3話のテスト後、歌乃が救急車で運ばれた後の話。  
 
 
 
「だから、せめてあなたがそうなれるように協力してあげる。あたしの・・・・・・生きてる指で」  
病院の待合室で待っている間、唱吾の脳裏には歌乃の言葉が絶えずぐるぐると巡っていた。  
赤の他人である自分の為だけにピアノを弾いた歌乃。  
その思考は、唱吾には理解出来なかった。  
 
やがてドアが開く音が聞こえ、唱吾は視線をそちらに向けた。心なしか顔色の悪い歌乃が、少しおぼつかない足取りでこちらに向かってくる。  
「大丈夫か?」  
「うん・・・・・・異常は無いけど、疲労が激しいから早く家に戻って休んだ方がいいって」  
「そうか。車を手配しておいたから、今日はそれで帰るといい」  
「分かった・・・・・・」  
やはりつらいのだろう、いつもの明るい笑顔は見えない。  
唱吾は、ふらふらと脇を通り過ぎようとする彼女の手を掴んだ。  
驚いたように振り向く歌乃に、溜め息混じりに告げる。  
「今にも倒れそうじゃないか。車まで送っていくよ」  
その言葉を聞いた歌乃は、弱々しく笑みを浮かべた。  
「ありがと」  
「別に。礼には及ばないさ。途中で転んで手に怪我でもされたら困るしね」  
歌乃の手を引いて歩きながら、唱吾は微かに自嘲するような笑みを浮かべた。  
手を惹かれて歩く歌乃には、前を歩く唱吾の表情は見えていない。  
 
彼女は、今自分の手を握っているのが外見よりもっと醜い心を持っている男だと気付いているだろうか?  
彼女が思っているよりもずっと、汚い人間だと。  
・・・・・・いや、きっと気付いていないだろう。  
そうでなければ、平気な顔で縋れるはずがない。笑いかけられるはずがない。  
もしこの心の全てを知ったとして、彼女はどう反応するだろう。  
軽蔑するだろうか。それとも受け入れるのだろうか。  
 
『僕には分からない』  
一瞬の逡巡の後、唱吾は自分の問いにそう答えた。  
欲しい物なら金で手に入れればいい。金で手に入らないものならば自分から嫌いになってしまえばいい。  
そう生きてきた唱吾にとって、利用されるぐらいなら万引き少女に戻った方がマシだと言い切った歌乃は理解不能の存在だった。  
 
理解出来ない。  
彼女の笑顔を見る度に沸き起こるこの感情の名も。  
金で動くような人間ではない彼女にどうしようもなく苛つく理由も。  
理解などしたくない。  
金で手に入らないものなら嫌ってしまえばいい。  
この感情の正体をはっきりと理解したとして、どうなるというのだ。  
金で手に入らないものを追いかけるほどの情熱など、持ち合わせてはいないのだから。  
 
停まっている迎えの車まで、あと数メートル。  
もう少しだけ。もう少しだけ、このままで。  
そう願う自分の心の声に気付き、唱吾は自嘲するような笑みを苦笑に変えた。  
 
 
 

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