ポニーテールがたてがみの様になびき、両足は風のように走る。
咲野明日夏は、少し遅めの朝食をとり終え、食パンをかじりながら登校した。
門限5分前、注意のうるさい風紀委員に捕まらないために、明日夏は勢いに加速をつけた。
「おっはよー!今日も一日元気にいこーね」
すれ違いざま、同じように遅刻している相原を追い抜き、明日夏はふたたび前を向いてかけだした。
「じゃーねー。また放課後よろしくー!」
相原は、声にならずに咳き込みながら、手を振って返事をだした。
夕方の河原。
明日夏が学校での部活動の後、相原と一緒に自主練をするのがこのところの日課となっていた。
二人は、汗を拭くと土手に並んで腰掛け、水を飲みながら談笑している。
ことの発端は、明日夏の何気ない質問からはじまった。
「ねぇ、相原君って、…その、どういうタイプの女の子が好みなのかな?」
「えっ?と、突然だね」
照れ笑いでごまかす明日夏。
「そうだな、女らしい人」
「…え?」
「すごく女の子だなぁって思えるような人がタイプかな?でも、あまり、相手のことは気にしないだろうな」
そうなんだ、と、明日夏は気の抜けた返事をして、話題を変えた。しかし、女らしいという宿題は、その夜の明日夏を大いに頭を悩ませた。
「女らしいって、いったい何なんだろ?わかんないよ」
もともと悩み事はしない性格だし、したことがなかった。5秒で考えるのをやめて、10秒で寝た。
「で、なんで私のところに来るの?」
明日夏が頭を悩ませた場合、必ず人に相談した。そして今回、彼女のよきコーチとなってもらえるようお願いに行ったのが、二見瑛理子のところだった。
屋上で二見を見つけた明日夏は、女らしくなりたい、という相談を二見に持ちかけてみた。
「そういうのは、祇条の役割なんじゃないの?」
きびな池のほとりの豪邸にすむ祇条深月に聞きに行け、と二見はいった。おしとやかで控えめ、立っているだけで気品が薫る。誰もが認めたくなるお嬢さまだった。
「あ、ダメだよ。祇条さんは私にはレベルが高すぎるよ。ちょうどえりちゃん位が今の私にぴったりだよ」
「褒め言葉と受けとめておくわ」
行動派の明日夏、頭脳派の二見。この手のタイプが近づくと、化学反応を起こしてぶつかり合うか、お互いを補完できるように仲良くなるかのどちらかになる。
幸い、今は二人の関係は良好だった。しかし、それは、相原という二人の共通の友人の努力があって、ここまでこれたのだが、それは別のお話。
「咲野って、相原のこと好きなの?」
顔を引きつらせて後ろに飛び跳ね、明日夏は慌てだした。
「ち、ち、ち、ちがうよ!そうじゃないけど」
「じゃぁ、なんで好きでもない男に、女らしいとこみせたがるの?」
「それは…、やっぱり、私も女らしくなった方がいいのかなって…」
二見は、あごに手を当てて、うつむきながら考え出した。
「…わかったわ」
「本当?」
「その実験、つきあうわ」
実験ではないのだけど、という否定をする間もなく、二見はメモ帳をとりだした。そしてペンを走らせ、メモを破って明日夏に渡した。
「Aプランって書いてるけど、なに?」
「そもそも、女らしいってこうは言えないかしら?“男にはできない女の魅力”」
「うん、うん、確かにそうだよ!」
「つまり、女にしか出せない、女性固有の武器を前面に出すことこそ、女らしい、と」
明日夏は、話を聞いて上気させ、両拳をにぎりしめて続きを聞いた。
「咲野、Aプランの内容を読んでみて」
「えーと、『Aプラン。髪。髪は女の命。まずは髪型を変えて相手に近づいてみる』ってあるね」
「まずは見た目から女らしくなるの。ポニーテールを外して、相原に話しかけてみなさい」
「えー、この髪型気に入ってるんだけどなぁ…。でも、私やる。監督と一緒に、女らしい咲野明日夏になってみせるよ」
「咲野、勝ちに行くわよ」
女同士の友情の握手がかわされた。
休憩時間に相原とは教室前の廊下で出会った。
「あ、相原君も移動なんだ」
「ん、ああ、咲野さん…も?」
相原から見た明日夏は、いつもと雰囲気が違っていた。ただ立っているだけなのに、今日の咲野は、妙に女の子っぽく見えた。
「えへへ。ちょっとだけ髪型変えてみちゃった」
「あ、そうだ。なんだかいつもの咲野さんと違ったから、びっくりしちゃったよ」
相原は咲野の前でどぎまぎしている。Aプランは着々と進行中だ。
「どうかな?似合ってる?」
「えっと、そうだな。僕はいつもの咲野さんの方が、いいかな?」
「え…」
「いや、誤解して欲しくないんだけど、その、いつもの髪型の方が、咲野さんらしいって思えるかな」
「あ、ああ〜、そ、そうなんだ。アハハ。じゃぁ、元のやつに戻しちゃお。あれ好きだし」
その場は笑ってごまかし別れた。
明日夏はすぐさま理科準備室へ向かった。
「監督、全然ダメだったよ」
「どうやらそのようね」
「そんな!人ごとのように」
「黙って咲野。この程度なら想定の範囲内よ」
といいながら、二見は新しい紙を明日夏の顔の前に突きつけた。
「Bプラン?」
「そう。Aプランは、相手の特性を調べる撒き餌のようなもの。これで相原のことは丸裸にしたわ」
「本当?で、Bプランというのは?」
明日夏は二見に内容を読むように促されて、声を出しながら読み上げた。
「『Bプラン。胸。母性の象徴。』か。やっぱり来たかぁ」
「どうしたの?」
「いや、ね、私は自分の胸にコンプレックスを持っていて、あまり好きな部分じゃないんだ」
「そうなの…、奇遇ね。私も同じ悩みを抱えているわ」
明日夏は二見を見て、意外、という表情をした。明日夏は二見のようなムダのない体になりたいからだ。
「このBプランは私にはできないわ。咲野にしかできない。続きを読んでみて」
「うん。えー、『ブラジャーを外して相手に密着する』って、えええっ!?」
「がんばって」
「できないよ、これ!」
「そう?私はいつもつけてなんかいないわ」
そういながら、二見は制服の上着をめくってみせた。言うとおり、いきなり小ぶりの胸がのぞいた。
昼休み時、相原は屋上のテラスによりかかって、遠くの山を眺めていた。
「なーに見てるのー?」
「うわっ!?」
明日夏がいきなり後ろから抱き付いてきて、相原は思わず声を出してしまった。
「い、いや、別に何も」
明日夏に抱きしめられながらしどろもどろになり、相原はあせった。そして、会話をしながらでも、意識は背中に集中していた。
(背中に、大きくて、柔らかいものが…)
「あ、あの…咲野さん、いつまで、その…」
「えっ?…ああ、その、…あててるんだよ」
相原は、明日夏の台詞が最後の部分までうまく聞こえなかった。
理科準備室に駆け込んだ明日夏は、顔を真っ赤にさせてくずれ落ちた。
「ハァ、ハァ、…恥ずかしかった」
「えらいわ、咲野。Bプランは順調ね」
「もういやだよ〜、こんな恥ずかしいこと」
「何で?あなたが恥ずかしいって思うことは、それはあなたの女を意識しているからよ」
「そ、そうか。そうだよね…」
腰が抜けている明日夏に、二見はまた新しい紙を明日夏の顔に突きつけた。
「いよいよCプラン。これでヒーローになってきなさい」
「えーと、『Cプラン。フェロモン。男を惹きつける媚薬』監督、フェロモンってなに?」
「動物の体内で生産され体外へ分泌放出し同種個体間に特有な行動や生理作用を引き起こす有機化合物。多くはにおい刺激として受容されるものよ」
聞こえる言葉の意味が半分もわからないので、明日夏は続きを読んだ。
「…監督、今度こそムリ。これやったら変態だよぉ」
書いてある内容を口に出す前に、明日夏は首を振って拒絶した。
「咲野、フェロモンの力はすごいのよ。意識ではなく、本能に直接うったえかけるの」
「それって、ドリブルで攻めあがるよりも、ゴール前で直接フリーキックをもらえる、みたいな」
「たぶんそうね」
こちらもサッカーを知らないので、話半分でうなずいた。
放課後になり、明日夏は学校内にいるはずの相原を探していた。
しかし、いつもの校舎内を駆け回り、注意を受ける明日夏とは違い、今はスカートを前で押えながら、おずおずと歩んでいる。
今の明日夏は、下着を着けていなかったのである。
「スースーしすぎちゃって、寒いくらいだよ。階段とかゼッタイ登れないし。相原君、外とかにいないかなぁ?」
校舎内を歩き回っていると、明日夏は自分を見られているだけで恥ずかしくなっていた。
繊維の隙間から、自分の体が見えてしまっているのではないか、と考えてしまうからだ。
「なんだか…、何もないはずなのに…、体が熱くなってる…」
相原は、噴水前のベンチに座っていた。
「あ、相原君。今いいかな?」
明日夏をみた相原も、顔が熱くなっていくのがわかった。
「…どうしたの?顔が真っ赤だよ」
「あ、あれ?変だなぁ。き、きっと、暑いからだよ」
「そうだね。今日は一日暑かったからね」
そういうと、明日夏は制服やスカートをパタパタとふって、風を体の中に入れるようにした。
相原の顔をみると、目が明日夏の体に釘付けになり、のどが動くのがわかる。
(今日の咲野さん、いつもと違うなぁ。いけないとわかっているのに襟元や腰や足とかに目が行ってしまう)
相原は、さらに、咲野の制服の胸の辺りが、突起物が二つ浮かんでいるのを発見した。
普段の二人とは違い、どちらも会話ができなくなって、お互い顔を赤くさせて黙り込んでしまった。
(これがフェロモンの力なの?相原君、これで私を女らしいって思ってくれるかな?)
そこへ、暑さを吹き飛ばす山おろしの風が吹きつけた。
「きゃぁ!?」
突然スカートが大きくめくり上がった。
相原は思わず立ち上がり、まなじりから血が出るくらい大きく見開いた。
「ご、ごめんなさい」
「あ、あの、咲野さん…、なんではいてないの?」
相原は、咲野の腰の辺りにある白い布地を想像していたのだが、目にしたものは黒色で、茂っていた。
明日夏は赤い顔からピンク色にまで変化させて、
「馬鹿っ」
相原に頭突きを食らわせて立ち去った。そして泣きながら部室を目指していった。
了