少年はそっとドアを開けた。
しかし、この部屋の中央にあるソファに座った少女にとっては、
荒々しく開けるのも、音を立てないように静かに開けるのも、
別段違いがあるわけでも無かった。
だから少年の行為は、自身の感情に起因するのだろう。
少年の中にあるのは、少女に対する、ある種の罪の意識めいたものだった。
少女は元から目が見えなかった。
そして、その後起こったある出来事のせいで、拠り所だった聴覚までも失ってしまった。
無音の暗闇、それが今の少女を取り巻く世界のすべてだった。
おそらく少女は最も聴きたくなかった音を聴いてしまったために、これ以上聴くことを拒んだのだろうと精神科医は言った。
少女の聴力を奪ったのは……一発の銃声だった。
花嫁衣裳をまとい、少年の呼びかけに何の反応も示そうとしない少女がこの部屋に運ばれてきたとき、
少年は信じられない思いでいっぱいだった。
誰がこんな結末を予想できただろう?
今度こそ、心から幸せに笑う少女を見ることができると、そのことを疑いもしなかったのに。
少女の支えだった、少女を導いていた声は、もうこの世界のどこにも無い。
少女は光を失った目で、ただ人形のように座り続けている。
ときおり、壊れたレコードのように、ある言葉を繰り返しながら。
「わたしを愛してると言って」
「愛してる」
それが少女の耳に届くことはないとわかっていても、少年は何度もそう答える。
「言葉に出して言って」
「お前を愛してるよ」
少女の心は、芸術性のかけらも無い、野蛮な黒い鉄の塊によって、粉々に砕かれてしまったのだ。
少年の美しいピアノも、耳の聴こえなくなった少女の心を救うことはできなかった。
何がすばらしい音楽だ。小さな女の子ひとり、助けることもできない……。
少女の瞳は夢を見ている。
ここではない、おそらくあの、最後の音を聴いた瞬間を。
そして、教会での、少女が一番幸せだった、神への誓いの瞬間を。
「愛してるわ」
あるとき、少年は演奏で外国に行くことになり、何日も家を開けた。
演奏は非の打ち所が無いほど完璧で、少年は多くの賛辞を受けながら帰国した。
そして家に帰ってきた少年を出迎えたものは、
少女の世話を頼んだ人間からの、驚くべき話であった。
誰も近づけようとしないのだと、何も食べようとしないのだと。
少年は部屋へと駆け込んだ。
少女は小さな子供のように、ソファの上で身体を丸め、何かに怯えて震えていた。
「葉音!」
肩をつかみ、呼びかけた。安心させるように、何度も、何度も。
少女の口から、少年の名前が聴こえた。
その瞬間、少年は無我夢中で少女を抱きしめていた。
「そこにいるの……?」
「……ここにいるよ」
ずっとそばにいる、ずっと……。
目が見えない少女に体温と鼓動で少しでも自分の存在が伝わればいいと、
少年は少女をきつく抱きしめ続けた。