(おかしいわ…私は何を考えているの??)
――傷跡が疼く。
星華は洗面台の前に一人立ち、胸を押さえて顔を歪めていた。
体温が上昇するのがわかる。
抑えようという意識に反して動悸が速まり、額に脂汗が浮くのを星華は感じた。
ギリ、と唇を噛みしめ星華は鏡の中の自分を睨む。苛立ちに任せ醜く眉根を寄せた自分のなんと
滑稽なこと。自分がこんな顔をしたことが、この一年あっただろうか。
苛苛する。何故??
同じ問いが、ここに立ってから星華の中を駆け巡っている。だがその実、星華はその答えが何か
をとうに知っている。
『俺は』
マザーのあの言葉だ。
『女は多少馬鹿でいいから可愛くて』
いや。
正確には。
『こん中なら歌乃だな』
能登の言葉だ。
能登の言葉が星華に慟哭を呼ぶ。
それが何故??なんて――
「……っ!!」
星華は泣いた。
唇を押さえ、必死で外に漏れる声を抑えた。
涙が溢れて、止まらなかった。
歌乃にとって、マザーの言葉は全く思いがけないものだったが、歌乃は悪い気はしていなかった。
(まさか、ノッティーがあたしをね〜…どぉしよっかな♪)
マザーに本音の本音は暴露されてしまったが無論それが全てというわけではない。
男の人が怖い、星華に憧れている、も事実だけれどそれだけで終わりたいと歌乃は思っていない。
むしろ、機会があるのならば男の子と積極的に関わって直していきたい――マザーは読みとらなか
ったが、それは歌乃の中に前から密かにあった思いだった。
そして、ノッティーはその思いを実現するのには最適な相手のように思えた。最も、最適――で
選ぶ相手が果たして最適なのか。歌乃は少し考えたが特に気にすることもなかった。
(オーケー…してあげよっかな〜♪じゃあ、どぉやって誘ぉ〜?)
ノッティーの言葉を考えると心が軽い。
帰る前に、と洗面所に向かう歌乃の顔は無意識に綻び、足取りも軽やかなものになっていた。
ところが。
「星華ちゃん!!?」
洗面所に入って歌乃は愕然とした。
仲間内で自分が好きな――もとい、最も尊敬している少女、星華が、洗面台に身を乗り出し、青ざめた顔をしていたからである。
「気持ち悪いの??」
歌乃は慌てて星華の元へ駆け寄った。
「先生呼ぶ??」
「いいわ…ほっといて頂戴」
「顔色悪いよ〜?」 星華は歌乃から顔を背けたが、歌乃は構わず星華の顔を覗きこんだ。
長い髪が陰りを作って表情がよく見えない。
熱でも、あるのだろうか。
歌乃はそっ、と星華の額に手を伸ばした。
(――バシッ)
「!」
「触らないで!」
だが途端に大きな音をたててその手ははたかれてしまう。
「放っといてって言ったでしょう!?ここにこないで!!一人にして!!」
「…!!」
無論手をはたいたのは星華だ。続けて星華は歌乃に暴言を吐いてにらみすえた。
一瞬、思いもよらぬ星華の態度に歌乃は困惑する。
だが、驚きに見開いたその目はみるみる内に憐憫の情を持ちはじめ、星華を見つめかえした。
そこには星華を痛ましく思う心こそありけれ、自らに与えられた痛みを呪うふうではまるでない。
今度は逆に、星華が困惑する番だった。
歌乃は既に、星華の慟哭に気づいている。
熱など無い。
泣いていただけだ。
「……星華ちゃん、どうしたの?」
「……っ!!」
再び、そっ、と額に延ばされた手を星華は振り払えなかった。
歌乃の肩に顔を押しあて星華は泣いた。途中漏れた呟きは誰に対して向けたものでもなかったが、
歌乃は全てを察したのか、ただ黙って星華の髪を撫で続けた。
「…自分でも気づいていない心は、さすがのマザーでも読みとれない、って……事、ね…」
押し当てた瞼の裏で、能登の姿が蘇る。
何故なのだろう。
何故、彼なのだろう。
考えたが星華にはわからなかった。
だけれど、きっと、そういうものなのだ。
むしろ、だからこそなのだ。
憶測の中で直感は確信へと変わっていく。
だけれどそれは伝わることなく、今日流れた涙の中で消えていくのだろう。