−こんなに切ない気持ちになるのはどうして…?
怜香が金田一のことが好きだということ、その怜香を金田一が慰めに行ったということを知り、複雑な心境になっていた。
金田一と美雪と一緒にいるときに、怜香からの電話があり、金田一はワリィ、と一言だけ残し、美雪の元から去っていった。
金田一が怜香を放っておけないというのは幼馴染で性格を熟知している美雪にはよくわかっていたし、逆に落ち込んでいる怜香を放っておくような男なら金田一の事を好きになっていないだろうとも思った。
しかし、いざその事態に直面してみると、嫉妬心にも似た感情が美雪の中に込み上げてくる。取り残された美雪はハァ、とため息を吐き、俯き加減で街中を歩きだした。
金田一と怜香の事を考えながら、ボーっとしつつ下を向いて歩いていると、肩に衝撃を感じた。
美雪が顔を上げるといかにも性質の悪そうな男と目が合う。
その男の後ろには同じような類の男が2人。
美雪は慌てて謝ろうとしたが、その前に男は美雪の腕を掴みあげ、睨みつけながら顔を近づけた。
「おい、どこを見て歩いてんだ?」
男に睨みつけられ、美雪は嫌な予感を感じ、必死で謝るが男はニヤリと笑い、手を離そうとしない。
「ゴメンナサイで済めばケーサツはいらねーんだよ。」
男の指が美雪の頬を這う。美雪は背筋にひやりとした感覚を覚えた。
「さて、どうやって侘びを入れてもらうとするかな。」
性質の悪そうな男3人に絡まれている美雪を遠巻きに見る野次馬は存在するが、助けようとする人間はなく、美雪の絶望感は高まってゆく。
−助けて!はじめちゃん!!
心の中で叫んだ瞬間、美雪の後ろで聞きなれた声が響いた。
「おや、いい大人が3人でか弱い少女をイジメて楽しいですか?」
このイヤミな口調は…と美雪が振り返ると余裕の笑みを浮かべた明智が立っていた。
「もう大丈夫ですよ、七瀬くん。」
明智の余裕な態度が気に食わなかったのか、後で見ていた2人の男は明智に食って掛かった。
明智は1発、2発と飛んでくる拳を優雅に交わすと、男の1人の背後に回り、腕を捻り上げた。
男はギャアと情けない声を上げる。
「この男の腕をへし折られたくなければ彼女の手を離しなさい。」
捉えられた男が必死の形相で美雪の腕を掴んでいる男に離してやってくれ、と嘆願すると、美雪の束縛が開放された。
男たちが何事もなかったかのように去っていくと美雪は明智の胸へ飛び込んだ。
「…あ…け…さん…わ…たし…」
明智の胸の中で美雪はガクガクと体を震わせ、発する言葉は途切れ途切れとなっている。
なんとか落ち着かせようと思うが、先程の騒ぎの野次馬がまだ見ている中に、錯乱状態の美雪を曝しておくのは都合が悪い。
とりあえず近くに止めておいた車に美雪を乗せ、自らも乗り込むと車を発進させた。
−これでは誘拐みたいだ。
助手席に乗せた美雪が一言もしゃべらないので、バツが悪く思いながら、そろそろいいだろうと話を振る。
「少しは落ち着きましたか?」
美雪は急に声をかけられたことに少し驚きいてピクッと体を揺らしたが、なんとか平常心を装う。
「ありがとうございました。明智さんが来てくれなかったら、わ・わたし…」
言うと、フラッシュバックで蘇ってくる先程の出来事の記憶に恐怖を覚え、また体が震え始める。
その様子に気付いた明智は勤めて優しく、美雪を傷つけないように提案した。
「その状態ではお送りしても、家の方が不振に思うでしょう。少し落ち着くまで私の部屋で休んで行かれてはどうです?丁度すぐ近くですし。」
確かに、まだ平常心に戻っていないし、こんな姿を親が見たら心配するだろう。
それに、明智なら自分を助けてくれたし、お言葉に甘えてみようと美雪は思った。
「どうされますか?」
明智の催促に美雪は小さく頷いた。
美雪は俗に言う高級マンションに圧倒されながらも明智に促されソファに腰を降ろした。
「すぐにコーヒーを入れますから。」
明智が台所へ消えると美雪はぐるりと部屋を一瞥した。
整然と整理されてる部屋の中は男の1人暮らしに似つかわしくない。
もっとも、彼の性格を考えるとそれが当然なのかもしれないが。
美雪は徐々に落着きを取り戻し、明智がコーヒーを運んできた頃には体の震えも取れ、顔つきもずいぶんと緩やかになっていた。
明智は美雪の表情を見て安心し、ふう、とため息を吐く。
「落ち着いたようで安心しました。」
明智が安堵の表情を浮かべると今度は美雪が慌てる番となった。
「すみません、明智さん。助けてもらった上に、気まで遣わせてしまって…」
申し訳なく思い、小さくなっているが、彼女に余裕ができたのだな、と明智は心から安心した。
明智が退屈しのぎに、と自分の捜査した事件の話をしていると、徐々に美雪に笑顔が戻っていった。
美雪からも徐々に色々話すようになり、そのうち、男たちに絡まれた経緯を話しだした。
「それで、はじめちゃん、急に怜香ちゃんの所に行ったんです。
それでボーっと歩いてたら、変な人にぶつかっちゃって…
ホント、ありがとうございました。」
美雪の話を聞きながら、明智はどこか面白くない気分が込み上げてくるのを感じた。
金田一が美雪と一緒にいるのはいつものことだし、美雪が金田一の話をするのは想像通りである。
だが、美雪の口から金田一の言葉が出るたびに、いい気分ではない。
まさか、10歳も年下の女の子に惹かれているなどということは夢にも思わず…
「明智さんがあんなに強いなんて知りませんでした。」
美雪の言葉も右から左へと抜けていく。それほどに強い思いが支配していく自分を抑えることで精一杯なのだ。
「でもなんで警察手帳を出さなかったんですか?警察だと分かれば、すぐにあの人達も逃げたと思いますし、手荒な事をしなくて済んだと思うんですけど…」
「そんなこと、考えてる余裕ありませんでしたよ。絡まれている女性が貴女だと気付いたとき取り乱してしまった。貴女を助けることしか頭にありませんでしたよ。」
予期しない明智の言葉に美雪は息を呑んだ。明智の端整な顔立ちについつい見惚れてしまう。
−警視庁のエリート警視の明智さんがわたしのために取り乱した−?
美雪が押し黙ってしまうと、明智が自分が本音を口にしたことに気付き焦りながら話を逸らした。
「きっと金田一くんでも同じように貴女を助けましたよ。たまたま通りかかったのが私だっただけです。」
金田一、という名前に美雪は素早く反応する。美雪にとって幼馴染であり、初恋である金田一は、今は怜香の元へ駆けつけ、一緒にいる。
そして自分は成り行きとはいえ明智の部屋にいるのだ。
金田一のことばっかり責めることはできないな、とバツが悪くなる。
「電話してみますか?なんなら送っていきますよ、金田一くんの所まで。」
美雪の心情を察し、提案する。こういう気の遣い方はさすが明智であって、鈍感な金田一にはできないことである。
「…電話してみます。」
美雪は携帯を取り出し、金田一の番号をコールした。数回コールの後に相手が出る。
「おう、美雪か?今日は悪かったな。」
「はじめちゃん?今何処にいるの?」
「それがさ、まだ怜香ちゃんといるんだけど、オレ今日帰れねーわ。ワリイけど。また明日連絡するからさ。」
瞬間、電話越しにシャワーの音が聞こえてきた。美雪の手から携帯が滑り落ちる。
床に落ちた電話からは相変らず美雪を呼ぶ声がする。
その電話を床から拾い上げ、取り繕いながら答える。
「ゴメン、ちょっと電話落としちゃって。じゃあ明日ね。」
なんとかそれだけ言うと電話を切った。
−まさか−はじめちゃんが!?
考えを打ち消すように頭を振る。だが、雨が降っているわけでもないし、怜香が金田一と一緒にいるときにシャワーを浴びる理由なんて他に考えられない。
それも、金田一の電話越しに聞こえるほど至近距離である。
さらに金田一は今日は帰れない、と言ったのだ。もう、疑いの余地はない。
金田一と怜香がそういう関係になろうとは、美雪がもっともあって欲しくないと願っていたことであった。
「どうかしたんですか?」
精神的に大ダメージを与えられた美雪にとって、目の前の自分を助けてくれたエリート警視は暗闇の中の光のような逃げ場となる。
美雪はワッと声を上げなきながら明智の胸へ飛び込んだ。
「はっ…はじめちゃんが…怜香ちゃんと…もうわたし、何がなんだか…」
取り乱す美雪から、はじめと怜香の間に何があったかの想像はすぐについた。
同時に明智の中で金田一に対する憎しみがメラメラと沸いてくる。
明智は自分の胸で泣く少女の髪をそっと撫でた。
「好きなだけ泣いていいんですよ。」
「なんで…こんなことに…」
美雪は明智のシャツを握り締め、嗚咽と共に吐息を吐き出す。
「1人に…なりたくない」
明智は美雪の背中に両腕を回し、優しく、しかし力強く抱きしめた。
「私が貴女の側にいます。1人にはしませんよ。」
意外な明智の言動に美雪は我に返り、明智のシャツを掴んでいた手を放した。
いくらなんでも、明智が自分に対してそんな感情を持っているわけがない。
こういうことを言うのは慰めようとしていっている方便だろう。
明智は優しいから、傷ついた自分を放っておけないだけに違いない。
そう思い、美雪は明智の胸を突きかえした。
「ごめんなさい、取り乱してしまって。もう大丈夫ですから。」
平常を取り繕う美雪とは裏腹に、明智のほうは美雪に対する想いが冷静な判断を鈍らせるほど大きくなっていた。
落ち込んでいる美雪に救いの手を差し伸べてやれたら、そして、美雪を救えるのが自分だったらどんなにいいだろう。
彼女に自分がしてやれることは何もないのだろうか、と考え、口にした。
「七瀬くん…もし、貴女が許してくれるのならば…私は貴女の側にいたい。」
それは、明智の告白だった。
今まで色んな男性から告白されても金田一のために断り続けていた美雪だったが、その金田一は怜香を選んだ。今回だけは事情が違った。
「こんなときに気持ちを伝えるのはフェアじゃないかもしれない。
だが、こんなときだからこそ、私は貴女の力になりたいのです。」
俯いて押し黙る美雪をよそに続ける。
「貴女を大切にすると誓います。」
意志の強い眼差しで美雪を見つめると、美雪は反論できなくなる。
明智の指が美雪の真っ直ぐな黒髪を撫でる。やがて、その指は美雪の頬を捉えた。
「私は…こんなに真剣に人を好きになったのは初めてかもしれない。」
美雪はドキッとした。エリート警視でしかも容姿端麗、頭脳明晰な明智に対して、憧れの気持ちを持っていなかったわけではなかった。
その明智からそう言われて悪い気はしない。むしろ嬉しいぐらいである。
「私にとって貴女の笑顔は太陽のようにまぶしいのでうす。」
優しく美雪の顔を覗き込む。キザな台詞も明智が言うとハマってしまうから不思議だ。
「できることなら、私がこの手でその笑顔を取り戻したいのです。だからもう、涙は…」
美雪の涙を右手で優しく拭き取り、あやす様に2,3度頭を撫でると美雪を包んでいた腕を下ろした。
「私はいつまでも待っていますから。」
明智の優しさを身にしみて感じた美雪は、今度は自分から明智の胸へ飛び込んだ。
「本当に、そんなにもわたしのこと想ってくれているんですか?」
「もちろんですよ。冗談で女性にこんなこと言えるわけがありませんからね。」
胸の中の美雪を明智の両腕が包むと美雪は体を明智に委ねた。
美雪の行動を自分への返事だと受け取ると、美雪のぷるんとした唇にゆっくりと自分のそれを重ねる。
唇の感触に美雪の肩がピクッと跳ねると、明智は唇を離した。
「すみません…調子に乗ってしまって。」
「いえ、いいんです。急でビックリしただけですから。」
美雪が嫌がっているわけではないと知り、安心した明智は再び美雪の唇を奪う。
今度は先程のように触れるだけではなく、ゆっくりと舌を絡めてゆくと、美雪もおそるおそる絡め返す。
明智はそれに触発され、徐々に激しく舌を絡める。
「…んっ…」
美雪が苦しそうな声を上げると明智の唇が離れた。
「苦しかったですか?」
「…そういうわけでは…」
「では、よかったのですか?」
ニヤリと笑い、美雪を見つめる瞳に気恥ずかしくなり、美雪は顔を赤らめて俯く。
そんな美雪をさらに愛しく思う。思いながらも、苛めてしまいたい衝動に駆られるがさすがにいきなりそんなことを言っていてはせっかく自分に応えてくれた彼女の気持ちが揺らいでは、と紳士的に振舞うことにした。