「はじめちゃんの馬鹿!スケベ!もう知らないっ」  
美雪の大きな黒目勝ちの瞳から涙がこぼれた。  
こんなことを言いたいんじゃないのに。  
美雪はそれでも悲しくて悲しくてやりきれなくて  
目の前の幼馴染の恋人をせめた。  
「落ち着けよっ」  
金田一が美雪の肩に手を置こうとしたが  
美雪は手で顔を覆うと身を振ってその手を拒否した。  
「美雪…」  
白い指の間から涙がぽたぽたとこぼれた。  
「はじめちゃんは いつもそう。」  
いつも私より他の何かを…誰かを選ぶ。  
金田一はどうしてよいかわからずただおろおろと美雪の前で立ち尽くした。  
そして自分の髪をぐしゃぐしゃとかき混ぜると呟くように言った。  
「だって…しゃあねえだろ?玲香ちゃん、泣いてたんだから。」  
 
 
玲香から金田一に電話がかかってきたのは昨日の夜。  
最初は明るい声を出していた彼女だったが ほんの微かな声の震えを感じた  
金田一が  
「何かあったの?」  
と聞くと、彼女はいきなり泣き出して ただ会いたいのだと繰り返した。  
金田一はそのまま彼女に会いに行き、  
そして朝の冷たい空気の中そっと家に帰ろうとしているところを美雪に  
見つかったのだ。  
「なにも、なかったって。ただ話を聞いてただけだって。」  
なんて彼の言葉をまったく信じないわけではないけれど、  
相手が玲香となると美雪も笑って聞けるわけではなかった。  
玲香は金田一のことが大好きで、そして金田一だってそれは  
薄々わかってるはずなのだ。  
「…泣いてたからって…。  
…はじめちゃんはどうしてそんなことが平気でできるの?無神経だよ!」  
その言葉に金田一もむっとしたように言い返す。  
「泣いてる子、ほっとくのがいいことなのかよ!」  
「ほ・・本当は玲香ちゃんだから行ったんでしょ!?鼻の下のばして  
 ひょこひょこ行ったんじゃないの!?」  
投げかけてる言葉のひどさは分かってるのに   
投げやめることがどうしてもできない。  
「…はぁ?何言ってんだお前。」  
「玲香ちゃんなら こんなこと言わないもんね。はじめちゃんのこと  
思い切り甘やかしてくれるもんね。」  
金田一が唇をきゅっとかみ締め、蒼ざめるのがわかった。  
 
「わかった。お前はオレのことそんな風に思ってたんだ。」  
静かな声がかえって金田一が本当に怒ったことを告げていた。  
「…もういい。」  
金田一は一言だけそう呟くとくるりと美雪に背を向け、歩き出した。  
美雪はそのあとを反射的に2,3歩踏み出したが足をとめた。  
日の暮れた公園ではジャングルジムやブランコが長い影を作っていた。  
美雪は力なくブランコに座るときい…とブランコをゆらした  
 
陽はすっかり暮れていたが美雪はそんなことにも気付かず  
ゆらゆらとブランコを揺らしていた。  
あんな事言うつもりじゃなかったのに。  
わかってるのに。  
はじめちゃんはただ優しいだけ。  
―誰にでも優しいだけ。  
ただ涙を止められない。  
夕闇が公園も美雪も覆う。  
街灯の明かりがぽつぽつ点き始めたが美雪はひたすらに  
自分の涙が地面に吸い込まれる様をみつめていた。  
 
やがて側の道路を走る車のライトが流れ、美雪はその流れに  
はっとしたように顔をあげた。  
それに呼応したかのように美雪の耳に声が飛び込んできた。  
「七瀬くんじゃないですか?」  
それは良く知っている声。  
「明智さん…?」  
ぼんやりとした背の高い人影はしっかり近づいてきて  
やがてその端正な顔がはっきり見える程になった。  
「やっぱり。どうしたんです?こんなところで。もう暗いし危ないですよ?」  
美雪は口を開こうとするが何も言えず明智を見上げた。  
明智は美雪の大きな眼に涙が浮かんでいるのを見て少し息を呑んだ。  
「―本当にどうしたんです?金田一君は一緒じゃないんですか?」  
「はじめちゃんは…」  
美雪は無理矢理笑顔を作ろうとしたが、途中でのどが詰まる。  
「はじめちゃ・・は・・優しいから・・」  
そこまで言うと涙がまた勝手に溢れてきた。  
明智はそっとその長い指で美雪の涙を拭った。  
美雪が思わず見上げると明智が静かに口を開いた。  
「暖かいミルクでも飲みませんか?」  
 
明智の実に秩序よく片付いた部屋の  
落ち着いた色のソファーに美雪は身を預けた。  
キッチンからミルクを温める豊かな匂いがしていた  
自分の生活から懸け離れたところにいた明智の  
生活のにおいを感じて美雪は急に何故だか恥ずかしくなる。  
そこへ明智がカップにミルクをついで美雪に持ってきた。  
「さあ、どうぞ。落ち着きますよ。」  
穏やかで低い声で囁くように言われ、美雪は一口豊かな白いミルクに  
口をつけた。  
「…美味しい。」  
切なくて壊れてしまいそうな胸の痛みがほんの少し和らいで  
美雪は小さく笑みを漏らした。  
美雪は微かにそこに混じる芳香に気付いて明智をちらりと見た  
明智は嬉しそうに微笑んだ。  
「さすが七瀬君。ブランデーを少したらしたんですよ。よく気付きましたね」  
どこか子供みたいなその顔に美雪は意外さとほほえましさを感じる。  
…そういえばはじめちゃんと話す時もこの人こんな顔してるときがあったわ。  
瞬間的に金田一を想いだしてまた息ができないほど胸が痛くなる。  
大人なのに瞬間的に子供の顔を見せる明智とは違って  
金田一は誰より子供っぽいのに時々ついていけないほど大人の顔をした。  
今度の事だってそうだ。  
金田一が玲香を放っておく人なら最初から好きにならなかったと思う。  
けれどそんなふうに割り切れない思いが自分を侵す。  
ぽとん…と白いミルクの上に美雪の涙が落ちた。  
 
「七瀬君…?」  
「ご・・ごめんなさい。」  
慌てて涙を拭おうとする美雪の手を明智の手がすっと絡めとった。  
涙のたまる美雪の長いまつげを明智の指がかすめた。  
そして美雪のほんのり染まる頬と震えるまぶたに  
明智は柔らかく口付けた。  
美雪は自分の頬が真っ赤に染まるのがわかって  
それがますます羞恥を誘った。  
「泣いてもいいんですよ。」  
明智は美雪の細い震える肩を包むように抱きしめた。  
「明智さ…ん」  
美雪は明智の少年のものとは違う大人のしっかりと作られた  
鍛えられた身体に華奢な身体を預けた。  
しかし次の瞬間ぎゅっと明智の身体を押し返した。  
「だめ・・。」  
「七瀬君?」  
「私を、甘やかしちゃだめです。」  
 
美雪は涙を含んだ瞳をそれでも微笑ませて明智を見た。  
明智は美雪の小さな苺のように赤い唇が小刻みに震えているのに気づいた。  
「私、ずるいんです。はじめちゃんがはじめちゃんじゃなきゃ嫌なのに  
 はじめちゃんが…」  
他の人に目を向けるのは嫌。  
そんな言葉を飲み込む。  
うつむいてしまった美雪の柔らかな頬に手をかけ明智はやんわり美雪の顔を上げさせた。  
そのままその白い頬に口付ける。  
美雪はびくんっと身を震わせ、離れようとしたが、明智の腕の力は思いのほか強く  
その体からは大人の匂いがした。  
そのまま唇は頬をすべり美雪の果実のような唇を捉えた。  
「ん…っはぁっ…」  
柔らかく食むように唇をむさぼられ美雪は思わず小さく甘い声を漏らした。  
それに煽られたかのように明智の舌が柔らかく美雪の唇に侵入してくる。  
そして美雪の中の怯えたように動かない舌を絡めとった。  
ぐちゅ・・と濡れた音が静かな部屋に漏れた。  
強く弱く生き物のように這いまわる熱い舌に美雪は覚えのある感覚が一気に下から突き上げてきて自分でもどうしようもなく体から力が抜ける。  
それを支えようと無意識のうちに明智の広い背中にしがみついてしまう。  
 
「うぅ…んんっ…」  
酸欠と突き上げてくる熱い感覚に美雪は意識が薄らいでくる。  
美雪の表情に明智ははっと気づいたようにようやく美雪の唇を解放した。  
「はぁ…っはん…ぁふ…」  
美雪はぼんやりと明智を見上げた。  
美雪自身は気づいていないが  
大きな黒目勝ちの瞳はうっとりと濡れ  
 瞳の淵がほんのり淫らに染まっている。  
白い桃のような頬は快感に煽られて赤く上気している。  
その顔はあまりにも煽情的で明智は少女の無意識の媚態に息を飲んだ。  
「私もずるいですよ…。」  
明智は静かに美雪に囁いた。  
美雪が不思議そうな顔をすると明智は美雪を抱いたままさらに耳元で低く言った。  
「君の傷心につけこもうと思ってる。」  
その意味を美雪はおぼろげながらに悟り反射的に身を固くする。  
「わ・・・私・・はじめちゃんが好き…だから…」  
「私も好きですよ。」  
美雪は明智と金田一は仲が悪いと思っていたから意外な言葉に思わず明智の顔をつい凝視してしまう。  
明智はくすりと笑うと続けた。  
「生意気で無礼な子ですが嫌いじゃない。」  
あくまでも真面目に淡々と明智は言った。  
「けれど、今日から嫌いになりました。」  
「…え…?」  
明智が美雪の眼をひたと見つめながら続けた。  
「君を泣かせたからです。」  
 
見たこともない 明智の熱病めいた眼に  
美雪の息が詰まった。  
ひたとしたその視線から逃れるように美雪は顔を伏せた。  
美雪の細い腕を抱いていた明智の腕の力がふっと弱まった。  
そして静かな声が美雪の耳に届いた。  
「ずっと君たちが羨ましかった。」  
「明智さん…。」  
美雪がそっと眼を上げると 明智はもういちど美雪をひたとみつめた  
視線が絡んで外せなくなる  
美雪は自分の鼓動で胸が破れそうになる。  
明智は流れるように美雪の濡れた唇に口付けた  
そのままやんわりと美雪を抱くようにして大きなソファーに横たえた。  
何の抵抗も見せないことに後押しされ明智は口付けを深くする。  
少女の柔らかい舌がおずおずと明智の蹂躙に答えるように絡んでくる  
明智はせりあがる熱を感じながら熱い息を吐くと美雪のブラウスに手をかけた  
器用な指でぷち…と上のボタンを二つほど外すと薄い桃色の下着が美雪の呼吸に合わせて  
上下している。  
激しく剥ぎ取ってしまいたいような衝動を押さえ、  
そっと少しだけあらわになった白い胸元に  
唇をつけた  
その瞬間。  
押し返すしぐさすら見せず明智の愛撫に素直に答えていた若い躯が強張った  
「…だめっ」  
その声の鋭さにはっと明智は身を離した。  
少女はさっと身を起こしブラウスをかき合せた。  
「わっ…私…はじめちゃんが…」  
美雪の大きな瞳にじわりと涙が浮かんでいる  
「…ごめんなさ…い。私…帰ります。」  
そう言うなり美雪は明智の部屋を飛び出して行った。  
 
美雪が逃げるうさぎのようにするりと腕をぬけ、部屋を飛び出すと  
明智は思わずその後を追おうとし、  
ついで、溜息をつくと柔らかなソファーに身を沈めた。  
「言うつもりはなかったんだが…。」  
明智の言葉に嘘はなかった。  
生まれたての苺のような鮮やかな美雪と金田一の2人を  
いつも眩しい気持ちでみつめていた。  
生意気で未熟ではあるが才能のきらめきを見せる少年と  
そんな彼をひたむきなまでに信頼する少女。  
―いつの頃からか 少女のひたむきな瞳や  
時折みせる人を柔らかく抱きしめるような暖かさに惹かれていたけれど、  
気付かないふりをしていたのは2人の幼いけれど  
まっすぐな睦みあいが好きだったからだ。  
 
明智はもういちど溜息をついた。  
胸には美雪の甘い香りと仄かな体温が残っていた。  
 
一方部屋を飛び出した美雪は 飛び出しそうな鼓動に押されるように  
ひたすら走った。  
息が切れ始め限界が来て美雪は歩をゆるめ、やがて足をとめた。  
「…あっ…。」  
美雪は歩くときぐちゅっと自分の泉が小さな音を立てるのに気付き  
唇を噛み頬を真っ赤に染めた。  
明智のつけた火が体中で爆ぜているのだ。  
「は…じめちゃん…っ」  
美雪は自分の体をきつく抱きしめた。  
はじめちゃんに会わないと。  
でないと私…。  
美雪は甘くて恐ろしい予感に震えた。  
「…はじめちゃん…。」  
今すぐ会いに来て。  
誰にも眼を向けないでまっすぐ会いに来て。  
美雪は胸の中で小さく、搾り出すように呟いた。  
 
 
街はすっかりと暗くなっていた。  
ぽつぽつと街灯に灯りがともり   
その灯に惹かれた蛾がジジと焼かれる音がした。  
美雪はバックから携帯を出そうとして それがないのに気がついた。  
―明智さんのところに落としてきたんだ…。  
美雪はきょろきょろと夕闇に沈んだ街に眼を走らせた。  
そして電話ボックスを見つけるとそこに飛び込むように入った。  
電話機に入るだけの小銭をいれ   
震える指で金田一の携帯の番号を押す。  
コール音は響くが通じない。  
無性に金田一の声が聞きたかった。  
そうしないとあの怜悧な眼が熱情に燃える様や  
めまいのするような熱さが  
体中を支配してしまいそうで怖かった。  
美雪は何かにとりつかれた様に金田一の携帯の番号を押し続けた。  
何度目かのコールの時、  
ふと聞き覚えのあるメロディーが聞こえた気がした。  
ほぼ無意識のうちにボックスから出ると 近くで声が聞こえた。  
「はじめちゃ…」  
声をかけようとして 空気が止まる。  
彼のそばにいるのは軽く帽子で顔を隠しているが   
ほっそりとした妖精のように可憐な少女アイドルの速水玲香だった。  
喉が焼けるように渇いて声が出ない。  
どうしてはじめちゃんはあんなに優しくあの子を見てるの?  
彼の指が優しく少女の髪に触れる。  
壊れ物に触れるかの様なしぐさが美雪の胸を突き刺した。  
美雪に気付かず二人は公園に向かって歩いていく。  
悪夢の中をさまようように  
美雪も少し離れてふらふらとその後をついていった。  
 
夜の風が頬に冷たく当たる。  
さらにぽつんとつめたいものが頬にあたった。  
「…雨?」  
美雪がそう呟くと同時に雨足は速くなり   
街並みが激しい雨で霞むほどになる。  
周囲の人間があわただしく駆け出し  
雨宿りのできるところを探しているのを  
美雪はどこか別世界の出来事を見るような気持ちでぼんやり見ていた。  
世界がひっくり返ったみたい。  
はじめちゃんとあの子がキスするなんて。  
―その事実よりもなお美雪を打ちのめしたのは   
2人の熱っぽい見つめ合いと  
微かに聞こえた彼の言葉。  
―確かに彼の唇は『好きだよ』と刻んでいた。  
…世界がひっくり返ったみたい…。  
 
美雪の足は意思を失ったように 危うげな足取りを取っていた。  
ぽたぽたと衣類から雫が落ちるほどに濡れていても  
美雪は寒さすら感じなかった。  
 
その時美雪の耳にパッパーッとクラクションの音が届いた。  
反射的に足をとめると見覚えのある車が  
きゅっと路肩に止まり開いたドアから明智が現れた。  
「良かった。−君が傘を持っていないのを思い出して、ずいぶん捜したんですけど…」  
ずぶぬれの少女の空虚な瞳に明智は言いかけの台詞と息を呑む。  
「…すみません。送るべきでした。とにかく乗ってください。そのままでは風邪をひく。」  
美雪はどこかぼんやりと微笑んだ。  
「良いんです。濡れていたいんです。  
 そうだ。私携帯を忘れていったでしょう?今持ってたら…」  
そこまで言って美雪は黙り込んだ。  
ぎゅっとかみ締めている唇が震えている。  
それで明智はこの少女が泣くのを必死にこらえているのだと気づく。  
明智は少女の細い腕を強引に掴むと驚く彼女を半ば強引に車に乗せた。  
明智はものも言わずに彼女を部屋に連れて行き  
シャワーを浴びさせ、着替えがないため自分のシャツを貸し、  
今度は少し多めにブランデーをたらした紅茶を差し出した。  
明智は美雪の隣に腰掛け、彼女がゆっくりとカップに唇をつけるのを見ていた。  
透明なほど白い頬に少し赤味が差してきて明智はそっとその頬に触れた。  
美雪がびくっと小さく身を震わせると明智は思わず手を引いた。  
「…すみません。私は別の部屋にいますので…」  
明智が立ち上がり離れようとすると   
か細い少女の声が明智を引きとめた。  
「…けてください。」  
「え?」  
美雪は明智に眼を向けた。  
大きな瞳から涙がはらはらと流れる。  
「助けて下さい…!息ができないんです…!」  
息をするたび無数の針が喉を通っていくような気がした。  
明智は黙って美雪の側に寄り、その小さな肩を抱きしめた。  
 

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