ぐらり、  
髪を宙に揺らしながら、バレエのシーンのように美雪が倒れた  
「いやぁぁあ」  
「七瀬さんっ!!」  
悲鳴の音速よりも早いのではないか、そんな見事な動きで明智は彼女の頭が床に激突するのを防いだ  
皆の目にはスローモーションのように見えたが、実際には瞬きほどの瞬間の出来事である  
「あやりさん、早く解毒剤を」  
あやり  
そう呼ばれたメイド姿の彼女は、一瞬の躊躇も見せずに薬を取りに行った  
 
「そんな、あの子が…」  
「あやり…な、のか…」  
人々が唖然とする中、倒れた美雪を気遣いながら、眼鏡の奥の明智の視線は悲しげに少女の背に向けられていた  
 
 
事の初めは二通の予告状だった  
一通は、  
柳沢家の至宝である九つ頭の龍が刻まれた翡翠をいただく  
怪盗紳士からのメッセージである  
送られた柳沢家では当然のごとく警察への捜査を依頼した  
さて、もう一通の予告状であるが、柳沢家宛のものよりも少し遅れて、挑戦状のごとくある少年のもとに届けられた  
言うまでもなく、少年の名は金田一一である  
しかし、折しも一は何処と知れぬ旅の最中であり連絡がつかず、たまたま柳沢家のメイド、柴崎あやりと知り合いであった美雪が心配してやって来たのだった  
 
ところが、同家に美雪が到着する直前、柳沢家当主、柳沢多聞が何らかの薬物により殺害されたのである  
予告の日時を前にした惨劇に、屋敷の人々が不安を訴える中、第二の被害者は意外にも七瀬美雪その人だった  
 
 
 
「あ…」  
清潔なベッドの上で目覚めると、美雪を心配そうに覗く二つの顔があった  
明智とあやりである  
「よ、よかった、気がついたのね」  
安心したのか、あやりは座り込むように泣き崩れた  
「私、一体…」  
「柴崎さん、説明してくれますね。七瀬さんの飲んだ毒は、他の方が飲む筈だった。  
それに、多聞さんは自殺なのでしょう」  
「毒っ!?」  
「美雪、ごめんなさい。本当にごめんなさい。まさか美雪が…」  
 
泣きながら彼女は、ぽつりぽつりと真相を語り始めた  
 
全ては被害者と思われた柳沢多聞が仕組もうとした事だった  
柳沢家には多聞と歳は近いが叔父にあたる、喜平という男がいた  
実は多聞の両親は喜平の謀略により苦しめられ、死に追いやられていた  
また、今は亡き多聞の息子の許嫁に乱暴を働き、彼女を自殺未遂にまで追いやったのは喜平の息子である。  
あやりは、彼女が遠く離れた地で一人、命をかけて産んだ多聞の孫となる娘であった  
最初、彼女は祖父が両親を引き裂いたために母親が苦労して死んだものと思い込み復讐をしようとこの屋敷に入りこんだ。だが、真実がわかると祖父に献身的に尽くした  
重い病に倒れた多聞は、自分と喜平が喜平の息子により、毒殺された事にするため、喜平親子がかねてより狙っていた翡翠をおとりに使ったのである  
そうでもしなければ、多聞の葬式にさえ、現れそうにない親子であった  
考えてみれば、美雪が誤って毒を飲んだのもあやりの手を汚さないための神様の施しなのかもしれなかった  
 
「つまり、怪盗紳士の予告は偽物なのですね」  
素直に真実を語ってゆく、あやりに明智が尋ねた  
「はい、私とおじい様で作り、私がポストに入っていたのを見つけた事にして、警察に届けました」  
そう彼女が呟いた一瞬、美雪が微かに震えた  
「七瀬さんの体に障りますから、続きは署の方でこちらの地域の担当の刑事にお話しください。  
隣の部屋に部下がいますから、彼と行ってください。私が彼女を看ていますので」  
 
部屋を出る前にあやりは振り向いて明智に尋ねた  
「あの、何故わかったのですか?」  
それに対し、明智は悲しげに微笑んで答えた  
「推理ですらないんです。あなたが多聞さんの遺体をみた時に  
『どうして解毒剤を…』  
そう確かに呟いたでしょう。声に出さなくても私には唇の動きでわかったんです」  
 
散る花のごとく、あやりが部屋を出ると、明智はさりげなくドアに鍵を掛けた  
心配そうに目を大きくしている美雪に微笑みながら、  
「喉が渇いたでしょう」  
そう 言うと水さしに手を伸ばし自らの口に含んだ  
何事か察したらしく、逃げようとする美雪だが、まだ体の自由はきかない  
いとも容易く二つの唇が重ねられ、冷たい滴が喉だけではなく、胸元まで潤した  
 
いつもの冷たささえ感じられる明智の優美さとは対照的に、その唇の動きは熱く荒々しく、そして巧みだった  
「な、何するんですか。酷すぎます。明智さん」  
しばし、翻弄されていた舌が解放されると、美雪は大きく息を吐きながら掛け布団でガードしながら抗議する  
明智は、こちらも大きく溜め息をついた後、落ち着いた声で言い放った  
「全く、年齢も胸のサイズも今回はサバの読みすぎじゃないですか」  
美雪は一瞬青ざめながらも  
「なんの事ですか?人を呼びます」  
ととぼけてはみたものの、負けは明白だった  
「彼女の名誉のために言っておきますが、七瀬さんは僕が同じ事をしても、そんな表情や反応はしないと思いますよ  
その前に僕も七瀬さんにこんな事は絶対しませんけど。もっとも、彼女からせがまれたなら別ですけどね」  
人の魂を奪う悪魔のような妖艶な笑みを向けられて、美雪の姿を借りた彼女は薬のためだけではなく、脱力してゆくのを感じた  
 
 
 

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