機からの脱出!!  
やっと情報処理を終えたこよりはすっくと立ち上がり声高らかにいつもの笑いを発した。  
「そう!こんなのはただの季節の変わり目に引く風邪と同じで他愛もない事です!!」  
「なんのこれしきですわ!!自分の源であるウイルスに負けてどうするのです!!」  
「それこそまじかるメイドの名折れですわ!!逆にこの増えたウイルスを利用して差し上げましょう!!」  
こよりの内にメラメラと燃え上がる炎の様に気合が満ちてきた。  
 
「ヤろうと思った時には既に・・・行動は終わっているのでございます!!」  
「風邪なんて誰かに伝染してしまえばいいんですわ!!」  
「レッツ・ビギンでございます!!」  
 
そう結論付け、こよりはぽそ吉をいつもの腕の位置に戻すと  
音も無く街の中へと消えていった。  
 
 
今回ばかりは本来の目的からははずれ、自らの命のために獲物を探しているこより。  
 
ぽそ吉の余命宣告から数日・・・余命とは言ったが明確な日数もわからない。  
もちろんまじかるメイドでいられる時間は限られている。そうでない時には、国分寺こよりとして  
日常生活を送らなければならない。変身している時でなければこの問題を解決することはできないし、  
機会を逃し続ければ自分が大変な事になるかもしれない・・・(死ぬという言葉は忘れようと努力している)  
なによりこうしてこの姿でいるだけであのまじかるナースが邪魔に来るかもしれないのだ。  
いろんな不安要素がこよりの脳裏を通過し、イヤでも焦燥を掻き立てる。  
 
血眼になって覗き込む双眼鏡に、一人の男が映りこむ。  
背は高くないが、細身でがしっかりとした体躯の青年。顔立ちは若く、着ているスーツが  
似合わないほどに体育会系のような爽やかさを持っていた。  
「風邪を伝染すには持ってこーい!な検体です!!」  
「ふふ・・・あのお方なら私を助けるのにきっと役に立ってくれますわ…」  
獲物を決めたこよりは普通、人が見ることもない建物の屋上を飛び石のように移動し  
その青年を見失わないようこっそりと後を尾けていった。  
 
青年はスーツを着ている事から勝手に会社員とかかしら?と勝手に予想していたのだが  
どうやらあながち間違いでもないらしく一通り取引先を回った後、通勤先から帰路についた。  
自宅と思わしきアパートに入っていくところを確認するとアパートの向かいの建物に潜み  
窓から青年の行動を監視しつつ、夜を待つ事にした。  
 
折角見つけた獲物が逃げてしまわぬように…静かに機会を待った。  
 
しならくして、辺りは一寸先も見えない闇に包まれ、住宅街は灯る明かりはごく少数になっていた。  
時を同じくして獲物の彼の部屋の電気も消えた。今日、彼を見つけてからというもの  
慎重に慎重に行動してきた。ついにこよりの行動が報われる時がやってきたようだ。  
「…さあ…検診の時間ですわよ…私のですけど…ふふ…」  
 
影を這うように彼の部屋の前に移動すると、ノブに手をかける。回してみるが、やはり鍵がかかっている。  
「あら…お疲れのようでしたから…うっかり!とか期待したのですけど残念ですわ・・・」  
残念という言葉を口にしても獲物を前にしたこよりの笑みは変わらない。自前のステッキを取り出し  
ノブに向けてかざすと、カチリと鍵が外れた。次いで風に煽られたかのようにドアが開いていく。  
部屋の中は外よりも暗く、閉塞感のある重い闇が立ち込めていた。ドアの隙間から身を滑り込ませた  
こよりは静かな足取りで彼を探す―――もう焦ることはないのだ。ゆっくりとあたりを見回す。  
部屋の奥まった所にあるベッドに彼が寝ている。狭い部屋だからしょうがないのだが、  
あっけなく見つかったのがなんだかつまらなく感じてしまった。  
 
足元に気をつけ、こよりは彼の眠るベッドの真横まで辿り着いた。  
昼間見たとおりの、まだ学生のような幼さの残る顔立ち。この彼をこれからどうするか…。  
「んー…とりあえず確保できてしまうと本当にホッとしますわね・・・」  
ベッドの隅の空いた空間に腰掛け、軽く伸びをしながら呟く。  
身をひねり、覗き込むようにして改めて間近で彼の顔を見る。  
「うぅーん…男の人でも・・・寝顔のかわいい人ってちょっといいですわね…」  
 
そんな事を考えつつ、そっと手を彼の顔に伸ばそうとした刹那、ガクッと視界が揺れた。  
猛烈な違和感。息の詰るような嫌悪感。  
 
ウイルス―――!?  
脳裏をよぎったのはそれだった。いや、それしかなかった。  
普段は共存し、操るはずのウイルスが宿主であるこよりの精神と体に奇妙な変化をもたらした。  
元来このウイルスの持つ力とは、人の心のカオスな部分を助長し行動させるという効果である。  
それがこよりの深い部分にあった嗜虐心を肥大化させたのか。  
「くぅ・・・なん・・ですの??はぁっ・・・はぁぁっ・・・」  
目の前に眠る彼が本当に「獲物」にしか見えない。  
熱に浮かされたように顔が火照り、眩暈がする。頭にあるのは彼への征服欲だけになりつつあった。  
知らず知らずのうちに荒くなった自分の息が、すごく大きな風音のようなな気がする。  
「私・・・この人を・・はぁっ・・・めちゃめちゃに…してしまいたい・・・!!」  
 
その音に気付いたのか、辺りのただ事ではない雰囲気に気付いたのか。  
異常を来たしたこよりの横で寝ていた彼が、寝息とも寝言ともつかぬ声をだしながら一瞬、目を開けた。  
 
今回はあんまり騒ぎを起こしたくなかった。できれば何事もなく終わればいい。  
そう思っていたこよりの正気は彼の眼を見た瞬間に、ブチリと寸断された。  

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